「ふーん、おめえも家族いねえのか」
夕暮れの中で、修行のあと、言われた。
「も、って、お前もかよ」
「ああ、オラ山に捨てられてたからな、そんでじいちゃんが拾って育ててくれたんだ。8つのとき死んじまったけど」
「ふーん」
「おめえは、オラのことかわいそうとかおもわねえんだな」
「まあな」
「そっか」
そいつがにかっと、歯を見せて笑った。大きな岩の前の陰で、漏れこんでくる夕日がその歯を浮き上がらせていた。
「よっし、じゃあ次はクリリンの番な。頑張れよっ」
「おーし」
手につばをかけて、大きな岩に向かい合い、気合を入れてぶつかった。顔が赤くなるくらいに、こめかみの血流がざあざあ脳の中で鳴るくらいに力を入れる。その後ろに、そいつの大声が聞こえてきた。頑張れ、頑張れと。
ともだちになれるかもしれない。その日そう思った。修行を始めてから、ひと月ほどたった日のことだった。
「暇だわ」
3日目の晩にしてブルマが言った。
「もうですか」
「ブルマさん、早い」
「だって、暇ヒマ、ひま、暇なのよ!あんたたちはよく平気でいられるわね!」
狭い宇宙船の中にブルマの声が響いて、耳の良い悟飯が顔をしかめた。クリリンは目をそらした。それほど深い付き合いがあるわけではないが、この女性に逆らうのは労力の無駄、気力の損と言うのはすでに学習していることだ。
「ブルマさんカプセルにいっぱい本持ってきてるじゃないですか、ボクまだ読みきってないのに」
「あたくしは」ブルマが胸に手を当てて気取った声で言った。「人より本を読むスピードが早いんですの、こんな学術書だって、2時間もあれば頭に入っちゃいますの」
「すごおい」悟飯が目を輝かせた。クリリンも感心した。確かにここ数日彼女が本を読むのを見ていたが、ぺらぺらぺらぺら、まるで流し読みしてるように何気なくページを指で繰っているだけに見えた。何を遊んでるのだろう、と悟飯とトランプのスピードをしながら思っていたのに、それがまったく頭に入っているとは。
「本当に覚えてるんですかあ、疑わしいなあ」
「でも、クリリンさん、ブルマさんは天才なんですよ」悟飯が子供のように…実際5歳の子供なのだけど…素直でストレートな理由を述べた。「おとうさんも前からよく言ってましたよ、ブルマさんはとっても頭の良い人だって」
「あら、孫君たら、嬉しいことを言ってくれるじゃないの」
「じゃあクイズ大会をしましょう、ボクが本から問題を出しますから、ブルマさんはそれに答えてくださいね」
「まあ暇つぶしにはなりそうね」
悟飯とブルマの2人は床に座って、分厚い本を広げてやたら高度なクイズ大会に突入してしまった。クリリンはしばらくその様子を眺めていたが、やれ量子力学の電子の質量保存がどうだの研究史の年号だの、カプセル理論の次世代利用についてのなにがしの論文の内容だの、聞いてるだけでちんぷんかんぷんだ。だいたい自分にはまともな学校に通った経験もないのだから、普通の読み書きはともかく理系のことになるともう何がなにやらなのだ。問題を出す悟飯も悟飯だが、ブルマのほうも本当にそれにすらすらと答えていく。天才の名は伊達じゃない、と言うことなのか。
「オレ、晩飯の用意してきますから、2人ともどうぞ続けててくださいよ」
クリリンは頭をなでて立ち上がった。ううん、と伸びをする。3日もまともに動いてないのだから、だいぶ体がなまってしまっている。
ナメック星という今しも自分たちが向かっている星で作られた宇宙船はせまかった。せいぜいがカメハウスの1F未満の大きさしかない。その前面がコクピット兼自分がさっきまでいた居間で、後ろ半分ほどを区切って半分をトイレバスキッチンの共用スペース、半分の3分の2をブルマの部屋、あとをクリリンと悟飯の共同部屋と言う風に割り振っている。すこぶる不公平である。まあブルマがいなかったら宇宙に出るどころではなかったので文句を言う筋合いもないしおっかないので黙っている。
ブルマというあの女性は確かに天才ではあるが、家事についてはほとんど興味もないしやる気もないので、この3日ですでに家事はクリリンの分担、という流れができてしまった。悟飯も手伝ってはくれるけれど、悟飯の母親のことを思うとそうそう手伝わせるのも気が引けるものだ。
「ごちそうさまあ」
「ごちそうさま」
「はいお粗末さまでした」
カプセルに入っていた料理を温めただけだから別に料理をしたというわけでもないのだけれど、クリリンはいつもの習慣でそう言った。カメハウスではここ6年師匠の食事を用意するのは自分の役割だったから(最近は修行のためカメハウスにはほとんどいなかったのだけど)、おさんどんの習慣が身についてしまっている。悟飯が笑った。
「クリリンさん、うちのおかあさんみたい。おかあさんもそう言いますよ」
クリリンはがくっと肩を落とした。「やめてくれよ、オレは独身男だぜ」
「でもまあ所帯じみてはいるわね、どこかしら」
「ブルマさんまで」
「さあさあ、じゃあ片付けてね。あたしはお風呂はいってくつろがせてもらうわ。そうだ、悟飯くん、一緒に入ろうか」
「ええっ」悟飯が耳まで赤くなった。「い、いいですよボクは」
ブルマがけらけらと笑った。「5歳なのにませてるのねえ、悟飯くんは。孫君とは大違いだわ。あたしあの子が12の頃お風呂に入れてあげたこともあるってのに」
クリリンはそれを聞いていささかびっくりした。それは初耳だった。でも思い返せば12の頃のあいつは男女の区別もろくにつかない、ほんとに何も知らないチビだったのだから、たいした意識など双方になかったのだろう。でもまあいささかうらやましくはあるエピソードだ、と思った。
宇宙船は退屈を充満させながら闇を一筋の光となって飛び続ける。悟飯がレトルトのパックをゴミ袋に入れながら外の闇を見ている。切りそろえたまっすぐな髪がつやつやと、女の子のように、そう、まるで母親の髪のように天井のライトにつやめいている。その背中は小さい。
クリリンは、手を止めた。気配を感じて、悟飯が振り返って小首をかしげた。なんでもない、と笑って、片付けを続ける。昨日あたりから、なんとはなしに、悟飯は小さく見える。5歳の子供のように。実際5歳なのだけれど。
「5歳だものねえ」
居間でクリリンの入れたコーヒーをすすりながら、ブルマが下着姿でつぶやく。正直目のやり場に困る。30手前というまあ少々としかさとはいえ、ブルマの肢体は十分若々しいし顔だって十分美女なのだ。多少はこちらだって男だということを意識してもらいたいものだがあまり意識されても困る。
「子供ですからねえ」
雑誌を読む振りをしながらクリリンは答えた。話題の悟飯は風呂に入っている。正直悟飯が無理を通してついてきてくれてよかった、とクリリンは内心ほっとしている。でないと2人きりとかだったらどうなるかわかったものではない。一応この人は、死んでいるとはいえ修行仲間の恋人なのだ。自分は誠実な紳士なのだ、という自制を利かせるには無邪気な「子供」の存在はうってつけだ。
「かといって今更戻すわけにも行かないじゃないの」
「まあそうなんですけど」
「まあできるだけかまってあげましょうよ。孫君の子供なんだから大丈夫でしょ、ひとりで半年も暮らしてたっていうし、我慢できるわよ」
5歳か。クリリンは2段ベッドの上段で思う。5歳といえば、自分が寺に入って修行を始めた歳だ。身寄りをうしなって、引き取られたのだ。寺は半分孤児院のような施設だったから、周りにも自分のような境遇の子供はたくさんいた。でも、厳格かつ清貧と言う寺の雰囲気や意地悪な兄弟子が恐ろしく、なかなかこころは開かなかった。8年、修行をし、座禅を組み、掃除をし、兄弟子の世話を焼き、追従笑いを覚えて過ごしてきた、という印象しかない。
5歳というのは、孤独に耐えるにはあまりに小さい、と思う。あの子供の父親である、自分の親友の悟空だって、養い親を失ったのは8つのときだと聞いた。思えば初めてそれを聞いたとき、自分より3年も長く家族と一緒にいられたのか、と思うとかわいそうとかは感じなかったのだったっけ。今思えば浅慮だったかもしれない。悟空はそのあとたった一人だったのだから。
悟空という人間は、自分がかわいそうだと思われることが嫌いなようだった。確か一回食堂かどこかの女将にそういわれて露骨に顔をしかめていたのを見たことがある。自分だってそうだ。かわいそうだと思われても何の得にもならない。そんなこと慰めあったって強くはなれない。かわいそうと思われてそれに感情をゆだねれば涙のうちに踏みとどまってしまう。だったら、今他の人間と楽しくやって、自分のやりたいこと、なすべき修行を優先すべきだ。それがいつしか組みあがったお互いの関係だった。
悟空は、ともだち、と言う言葉を知らなかった。それを知ったときに、初めて悟空の抱える孤独の深さを知った。
じゃあ、俺たちは、ともだちになろう。自分がそう言ったときの悟空の笑顔。12歳の無邪気な少年そのものの本当に嬉しそうな顔。今もクリリンの中で、悟空はその時の、12歳の笑顔のままだ。15歳ではたった一日、大人になってからは、まだ延べにして1週間足らずと言う短い時間しか身近にいないのだから。
悟空は孤独だった。あまりに慣れすぎていて、自分が孤独であることもわからなくなっているくらいのように見えた。誰も必要としない透明な孤独の殻の中で、ひたすら強くなりたいという自分だけの世界を展開している。暗くはないのだけど基本的に口数が少なく、他の人間に興味を覚えることも少ないようだった。自分のように孤独に耐えて殻を張るまいとしているのではなく、自分の周りに透明に輝くその殻の名前が孤独ということもわかっていないのである。
それは人にはある面で強さに見えるだろう。どれだけひとりで修行に打ち込んでも平気だし、完璧に己一人で生きていける強さを身につけている風に見えてすがすがしくもあるだろう。自分にも、悟空のそういうところが好ましかったのだから。
でも、それは哀しいことではないのだろうか。自分がともだちになったことで彼が嬉しそうな顔をすればこそ、本当は悟空がさびしいのだ、と言うことが垣間見えてどこか哀しかった。一度だけ邂逅した養祖父のひざにすがり付いて泣く悟空を見て、余計に日頃孤独を無意識に無視している悟空が哀しい存在に思えた。かわいそうというのとは違うけれど。守ってやりたいとかそういうのでもないけれど。だから、自分にとって悟空は大事で、せめて見ていたかったのかもしれない。修行などばかりでほとんど会えなかったけど、どうしているかな、といつも心の隅にある存在だったのだろう。
クリリンは寺で習った「業」という言葉を思い返す。大猿になってしまって養祖父を踏み殺して孤独に陥った悟空。この間の戦いでその事実を知ったとき、どんな気持ちだったろう。息子をその大猿にせざるを得なかったとき、どんな気持ちだったろう。
その業は、宇宙で殺戮と非道を繰り返してきたという異星人の血に由来しているのだろうか。それがまた息子にも及んでいて、4歳という歳で一人孤独に生き抜かねばならない運命を与えたというのだろうか。だとしたら、業と言うものほど残酷なものはない。
宇宙にはいっぺんの音もない。聞こえるのは、排水完全リサイクル装置と空気清浄システムのほんのかすかなうなりだけだ。そして、下で寝入っている悟飯のかすかな息遣いだ。
クリリンも目を閉じた。
翌日は、しりとり大会をした。その翌日はお絵かき大会をして、ブルマが悟飯の持たされたドリルなどの手伝いをした。その翌日はカラオケ大会をした。それぞれ暇だろうというので音楽ソフトは用意してきてあったので、それを流しまくって歌いまくった。ブルマは結構ハードなロックとかが好きだ。クリリンはポップスとかが好きだ。悟飯は童謡などが多かった。3人で声を合わせて歌った。悟飯は笑った。笑っていたが、いっそう背中が小さく見えた。
夜、就寝中、不意に居室のドアの開く気配がした。クリリンはまぶたを開けて目をこすって枕もとの時計を確認した。地球時間の午前2時半。
悟飯がトイレにでも立ったのだろうか。でも、なにやらうとうとしつつ眠れないでいるうちに、10分ほどがそのままたってしまった。
どうしたのだろう。クリリンはそっとベッドから降り、部屋を出た。
台所から居間に続くドアは少し開いていた。居間は暗く、そして静かだった。非常灯のおぼろげな緑だけが、闇をひそやかに照らし出していた。クリリンは気配を殺した。そっと覗くと、悟飯が床にうずくまって何かを見ていた。手に収まるほどの一片の写真と、小さなアルバムのようなものを。
悟飯は静かだった。泣いているという風でもなかった。ただじっと、背中を小さくしてそれを見ているのだった。
「なに、見てるんだ」
散々迷った挙句に、声をかけた。気づいていたのかもしれない悟飯がゆっくりと振り返って笑い、手招きをしてきた。近寄ると、一片の写真のほうは、宇宙に出発する前に家族でとったと思しきもので、悟飯の母親であるチチと、牛魔王、そして悟飯の4人が、悟空の入った医療用のケージにかぶさるようにして映っていた。悟飯は今の髪型をして、お坊ちゃまみたいな例の服を着て、母親に後ろから抱きしめられていた。
「来る前にね、看護婦さんにとってもらったんですよ」
「なるほどな」クリリンは笑った。「はは、悟空のやつホントにミイラ男みたいだな」言いたい事はそういうことじゃないのだけれど、他愛もない感想を述べた。
「こっちはね、アルバム。2ヶ月もいないんだから、さびしくなったら見なさいって、お母さんが無理やり持たせてくれたんです」
「見ても良いか」
「はい」悟飯が、薄いアルバムを差し出した。一枚目は、家の玄関の前で肩を並べた夫婦と、夫の腕に抱かれた1,2歳の子供だった。2枚目は子供の父親の幸せそうな笑顔だった。3枚目は、夫の山吹色の胴着の胸に寄り添って桜の花びらの中で笑う、美しい妻だった。4枚目は指の映りこんだ、妻と子供が手をつないで青空の下歩いている後姿の写真。5枚目は家の居間で夫が子供に高い高いをしている写真。それで半分。クリリンはそこまで見て、目を上げて悟飯に笑いかけて、4枚目を指差した。
「これ、悟空が撮ったのか」
「そうです」悟飯がくす、と笑った。「おとうさん、写真撮るのへただから、しょっちゅう指を入れちゃうんです」
「あいつも写真なんて撮るんだな」
「結構撮ってくれますよ。かさばるからって今はこれだけだけですけど」
「へえ」クリリンはそれだけ言って、後が続かなかった。あとの5枚を眺める目に、じわりと涙の膜が張るのがわかった。
悟飯に、さびしいか、と聞こうとしたが、聞けなかった。そんなのは、あたりまえのことなのだ。4歳が1年もいきなり親から引き離されたった一人で半年生きたのだ。あの頃の、さらわれた当時の悟飯の顔を思い出す。いたいけな丸い目の、柔らかそうな頬の、賢そうな額をした、親のひざの陰に隠れている人見知りの子供だった。今は日焼けをし、目にはどこか力を帯び、眉の辺りもりりしくなって、成長のあとが見受けられる。でも、この子は5歳なのだ。一年の間親を失っていた子供なのだ。
やっと会えたばかりなのに、また親と長い間はなれて。それはこの子供にとってもう一人の親のような人を生き返らせるためとは言え、だ。
この子がさびしいと思うのは、こうやって「さびしいときに見なさい」と持たされた写真を眺めるのは、親に大切にされて、幸せに暮らしてきたからだ。それを与えてきたのは悟空と、その妻であるチチに他ならない。
悟空が与えた幸せ。悟空がつくってきた幸せな家庭。悟空が死んだあと一度家を訪れたとき、彼の妻もそれに囚われて現実を受け入れられずにいた。
自分はどこか彼女に嫉妬していた。悟空が初めての天下一武道会のあと、いともあっさり自分たちのもとを去っていったとき、悟空はそのように一人で生きるのを選ぶ人間なのだ、と思ったものだ。世界を巡る修行の途中だって、一度だって会いに来なかったのだから。
でも、あの時、悟空は彼女を連れて行った。乗れないからついて来なくて良い、と自分が前に言われた雲に彼女はしっかりと捕まってついていった。勘違いの約束からとはいえ、悟空は彼女とともに暮らすことを選んだのだ。それは少なからずショックだったし、どこかであいつが人と、しかも女と暮らすなんて、絶対うまくいかない、と思っていたところもあった。だけどそうではなかったのだ。
悟空は孤独ではなくなった。その孤独を暖かい光でうめたのは、チチだ。殻は完全には消えてはないけれど、悟空はその外に手を伸ばして幸せをつくろうとしている。
兄と言う男の前で、悟空は悟飯を守ろうと必死にあがいていた。自分が驚くほどになりふりかまわない、かつて見たことないれっきとした父親の顔だった。悟空は、チチに与えられたものによって変わったのだ。
病室で彼女を見る悟空の目はいとおしげだった。彼女だって、表面は冷たいように見えても、ちゃんと悟空を気遣ってくれているのは、3日一緒に病室で過ごして十分に見て取れた。
「良い写真だな」クリリンはそれだけ言って、悟飯の切りそろえられた髪をなでた。悟飯が嬉しそうににこっとした。クリリンはその肩を抱き寄せた。
退院前に病室に立ち寄ったとき、悟空は言っていた。悟飯を頼むと。父親の顔で。
「元気出せよ」そうささやくと、悟飯はうつむいたままこくん、と頭を下げた。寄り添ってくる悟飯の背中が、腕の下で温かい。クリリンは胸の中で、よかったな、悟空、と何回も呼びかけていた。
だから、俺がちゃんと守ってやるから。いつか俺も、お前のように幸せな夫に、幸せな親父になれるだろうか。その日まで、この子のことも、お前を思っていたのと同じに大切に思ってやるから、と。そのように、はるか宇宙のかなたに向けて呼びかけ続けていた。
自分が13のときにはじめてできた「ともだち」にあてて。
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