このページはイラストレーターはるまきの、個人的なドラゴンボール版権小説置き場です。鳥山先生、集英社さんとは一切関係ございません。
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long4<後編>




 こんこん。
 青いふちどりの、白いほうろうのボールに卵を打ち合わせる。平和な朝の台所。5月の新緑が、窓の外に広がって、朝の日差しがきらきらと窓際の洗い立ての真っ白い布巾に輝いている。

 あ。
 力を入れすぎて、卵が手の中で砕けた。透明な白身が、手のひらを伝う。どろりとしたオレンジがかった黄身が、指の股を流れだす。細かい白い殻が手のひらいっぱいに散乱して、広げようとした手の中でじゃりじゃりと音を立てた。
 あーあ、と朝の日差しを浴びた台所の中で母親の声がした。その手首を母親の白い手が取った。さあ、洗わないと、と言って。
 うん。うなずいた手のひらから白身が流れて、母親の指についた。その瞬間、母親の白い顔に、無数のひびが入った。入って、ぐちゃりとつぶれた。中からは、今手を汚しているのと同じ、白身と黄身がどろどろとあふれ出て、足元に広がった。
 その黄身の中に、一筋の血。母親の目鼻を形どった、白い殻。

 世界が暗転した。
 悟天は、あらん限りの声で絶叫を発した。


 


 「おいっ、おい!しっかりしろよ、悟天!起きろ!」
 気づいたときに見えたのは、真っ白なシーツだった。そしてそれは水にあふれていた。のどから、かすれた叫びが漏れ出しているのが、他人の声のように聞こえる。
 呼吸が、苦しい。吸うことしか出来ない。断続的に吸うばかり。吐けない。苦しい。ようやく吐くと、今度は吐くばかりになって吸うことが出来ない。
 白いシーツの上で頭を左右に振り回す。鼻が水に浸食されて息が出来ない。のどに手をやって、かきむしろうとする。
 「落ちつけったら!」
 無理やりに仰向けにされた。誰かがその上に布団越しに馬乗りになった。水の向こうに紫色の髪の毛が見えた。
 「と、ら、んく、す、くん」
 切れ切れに名前を呼んだ。顔が熱い。手足がしびれて冷たい。
 「悟天。しっかりしろ。ここにいるから。しっかりしろよ!ゆっくり息をしろ、ゆっくり。口と鼻を押さえるけど、こうしたらマシになるからな。学校でおなじ風になった子に、先生がこうしてるのを見たから。治るから。」
 「おか、さんが。にいちゃ、も」
 「考えるな、今は。数を数えろ。それにあわせて呼吸しろ。いいな。ほら、1、2、3、4」
 5、6、7、8。
 素直にゆっくりと数を数える。仰向けになった目から、顔の横に向けて涙がこぼれだしてもみ上げのあたりを濡らしていくのがわかった。口と鼻を覆っている手が熱かった。涙がこぼれて視界がマシになった。目の前には、顔を真っ赤にして歯を食いしばっているトランクスの顔があった。
 「オレは、ここにいるから」トランクスの目にも、涙が浮かんでいる。でも、必死にこぼすまいと、鼻に目いっぱいしわを寄せて頑張っているのがわかった。
 悟天は、口を覆われたままうなずいて、数を数えながら深い呼吸をし続けた。まわりは白い。白い寝室。白い家。その外もただ果てしない白。世界にあるのは、自分たちの色と気配だけだった。

 
 自分たちは、この世に、たった二人ぼっちになってしまった。たった二人の、サイヤ人の末裔に。


 トランクスが、のどの奥でうなるようにつぶやいている。
 「泣くもんか。オレには、まだ、ママがいるんだから。泣くもんか」
 どこまでも静かな世界で、それはほんのかすかだけれども、とても響いた。
 「オレは、ひとつアニキなんだから、絶対に、…」

 悟天は、その手のひらの下で、ふうっと長い息をついた。また目じりから涙がこぼれた。いつの間にか、手足の痺れが取れていた。
 「もう、大丈夫だよ」手のひらの下でそっと言った。手のひらが離れた。「大丈夫だよ、トランクスくん。ごめんね。ありがとう」かすれた声でささやくように言って、悟天は微笑んだ。
 「水飲め」トランクスが、後ろを向きながら、体の上から、白い寝台から降りた。
 「うん」
 「メシ食ったら、はじめるからな。…でもその前に、シャワー浴びて来いよ。汗だくだぞ」トランクスがこちらを見ないまま、部屋から出て行った。


 悟天はシャワーを浴びて、山吹色の胴着を身に着けた。母親が縫ってくれた胴着。父親と同じ色の胴着を。
 食堂に行くと、トランクスが待っていた。二人で無言で粉を漁る。おいしくない。すごくおいしくないけど、力はわいてくる。
 「男は、泣いたりしないんだ。パパが、言ってた」
 「うちのにいちゃんだって、言ってた」
 「だからもう泣いたりするもんか。男同士の誓いだからな」
 「うん。で、絶対にあいつをたおしてやるんだ」

 おとうさんのように、超サイヤ人3になって、ブウを倒そう。おとうさんの教えてくれたフュージョンで。そしたら、おとうさん、おかあさんを守れなかったボクを許してくれるよね?
 おとうさんが、ぎゅっとしてくれたのを、思い出そう。そしたら、元気が出るから。そうするから。見てて、おとうさん。
 もう二度と会えないけど、見ていて。残されたサイヤジンのコドモとして。おとうさんの、孫悟空のコドモとしてのプライドにかけて、やってみせるから!



 あの日。
 武道会が混乱のうちに幕を閉じ、世界は魔道師のほしいままにされる悪夢に覆われた。トランクスは父親を、悟天は兄と母親を失った。悟天の父親もあの世へと帰っていった。地球はめちゃくちゃになった。ただドラゴンボールと、自分たちだけが、この世の希望になったのだ。
 自分たちが勝てば、何もかもじゃないけれど元通りになる。それだけが、2人の希望だった。2人の父親はもう二度とこの世に戻って来れない。だからこそ、父親たちに代わって、自分たちがこの先何とかしないといけないのだ。
 それは、7歳と8歳の子供には重過ぎる決意だった。そして、実際に荷が重すぎた。
 べっとりとした闇に包まれて、彼らの世界は溶解した。


 



 悟天はどことも知れぬ闇の中で思い出す。

 皆が口をそろえて言っていた意味が、今なら分かる。本当に、父親はすごい人だった。なぜ、兄を助けてくれなかったのか、と恨みもし、てんですごくない、なんでこんな人が、と思いもした。フュージョンの修行のときは厳しかった。怒鳴られもして、またそれを恨みに思いもした。
 でも、圧倒的な純粋な力のあの姿。悟天はそれを、まるで本当に絵本で見た天使のようだ、と思った。あるいは、兄の星座の本で見た挿絵の神々のひとりのような。
 いつくらいから悟天は自分が気を知覚し、操れるようになったか覚えていないが、かつて感じたこともなかった澄んだ大きな気だった。そして、それに確かな懐かしさを感じたのだった。これは、自分の中にも、確かに流れている。自分の気はそこから生まれたものとはっきり感じた。自分がそれに共鳴するような感覚すら覚えた。

 だけどその姿が貴重な一日を削ったのだ、と知った瞬間、悟天の気持ちは急に真っ暗になった。この人に、もう会えない。もう二度と会えない。せっかく会うことが出来たのに。
 たくさん、楽しいことが、明日の朝まで出来るはずだったのに。
 一緒にご飯を食べて。
 一緒にお風呂に入って。
 一緒にいろんな話をして。
 一緒に、ベッドで寝て。
 母親も、言っていたのに。楽しげに、そうできるだな、って自分に笑って、今日の一日をずっと待っていたのに。自分は、その楽しさを、へんな意地を張って、あえて考えないようにしていたのだ。コドモだった。もっと素直に、楽しみにしていたらよかったのに。そうしようねって、素直に話しかけていたらよかったのに。


 母親は、別れのときに必死に父親を見つめて手を握っていた。ぎゅうっと、爪が食い込むほどに父親の手を握り締めていた。父親の手が、その手をそっと、大事な宝物のように両手で握り返していたのを思い出す。
 父親の母親を見つめる目の奥には、悲しげで、切羽詰った光があった。ひょっとしたら、父親がこのまま母親を連れて行ってしまうのではないかと思うくらいに。父親は、母親のことが好きなのだ。好きでたまらないのだ。母親が父親を好きなのと同じくらいに。ほんとは、握手だけじゃなくて、ぎゅうっと抱きしめてしまいたい、と、その目が叫んでいるようだった。
 その目を見て、胸がぎゅうっと苦しくなった。
 
 
 おとうさん。ボクも、おとうさんが好きだよ。だから、ボクのことも忘れないで。
 今までなんとなく嫌いになっててごめんね。これからは、ずっとおとうさんのことが大好きだから、忘れないで。

 最後に胸に取りすがることができたとき、そう泣き喚いてしまいたかった。
 でも、自分は強いんだから、この強いおとうさんの息子なんだから、泣いたりするもんか、と思って、かろうじて…。







 悟天は、光を取り戻した天空の下にすっくと立ち、まっすぐに振り仰いだ。

 ねえ、おとうさん。よく覚えてないけど、ボクのこと、ブウの体の中から助けてくれたよね。手を握って助け出してくれたよね。
 そして、よく分からないけど、この地球も、元通りにしてくれたんだ。
 ありがとう、おとうさん。大好き。だから、この元気、全部もってって!このチカラでブウをたおして!
 
 兄が、青い空いっぱいに左手を伸ばした。悟天も、両手を力の限りに伸ばした。世界が、人の祈りの気を空にあふれかえらせた。





 そして、父親たちが、何もかもを終わらせた。
 父親たちは新しく命を得た。この世に、また生きるべき人となったのだ。それを知って、皆が、それを喜んだ。
 一同はひとまず飛行機で地上の西の都にまとめて降り、近いうちの再会を期してそれぞれの家へと帰っていった。
 悟天たちは、祖父の運転する飛行機で東に向かった。

 我が家へ。






 「ああああああ、やっと、帰ってこれたーっ」
 たどり着いた家の前で、いきなり父親がその場にへたり込んだ。
 「ど、どうしただ、悟空さ」母親がびっくりして、飛行機から降りたばかりの父親に駆け寄った。兄もびっくりして、父親の肩を抱いた。祖父が悟天を肩に担ぎ上げながらタラップを慌てて降りた。
 「どうしたんです、どこかまだ痛いところでもあるんですか、おとうさんっ」
 「いやあ、オラ、なんか、夢見てるみてえっつーか、ここに来るまで、本当に、家に帰れるなんて思ってなくって。気が抜けた」
 父親が、照れたように笑った。その顔に、玄関の前に立っている木の木漏れ日がきらきらと映った。
 「オラ、ほんとに、還ってこれたんだなあ、家に。…これから、また、ずっと、」
 「そうだぞ、悟空さ」祖父が笑って、地上に降ろしてくれる。「また、これから、よろしくな。婿殿」
 「ああ、おっちゃん」差し出された太い手を、父親が握り返した。そして、片方の腕で母親の肩を抱いた。
 「おらは、そしたら帰るだよ」祖父が笑った。「久しぶりの親子水入らずって奴を、たっぷり味わうがええ。またそのうち遊びに来るだ」
 「ああ」握手を離して、祖父と父親がその手をひらひら振り合った。鳥がどこかで鳴き歌う中、飛行機が、春の山の上に昇っていった。

 しばらくして父親が、木漏れ日の下でうつむいていた顔を上げて言った。
 「悟飯、鍵開けてくれ。チチ、腹減ったぞ。早くおめえの飯が食いてえや」
 2人が、満面の笑みを浮かべた。
 「はいっ」
 「待ってろ、昨日からご馳走の準備をしてあるんだ。もー、腹が破裂するくれえ食べさせてやるからな!」
 悟天は、父親の背中にぎゅっとおんぶのように抱きついた。父親が、その手にほお擦りをした。その頬は赤く火照っていて、手のひらに熱いほどだった。がちゃ、っと鍵が開かれた。
 「ようこそ、お帰りなさい。我が家へ。おとうさん」兄がドアをいっぱいに開いて気取った風に手を広げ、父親に家の中を開いて見せた。
 「ああ。…ああ、うちの匂いだ」父親が、うっとりと目を閉じて、大きく息を吸い込んだ。
 「おとうさん、今日は、いっぱいお話をしようね。いっぱい遊んでね。お風呂にも一緒に入ってね。一緒にも寝ようねっ」
 「んー?いやあ、今日はオラ母さんと一緒のほうがいいなあ、すっげえ久しぶりだしさ、たまっててたまってて」
 「ご、悟空さっ!」立ち上がっていた母親が顔を真っ赤にして父親を怒鳴りつけ、その頭を思い切りぶった。「子供たちの前でバカ言うでねえ!ほんとに、ちっとも変わってねえんだから!」
 「お、おかあさん、なんでそんなに怒ってるの」
 そこに、兄が横から笑顔で耳打ちしてきた。
 おとうさんとおかあさんは、こうしてちょっとケンカしてるのが一番幸せなんだよ。お前も慣れたほうがいいよ。これからずっとこうなんだから。

 悟天は両親を見おろした。
 父親は、いてえ、などと頭を抱えながら、はじまった小言をニコニコと本当に嬉しそうに聞いている。
 母親も、眉を逆立てながらも本当に嬉しそうに小言をかさねている。
 悟天はわけも分からず、なんだか急に一層嬉しくなった。

 「さあ、いい加減に早く家に入ってください」
 兄が、微笑みながら、家族の背中を押した。みんなで頷いて、玄関の前に立ち並んだ。
 じゃあ、いっせーのせで。


 「ただいまー!」父親が声を張り上げた。

 「お帰りなさい!」残されていた家族が、一斉に叫んで、帰ってきた人に飛びついた。

 父親が、玄関の床に倒れこんだ。みんながそれを押し倒して笑った。父親がそれをまとめて抱きすくめた。なんだかめちゃくちゃに楽しくなって笑った。
 また、家族が、この家にあることが、無性に嬉しくなって、笑い続けた。
 ただひたすらに、これからの幸せな暮らしを、予感して。



 それは、悟空の上に、チチの上に、悟飯の上に、悟天の上に。
 新しい幸せな暮らしの幕が、確かにあざやかに開かれた、この上なく熾烈で、この上もなく素敵な、長い長い一日だった。








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