このページはイラストレーターはるまきの、個人的なドラゴンボール版権小説置き場です。鳥山先生、集英社さんとは一切関係ござ いません。
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sweet


 
 チチはいつも家族のうちで最後に風呂に浸かる。晩飯後腹が落ち着いた7時位に先日1歳になった息子と夫を一緒に風呂に浸からせて、先に息子だけ上がらせて服まで着せてやり、その後夕食の皿を片付け終えてからだから大抵は彼女は晩の8時位からだ。
 こういう形になったのは息子が首が座って縦抱っこできるようになってからだが、最初こそ夫がなにかやらかしやしないとハラハラと見守っていたものの半年もすればそれなりに安心して任せていられるようになった。おかげでこうしてひとりのんびりゆっくり風呂にも浸かっていられる。その点はチチは夫にとても感謝しているのだった。

 「これであとはちゃんと働いてくれればええんだけどなぁ」
 声が響く風呂場でひとりごちて、しとしとと雨の降ってきた窓の外を見上げる。頃は6月半ば、もうすぐ長雨の季節だ。窓の外に植わっているクチナシの白い花が、風呂場にまでほどよいぬるさの風に乗せて甘い香りを届けてくる。

  ああ、いい夜。うっとりとチチは微笑み、まだはたちの若々しい肌から湯を滴らせ湯船から柳腰を引き上げた。と。

  「なー、ここに入ってたオラのケーキどこ行った?」
 台所の方から聞こえたその声に、ぎく、とチチはバスタオルを巻く指をこわばらせた。
 「なー、チチ、冷蔵庫に昨日オラ入れてたろ。ねえんだけどよ。おっちゃんが持ってきてくれたケーキの残り」
 聞こえないふりをしようとしたが敵はあっというまに洗面所までどたどたと乗り込んできた。脱衣場へと続くアコーディオンカーテンに手をかけようとするのをチチはどうにか内側から真っ赤な顔で抑え込んだ。
 「まって、待って悟空さ」
 「?なんだよ、オラ聞こうとしてるだけじゃねえか」抵抗虚しくあっさりと最後の砦は引き開けられてしまう。「あのケーキ…」
 びしょ濡れの素っ裸の体より先に真っ赤にそっぽ向いた顔をバスタオルで隠そうとしているチチを見るなり、夫は悲鳴に近い声を上げた。

  「あー、おめえ、オラのケーキ食っちまったなー!!」

 

  ソファの上で真っ赤になってピンク色のパジャマ姿で正座している妻を前にして、悟空はさてこれからどうしてやろうかと腕組みをしていた。いかにも食い物の恨みは恐ろしいんだぞみたいに怒った顔を作っているが実はこの状況が愉快で仕方がない。いつもまったく逆の体勢でお小言を食らっているのは悟空の側なのだから。
 まったく妻ときたら嘘がつけないたちなのである。なにか彼女側にやましいことや言いにくいことがあるとすぐああして真っ赤になってそっぽを向き目を合わせようとしない。大抵は夜の営みがらみなのだけども、そういう時の妻をからかいいじめるのは結婚してから覚えた悟空のずるい遊びである。

  「あれさあ、オラの誕生日だからっておっちゃんが昨日持ってきてくれたやつだったじゃねえか。うめえって評判のとこでわざわざ買ってきたってやつ」
 「だって…悟空さ、もういいやって残したんだべ」
 「昨日3つ食べたしあとは今日帰ってきてから食おうって楽しみにしてたのによー」

 義父の牛魔王が昨日のパーティに土産に買ってきてくれたのは大きな丸いつやつやのチョコケーキだった。悟空は甘いものがあまり得意じゃないので、甘さ控えめのやつを選んで来てくれた。それを8等分にして、妻が一切れ、息子が半切れ、義父が2切れと半。残りの半ホールを悟空が食っていいともらったのだが、最後残った一切れを妻が息子を寝かしつけに行っている間に悟空は冷蔵庫に取り分け皿ごと(義父に言われたので一応ラップして)入れておいたのである。
 ちなみに誕生日と言ってもちゃんとしたものではない。悟空の場合養祖父に拾われた日を誕生日という扱いにしているだけである。それでもこうやってごちそうやケーキで祝ってくれるのはやはり自分にも家族ができたという気がしてなかなか悟空は気に入っていた。その楽しかった時間の思い出も反芻しながら今晩食べるのを昼から心待ちにしてたというのに。

  あ、なんかちょっとほんとに腹が立ってきたぞ。

  「でもいい」悟空はすねて見せた。「いーさいーさ。ケーキの一つっくれえ。唐揚げ食いすぎたからって残しちまったオラがわりいんだ。甘いモン一度にあんまり食うのは体に毒だってじいちゃんによく言われてたからよー、ついさー」

 そんな父親のしらじらしい演技をソファ脇のベビーベッドに載せた息子があくび混じりに眺めている。1歳児にすら訝しがられているようなそんな演技でも、まだ純真な新婚の妻には効果覿面だ。じっと悟空を見上げてくる潤んだ大きな黒い目が、多少光量を落としたリビングの間接照明にあたってキラキラとしている。こういう時まったく悟空は、世間で言われてる「女の涙はずるい」というのを実感するのだった。
 2年も夫婦をやってれば多少は駆け引きもわかってくるもの、すでに涙に負けて形勢逆転しかけているし、これ以上チクチクやれば状況は悪化の一途だろう。これは物理的に押し倒すに限る。まだ若干濡れたきれいな黒髪の頭頂部を優しくぽんぽんとしてやって、かがみ込んで頬に唇を寄せようとした悟空だが、妻は意外にもそんな珍しく悟空が作ったムードにもお構いなしにブツブツと言い訳を始めた。

  「だって…だっておらだってもっと食べてえな、って思ってたんだもん、あれ…すごく美味しかったし、特に洋酒漬けのさくらんぼのとこ…、悟空さ甘いものもお酒も苦手だからほんとにいらねえで置いてあるのかと思って、おやつどきに食べちまったんだべ…いるならいるって言っとってくれればおらだって…」

 なんだなんだ。もういいからとこちらもお構いなしに肩に手をかけようとした悟空だったが、「そうだ!」と言うなり妻はするりと身をかわして台所の方へ駆け去っていく。パタパタとスリッパを鳴らして戻ってきた彼女の手に抱えられていたのは、いつも雑誌とかから料理の作り方を切り抜きして集めているファイルだった。
 「お詫びにおらがケーキ作ったげる。そう言えばまだ作ったことなかっただ。いつも買ってきたりおっとうが買ってきてくれたりで」
 「は?ケーキって、うちで作れるもんなのか?」
 「昨日みたいに凝ったもんはできねえべ、あれはな、」チョコをテンパリングだのアマンド生地がどうだのこうだのわけのわからない用語をひととおり興奮気味に並べた後妻はページを繰って絨毯の上に広げた。「こういう簡単なのなら明日でもできるだ。オールドファッションスタイルのショートケーキ。これならコップで生地をクッキーみたいに抜けばいいから型とかもいらねえし、今うちにバターと小麦粉と卵と…うん、あるべ、できるだ」

 覗き込んだページには、前に食べたことのある『シュークリーム』みたいなのを横に半割にし、その上下の間に白いクリームといちごを挟んだようなものが写っている。シュークリームとは違うだ、と妻は言う。もう少し硬くて半分ビスケットみたいな感じなのだそうだ。
 「いちごと生クリームだけねえんだべ、明日買ってきてけろ。お昼買ってきてくれたら作ってあげるべさ。明日の晩ごはんあとにデザートに食べような」

 ああ、と悟空はあくびを噛み殺しながらうなずいた。正直割ともうケーキについてはどうでも良くなっていたのだが、ここで怒らせてはこの後ベッドに行ってからが面倒になるに違いない。ケーキなどよりその体でこれからたっぷり詫びを入れてもらわなければ。

 



 

 「えー、今いちごねえのかよ」
 「もう時期が終わったからねぇ、秋までもう出てこないだろうねぇ。ほら、山むこうの大きなデパートならブランド物のがあるかもしれないけど高いよ、一粒1000ゼニー近くするようなやつだもの」

 いつも修行帰りによっている近くの町のスーパーで悟空は参ったな、と頭をかいた。悟空の手に生クリームひとパックだけ置いていって、いつもお使いの時世話になってるオジサン店員は悪いね、と手を振ってバックヤードに戻っていった。
 朝にもらったのはその1000ゼニーちょうどだ。いくらなんでもいちごひとつっきり買っていったってどうしようもあるまい。

  『いちごと生クリーム1パックずつ買ってきてな』

 お使いメモにはいかにもごきげんそうな妻の鉛筆の文字とハートマークと小さな似顔絵が書かれている。ないとなったらきっとむくれっ面をするだろう。
 昨夜散々サービスしてもらったし悟空自身はケーキを作ってくれようとくれなかろうと構わなかったが、妻ががっかりする顔はなるべくなら見たくはない。妻はきっと、自分に単なる『替わりのケーキを食べさせたい』んじゃない。『妻自身が作った、お詫びのケーキを食べさせたい』のだから。
妻が特別なにか作ってくれようとする時の情熱は眼を見張るものだ。服でも料理でも。それに水を差すようなことをすれば機嫌を損ねてえらいことになるのだと悟空は嫌というほど思い知っている。

  イチゴ。イチゴさえあればなぁ…。

  「あ」
 悟空は雨上がりの薄水色の空をとろとろと足取り(?)重く飛んでいた筋斗雲の上で大声を出した。ついでニカッと子供の時のように大きく歯を見せて独り笑った。
 そうだそうだ、ガキの頃よく食ったアレがあるじゃねえか!

 

 「なぁんだべ、そのかっこう!」

  玄関を開けて出迎えたなり妻は叫んだ。例の重い靴はくるぶし上まで泥まみれだし、リストバンドもびしょびしょ。手もひっかき傷だらけだし、なによりもうお昼を2時間半も回っているのだ。
 「その泥んこで家の中はいらねえでけろ。今たらいにお湯張るから、そこで靴脱いで道着脱いで手足洗ってからにしてな!まったく何やってたんだか、ご飯はもう悟飯ちゃんととっくにすましちまったべ!」
 「イチゴもう売ってなかったぞ、チチ。時期が悪いんだってよ」
 勝手口をでたところの物干し場にあったたらいを抱えて、家の周りを回り込んでやってきた妻に悟空は告げた。むくれっつらはしなかったが、妻は残念そうなため息を付いた。
 「そうだべなぁ、回覧板回しついでに隣のばっちゃにも聞いたけど、6月じゃもういちごは収穫終わって株分けする時期なんだってな。がっかりだべ」次いで、空のやかんに風呂ほどの熱さの湯を入れて戻ってくる。「イチゴと、ヨーグルトを混ぜた生クリームがきっとぴったりでおいしいべと楽しみにしてたんだけどもなぁ…ん、なんだべこれ」
 たらいに張った湯に両素足つっこんだ悟空がぬっと突き出したスーパーの白いビニール袋を妻は訝しげに見た。

  底の方から生クリームをまず取り出してやる。
 そして大きく取っ手を広げて、眼の前に差し出してやった。

  「わあ、野いちごだべ!」

  妻が目を輝かせた。赤く熟したクサイチゴ、オレンジ色のカジイチゴ、モミジイチゴ、紅花色のクマイチゴ。甘い香りのラズベリー、黒く輝くブラックベリー。
 「昨日雨降ってたからぬかるみにはまって泥んこになっちまったけどよ、昔よくじいちゃんと取りに行ったとこ思い出してさ、あちこちまわって取ってきたんだ…結構トゲで引っ掻いちまったけど。これ使えっか?これで足りっか?」
 「うん!ありがと、悟空さ!」うなじに大きくつくったお団子を揺らして妻は大きく縦に首を振った。「素敵だべ、野いちご摘みなんて。メルヘンだべ。おらたちも連れてってほしかっただ」
 「足元わりぃとこだからな、まだ悟飯にはあぶねえや。藪も深えしな。もっとしっかりしたらみんなで行こうぜ」
 「とーしゃん!かーしゃん!」リビングの絨毯の上で布団を引いて昼寝させられていたらしい息子がソファにつかまって立ち上がり、まだおぼつかない脚付きで駆け寄ってこようとする。ひとり放って置かれて寂しくなったようでぐずりかけている。慌ててそちらに踵を返しかけた妻が悟空を振り返って笑った。

  「嬉しいだ、苦労して取ってきてくれて…ああ、服とタオル今持ってくるだ、早く家入ってお昼食べちまって。おら早速腕によりをかけて作るだ!」

 

 ちょっと酸っぱすぎるのや苦いのもあったけど、あの時の野いちごのショートケーキは本当に美味しかった、とチチは今でも思い返す。夫なんて甘いのが苦手だと言ってたくせにいくつ食べただろう。
 それから毎年、6月になると夫が野いちごを山から取ってきて、自分はそれでケーキを作るのが年中行事の一つだった。ショートケーキに限らずタルトにしたり、ジャムにしてケーキの上掛けにしたり。
  雨はもう上がっただろうか。風呂からあがりがてら、首を伸ばしてクチナシの香漂う窓の外を伺う。リビングの方から声が聞こえる。

 「でえじょうぶさ、明日は晴れるって」
 「ほんと?おとうさん」
 「おとうさんの天気予報は当たるんだぞ、悟天。さあ、もう寝よう。野いちご摘みには早起きのほうがいいんだぞ」
 「おう、おやすみ、悟飯、悟天」

  チチは口元を綻ばせる。やっぱり、明日はあの時のケーキにしよう。あのひとが久しぶりに黄泉帰ってからひと月ほど、家族四人揃ってからのはじめての誕生日だもの。

 生地は焼き立てでふんわりサクッと軽く甘く。
 甘酸っぱい野いちごとヨーグルトクリームをたっぷりと間に挟んであげて。

 

  夫は覚えてくれているかしら。
 素朴で初々しい、新婚の頃のあの思い出のひとしなを。

 

 

 



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