このページはイラストレーターはるまきの、個人的なドラゴンボール版権小説置き場です。鳥山先生、集英社さんとは一切関係ございません。
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Luna4(中編)






 「あら、遅かったわね悟飯くん」
 昼過ぎにひとり島に降り立つなりカメハウスの脇の方から声がかかったので覗きこんでみて悟飯は面食らった。真っ青な空に聳え立った2本の椰子の下しつらえられたハンモックで、育児からも解放され絶好のバカンスだとばかりに大胆なビキニを着たブルマがしどけなく寝そべっていたからである。誰にさせたのだか知らないがサンオイルを塗った背中の上で解いたビキニの紐がひらひらしている。宇宙船で一緒に旅した小さな頃とは違ってもうさすがに実際の年齢では10にもなるのだから悟飯は顔を赤くしてそっぽを向いてこたえた。
 「すみませんでした、遅くなっちゃって」
 「いいけどさ。じゃあ中入ろうか…って、上から覗いてんじゃないわよ、この色ボケジジイ!」紐を結びなおしながらブルマが起き上がった。その声に中で昼食を作っていたと思しきクリリンとヤムチャがそれぞれエプロンをつけたまま顔を覗かせた。
 「おー、来たか悟飯、あがれあがれ」
 「よ、久しぶり。…あれ?お前だけか?チチさんは?」
 「あ、ちょっと来れなくなっちゃって」
 「そうなのか」ヤムチャが少し残念そうな顔をした。まあとりあえずは飯にしようと言うので玄関のたたきでスニーカーを脱いで、悟飯は久しぶりにカメハウスの中に上がりこんだ。
 父親が心臓病の間にここにはしばらく身を寄せていたが、相変わらず古びたどこか懐かしい板壁のインテリアが、甘い潮風とあいまって心を和ませた。自分の家では無い、裸足で温かいフローリングを踏む感触も。
 女性を口説くにはいいのだ、とヤムチャがこつこつ磨いてきた料理の腕前が食卓の上で披露された。父親の師匠も加わって大人は少し酒を飲み始めた。前にはなかったそのようにのんびりとした時間。
 人造人間と戦う前の3年の間にも、たまに父親とここには訪れ来たことがある。この家は悟飯にとっては幼い頃の恐怖と直結している場所だから最初は少し怖かったのだが、あれからもう5年あまり。喪ったもの、得たものを孕んで、時は波が浜の砂に書いた文字を洗っていくかのように突出した思い出を削り取ってゆく。
 食卓で語られるのは、そのように優しく丸くなったかずかずの他愛ない思い出が主だった。まだ鮮明な、あの戦いのことには触れられることなく。悟飯はもともと話をするよりも話を聞いてる方が好きなタイプだったから、自分がまだ産まれてもない頃のそのような話をおとなしく興味深そうに聞いていたのだった。


 「ところで、チチさん来れないってなんで?風邪でも引いたか」食事もあらかた済み、麦茶を継ぎ足してくれながらクリリンが聞いてきた。
 「おれんところもプーアルが引いちまってなあ。気をつけたほうがいいぞ。悟飯は鍛えてあるから大丈夫だと思うけど」
 「…」悟飯は眉を曇らせた。「こないだ…あ、ここに来る前に自分の家からおじいちゃんの家まで二人で旅行してたんですけど、途中からなんだか具合悪そうだったんですよね。最後、昨日にはおじいちゃんに途中まで迎えに来てもらったんですけど」
 「ほう、牛魔王は元気にやっとるか」
 「あ、ええ。…今日も行きたそうにはしてたんですけど、おかあさんもおじいちゃんも行けないですみませんって。夏ばてなのかなあ、すごくだるそうで」
 「あらまあ」
 「旅行の途中でも、車に酔うのか知らないですけど、ちょくちょく吐いたりするんですよ。それのせいでか食欲もなかったですしね。おかあさんそんなに車に弱い人じゃなかったと思うんですけど」

 そこまで言ったところで悟飯は何の気なしに麦茶をあおった。空になったその厚めのソーダガラスの向こうに、何かを考えているブルマの横顔がゆがんだ画像で現れだした。
 首を戻して小首を傾げると、目が合ったブルマは瞬きをして、隣のヤムチャになにか目配せをした。彼女と目が合ったヤムチャは一瞬不思議そうな顔をしたが、数秒後何かに気づいて何か言いたげに口をあけて固まってしまった。それはヤムチャの隣のクリリンに、またその師に伝染していった。
 「え、な、なんですか」
 「い、いやぁ」
 「それさ」
 「いや、きっと夏ばてじゃよ。うん」
 「悟飯くん、何も聞いてないの?…チチさん、お腹痛いとかは言ってなかった?」
 「いえ、それは別に。そんな感じは全然」
 「それならよかったけど。何かあったら、ねえ」


 何がなんだかと言う表情をしたままの悟飯を見て大人たちは何か含みを持った顔であわてて立ち上がり食器を片付け始めた。窓の外には水平線近くにスコールの雲がじわじわと溜まって、生温い風がブラインドの外の風鈴を少し鳴らしていた。座ってなさいと促された父親の師匠と悟飯は、卓に向かい合った顔を微妙な感じに微笑ませあった。
 「あ、テレビでもつけましょうか」
 「そうじゃな、リモコンはそっちじゃ」
 テレビをつけると昼時のワイドショーのようなものをやっていた。チャンネルを変えてとも言われなかったので悟飯は卓の真ん中にリモコンを差し出して、床に置かれた長クッションに黒髪の頭を持たせかけてしばらく考え込んだ。知的好奇心の特別強いこの性格にとって、例え子供だからとはいえ他のものがわかっているのに自分だけがなんだか察せられないというのは収まりが悪くて仕方がない。老人は卓に肘をついて、垂れ流されている芸能人の離婚やら結婚やらの今年前半の話題を煙管に葉を込めながら眺めている風だ。
 「あーそれそれ。あたしこの俳優好きだったのよぉ。なんでこんなさえないモデルなんかと出来ちゃった結婚なんてしたのかしらねえ」
 水着にガウンを羽織っていたブルマが手洗いから出てくるなりテレビの話題に食いついた。その声に悟飯はおもむろに飛び起きた。
 「…え、えー…?」起き上がって座り込み、白い半袖シャツの裾を握って頬を赤くして固まってしまった少年を見て、老人はサングラスと白鬚の下でなんとも微妙な笑いをした。
 「あ、気づいちゃったの!?」デリカシーのありそうでやっぱりないブルマが素っ頓狂な声をあげた。その声に台所から男二人が顔を覗かせた。集まった視線に真っ赤になった悟飯は思わず網戸の玄関を靴も履かずに飛び出して行ってしまった。
 「あーあ、仕方ないか」
 「あの子って孫君とは違ってマセてんだから、気づくとは思ってたけど思ったより早かったわね」
 「しかし…まあ、本当にそうなら二人とも複雑でしょうね。これから大変だろうし」


 思わず浜まで飛び出したのだがいざ飛び立とうとして悟飯はやめた。飛び立ったところで祖父の城に帰ってすぐに母親と顔をあわせるのもなんだったし、自分の家は今は更地状態だ。こんなことをあの性別のないナメック星人たちに分かってもらえるともなんとなく思えない。1分ほど浜でそのままたたずんだままでぼんやりしていた。足元に小さなハマヒルガオが一輪だけ淡い花をつけて、湿った風がだんだんと、綿飴を集めるように遠いところで黒い塊へと変化している。空のそのような様子を映しながらも、まだ海はたっぷりの陽光を映して奇妙に青黒くかつ眩しかった。ざあざあと変わらず鳴る波の音と、裸足の足指の下で騒ぐ熱い砂の感触がやけに鮮明だった。
 今帰ったところでなんになろう。ひょっとして本人だって気づいてないのかもしれないのだ。知っていたとしても、自分には教えようとしてくれなかったことなのだ。
 いや、多分、母親は知っている。おそらくはこのところの奇妙な物思いはそれだったのだ、今になれば得心が行く。その上で自分には伝えてくれていなかったのだと思うとその壁がやけに哀しかった。もともと母親は自分の前ではひたすらに「親」であろうとする人だった。大人と子供の間にはきっちりと一線があり、大人は大人のあるべき姿、子供は子供のあるべき姿があると信じている人である。家庭の秩序はおのおのがその責務を果たしてこそ成り立つのだと。
 自分は子供なのだ。世界を救ったといえどもまだ、母親にとっては10にも満たない子供なのだ。そんな自分と母親と、そして果たして知っているのか知らないのか今となっては窺えないがもうひとりを置き去りに父親は逝ってしまったのだと思い至ると、はじめて父親に恨みのような想いが滲み出てきた。もともとあの戦いが終わるまでは下の子を作らないといつか言ってたのではなかったか。なのにできたということは。
 生物に興味のある子供だったから、人間での具体的な生々しい行為はまだ想像がつかなくとも、字面として夫婦の間にあるものくらい知っている。自分が戦いの前、半ば無理やりに離されていた間に、父親と母親の交わしたであろう言葉に出来ないさまざまのものを…さまざまな感情を、少年は思おうとして、考えを閉ざした。子供と大人の間にある、それが壁というものだから。
 ひとつため息をついて浜を見渡すと、小さな小さな島は大きな天と海の間に取り残されたようだった。浜のテーブルの上に、さっきブルマが飲んでいたのであろう青い飲み物がフルーツを添えられて放置されている。口紅が残っていたストローを指でぬぐって、一口飲んでみるとそれはカクテルだった。飲んだことのない甘く違和感のある液体がのどの中を熱く滑っていく。
 なんだか分からないけど胸の中がひどくざわざわとこの曇り空のように落ち着かなかった。覗き見た壁の向こうに気づいたものは、少年のなんらかを押し開き、これから開花のときを待つだろう。今感じているのはその予感に他ならない。

 だけど、今日感じたもろもろの事は、いつかはるか遠い未来に、あのひとと話せればいい。できれば、酒など酌み交わして。
 当面は、そんな予感も、母親への同様な微妙なもろもろの感情も、これから表れるであろうさまざまの変化をもなにもかも見晴るかして、受け容れ、歩き、生きていくことだ。いつかあのひとに会えるその日まで。

 「明日、皆でお見舞いに行くよ。一緒に、ちゃんと確かめよう」
 いつの間にか浜に下りてきていた父親の親友の声に、悟飯は睨みつけていた青黒い水平線から目を離して振り返り力強く微笑んだ。黒い雲から光の梯子が下り、吹き降ろした風が少年の黒髪と白いシャツを広げ大きくはためかせ去っていった。幾粒かの雨を孕みながら。









 その後雨が降ってきたので皆でゲームやなんだので時間をつぶし、また何事もなかったかのように昼食時のような思い出話に花を咲かせ、夕食を食べてテレビを見て早い就寝になった。階下に男連中の雑魚寝用にいっぱいに布団を広げ、老人と子供を残したまま、3人はブルマが寝る予定の2階の部屋で酒を飲むことにした。思い出ばかりではないさまざまの話を肴にして。2階に持ち込んだ階下のテレビの番組を時折肴にして。若いと言うほどに若くも無く、歳をとったと言うほどには抵抗のある30前後の男女の酒は淡々とそのように過ぎていった。窓の外はまだ雨である。
 「しかし、驚いたよな。まだ本当かは分からないけどさ、まさかなあ」
 一通りの話が途切れた後、ヤムチャが静かにその話題の口火を切った。
 「…まだわかんないわよ」
 「でもまあ、悟空もしっかりやることやってたんですね。今思えばセルゲームの前に悟飯を預けたのもそうだったのかー、納得ですよ」
 明るく誤魔化そうとしたクリリンをベッドに寝転んだブルマが睨みつけた。「クリリン君、下品」
 「まあ俺も思った」ベッドの脇のフローリングに座り込んで酒を手にヤムチャが笑った。「あんな小さなガキだったくせになあ。…もう15年、いや16年?も前になるのか…それだけ経つんだから変わっても当たり前だけど。…でも、ホント、どうすんだろうな、チチさんと悟飯」
 「再婚とかするんですかね…この先」
 「実家が裕福だから楽だろうけどな…」

 しばらく3人は黙り込んで海に降る雨を眺めた。クリリンはひとつ手の中のビールをあおり、部屋を見渡した。床に散らばった空き缶とつまみの残骸。どこからか迷い込んできた虫が天井のライトにさっきから飛び込んでこんこんと刹那的な音を立てていた。

 別に一生彼女に操を立てて欲しいなんて望めた義理でもない。でも、親友が築き上げたその家庭は自分にとってもっとも近くにある親しい家族像だった。特に頻繁に行き来していたわけではないが、時折覗き見るその幸せをどれだけ自分は羨望してきたことだろう。
 死んだあの男は自分にとっては親友でもあったが、ライバルでもあった。力は及ばないかもしれないが、その分自分のほうが世間のいろいろな何がしかを知っているのだと、修行時代からどこかそのように自分は自尊心を…醜くも満たしてきたところがあった。それなのにあちらは、その気が無くともあのように可愛らしく美しい娘の心を射止めさっさと人生の次のステージに進んでしまったのだ。どんどん強くなってゆくその姿と相俟って、親友はいつしかライバルから手の届かない憬(あこが)れの具現となった。すこしの嫉妬と焦燥をそこに纏わせながらも。
 だがその築き上げてきた、自分にとって憬れだったものは、これからそのようにほろほろと時の流れの中に零れてゆくのかもしれない。生まれてくるかもしれない子供は、もはや父親であるあいつの顔すら知らずに育つのだ。時の流れとは、なんと。

 「俺も、これからどうすっかな」
 テレビの恋愛相談らしき番組を眺めながらヤムチャがひとりごちた。今の彼女についてののろけだか愚痴だかつかないものをろれつの回らなくなりかけた舌でぶつぶつと傍らのモトカノに向かって喋りだしている、そんな様子を見るとも無く眺める。修行時代にたまにブルマがこの家に様子を見に来て、まだ付き合っていたこの2人が一緒に居るのを見ていたのを思うと不思議な気持ちがした。
 やはり時の流れと言うのは曰く言いがたく残酷であり優しい、と思う。でも、それもこれも全て、いま自分が現世にあり時の流れの中にあるのも全てそれはこの星があるからなのだ。親友が破壊を身を挺して阻止してくれたからなのだ。それ以前にも、自分は二度親友によって救われている。生きろと。本来あるべき命の掟を枉げてなお生きろと。
 ならば、自分は生きなければならない。問題は、いつか遠い未来に逢い見(まみ)えた時に、あいつに胸を張って人生を誇れるかどうかだ。ずっと抱いてきた劣等感の、それがせめてもの意趣返しと言うものではないのか。


 「俺は、この家をお暇しようと思います」
 
 クリリンの切り出した言葉に、喋りこんでいた二人が打たれた様にはっとなって驚きの視線をまっすぐに向けてきた。

 「なんで?」ブルマが発した第一声は酔いを含んでどこか悲鳴めいていた。「なんなの?あのエロ爺さんがなんか言ったの?」
 「何も言いはしませんよ。俺が考えたことです。老師様にはそのうちお願いするつもりです」
 「弟子を、やめるってことなのか?」
 「それも違います。と言うかそもそも人造人間が来る前、2年くらい前か1回悟空がここに来たとき、老師様が俺と悟空に、本当にもう亀仙流は名乗らなくてもいいと仰ってくださってたんです。悟空はそれまでにも亀マークはもうつけてませんでしたし。もう実力的に、自分は全然及ばないのだからと。その時に俺はこれからどうするか聞かれましたが、保留にしてあったんですよ。それをどうするか、今になってやっと決めたというだけの話なんです」
 「…」同門の修行仲間は、なんとも複雑そうな顔をした。それに肩をすくめてクリリンは続けた。
 「俺は…身寄りもありませんし、働いたことも無くて金も持ってないですし、ヤムチャさんと違って都会で生きていけるような器用さも無いですから、結局はここで弟子と言う身分に甘えてた方が楽だったんです。老師様の事は好きですよ?今はもう実の爺さん位に親しく思っています。けど、ここに居る限り自分は修行に縛られないといけない」
 ぱしん、と音を立てて天井のライトから虫が気を失って頭上に落ちてきたのをクリリンは素早く手の中に包んだ。手の中で細い足の感触がもぞもぞした。
 「今は、当面戦うべき敵ももうありません。ついこないだまでの日々とは違って、修行に目標が見出せないじゃないですか。ホントは老師様に言わせれば武道とはそういうものじゃないんでしょうけどね。
 そういう風に修行に身が入らなかったとき、考えたんです。自分がもともと何のために武術をはじめたのかって。ここに弟子入りしたのかって。それに素直になることにしたんですよ」

 「…そうか」ヤムチャが笑った。その後ろでブルマはベッドの上に上半身を起こし、眉に深く皺を刻んでいる。その様子をちょっと見てから、ヤムチャが言ってくれた。まあ、頑張れ、と。だがブルマは細い声で問いを発してきた。
 「もう、武術はやらないってことなの…」
 「力になれることならなるつもりですし、もったいないからこのレベルはできれば維持したいと思いますよ。でも、より強くなろうとキリキリするんじゃ無くて、もっと人生楽しまないとってね。それこそ亀仙流のモットーですから」
 精一杯明るく言ったつもりだが、ブルマはそれきり黙りこんでしまった。男二人はゴミをまとめて、そっと部屋を出て行った。



 台所にそっとゴミを置いて、広げられた布団にそれぞれ潜り込む。生温い潮風が、いつの間にか上がった雨を知らせている。ざざあ、ざざあ、と繰り返す響きは、もう自分にとっての一部だ。この老人のにおいの染み付いた、親友の持ち込んで残していった布団も、部屋に染み付いた煙草のにおいも。
 「…起きてらっしゃるんでしょう。老師様」ヤムチャが、真っ暗なリビングの中微かな声で聞いた。
 「…」
 「俺、探しに行きます」見慣れた天井の板の模様を見上げながら、クリリンも脇の悟飯を起こさないように微かな声で言った。
 師を挟んで弟子二人は横になっていたのだが、枯れて細い、かさついた老人の指がその頭を順繰りにそっと触れた。ちいさな子供にするように。
 それは老人の、弟子たちに向けての精一杯の褒美だった。


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