このページはイラストレーターはるまきの、個人的なドラゴンボール版権小説置き場です。鳥山先生、集英社さんとは一切関係ございません。
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Life3(後編)






 今まで一年近くを過ごしてきた空虚な白い部屋の、白い扉がひらいた。

 ずっと白く空虚だった感覚に、たちまち津波のように外界の気配が押し寄せてきた。彼は思わず心の中で身構えた。以前こどものころに、同じくこの部屋から出たときには、元々半死半生だったとは言え同じような波にぶち当たりついに意識を手放してしまったから。
 でも、動揺をおもてに表すわけには行かなかった。彼の傍らには今まで共に修行してきた、彼の弟子でもある子供がいた。みっともない有様を見せるわけには行かなかった。
 歩みの緩んだ傍らを、その子は軽やかに、いかにも何も感じてないように通り抜けていった。彼はその背中を見て、少しひそかに軽く息をつき、自らの親指で同じ片手の指を拭い、歩き出した。

 いけない。
 また、鋭敏になりすぎている。
 落ち着け。これからまたすぐ、戦わねばならぬかも知れぬのに。敵の気配はまたさらに強く大きく、世界を怯えさせている。それに相対する事だけ考えなければならないのに。
 
 自分は、恐れているのか。気を感じることを、また恐れているのか。

 敵と、この世と。
 そして、この子を。









 怒涛の4日間だった。人造人間との戦いに向かったものの、気を持たない、さらに気を吸い取るというかつてない敵に戸惑いながらの戦いとなり、悟空はそこで心臓病を発症し3日の間寝付く羽目になってしまった。
 その3日のうちに状況は目まぐるしく変った。ピッコロと神は同化することを選びドラゴンボールはこの世から消滅した。新しく現れた人造人間だけでも手一杯で敵わないのに、さらにセルとか言う人造生物が人々の気を吸い取り力をつけ、この世を脅かし始めたのだ。セルは人造人間たちをも吸収し完全体になることを欲した。悟空たちが1日の間精神と時の部屋に篭っている間にその目的は達成され、戦うべき敵は完全体になりおおせかつてない強大な力を得たセルになったのだった…。
 


 とりあえずセルとの戦いはすぐではなく9日の後と定まり、しばらく戦いの災禍を逃れるために離れていた自宅に、一家は帰ることにした。
 身につけていた瞬間移動で、隣家の老人の気を探って飛ぶと、着いたのは彼らの住まう村の畑の中だった。少し目に付きにくいように老人から離れたところに現れるように按配したので幸いにもいきなり現出した場面は見られなかったが、老人と、その傍らに居た連れ合いの老婆は畝の土を踏む音に気付いて振り向いてきた。
 「あんれ!チチさん」老婆はキャベツを避けながら駆け寄ってきた。「無事だったんかい!いきなり誰もいなくなっちまうから、心配したんだよ。セルの奴にやられっちまったんじゃねえかって」
 妻は笑って老婆の肩を抱いた。「ごめんな、ばっちゃ。ちゃんと言ってから出掛けりゃよかっただ。おらたちみんな無事だべ。ちょっと避難してたでな」
 「おらたち?この人たち、見かけねえ顔だが、どなたさん?」老人が葱坊主の群れの中に荷物を山ほど担いで突っ立っている、アブラナの花のような髪の色をした悟空と息子を見て怪訝そうな顔をした。
 妻が慌てた。「そ、それは、ちょっと髪を染めてみたんだべ!なあ、悟空さ、悟飯ちゃん!ああもう、不良みてえでお恥ずかしいだ!」
 得心の行かない顔で老夫婦は肯いたが、そうそう、と声をあげた。「お留守の間に、なんかおっかなそうな3人組が来てなあ。泥棒だったんかも知らん。おめえたちの家ん中を荒らして帰ってったよ?」

 「ああ、本当でねえか!」
 表玄関の鍵は壊され、中に入ってみれば寝室のドアも蹴破られてしまっていた。悟空の命を狙ってやってきた人造人間たちがやってきて、あちこち探し回ったのだ。
 「でも、何も盗られてないみたい。ボクのお部屋は何にもなくなってないよ。この辺散らかってるのっておかあさん慌てて逃げる準備してたからでしょう」
 「なんか無くなってたらただじゃおかねえだ!」もういない者に怒ってもどうもしようもないのだが、妻はぷりぷり怒って、戸棚から大工道具を引っ張り出してきた。
 「てつだおっか、チチ」
 「悟空さが大工仕事やったら、家ごと壊しちまう。ただでさえまた力が強くなってんだろ。前みたいに壁をぶっ飛ばされたらかなわねえ」軍手を嵌めた指が勢いよく荷物のほうを指した。「悟空さと悟飯ちゃんはお買い物だ。ほったらかしで行ったから冷蔵庫の中んものほとんど悪くなっちまってるもの。おらはドア直して荷物整理してお掃除するから、おめえらは晩御飯の買い物さしてきてけろ!」
 
 

 





 「おかあさん、怒ってるね」
 「仕方ねえさ」のんびりと連れ立って5月のよく晴れた昼下がりの空を飛びながら、胴着からくだけた普段着に着替えさせられた親子は隣町の馴染みのスーパーを目指していた。「かあさん昔から金髪の不良が大っ嫌いだからな」
 「おかあさんの前ではやっぱりやめたほうが良くないですか、超サイヤ人」
 「まあいいじゃねえか。その内慣れるだろ」ふわりと鼻先に飛んできたタンポポの綿毛の群れを息で追い払い、悟空は言った。「休みだからって気ぃ抜ききったら駄目だからな。後でかあさんにまた言っとくさ」
 町の手前で降り立ったのだが、どうも閑散としている。ささやかながらもいつもはやっている商店街はどこもシャッターを下ろしていて、まともに営業している店がない。目当てのスーパーもそうだった。
 「しばらくお休みさせていただきます、だって。おとうさん」
 シャッターの前には同じようにうろうろしている主婦達が居て、困ったねえと顔を見合わせていた。
 「うちも避難したほうがいいかしら、もっと山のほうに」
 「うちの隣の人は行くって言ってたよ」
 「ここも大概田舎だし、いきなりセルってのが来ることないと思うけど」
 「うちの子は嫁と子供連れて都からこっちさ来るって言ってるんだがねえ」
 「とりあえずあと9日だっけ?あるといえばあるけどさあ。なんなのホントに。むかぁしピッコロ大魔王ってのが現れたけど、あれより強いのかしら」
 「なんにしても精気を吸われてしわくちゃになって死んじゃうのはいやよぉ」
 「国の軍隊は何してるのかしらねえ。あんなのやっつけちゃえばいいのに」
 そんなのに出張られてきてもどうしようもないのだが。親子は顔を見合わせて、そっとその場を離れた。
 町の電気屋は意地なのかまだ営業を続けていたが、売り物のテレビはどこのチャンネルでも、親子が精神と時の部屋から出てくる少し前にセルによって世界中に布告されたセルゲームの事で持ちきりだ。まわりの町も回ってみたが、みな似たような感じだった。


 「でね、おかあさん、ここのショッピングセンターだったらやってるし、まだもうちょっと食料も買えそうなんだけど、今出来るだけ買っとかないとまずいみたいな感じなの。どうしよう。でもあんまりお財布の中ないでしょう。…ん?うん、わかった」
 たまにくる少し大きな町のショッピングセンターのエレベーターホール脇で電話を掛けていた息子が振り返った。「おとうさん、おかあさんが迎えにきてって」
 「ん?ああ、わかった」
 悟空はきょろきょろと一応辺りを見回したが、周りはみな物資の不足を予測して集まりだした、目を血走らせた買い物客でいっぱいで、こちらに気付きそうも無かった。
 妻の気を捉えて瞬間移動をすると、目の前に現れたのはソファの上で慌てた様子でストッキングを白い脚の膝の上までたくし上げている妻の姿だった。
 「早いだよ!」
 妻は急いで化粧しなおしたのだろう、紅を重ねた頬をさらに真っ赤にして怒鳴った。
 「んなこと言ったって」
 「ったくもう。後ろ向いててけろ!」
 素直に回れ右をしつつも、悟空は正直得をした、と思った。宇宙帰りの頃にこういうことがあるだろうからなるべく瞬間移動は使うなと命令されていたのだが、今回ばかりは急ぎである。仕方ない仕方ない。
 そう心の中で嘯(うそぶ)いてニヤニヤしていると、急に後ろから右の手を繋がれてどきりとした。
 「お待たせ。もういいだよ。瞬間移動してけろ」
 「…なんだよ。もうちょっとこっち寄れよ」
 「…やだ」
 妻は片手に抱えたハンドバックを抱きしめながら上目遣いに睨みつけてきた。繋いできた指が緊張しているのがわかる。それは、いつものように、手を繋ぐと鼓動が高鳴ってつい未だに少し身構えてしまうというのとは全然違って、明らかな警戒だった。
 3年前に宇宙から帰ってきて、超サイヤ人になれるようになった事は教えていたものの、実際こうやってまともにその姿で向かい合うのは実のところ今日が初めてだった。遠目には何回か見られた事はあるけれど、超サイヤ人は家に、二人の間に持ち込まないというのがこれまでの暗黙の了解だった。いくら穏やかなままで居られるようにしたとは言え、自分は明らかにそれを破ってしまったのだ。
 さっき息子に『あとで言っとく』と軽く請けあったことを思い出して悟空は迷った。何か言ったほうがいいのかもしれない。だが、なんと言ったものだろう。さっき、カメハウスに帰って初めて顔をあわせたときに一通り簡潔に説明したのだ。それ以上どう言えばいい?
 「なんだべ。早くしてけれよ」
 とりあえずその逡巡はその言葉で棚上げになってしまった。




 妻は着くなり、流石と言わしめる働きを見せた。ありったけの金を預け払い機から下ろし、とりあえず一週間は持ちそうなだけの最低限の食料を悟空と息子にてきぱきと指示を飛ばして猛スピードで確保し、悟空に会計をさせている間に今度は息子ともう一度売り場を巡ってまだ要り用になりそうなものを買い物籠に詰め込んできた。売り場は口コミでここならまだやっていると周りの町から集まりだした主婦達で刻々と大混雑の様相を呈してきて、会計の外で妻持参のカプセル冷蔵ボックスに買ったものを放り込みながら悟空は2人がつぶされてしまいやしないかとはらはらしていたが、長年安売りで鍛えた妻にとってはなんてこともない。機敏に人の流れを読んで人々より一足早く会計にたどり着いて見せたのだった。
 「主婦歴10年をなめてもらっちゃ困るだ」妻は得意げにフードコートで茶を飲みながら笑って見せた。
 フードコートといっても、バイトの若者がセル騒ぎで来なくなってしまったのかどこもやっておらず、一家が飲んでいる飲み物もその辺の自販機で買ってきたものだった。それももう売切れてしまったのか、一家の後ろではのどを潤したかったけれどかなわなかった人たちがうろうろと席を探している。
 「おかあさんすごいねえ」
 「じゃあ、次はお洋服な。悟飯ちゃんはいつの間にかすっごく背が伸びたし、色々買っておこうな」
 「いいの?」
 「こんな時にケチケチしてどうするだよ。どうせ買わないといけないもんだべ?」
 こんな時に。
 その言葉の裏になんとなくあるものを感じたような気がして悟空は眉を顰めた。でも、きっと違う。また感じすぎなのかもしれない。
 だが、買い物を重ねるごとにだんだんとその疑いは悟空の中で強くなってきた。なので、思い切って、息子が手洗いに行くと抜けた間に妻に問いかけてみた。
 「大丈夫かよ、こんないきなりいろいろ買っちまって」
 屋上の庭園は、もうだいぶん日も傾いて、蔓薔薇が一本彼女の顔に細い陰を投げかけている。その中で妻の形のいい眉がそっとゆがんだのを悟空は見た。
 「いいでねえか。どうせ夏物も色々買っておかないといけなかったんだ」
 「そっか」
 「食料はまだ少し足りねえかも知れねえだ。また何処かに探しにいかねえと」
 「明日かあさってでも、またちょっと遠くまで行ってみるか」
 「…んだな」
 紫と白のフジが、風と陽を受けて夢のように妻の横顔の向こうで揺れている。ベンチに並んで座りながら、置かれている白い指にまた触れたい、と思った。でも、今繋いで、また警戒の気配を感じるのはいやだった。拒絶されるのはいやだった。
 両の手で頬杖を膝の上について、さっき発しようとした、こんな姿になっている事への言い訳を考えようとした時に、隣から囁くような声がした。
 「…お金なら大丈夫だよ。だって、悟空さが、次からちゃんと稼いでくれるもの」
 風が吹いて、妻の髪の香りがした。その向こうの、薔薇の香りがした。

 だろ?と、問いかけてくる声に、フェンスの向こうの空を見ながら肯く事しか出来なかった。その細い響きが、かくれようも無く不安気だったから。







 
 夕食後、風呂の中で半眼になる。深い呼吸をする。己を集中し、気の流れを整えようとする。
 神殿に入ったばかりの頃は、このようなことさえ上手く出来ず、修行の意味が分からずよく指南役であるミスター・ポポに詰め寄っていたものだった。ポポは繰り返した。勝負と言うのは、要は心の問題である。迂闊な過ちを招かないように冷静な判断をするには、常に心を平静に保つ事。ささいなことで動揺をしない事。そのためには起こりうる事に対して考える事から逃げてはいけない。ちゃんと予め考えて、己の中で整理をつけて、出来うるなら準備をしておかなくてはならない。懸念の大きい事については、前もって覚悟をつけておかなくてはいけない…。
 あれからもう15年近くが過ぎた。神殿で学んだ事は間違いなく、己の確固たる礎になっている。でも、ちゃんと実践できているかと言うと、振り返っても失敗ばかりだったように思う。そして、今も。
 己を空にすると、たちまち一方向からとてつもない圧力が押し寄せてくる。西の方から津波のように世界中に拡散している気は、これから合間見える敵の発するものだ。まるで、昔地球に満てる万物の気を感じられるようになった時のように、己を侵食してきそうな感覚すらする。
 風呂の開けた窓の向こうに感じられる山野の気は、その気に圧倒され、怯えた風な気配を見せていた。

 たすけて。
 たすけて。
 あれはわるいもの。みんなしんでしまう。
 おねがい、たすけて…!


 唇を噛んだ後で、そっと、心の中で「おいで」と呼びかけると、まるで蛍の光のようなささやかな気配がごく弱い光の尾を引いて、悟空の手の中にいくつか寄ってきた。濡れた手の中にそっと止まらせると、光はそっと瞬いて、天井の明かりを映した湯の煌きの中にそっと溶けるようにして隠れてしまった。
 「おとうさん?」
 戸口からかかった声に悟空は勢いよく振り返った。服を脱ぎかけた息子が戸を半開きにして覗き込んでいたのだった。
 「おかあさんが、一緒にはいっちゃいなさいって」
 「あ、ああ」

 「今のって、草とかの気なの?元気玉って、ああいう風に集めるんだね」
 身体を流した後で、息子が悟空の使っている湯船に入ってきながら問いかけてきた。
 「ああ」
 少しの間の後、息子が奇妙に明るく言った。「おとうさん、地球ってすごいね。綺麗だね。ずっと精神と時の部屋に居たから、余計そう思うのかもしれないけど」
 悟空の前に座った息子の髪は、つややかに金色に輝いている。部屋の中の風呂はとても狭かったからこうして2人で風呂に入るのもとても久しぶりで、よくこうして風呂に入れてやっていた子供の頃に比べるとやはり別人のような気がした。腕の中に納まっていた、いたいけで小さなか弱い息子とはもう違う。腕の中に収めた体の奥底には、外から漂ってくる強大な気に比肩する、いや、それよりももっと強い気が隠されているのだ…。
 「ね、おとうさん。ボクにも、元気玉教えてよ」
 不意に息子が言った。心臓がいきなりごとりと跳ねた。
 「…今からじゃ、無理だなあ」
 笑い声が乾きそうになっているのを悟空は感じた。
 「でも、あと9日もあるよ」
 「言ったじゃねえか。十分休むんだから修行は3日だけだって。教えるにしたってセルとの戦いが終わってからだな」
 ざばりと急に湯から立ち上がったので、胸にもたれて座っていた息子はバランスを崩した。
 「父さんのぼせちまった。先あがるな」
 振り返ってきた視線を背中で感じつつ、悟空は脱衣所へと去っていった。




 風呂上がりの牛乳を居間のソファで飲み、適当にあわせたテレビの報道番組を見るとも無く見る。妻は夕食の片付けに流しに立っていて、カチャカチャと忙しい皿の音をさせていた。
 上半身は裸のパジャマ姿でソファに横になる。のぼせそうになったのは本当だったので、はあ、とため息をついて目を閉じた。眉間に深い皺を刻んで。

 何故、怯えてすがってきたものを、すぐ躊躇い無く受け止めてやれなかったのだろう。
 何故、教えると言ってやれなかったのだろう。
 これ以上差をつけられたくなかったからか。自分だけ使える技をせめて独占しておきたかったからか。 
 自分はそんなに狭量な人間だったのか。


 
 「おかあさん、お父さんソファで寝ちゃってるよ」
 「仕方ねえだなあ。悟飯ちゃんも疲れてるだろう。早く寝ちまうだよ」
 「はあい」

 「…寝るときは、元に戻るんだべなあ」

 その優しげな声にうっすらと目を開けると、妻がそばに寄ってきて、側机に置かれた牛乳のグラスの脇のリモコンであちこちテレビのチャンネルを変えているところだった。
 まだうとうととしていると、妻がそっと悟空の頭の横に座った。

 「…膝枕」
 「はいはい」微笑んだ気配がした。重い、まだ濡れた頭を持ち上げて妻の腿の上に置くと、甘く柔らかなにおいが鼻をついて、背中にわだかまってたものがそっと抜けていく気がした。
 そう思っていると、妻の柔らかい手がそっとそのあたりを撫でた。
 「お疲れだべな」
 「…」
 「死にぞこなったんだものなあ。だからもうちょっと寝てねえとって言ったのに、いきなり修行に出かけっちまうんだもの」


 そうか。そうだよな。
 きっと疲れてるんだ。



 柔らかいため息をついて、頬を腿の上の服にこすりつけた。妻がかすかに身じろいだ。細い腕にそっと触れると、細い指がぼさぼさの黒髪を優しく分けた。
 その手つきは、いつもと同じ。限りなく優しく、何の警戒も無くて。慈母の…いや、見た事もない本当の母のようで。
 いつもなら、きっと抱きたいと思うんだろうけど、なぜかそうも思えなくて。


 本当は起きてるから、超化したほうがいいんだけど、今日はもういいや、と思う。
 今日は、もう、こいつの気だけ感じていたい。
 明日になったら、ちゃんと恐れず向かい合うから。あの敵にも、世界にも、息子にも。きっと、恐れず気を感じて、受け止めて、どうするかちゃんと考えようと思うから。

 だから、今日は、こいつの気に包まって、匂いと体温を感じて、ガキみたいに膝に甘えていたいんだ。





 妻は何も言わなかった。時折指をそっと頬に滑らせて、じっと座っていた。時折物言いた気に唇を動かすのを視界の向こうに感じたけれど、結局は無言だった。
 勝手ばかりですまないと、その時、本当に、胸が痛くなるほどに思った。
 うっすらと目を開けると、自分達の寝室のドアに、不器用に直して板を張った跡が見えて、なんだかまるでそれが自分達みたいだと故も無く思ったけれど、多分それは疲れてるからだ、と悟空は考える事にしたのだった。
 
 
 



 そして、時計の針が、そっと、その日までの日数が一日減ったことを報せた。






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