このページはイラストレーターはるまきの、個人的なドラゴンボール版権小説置き場です。鳥山先生、集英社さんとは一切関係ございません。
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fire4<後編>






 重力室を出ると窓の外はすっかりと暗くなってしまっていた。空腹をおぼえたベジータは再び一階に降りて奥の食堂に向かった。正面ロビーには忠実に24時間働くロボットたちが控えていて、彼を見ると敬うように道を開けてくれた。ほとんど音もなく。
 巨大なこの建物の中は大きさの割には人が少なく、夜にはしんとするほどの静寂をいつもたたえている。そこはベジータがこの家で気に入っているところだった。

 一階庭のシャッターは閉められていた。教えられていたパスワードを打ち込む。ひょっとしたら変えられているかもと思ったのだがすんなりと扉は開かれ、5月の緑のかぐわしい香りが鼻をくすぐり、少し昼に比べておとなしい水量になった噴水の水音が耳に軽やかに聞こえてきた。中庭は建物の中央にドーム状に広がり、4階までの吹き抜けになっていて天井には星のように非常灯があしらわれている。巨大なこの家では移動が大変なので庭の床はスイッチで歩く歩道になるのだが、ベジータはそれは使わず歩を進めた。
 ふと耳をそばだてる。奥のほうでにゃあにゃあと猫のような甲高い泣き声がする。夜は犬猫はあらかた中央の東屋のなかに入って眠るのだが、そういう声とも違うようだった。
 庭を突っ切って廊下に出ると声は一層大きくなった。扉の奥は食堂だが、隣接してこの家の夫人の愛でる温室が南に面して作られていた。そこに夫人が緩やかな寝巻きに品のいいガウンを羽織って、赤子をあやしている姿があった。
 「あら、ベジータちゃん」ふにゃふにゃとぐずる赤子が少しおとなしくなって、夫人がこちらに気づいて声をかけてきた。「どうしたの?お腹がすいたのかしら。なにか出しましょうね」

 温めなおされた食事を食べるベジータの向かいで、夫人はニコニコと腰掛けて赤子を膝に抱いて揺すっていた。珍しく眼鏡をかけて園芸の本を読みながら。
 ふと夫人が大変なことになっちゃったわねえ、と歌うように言った。それにはベジータは答えなかった。
 「お部屋を片付けちゃってごめんなさいね」夫人は言葉を続けた。
 「なんだそれは」顔を上げた。
 「あら、まだ見てなかったのかしら。前はベジータちゃんのお部屋はブルマさんの隣だったでしょう。そこを改装してこっちのトラちゃんのお部屋にしたのよ。隣り合ってないと不便なものだから」
 「…」
 「でも今晩はこっちのトラちゃんはあたくしが見ているの。その代わりベッドを持ってきておっきいトラちゃんに寝てもらっているのよ。自分がどんなお部屋で大きくなったか知ってもらうのも素敵じゃない?」
 夫人は細い銀縁の眼鏡の奥で微笑んだ。化粧を落としても綺麗な女だったが、その目じりには歳相応の皺が薄く刻まれている。
 どういうわけだかベジータとこの夫人…ブルマの母親は縁があって、ほかのものに比べての話だがよく家の中で出くわしてこのように会話をする機会があった。もっともほかのものが会社や作業とかでこもりがちなせいもあるのだが。前にベジータがここに戻ったとき唯一気づいて声をかけてきたのもこの夫人だった。ベジータがなぜ家を出たのに息子の名前を知っていたのかというとそれは夫人がこのように聞きもしないのにいろいろ教えてくれたからなのだった。
 ベジータはそれにも答えずスープを啜った。ふと気づくと、卓の白いテーブルクロスの端に青い丸い瞳が二つこちらを伺っている。眉をひそめると、小さな手がクロスの端をつかんで頭を持ち上げてもっとよく見ようとしてきた。あらあら、と夫人が慌ててその重たげな頭を支えてやった。

 「思ってたのだけど、ベジータちゃんは赤ちゃんのお世話が珍しいのかしら」
 「…あまり見たことはない」
 「そうよね、王子様ですものね」
 実際ベジータのこれまでの人生の中では赤子と接することなどほぼないと言ってよかった。ずっといくさの群れの中に身を浸してきたし、周りに子供を儲けたというものもいなかったので。元来サイヤ人というものが発情時とそうでないときのメリハリがとてもハッキリしていて、しかるべき環境が整わなければ特に性欲を発散しないとやっていられないとかいうこともなかったので、同種族の女をすべて失ってしまった生き残ったサイヤ人たちは軍隊でよくあるような女漁りをしたりだのということもなく見事なまでにストイックな生活を送っていたのだった。
 「王子さまだもの、子育てはほかのひとにやってもらうという考えで当たり前なのよね」
 その歌うような言葉には何の棘も毒もなかった。例えば、とベジータはぼんやりと思った。これと同じ台詞をあの女が言ったとしたらどうだろう。もっと自分を詰り、もっと自分を責めるような声音のはずだろう。 地球という星に来てからもう3年以上がたって、ベジータにだってこの星の女という生き物がいかに傲慢で自分本位な考えをしているかというのは十分すぎるほどわかっていたし、彼が情けをかけた女が意外なほどにそういう意味では「普通の女」であることもわかっていた。その母親であるこの夫人がこのように言えるのはなぜなのだろう。
 「あたくしもすっかりおばあちゃんになったということよ」そういうことをぽつぽつというと彼女はころころと笑う。「逆に言うとほかの方に期待をしなくなったということなのかしら。昔はパパさんやブルマさんにもああしてほしい、こうあるべきだといろいろ期待や要求をしてそのたび悲しい思いをしたものだわ。それを諦めてまずはその人を見ようと思うようになったってことかしら。本当はそういう諦めは冷たいことかもしれないけれども。
 …あたくしベジータちゃんには感謝しているのよ。トラちゃんを置いていって下すってね。この子が生まれたことでブルマさんとはじめてちゃんと家族らしくなれた気がするのよね。ベジータちゃんがしてくれたこととしてはそれで十分。父親がいないと哀れむくらいなら、あたくしがその分大事にしてあげれば済む話ですもの。
 宇宙から来た方をこの星の常識で縛ろうなんて、そんな肩肘張ってもすぐに上手くいくわけないのよ…悟空ちゃんは地球育ちなんだからまたすこし別の話だけど」
 照明を落とした食堂の中、彼女の腕の中で赤子はうとうとと目を開けたり閉じたりして、時折自分のほうをぼんやりと眺めていた。その無垢な瞳に、庭の少し青い光がやわらかく反射している。

 うっとりと目をつぶる眉の辺りに、大きく成長したほうがあの部屋の中で見せていた寝顔の面影があった。そしてそれは自分にも連なるものだった。
 自分も乳母の腕の中でこのようだったのだろうか、とベジータは食後の茶を飲みながらぼんやりと思った。自分が王族なのとは別にサイヤ人という種族はそもそも子育てを人任せにする社会だったから父母というものには特に執着はなかったのだが、実際に育ててくれるものになにがしかの情が沸くのはごく自然の感情だった。それをサイヤ人はこの星で言うところの『同じ釜の飯を食ったもの』というようなものに置き換えていたのだったが。
 寝付いたしそろそろ、と夫人が席を立ち、ドアを開け際にそっと言い残していった。

 「だから、どこに行ってもいいけど、死なないで頂戴ね」

 それにもベジータは答えなかった。食器を片付けもせず、食堂の壁際にあるソファに身を投げ出して、大ガラスの向こうから来る庭の光に背を向けてしばらくそのままだった。
 部屋には、赤子のためのゆりかごがひとつ同じ光を浴びて微かに揺れていた。ベジータはその部屋で一晩眠った。だから翌朝セルがテレビに出てきて再び出かけるまで、ブルマとは肌を重ねるどころかろくに言葉すら交わしてこなかったのだった。
 彼女が自分の息子を気にかけている姿を見るのは、やはりどうにも面白くなかった。

 


 

 

 
 ピッコロやその従者はもう一度二人で部屋に入ることを強く勧めた。それを押し切ったのはそういう片意地もあったのだろう。あの下級戦士が子供の頃に独りで入り狂いかけたという事例を持ち出してくるものだから、余計向きになった面もあった。また自分を突き放して屈辱を舐めさせたあの男を嘲笑ってやりたかったのだった。

 
 白の孤独の中でベジータが頻繁に見たのは、部屋に入る直前に自分を心配そうな眼差しで見ていた、未来の彼の息子の幻だった。あの夜の夫人の歌うような声をまとわせた、幼い彼の息子の幻だった。
 なんにせよ自分が夫人からも突き放されたことに変わりはなかった。あなたは異邦人なのだから、と。何処へなりと行こうとも、あの赤子には彼は必要ないと夫人は言ったのだ。事実あの未来の息子は彼の顔も知らずに育ったのだから。

 自分はあの息子には必要ない存在なのだ。そしてあの生意気な女には、あの息子さえいれば。

 その考えは凍て付くような白い大気となり、茹で上がるような白い陽炎となり彼を蝕んだ。時折それは紫に弧を描く唇の幻にもなった。白い冷たい手のひらの幻にもなった。

 そしてひれ伏すごとに、白の中にベジータは青い息子の幻を見た。心配そうな眼差しの幻を見た。それにすがるのではなく、彼のすることはそれに手を貸すな、と怒鳴りつけることだった。心配されるいわれはない、と怒りに燃える目で怒鳴りつけることだった。

 


 

 部屋から出た後にベジータはまたカプセルコーポレーションに戻った。そのあとすぐに未来の彼の息子が部屋に入ったので、ただ独りだけで。

 だからといってなんということもない。またこの家を出る前のように、好き勝手に重力室にこもっては好き勝手に睡眠や就寝を取るという生活に戻っただけのことである。それが6日間ばかり続いたが、この家は人に頼らずともロボットに頼めばなんとでもなったし、部屋がなくなったというなら重力室に毛布など持ち込めば済む話だった。
 夫人とはあれ以来出くわさなかった。前だってそうそう頻繁に出くわしていたわけではない。ブルマとその父親は相変わらず人造人間の修理にかかりきりだったし、みな相変わらず赤子に構ったり帰ってきた未来の息子に構ったりしてるようだった。
 部屋の中で10ヶ月という時間を与えられたベジータにはその面白くなさの正体がすでにわかってはいたのだが、その分逆にあえてそれに近づきたくもなかったのである。かわりに近づいてきたのは意外な人物だった。

 

 「よ。ここだったか、ベジータ」
 いよいよ明日に決戦を控え、早めに切り上げて寝るかとベジータが重力室のスイッチを切ってくたびれた毛布のちりを払っていたときにその男はいきなり目の前に現れた。それは全く近づいてきたとかそういう過程を無視していた。
 あまりに唐突だったものだから仰天して思わず飛びのいてしまった彼を見て、その穏やかな金色を放つ男はけらけらと笑った。裸足の上にタンクトップに緩やかなズボンというやけに寛いだ格好をした男は手に簡素なかばんを持って、周りをきょろきょろ眺めている。
 「へえ、これが重力室なんだ。オラの宇宙船とさほど変わんねえな」
 「な、何しに来やがったカカロット!」オーバーなリアクションを取ってしまったベジータは恥ずかしくなって怒鳴った。部屋にわんわんとその声が反響した。
 「遊びに」
 「ふざけるな!」
 「マジでさ。何か夜中に目が覚めちまって、ついでだからブルマに借りてたドラゴンレーダー返して、神殿に行って集めてたドラゴンボールこっそり置いてこようと思って。おめえの気が一番探りやすかったからさ」
 今はまだ宵の口といったところだが、と反論しようとして、ああそうかこいつの家のほうでは時差があるからもうそんな時刻なのか、と思い至った。明日セルに指定された時刻は中の都を基準に設定されている世界標準時での正午である。まだ半日ほど先のことだった。
 「邪魔したな。ブルマ何処だ?」
 「知るか」
 「つめてえの。いいよ探すから。暇つぶしにちょっと話でもして何かうめえもんでももらおうっと」
 男がハッチを開けて暗い廊下に出た。ベジータはとっさに慌てて後を追った。こっちかな、などといいながら男はすぐ脇の下り階段を下りていった。手前でしばし立ち止まったものの同じく降りた。階段の途中で振り返って男は笑った。窓から見える正面玄関の明かりをその金色の髪に光らせながら。

 「やきもち焼きだなあ、おめえ。自分の女がよその男と口きくのも嫌ってか?」
 いったん振り返った男はまた階段をゆっくり降り始めた。降りた先は家のものの車庫用の広いがらんとしたスペースだった。いい車だな、と男はつぶやいて階段を下りたところで立ち止まって見上げてきた。
 「五月蝿い。お前など臆病者ではないか。戦いを前にして緊張で眠れなかったなどと」
 「まあな」に、と男は唇の端で笑った。「オラは餓鬼さ。だからチチを抱きまくってそれを忘れようとした。けどそれじゃ足らなかったから何か理由をつけてブルマに会いたかったのかも知れねえ」
 「貴様…」
 「怒んなよ。そんなつもりねえから。なんだかんだ言ってあいつは姉ちゃんみたいなもんだからさ」

 不意に男が差し招いた。いぶかしげにベジータが降りていくと、男の体からは濃く絡み合った女の香りがした。一瞬うろたえて2,3段上で止まると、男はかばんを差し出してきた。
 「やっぱ帰る。あいつが目を覚ましたら寂しがるからな。ブルマにレーダー返して、明日ボールを神殿にもってっといてくれ」
 「なんで俺が!」
 「いいじゃん」
 「神殿に行って貴様の息子に預ければいいだろう!」
 「…今は会いたくねえんだよ、悟飯に」

 翡翠色の瞳が無表情なような色をして瞬いた。2,3秒彼らは見つめあった。のろのろとベジータの腕がかばんを受け取り、正面玄関のまぶしい光に照らされ床に浮かんでいた影がひとつ掻き消えた。ひとつ言葉を残して。あんまり寂しがらせてやんなよ、男の甲斐性がねえぞ、と。

 しばらくして、ドアを開けて作業服姿の細い影が入ってきて、話し声がしたけど誰かいたのかと問うた。ベジータは男に預けられた、とかばんの中身を差し出した。受け取るときに指が触れて、女はつぶやいた。トランクスは、もう神殿に行ったわ、と。
 久しぶりに絡める指は、燃えるように熱かった。

 


 

 

 あの男は全くつまらない死に方をした。そして彼の未来の息子は未来へと帰っていった。
 結局彼のいらいらの大部分は、自分の未来の息子…二人きりで過ごして、誰よりも近いと感じていた息子に親しく近づくものに向けられたものなのだった。そのくせそれに父親の情だとかそんな名前をつけることが嫌であがいていたのだった。でもとりあえずそのように彼を嫉妬に燃えさせる対象は二つながらに消えたわけだ。とりあえずは、彼に絶望的な力の差で屈辱をなめさせるなにものも。

 「ベジータ君はこれからどうするつもりだい」
 中庭で男の仲間たちが葬式めいたことをしている間、外にいたベジータに話しかけてきたのはこの家の主であるところの初老の男だった。
 「張り合ってた相手が死ぬってのはつまらんもんだ。わたしにも覚えがあるよ。これから先そういうことばかりだろう…宇宙に帰ったりはしないのかね?」
 パイプから煙を吐き出す傍らの男の顔をベジータは見た。

 「悟空くんが宇宙から帰ってきたときに乗ってきたのが一台ある。その気になれば君は何処へでも行けるんだよ」

 風が良く晴れた5月の空を渡った。開け放たれた玄関ロビーの奥から、ぐずる赤子の鳴き声がした。敷地の向こう、都の大通りのどこかでやっているパレードか何かの喧騒が微かに聞こえてきた。
 彼は首を横に振った。「だが、しばらくはまた留守にする」
 「そうかい」白い髭が笑った。「何処へでも行っていい。でもいつでも戻っておいで。君は自由だ。ただしできるならうちの子が癇癪を起こさない程度にね」

 ベジータは微かに笑い返した。「ああ」

 そして玄関ロビーで微笑んで幼子を抱く夫人に同じ微かな笑みを向け、今は無人だろう女の部屋へと幾許かの荷物を取りに階段を上がっていった。


 

 

 


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