このページはイラストレーターはるまきの、個人的なドラゴンボール版権小説置き場です。鳥山先生、集英社さんとは一切関係ござ いません。
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sound4(後編)


 

 

 寝床に入るのがこんなに緊張するものとは思わなかった、と、その晩、18歳の彼は思っていた。

 風呂あがりの体をくつろいだタンクトップとショートパンツに包んで、新婚旅行先の大きな寝台の上にとりあえず投げ出してはいたが、どうにも落ち着かない。 足の指をむやみに動かしてみたり、まだ濡れた前髪を気にしてみたり、背中にもぞもぞとわだかまる未知なる気持ちを布団に押し付けつぶそうと蠢いてみたり、いろいろとしていた。
 やがて、風呂場の方から扉の開く音がしたのでそちらを見やると、新妻のほっそりとして赤く染まったつま先が、洗面と風呂に続くアーチの中からすらりと現れるのが見えた。なんだかわからないけど目をそらした。アーチのそばにある鏡台の方から、ドライヤーの音がしだした。

  その音に、なぜかはわからないけれど、これから、こういう二人での日常が毎日続いていくのだ、と彼は妙に実感した。結婚して数日、昨夜、やっと自分があの娘に惚れてしまったのだ、と自覚したところだったが、こんな惚れた気持ちのままで、一緒に食べて、一緒に眠って、二人してずっとずっと暮らしていくのか、と思うと、なんだか嬉しいんだか恐ろしいんだかわからない気持ちが唐突に押し寄せてきた。窓の外からは、よく晴れた夜空から降り注ぐ十六夜の月光と、波の音を含んだ暖かい風がからかうように押し寄せてきて彼を包んでいた。

  彼は、その頃あまりに純粋で、開かれたばかりの女性への衝動というものをどう処理したら良いのかということすらはっきりと知らなかった。そして、折悪しく妻に訪れてしまった月のもののせいで、処理を完遂することも許されていなかった。ただ…

  「悟空さ」寝台の脇で、細い不安げな声がした。「入っていいだか」
 彼は眉を持ち上げて、自分にかかっていた柔らかいタオルケットの端を持ち上げてやった。そして腕を広げ差し招いた。
 「ああ、チチ、こっちこい」

 …ただ、人肌というものをこんなに自分は欲していたのかと彼は目を閉じ、彼女の頭の黒髪に顔をうずめ思っていた。
 10年前養祖父を喪ってから、こっち、ずっと。

 

 日付も変わろうという頃、うっすらと悟空は船の上の寝台で目を開いた。目の前には、向い合って抱え込んだ妻の頭があった。少しばかり眠り込んでいたのらしい。

  新婚の頃と違って長く伸ばした前髪が、妻の表情を隠してしまっていた。うとうとしながら、そっと指を伸ばして一筋とって肩の方に流してやると、妻も安らかな顔をして眠っていた。無意識の内に妻が白い額を素裸の悟空の胸板に押し付けて、安堵した息をついた。妻の着た、くつろいだあわせの部屋着の上から背に手を回してやりながら、悟空は、やっぱり、生き返ってよかった、と思った。

 

 『なあ、悟空さ。おら、もう働いてくれるの諦めただ』
 部屋に持って来られた豪勢な夕食を平らげた後、背中を流してくれながら妻は言った。あの新婚旅行の時と同じに、今妻は月のものの最中だ。だから悟空一人だけ湯に浸かっていたけど甲斐甲斐しく妻は世話を焼いてくれた。
 『おら、悟空さが死んだばかりの頃、もしまた悟空さが自分から生き返って戻ってきてくれるなら、もうなにも望まないって、ほんとうにそう思ったんだ。ブルマさんにもそう言ったんだ。あの人、バカって怒ってたけどな。悟天できたし無理矢理にでも生きかえらせるべきだって』

  だから、もう、悟空さは好きにしてくれればええ、と妻はそっと呟くように言って、湯を含んで稲穂のように垂れた悟空の髪をそっといとおしげに触ってきた。そっかぁ、と悟空は間延びした返事をして、背中に乗る手の感触を感じながら、ガラス越しに海を見ていた。
 生き返ってからこっち、悟空は妻や息子たちの心の中を読んだことはなかったが、背中にある妻の手からは、哀しみに彩られた幸福がじわじわと忍び込んでくるようだった。

  働くことを諦められて単純に嬉しいかといえば、その逆で実際なんだか複雑な気持ちだった。悟空の結婚生活は、ほんの新婚の頃からほぼその要求とともに有ったと言ってよく、そのやりとりが夫婦のコミュニケーションの端緒をなしてきた面もあったからだ。
 ホッとしたのだか情けないのだか、そんなよくわからない脱力感が襲ってきた。自分をつなぎとめる軛が一個とれてしまったような。だから、悟空は背中に手を回して、妻の両の手を掴んで自分の胸元に無理矢理に回させたのだった。ジャグジーのゴボゴボ言う音の中で。こういう時にもやっぱり、新婚の頃と何ら変わらずうまいこと言葉をかけてやれない自分をもどかしく思いながら。

 

 そんな風呂場での数時間前のやりとりを、悟空はうとうとと寝台で反芻していた。
 結婚してのち、 想いは生活の中で世俗にまみれ、子供も間に挟み責任と雑事を互いに負わせ負わされ、少なくとも妻にとっては日々の暮らしの第一義が子供になって自分たちのことは二の次になってしまった。自分たちの場合はその上に世界のことを自分が勝手に乗っけてしまっていた。あげく勝手にそのすべてを放り投げて悟空は死んでしまったのだった。
  生き返ってよかった、と悟空は度々思っていたが、実はそういちいち思うのは、あちらにとどまっていた方が強くなるにはよかったのではないか、むしろあちらに戻ってしまえ、そのように自分の内から戦闘民族としての血がささやくからことさら思いたがるのだ、ということを彼は自覚していた。でも悟空はそれについてはこう考えることにしている。自分の都合ではなく、世界のために生き返る必要があったからひとさまの命をもらう事ができて生き返った。だからこちら側で生きなければならない。それだけのことだ。生きかえって戻れる場所がまだ用意されていたことをただありがたがればいい。そして変わらずこうして愛されていることをありがたがればいい。まだ闘いを許してくれる、そのことにも。

 「ん…」
 悟空の腕の中で不意に妻が目を開いた。寝ぼけて暑そうに身を捩って腕の中から逃れようとすると、あわせがはだけて白い胸元が光量を落とした明かりの中にぼんやりと現れたので、からかうようにその汗ばんだ谷間に指を滑らせてやると、妻はぱちぱちと目を瞬かせて、もう、とその指を優しくはたいた。変わらず少女のようなその反応に、悟空は笑った。
 「わりい、起こしちまって」
 「なしただ、悟空さ。らしくねえ。夜中に考え事とか」
 気づいてたのか、と悟空は苦笑した。「なんとなくな。きっと船の上で勝手が違うからだな。もう寝るさ。…腹痛くねえか」
 うん、と妻は応えて、また悟空に寄り添い直して目を閉じた。悟空も目を閉じた。
 しばらくして、妻が、妊娠してなくて残念だっただか、と脇から聞いたけど、それには眠くて答えることはできなかった。もっとも、どっちでもいい、と答えたならまた機嫌を損ねただろうから、答えずにおいて正解だったのかもしれない。だが実際のところ妻の方も、どっちでもいい、と、夫の腕の中で思っていた。昨日生理が来るまでは、長男坊には内緒で、夫婦で相当気をもんだものだったが。

  彼女は夫の腕の中で泣きたかった。新婚のあの晩と同じ、幸福すぎておののきながらもどこか安堵した気持ちに。
 生きてくれていれてこうして寄り添えるだけで、それ以上、何を望むべくもあるだろう。…あの晩は単純にそう思った。今は、そこにまとわりついてくる日々の雑事と必要がある。働くことを諦めたと打ち明けて、単純に喜ばなかったのは、彼女にとってもなんだか複雑だった。でも、自分の都合だけで大喜びするのでないというならば、夫は、こちらが本音では働いてくれたらいい、と思ってることくらいはわかってくれているのだ。できたかも、と先日打ち明けた時に、やはり働いてほしいと思ってしまったことは。それで今日まではっきりこちらが宣言できなかったのだという、その複雑なこころのあやも。

  だから、ま、いいか、と彼女は思うことにした。結婚して20年近く、やっと、自分たちの間に一つのはっきりした折り合いがついたような気がした。自分の中に長いことあった水の澱みが、戸惑いながら少しずつ流れ始めた気がした。この人が死んでいる間に自分の中に少しずつ築いてきた気持ちの整理のための水路に、ちゃんと本当に水音が。

  行き着くのは、自分たちが今浮かんでいるような、遙かなる海のようであるといい。

 

 


 


 そんな1泊を終えて船が西の都のハーバーに着き、またおぼつかない運転で悟空とチチがカプセルコーポレーションに戻ってくると、ベジータが玄関先に立っていた。車のキーを引っこ抜いて悟空が降りると、顎で建物の方を差し先導するように歩き始めた。妻と顔を見合わせてついていくと、内庭の前でブルマの母が妻に可愛らしい花束を渡してくれた。そしてマニキュアを綺麗に塗った指がセキュリティを解除して、大きな内庭のシャッターが開く。
 二人の目の前に、弾けるように楽器の音が現れた。そこにいる、パーティに招かれた者達が、それぞれの手に楽器を持って、悟空だってよく知ってる曲を奏で始めたのだった。誕生日を祝う、よく知られた曲を。

 長男坊が、自宅の居間に有ったはずのアップライトのピアノを拙く右手で弾き。そのとなりに座ったビーデルが伴奏を加えて。
 次男坊がカスタネットを叩き、トランクスがハーモニカを吹き。ブルマはトライアングルを叩き、ウーロンはアコーディオンを弾き、プーアルはオカリナを吹き、ヤムチャはギターを弾き、クリリンは娘と小太鼓を叩き。師匠は蛇の皮の三味線を弾き。ブルマの両親は楽しげにタンバリンを、18号は隠れるように手拍子で。向こうの木陰にいるピッコロが脚でそっと拍子をきざみ、そしてミスターサタンが、指揮をしながら渋い美声で歌う。

  妻が悟空の脇で、ふらりとよろめいた。悟空はそれを腰に手を回して支えてやった。悟空も知らなかったものだから、最初の内びっくりしてその楽しげな演奏を見ているだけだったが、そういえば言い忘れていたので今言ってやることにした。

  「誕生日おめでとうな、チチ。オラ何も用意してねえや、すまねえ」

  妻は演奏し終わって微笑みながら目を見交わして拍手をくれる息子たちと、将来の嫁になるであろう娘を見て唇を結んで涙をためた。
 「いいんだ。嬉しい。おらたち、幸せだなあ」
 「ああ」船の中の美容院で今朝キレイに編みこんでもらった頭を悟空はなでてやった。

  そこに「おかえんなさい。楽しんだ?」と言いながら、ブルマが進み出て手を伸ばしてきたので、悟空は車の鍵をそこに置いてやった。そうじゃないわよ、相変わらずあんたはバカねえ、とブルマは笑ってそれを受け取り、妻にもう片方の手でハンカチを渡してくれた。

  「急にお願いしたのにみんなうまいこと演奏できたわね、ありがとう。さあ、パーティの始まりよ!いろいろひっくるめて、とりあえず乾杯よ乾杯!」
 そうみんなに手を上げ向き直る後ろ姿を見て、悟空は後ろにいるベジータを振り返ってにやりとした。ベジータがふん、と照れ隠しに鼻を鳴らす音を背に受けて、夫婦も手をつないで、花束を抱えてグラスを取りに向かっていった。息子たちがグラスを手に待っていて差し招いてくれている、その卓へと。

 


 天窓から漏れ入ってくる、大好きな夏の光に照らされつつ、
 やっぱり、やっぱり、生き返ってよかったのだと、心底思いながら。

 


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