このページはイラストレーターはるまきの、個人的なドラゴンボール版権小説置き場です。鳥山先生、集英社さんとは一切関係ございません。
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long4<中編>




 その時。いきなり、後ろから兄に似た声が降り注いできた。


 「へへー、ヤッホー!」


 声に後ろを振り仰いだ悟天の眼球に、光が焼きついた。飛び込んできた南国の日差しが、目をまぶしく打った。その上を、一羽のかもめが横切った。
 まぶしい!
 思わず目を閉じようとしたとき、そばで風が起きた。母親の長い服が、今朝長いことかかって選んでいた服のすそが、悟天のそばでばさっ、と音を立てた。そのむこうで、何かその人が言った瞬間、道の両脇に立てられた色とりどりの旗がいちどきに青い青い空にはためいた。赤、黄色、ピンク、緑、水色、白。
 わあ。と一瞬悟天が空を仰いでそれに感嘆した瞬間、ごく目の前にいた母親が駆け出した。悟天の頬に、温かいしずくが飛んできた。わ、と目を閉じてあけたとき、やっと、誰かがその向こうに現れたのだ、とわかった。


 悟天が、駆け出した母親の向こうにその人を最初に見分けたのは、天使の輪だった。
 次に、自分に似たぼさぼさの黒い髪。それが、兄が頭に巻いているオレンジの布とぶつかって交じり合った。
 「悟空さっ…!」母親の高い声が、かもめの鳴き声のように響いた。

 その人が、こちらを向いた。そして、母親に向かって満面の笑みで片手を伸ばした。悟天と同じ色の、鮮やかな山吹色の胴着から逞しい腕が伸ばされ、母親の肩の辺りをかき抱いて、白い額に頬を押し付けた。もう片方には、兄の背中を抱いて。
 「チチ…!」
 その人が、母親の名前を呼んだ。悟天は、ぽかん、と口を開けた。

 なに、あの人。
 なにしてるの、おかあさん。




 その瞬間、7歳の悟天が思っていたのは、そんな遅れた反応だった。


 しばらくぽかんとしたあと、悟天は周りをぐるっと見渡してみた。
 周りの大人たちは、みんな嬉しそうに、あるものは涙を浮かべ、あるものはひた隠しながらも嬉しそうな微笑を口の端に浮かべ、その天使の輪を持つ人に注目している。慌てて見回すと、普通にしているのは18号とその娘、そしてトランクスだけだった。なんだか自分ひとりが乗り遅れたのではない、と思って、やたらとほっとした。と、横にいた祖父と目が合った。
 「悟天。ご覧、おっかあがあんなに喜んでるだぞ…よかった、ほんとうによかったなあ」祖父が涙ぐんで前のほうを髭の濃い顎で指し示した。
 つられて見ると、人垣の向こうに、母親が、その人にしがみついて、顔を赤くして涙をこらえているのが見分けられた。なにかわけがわからない感情に突き動かされて、悟天は祖父の脚の後ろに隠れてその太いズボンの中の脚にぎゅっとしがみついた。なんだか頭の中がめちゃくちゃになってきた。
 あれ?なんで、ボクが、あそこにいるの?なんで、おかあさんが、あそこで、ここにいるはずのぼくに抱きついてるの?
 ぐるぐるとおかしげに回る思考の上に、武道会場の喧騒とにぎやかなマリンバの音が重なってきて、目が回りそうになってくる。そこを、祖父の大きな手が背中をぐいぐいと押してきたので、ふらふらと前のほうにつんのめった。空に三角帽子の不思議な老婆を乗せた珠が浮かんで遠ざかっていくので、なんだか本当に白昼夢を見てるような気持ちになってきた。


 「おっと、大丈夫か、悟天」前にいたヤムチャのベージュのズボンにぶつかって、顔を上げた。母親が、兄が振り向いた。
 悟天はヤムチャを押しのけて、母親のすそにすがりついた。うつむいて、母親の匂いを吸い込むと、軽いめまいが治まってきた。
 「悟空さ、久しぶりだな」太い声が後ろからした。
 「牛魔王のおっちゃん」前から、嬉しそうな声が降ってきた。
 「それ、その子。おめえが死んでから生まれてきた、もう一人の息子だべさ」
 「そうなんですよ、おとうさん。悟天って言うんですよ、おとうさんにあやかって」兄の声がして、悟天は、ゆっくりと顔を上げた。目を上げると、その人が、自分を見ていた。

 「ひゃあーっ」初めて目の前で聞いたその人の声は、そんなてんがらのんきな感嘆の声だった。「そっくりだと思ったら、オラの子かあ!」

 「悟天、おとうさんだぞ!」母親が首の向こうに指を回して、期待を込めたような目で見てくる。その人が、自分を見つめて、にかっと笑いかけてくる。部屋の写真にあった笑い顔と、寸分変わらない、白い歯を見せた笑顔で。
 悟天の顔はわけもわからず紅潮した。やっと理解した。これが、「悟空さ」で、自分と兄の「父親」なのか!




 ぽかんと口をあけて、悟天は考えた。どう声をかけたらいいものか、母親や兄や大人たちの期待のとおりに駆け寄って抱きつくべきなのか。
 しかしそうこうしてるうちに、兄の師匠の受付を促す声に一同が動き出し、その人も振り返って立ち上がった。あ、と思ったときには、その人は背中を向けていた。

 母親が、微笑んで軽くため息をつくのがわかった。悟天はどきんとした。期待通りに出来なかったからがっかりさせてしまったのだろうか、と。
 「どうした、恥ずかしいだか?」いつもの優しい声がした。スカートにしがみついたまま、悟天は首をぶんぶんと振った。促されてゆるゆると歩き出す。
 前のほうを見ると、その人は受付をしているところだ。そのあとに兄も、トランクスも並んでいる。受付の白い光沢のあるテーブルクロスがピカピカして、目に痛いほどだった。歩道の石畳がだんだんと日差しに熱せられてきて、むっとした熱気を放ち始めている。母親の白い指が、額に浮いていた汗をぬぐってきた。
 「ちゃんと、あいさつせねば。おとうさん、こんにちわって。あとで、中で言うんだぞ。悟天ちゃんは人見知りだなあ」そして頭をなでてくる。でも、いつもは嬉しいその手が、なんだか嬉しくなかった。
 「…ボクも、受付しなきゃ」悟天は半分ため息をつきながらつぶやくように言い、今までしがみついていた母親の腰を手で押すようにして離れた。



 大会はもう始まる。照り返しの強い歩道のあちこちで、係員が拡声器で呼びかけている声が響いている。
 「死んだおやじさん、そっくりだな、お前に」
 散々言われ慣れた台詞を横を歩いているトランクスが言った。「そうかなあ」と悟天は唇を尖らせた。なぜだかあまり認めたくないような気持ちがする。
 「すごかったんだろ?そんな風にはあんまり見えなかったけどな」
 ホントだ。そんな風には全然見えない。こうして前を歩いていく後姿を見ていても、そんなにすごいようには、みんなが口をそろえて言うようにすごい人にはまったく思えない。のんきに兄と、修行仲間で親友だったというクリリンと楽しそうに歩きながら歩いていく。自分のことを振り返りもせず。

 悟天はじっと、その人と、並んで歩いている兄を後ろから観察した。兄はいつになくはしゃいでいた。何回も聞かされている。兄は父親のことを本当に尊敬してて、死んだとき本当に哀しかったのだと。ニコニコとその人に話しかける横顔が、その人によく似ている、と思う。やはり、自分も、大きくなったらあんな顔になるんだろうか?
 写真で見てたときはそれほどなんとも思わなかったけど、こうやって生で見るとまあそんなにかっこ悪くは無いかな、と思う。髪形は確かに自分そっくりだ。でも、自分が鏡で毎日見ている自分の顔が、歳をとるとあんなに引き締まって涼しいような感じになるとはどうも思えない気がするのだけど。歳をとるって、変なの。

 不意にその人が振り返った。悟天はどきんとした。見ているの、気づかれちゃったんだろうか。
 しかし、その人が振り返ったのは自分じゃなかった。クリリンの妻の18号だった。何かびっくりしている。そして、さっさとまたクリリンと話し出してしまった。結局こっちは一瞥だにしなかった。

 ほっとした。でも同時に、なにあの人、と悟天の眉根にひそかにしわが寄った。
 さっきの出発の時だって、手を振るおかあさんのことをニコニコと嬉しそうに見ちゃってさ。にいちゃんの後ろでじっと見ていたこっちのことなどお構いなしだった。
 おかあさんもおかあさんだよ。ボクのほうには振ってくれなかった。悟天は無意識に頬を膨らせた。さっき、父親に駆け寄って抱きついた母親の様子が脳裏にフラッシュバックする。
 理屈ではわかってる。あの人とおかあさんは、フウフってやつなんだから、そのくらい当たり前なのだと。でも、今まで母親にそんなことをしていい男なんていなかったのだ。兄だってそんなことしてるの見たこと無い。母親に抱きついていい男は、自分だけなんだから。
 と、隣のトランクスが、含み笑いを浮かべながらいきなり頭を軽くこづいてきた。
 「なにするんだよう」
 「ガキ。父親にかまってもらえないくらいで、ブーたれてんじゃねえぞ」
 悟天はさっと顔を赤くした。「ブーたれてないよっ」
 「へーぇ。まあ、ちょっと位我慢しろよな。大会が終わったら一緒に家に帰るんだろ。そこでいくらでも甘えればいいじゃん」
 「甘えなんかしないんだからっ」
 2人はみんなに遅れて更衣室の中に入った。トランクスがあきれたように肩をすくめて言った。
 「お前は着替えなくてもいいんじゃないのか」
 更衣室の中で、トランクスの父親のベジータが、これまたあきれたような目線を向けてきた。悟天は顔を真っ赤にし、唇を突き出してすごすごと退出して廊下でトランクスを待つことにした。
 

 なんだかわからないけどもやもやといろんなことを考える。窓の外でやしの木が、ブーゲンビレアの花が気持ちよさそうな風にざわざわと音を立てている。外で、父親がまた誰かに楽しそうに話しかけているのが聞こえてくる。
 それを聞いていたらだんだん父親に対してむかむかしてきた。でも確かに父親にかまってもらえないから機嫌が悪いなんてただのガキンチョのすることだ。そう、トランクスくんだって大しておじさんにはかまってもらってないじゃないか。同じサイヤジンのコドモたるもの、父親にかまってもらえないくらいですねてるようじゃ名折れだ。ひとつ下だからってなめられてたまるものか。
 そう、試合で仕返ししてやろう。戦うことを考えよう。ほら、わくわくしてきたじゃないか。
 悟天は、昔母親に教えられたとおりに、笑顔を無理やりに作ってみた。そうしたら、きっと元気になれるから、と教えられていたから。

 そう、試合をして、見せ付けてやるんだ。ボクが強いことを。おとうさんに負けないくらい、ちょっとすごいことを。おかあさんだってびっくりする。そして褒めてくれる。にいちゃんだって。そして、おとうさんは言うんだ。すげえな、悟天、って。これなら、おかあさんを任しても大丈夫、って言うんだ。
 おかあさんは昨日から、おとうさんが帰ってくるから、ってすごいご馳走の下準備をして家の冷蔵庫に残してあった。みんなでそれを食べるんだ。ボクもまた卵とか割ってお手伝いするんだ。今日はちゃんと割ってみせる。こんどは、ぐちゃぐちゃにしたりしない。おかあさん、きっと喜んでくれる。
 ほら、考えてたら、楽しくなってきたじゃないか。きっと、楽しい日になる、素敵な予感がしてきたじゃないか。







 でも、悟天は知らなかった。その日が、素敵な予感では済まされないとんでもない一日になるということを。世界の悪夢の日になるということを。
 武道会は文字通りめちゃくちゃになった。白昼夢のような日が過ぎていった。
 そして、世界は足の下であっけなく砕けた。



<後編へ>




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