♪あるがままの地球の姿を 子供たちの手へ
昨日物凄く久しぶりにクレヨン社の「地球のうた」を某所で聴いて大感動しました。高校のときクレヨン社めちゃくちゃ好きだった。カセットにダビングして友達に布教してたなあ…
で、またコンテが降りてきた。今日は朝から出かけてたんですが、それと、MAD6と、冬コミの小説とオマケ漫画と(ページ数次第で描けるかも)こないだネタだした奴とで、もう行き帰りの電車の中で頭の中がオーバーフロー状態なのでした。今所用を終えて帰ってきてさあアウトプットしようか、ってところです。昨日ヨルさんから届いた同人にもすごい刺激されました。
それらを考えながら思ってたんですが、悟空は地球と言う星についてどんな感情を抱いてたのかな、と。彼はドライっ子なので、この歌やヒット曲集でよく出てくるような「地球を守りたい」とかそういうものは必ずしも強くは持ち合わせてないと思う。
特に劇場版やヒット曲集は、まあ当時流行してたというか「地球大切にしようぜ」みたいなエコの奔り的メッセージ性がかなり強くて、そんなものかなあとか学生の頃は思ってた記憶があります。なんとなく悟空にそぐわないというか、彼にとっては戦いのついでに「救世主」という肩書きがついて来たんであって…みたいな違和感がね、常に付きまとってた。奴には何かを守ってやるとか、そういうヒーローめいた感情は無いんじゃないかとすら思ってたんですよ。まあ私自身が冷血ってのもあったのでしょう。
何かを守りたいって気持ちが芽生えたとしたら、やっぱり結婚し、悟飯が生まれてからなんだろうな、と思う。そういう意味で、私は世界を本当に救ったのはチチであると、特に今になって強く思うのです。チチがいなければZなどありえなかったのだから。だから私はこの夫婦が好きなのです。私の書くこの夫婦の愛の形は決して完全なものじゃないし、どこか歪んでるところがあると自覚はしていますけど。
それにしても思ったんですが、つくづく私は孫悟空と言うものに縁がある人間だな、と。地球のうたを初めて聴いたのはラジメニアで、手塚先生の遺作アニメ「ぼくは孫悟空」のエンディングとして流れたものでした。そこからクレヨン社にはまったんだったな。
で、初めてリビドーに目覚めたのも確か小池一夫先生の「孫悟空」でした。これは猿の孫悟空とその御一行様がとにかく酒池肉林の大冒険を繰り広げるという物語ですが、多分うちの父親が買って家にあったのでしょう、小学校中学年くらいで読んでえらい興奮した記憶があります。
そんでもって中学に入ってドラゴンボールですからね。そこから勘定してもざっと20年はファンをやってるのかと思うと感慨深くもあります。結婚してこないだまで手元にコミックもない状態だったのでその辺ブランクとして考えるにしてもですよ。もともと私の読書がしつこいということを差し引いても、これだけ好きでいられるのはやっぱり凄いことだと思うんだ。飽きっぽいですから、私って。
うん、なんつーか、人間の想像力って素晴らしいね。と、オーバーフローで知恵熱出そうになりながらつくづく感じ入らずには要られない今日の私でした。