このページはイラストレーターはるまきの、個人的なドラゴンボール版権小説置き場です。鳥山先生、集英社さんとは一切関係ございません。
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blue3(前編)






 雨が降っていた。
 晩春の雨は奇岩連なる絶壁の山々を青く煙らせていた。朝の光は重くたゆたう黒雲に遮られ、疎らに生うる松の葉の露を鈍く光らせていた。
 剃髪の少年は、断崖にへばりつくようにめぐらされた長い階段を、袈裟を纏った初老の男のあとから昇っていた。長年多くの修行者の上り下りに磨かれた階段は足元拙く、ときおり少年の歩みを危うくした。傘も差さず遮るものも無いためにじかに振りつける雨露がつるつるの、灸のあとのついた額をすべり、虎の毛皮の色にも例えられる薑黄色の衣を濡らした。
 階段の天辺、ひときわ高い奇岩の上にはひとつの庵があった。この、武をもって仏に仕えることを使命とし一千近くの修行僧たちを抱える大刹の文字通り頂点が、階(きざはし)にゆらりと揺らめく雲の上、すぐそこにあるのだった。
「後悔はすまいな」初老の男が雨笠の下から口を開いた。
「はい」全く足取りをゆるめることもないその男についてくるために多少息の上がった中から、少年は赤い頬をして答えた。「男に二言はありません。私が、自らそう決めたのです」
「ならばよかろう。管長にお許しを頂けば、お前は寺から放たれる。思い通り、自らの武の道を究めるがよい」
「はい」
 少年はまた答えた。眼下に目を転ずると、幼時に身寄りを失って預けられてより8年、ずっと住まい修道を行ってきた山道が、講堂が、食堂(じきどう)が、僧房が、そして古びたいくつかの塔が、あっけないほど小さく作り物めいて雨の中暗く沈んでいた。どきどきと轟く鼓動の中、少年はうっかり漏らしてしまいそうな歓喜を、唇を噛んで押し殺した。遠く、鐘楼から低い静かな音が響いてきた。

 ぼくは、自由だ。ここから、自由になるんだ。
 見てろ。こんな古びた寺に押し込まれてせせこましく禁欲的に修行するよりも、もっとのびのびと、自由に、愉しんで!強くなって見せるんだからな!



「もう、あれから15年、いやもっとになるかなあ」
 あの時は13になる少し前。今の自分が30になったところだから、そう、とうに15年は経っている。
 彼の身は今、ある山村のひとつの墓の前にあった。青い空の下、すぐ傍の竹薮がさらさらと盛りにかかる夏の風に音を立てている。
「あの頃は、お前がこんなに早く逝っちまうとは思わなかったよ。お前に子供が出来るなんて事も想像した事もなかった。知ってるか?2人目ができてるって事」
 ひとつ水筒の水を煽った。ひとりきりの、初めての墓参だった。2ヶ月前の葬式の後、つい先日彼は墓の主の妻にその吉報を教えてもらったのだが、しばらく彼女と彼女の息子が実家のほうに居るためにできれば報告してきて欲しいと頼まれたのだった。彼は少し長い旅に出る予定だったから。そのために、彼は長く仕えた武術の師のもとを離れてきたところだった。墓の主、孫悟空とともに学んだ日々は今思えばそう長い事でもなかったけれど、誇って言える。かけがえのない、親友であると。だから一言挨拶して行きたかった。

 俺は、自由だ。自由になってしまった。
 でも、見てろ、悟空。強さでは結局かなう事はなかったけれど、俺は生きてみせる。人生楽しんでみせる。お前のくれた、人生だもの。だから、絶対に彼女にもう一度会ってみせる。

 探しに行く。会いたいんだ、彼女に。







 森の向こうに青い月が出ていた。
 少女は今しがた息を引き取ったやせ細った女の亡骸の横で、ぼんやりと寝台の向こうの窓の空を見ていた。触れている女の指からはだんだんと熱が失われてゆく。少女にとってふたごの片割れである少年が、何処かに電話をかけていた。振り返ってその横顔を見た。
 
 おとこのこだからって、無理しちゃって。そう思った。
 そう思うと、おんなのこって楽でいい。泣いてればいいんだもの。そうしたら、きっと優しく、情がある子に見えるのだろうな。そうも思った。思ったせいで、急に泣く気が失せてしまった。
 しばらくして、隣の家の女房やらがやってきた。みんなが、泣かずに青い鋭い眼を瞬かせてむっつりしているふたごに少し不満そうな顔をしながらも、悔やみを述べて帰っていった。その波も引いた頃には、月は西に傾こうとしていた。とりあえず明日葬儀屋がくるから、と誰かが言ってくれたので、ふたりは…ふたりぼっちになったふたごは、それぞれの寝台にもぐりこんだ。暖炉の火が時折はぜたが、寒さをしのぐには頼りなかった。
 「どうすんの、これから」少女は深く潜った布団の中で問うた。
 「どうにかなるさ」少年も布団の中で答えた。「さっき母さんが残したメモに電話かけたら、親戚だって人が出た。近いうちに迎えに来るって」
 少女はふうんと相槌を打ちながら、また、その寝台を見た。やせ細ってなお、冬の冴え冴えとした青い月の光をまるで魔術的に受けて、彼女は絵画のように美しかった。人形か何かのようだと思った。
 父親と呼べる人は居なかった。何処かの傭兵か何かだと聞かされてきた。一度だって会いに来た事はないし、母親が連絡を取れと言おうとしなかったからには、もうこの世に居ないのかもしれなかった。
 
 おかあさんの嘘吐き。いつか、海に連れて言ってくれるって行ったじゃない。まだ見たことないからって。
 引き取られていくんなら、海の近くがいいな。そう、そうしてお金持ちの家がいい。こんな寒いところじゃなくって、暖かな南のほうがいい。そうか、ここを離れるんだ。さようなら、おかあさん。
 祈るには良い晩だもの、お祈りしてあげる。昔ちょっと習ったけどなんというのだったっけ…そう確か。

 …罪人(つみびと)なる我らの為に、今も臨終の時も祈り給え。





 長旅に軋んだサスペンションが音をたてて坂を乗り切り峠を越えると、急に視界が開けた。眩しい夏の昼の光を受けて遠くにきらめくものが見えた。通りのない山道の脇にトラックを停めて、彼女は降りてその青い眼を眇めた。息苦しさを覚えるほどに湿気をたっぷりと蓄えた熱風が彼女の前髪をなぶった。
 随分南まできた。眼下に広がる森は育った北の方とは随分色も形も香りも違った。黒々と、まるでぶくぶくと泡が湧き上がるように山を覆いつくしている。この峠の向こうにもなお幾重にも連なるそのような山、その向こうにきらめくのは、大陸南東の海だ。
 前にこの山道を同じように旅したのは3ヶ月も前の事、ふたごのきょうだいが運転してくれていた。同じように目指すのは、この先の海にぽつりと浮かぶ一軒の家。今は、彼女一人でここまで大陸を西の果てから横断してきたのだ。
 よし、と気合いを入れなおして、彼女はまた運転席に腰を下ろした。エンジンキーを再び回したが、反応が悪い。最近ずっとこうだ。二回、三回と繰り返したが、しまいにはとうとううんともすんとも言わなくなってしまった。
 ここまで来て御臨終か!
 そもそももともと中古品だったものが、ほとんど何のメンテナンスも無しに、ほぼ地球を半周してこれたことが奇跡なのである。ちっ、と舌打ちをして、彼女は助手席に置いてあった2ヶ月あまりの旅の荷物をまとめて車を再び降りた。そして軽くトラックに向かって蹴りをいれると、トラックは道の脇の岩まですっ飛んで、あわれ鉄の塊と化してしまった。ここまで載せてくれたものに対してはあまりに乱暴な弔いだったが、彼女はさっさと空に目を転じて、やや伸びた金髪を揺らしてふわりと空に浮き上がった。

 半分意地でここまで車で来たけれど、もういいじゃないか、ここまでくれば。
 もうすぐ、もうすぐ着くんだもの。ひとっ飛びすればいい。

 ああ、着いたらなんて言おう。なんだ、みっともない。顔が赤いのだけはどうにか隠して行かないと。
 違う、これは暑いからだもの。あんまり暑い中を飛んだからだもの。そう言って、飲みものでもくれって言おうか、うん、そうしよう。

 

「よう来たのう、よう来たのう。ま、上がんなさい」
 彼女は玄関先で元から緊張のために真っ赤だった顔を更に赤くした。彼女がはるばるここまでやってきたのは、ここに居るだろうもう一人の男を訪ねての事だったのだけれども、出迎えたのは白鬚の、派手なサングラスをかけた老人一人だった。老人がグラビア雑誌を小さな家が一軒きりの島の浜辺で読んでいたところに彼女は降り立ったのだけど、そういうわけで何しに来たのかと間の抜けた口調で聞かれたものだから、拍子が抜けたのと慌てたのでつい前もって考えていた言い訳が口をついて出てしまったのだ。
「ジュースがええかの、それとも麦茶かな。ビールもあるぞい」
 玄関の網戸の向こうから問いかける声がする。逃げ帰ろうかと迷う。日を改めて出直そうか、と踵を返しかける。そこに、あやつはな、と声がしたのでつい網戸を開けた。
「今ちょっと長い事留守にしておるよ。戻りはわからん」
 えっ、と彼女は声をあげた。思わず家の中に駆け上がる。
「土足はやめてくれんか。お前さんのところはどうだか知らんがうちは靴を脱ぐ風習なんじゃ」
「どうしていないんだよ!」
「ちょっと旅にと言ってな。戦いも済んだし、心の整理も兼ねてとか言っておった。さ、靴を脱いでこれでもおあがり」
 つかみかかろうとしたが、サングラスの中の目が、濃い緑色のガラスの向こうの眼差しが、意外なほどに落ち着いていたので、彼女はそうするのをやめた。のどが渇いていたのは本当だったから、とりあえずもらえるものは貰っておく事にした。まさか毒など入ってはいないだろう。もっとも入っていても、ちょっとやそっとじゃ効かない身体になっているはずだったが。
 穿いていた薄汚れたスニーカーをその辺にほうり、卓につきながらも胸の中が煮えたぎる。なんでわざわざ訪ねてやったのに、いなくなってるのか。ずっと、知る限りずっとここで暮らしていたくせに、何故今更いないのか。そう苛立ちながらグラスに口をつけると、西の方ではあまり口にしない、素朴で優しい麦の香りの茶がのどを軽やかに滑って冷やして行った。思わず口を離してグラスの中を見て、ぱちぱちと目を瞬かせた。
「美味しいかの」
 老人が微笑んだ。
 彼女は微かにうなずいた。「飲んだら帰る。また来るかもしれない」そして再びグラスに口をつけた。

「お前さんを探しに行くと言っておったよ」

 飲み終わる頃に、老人がサングラスを外して汚れを拭きながら、白い鬚を持ち上げて笑ってそう言った。彼女はまた、え、と顔をあげた。皺に縁取られた意外に真面目そうな目が、ひた、と彼女を見た。
「また電話をしてくれると言うておった。お前さんを見かけたという噂を聞いたら教えてくれと頼まれておったからな。今はどこにおるか知らんが、こないだもあったしそのうちまた連絡があるじゃろうよ。お前さんも泊まるあてが無ければ、ここで待っとればどうかな」  
「や、やっぱ帰る」彼女は立ち上がろうとした。「そんな待ってまでってつもりじゃ。ちょっと顔見に来ただけで」
「その割にえらい長旅をしてきたんじゃのう。それでちょっと遊びに、か?」
「なんでわかる!」
「伊達に仙人と呼ばれてるわけではないぞい。まあちぃっと記憶を読ませてもらったが、そうでのうても、そんな草臥れたなりをしていればわかるわい。風呂でも入れようかな?着替えはあるでな、ひとのお古でよければ」
 彼女は唇を噛んだ。改めて今の自分の格好を見て確かにこれはひどい、と思った。北のほうだとあんまり気にはならないけれど、やはりこの地方の暑さだと汗をかく。途中のモーテルなどで入浴や洗濯等はしてきたつもりだったけれど、ここ数日はしてなかったし、それにほとんど身一つで出てきたせいで薄汚れたシャツドレスにGパン、伸びた髪を後ろで一まとめになんてまるで野良仕事のような格好だ。急にこんな格好で会いに来ようと思った自分が恥ずかしくなった。もし今ひょっこり帰ってきたらどうしよう。
 くそ。入れてくれるってんなら入らせてもらおう。それから考えればいい。




「じゃあな、また電話するから」
「ええー、ひどいぃ、ヤムチャの馬鹿ぁ。ほんとにまた電話してよね?明日よ!」
「すみません、すみません」安アパートの居室のドアの前で、出て行く女を見送りながら彼はひたすら頭を下げた。
「わかったわかった」ドアの中で見送る男が愛想よく手を振って女を慇懃に追い払った。「朋遠方より来たるあり、ってやつだ。一日位多めに見ろってんだよな。それで?そのあと首尾はどうだ?」
 彼にとっては孫悟空よりもはるかに長年ともに修行した相手であるヤムチャが、にやりと笑った。身分的には弟弟子に当たるのだが、年上だけあってこれでなかなか面倒見がいい。今回も目的の彼女の情報収集について頼んでいたので旅の途中で立ち寄ったのだが、先日聞いていた西の都に近い町の住所を頼りに電話もせずにいきなり訪れたら恋人との逢瀬の真っ最中だったというわけだ。もう一度すみません、と頭を下げて、次いで首を横に振ると、ヤムチャは残念そうに笑った。
「そっか。んー、とりあえず今あんまり冷蔵庫の中ないし、ちょっと支度して外に呑みに行くか。シャワー使って行け」

「早い話が、こっちも収穫無しだ。あ、カシスオレンジ。クリリンは?」
「え、えっと」
「じゃあとりあえず紹興酒。あとつまみはこれとこれと頼む。それでいいか?」
 肯くと、いかにも慣れた様子でヤムチャはあと数品頼み、お通しとともに来たグラスを掲げて見せた。とりあえずそれにふちを合わせた。
「このあたりじゃ置いてるの珍しいんだぜ。東の方の酒だからな」
「あ、うまい。俺あんまりこれは飲んだことないです。ヤムチャさんは詳しいんですね」
「まあ、それが俺とお前の差ってやつだ。いい意味でも、悪い意味でもな」
 自嘲気味に笑ってヤムチャは続けた。伝を頼って色々聞いてはいるけれども、何せ手がかりが少ない。写真もない、わかっているのは綺麗な顔をした金髪と薄い青い眼の女ということくらい。
「ランチさんならもうちょっと楽なんだろうけどなあ。三つ目の男なんて滅多にいるもんじゃないしわかりやすい。そういえば結局ランチさんはどうしてるんだろうな」
「あ、こないだ、夏になる前くらいに電話がありました。なんかどっかで悟空が死んだことを聞いたらしくって、それで。今は北のほうにいるとか」
「それでもこの広い世界で人一人探すのはなまなかの事じゃないって事だ。…ブルマに頼むか?カプセルコーポレーションのネットワークとか使えばもう少し楽に行くんじゃないか」
「そうですね…でも、もうちょっと頑張ってみます」
 手がかりが少なすぎるというのは、この1ヶ月あまりあちこち訪ね歩いて、散々身に染みてわからされていたことだった。似た人がいると聞いては会いに行って落胆し、人の集まりそうな場所で張り込む。しかしそもそも彼女は人目のある場所に姿を現すのだろうか。ふたごのきょうだいだという黒髪の少年と連れ立っている可能性もあるからそれもあわせて情報を得ようとしてきたけれど、ほとんど手がかりは皆無だった。
 中の都、南の都に途中寄りつつ比較的人の多い大陸南辺にそってこれまで東端からずっとそのように旅してきたのだったが、しばらく西の都で頑張ってみて、それがだめならこれからは茫漠たる大陸中央、南西亜大陸、不毛のノースウェストと捜索の手を伸ばさなければならないだろう。その道のりの長さ。そのあてどのなさ。
 そして人は動く。彼女がひとところで留まっているという保証はどこにもないのである。セルゲーム前に神殿にいたときに聞いたけれども、未来のトランクスだって、結局は人造人間たちがどこにいるかわからず、何の手も打てずにただ暴れだすのを待っているしかなかったのだから。
 『せめて、あいつらが人間と同じ気を持っていたら』
 トランクスはそう言った。自分も真剣にそう思う。そうしたら、どこにいたってきっと見つけて見せるのに。親友が、嫁さんの気を探ってどこからだって帰ってきたように。でもそのようにたやすくはなくとも、もう少し自分で頑張ってみたかった。そういう色恋沙汰について女と言う種族のものに頼りたくないという半分ばかげた男の意地とはわかっていたけれど。だって、自分の知っている女たちがそういう意味で如何にしぶといか、しつこいかというのを見せられてきたからだ。
 何年かかったって、探す。待つ。会いに行く。会えるまで、絶対に諦めないんだからね!と。
「マジで惚れれば女は滅法強い」2,3杯と重ねて酔いが回ってきたヤムチャがバーの煉瓦壁にもたれながらおかしそうに笑った。「かたや、1日そこら連絡を取らないだけでぶん投げる女もいるけどな。まあ、なんにしたって諦めるにはまだ早すぎる。頑張れよ」
「はい。あー、ヤムチャさんも苦労してるんですねえ」
「わかってくれるかぁ!?」
 うっかりこちらも酔いのせいで軽々しく発した一言で、相手の愚痴モードにスイッチが入ってしまったらしい。そうだ、この人は結構過ごすとクダ巻きなのだ!大体女ってのはなあ、から始まるもろもろの女の身勝手を、背徳を、原罪を、勧められる杯を断りきれず(またこれが飲ませたがるタイプなのだ)受けて干している中で、彼はまぶたの裏に彼女の面影を思った。彼女もまたそうなのだろうか?
 そうは思えない。だって、彼女はとても綺麗で。そういうのをはねつける、強い青い目をしていて。
 でも、自分は知っている。彼女が見せる時々の反応が、あまりに普通の少女のようだと言うことを。今30の、おじさんと呼ばれても仕方ない自分から見れば、あまりに幼いということを。
 その外見と内面の相違のうちにある彼女という存在を、もう一度会って確かめたかった。手に入れようというのはおこがましいとわかっている。けれど、会うのは許されるはずだ。だって、またな、と言ってくれたのだもの。




「だって、またな…って…」
「はいはい」
 脇から酔いつぶれた身体を抱えながら、ヤムチャはバーから安アパートまでの薄暗い街灯の道を酔い覚ましも兼ねてゆっくりと歩いていた。小柄だから背負ってしまったほうが体勢的に楽なのだが、いくらなんでも30過ぎた大人の男にしてやる事ではないし、途中で気がついたらなんだか可哀想だ。
 9月に入り、夜にもなれば風は涼しい。月があれば東の暦ではそろそろ名月の頃合だろう。新しい神がそのうち月を復活させてくれればいいのに、と思う。採鉱で栄えた山の麓に広がる町は今は灯りも少なく、フェンスに囲まれ天をつく禿山が黒々として寂しかった。
 西の都から離れ、すこし郊外のこの町に移り住んでもう2年になるだろうか。幸いにしてというべきか、セルが18号たちを追うようにしてジンジャータウンから東の方に主に魔手を広げたので、この町は被害にはあわなかった。それを知って安堵するほどには自分はこの町というものに愛着を持ち始めている。でも、そんな自分に違和感を感じるのもまた確かなのだ。つまりは、自分は自分が想像する以上に根無し草であり、定住というものを、安定というものを好まない人間なのだろうか。
 戦いの折に同じような体勢で担ぎ上げた男の事をヤムチャは思い出した。そう考えれば、あいつのほうがよっぽど安定志向だったのかもしれない。戦いの前に嫁を迎えにカメハウスにひょっこり帰ってきて早くうちに帰りたいとのたまった時にいささか驚かされたのだが、つまりはあいつはあいつなりに我が家というものを愛していたし、帰るべき、疲れを癒す場所だと、絶対的な落ち着きを得られる場所だと認識していたということだ。
 子供の頃はただ憧れていただけだったけれど、実はそういう場所を得るには、途轍もない努力と忍耐が必要だということを大人になった今は知っている。相手を裏切ることなく愛し続ける努力。諍いから逃げぬ忍耐。家を整えていく、物質的な意味でも、精神的な意味でもかかってくる維持費は大変なものだ。なにより、構えようと二人して決められるまでが何より大変だということも。二人でも大変なのに、子供が絡んでくればなおさらだ。
 「あいつとも呑んでみたかったよなあ…」
 抱えなおしながらひとり呟いた。そうしたら、どんな話が聞けただろう。ヤムチャ自身は孫悟空とはともに修行した事はなかったから正確には修行仲間というのとは違うのだったが、同じ流派として、また冒険を共にしたものとして特別な情を抱いていたし、親友とは呼べないにしろ仲間と呼んではばからない仲だと思っている。
 ヤムチャは肩の横にある寝顔をみてくつくつと笑った。しかしまあ、あの頃にはこんな日が来るとは思わなかった。あのチビどもがすっかり男になって。特にこいつなど、多少顔は老けたけれど、背も低いし、頭だって、旅のせいで髪が伸びてきてまるでそのへんのスポーツをやる中学生のようないがぐり頭になってしまっているというのに。でも、なれるもんなら万難をものりこえて幸せになって欲しい。いいやつだもの。自分にとって、長年ともに修行した、大事な友人だもの。そのためなら協力くらい、酒をおごってやるくらい、いくらでもしてやろうじゃないか。

「あ、お帰りなさい」
 部屋に戻ると、アルバイトから帰ってきていたプーアルが丁度寝ようと枕を整えているところだった。呑んでくると書置きを残していたのでひとりで晩飯をすませたのだろう。
「あれ、クリリンさんじゃないですか」
「ああ、書いていくの忘れたな。さっき来てさ、いっしょに呑んできた。しばらく泊まってもらうかも知れん」
「そう、それで、さっき武天老師様から電話がありましたよ、珍しく」
「へえ?」ソファに担いできた身体を横たえさせながら相槌を打った。「何かあったのかな」
「もしクリリンさんから電話がかかってきたりしたら、とりあえずカメハウスに連絡してほしいって伝えてくれって」
そっか、と答えてヤムチャは盛大に伸びをしてついでにあくびもした。「まあ、この状態じゃ無理だろ。明日起きてからでいいさ。さあ寝よう寝よう」
「はあい」
 プーアルもあくびをした。ヤムチャは余っていた夏用の薄がけをソファーの上にかけ、歯磨きに行った。
 



 (後編へ続く)






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