このページはイラストレーターはるまきの、個人的なドラゴンボール版権小説置き場です。鳥山先生、集英社さんとは一切関係ござ いません。
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 雷霆の一閃は巨大な斧のひらめくさまだ。天の鼓の轟きはひとの魂消る悲鳴だ。物心つくかつかないかのとても幼い記憶の中にある、これが彼女にとっての『恐怖』の原像だった。
 だから手のひらからほとばしるそんな光は嫌いだ。そんなわけのわからない、雷みたいな力で戦うのは嫌だ。
 何をすると言うの。
 そんな天上から、そんな力を手に溜めて、何をしようと言うの。
 胸を貫かれて、四肢を折られたこのひとにこれ以上何をしようと言うの。


 ああ、いかずちが降ってくる。
 やめて、殺さないで!




「チチ!」
 涙にまみれた瞼を開けると、夫が…つい2ヶ月前に結ばれたばかりの、今までの悪夢の中の被害者が…彼女をまさに抱きすくめようとしていたところだった。 一瞬その腕が今まで夢の中で自分を食らおうとしていた『絶望』のものに思えて驚いて跳ね除けようとしたのだったが、寝乱れて汗を含んだ黒髪を分けて首根っ こを抱えたその腕の太さと熱さを認識して、こわばった細い白い四肢は次第にそっと縋るように相手に絡んでいった。夏の夜、しっとりと湿気に満ちた部屋の絨 毯の上に、時折夜を分けて光がひらめいている。まだ山の向こうで、ごろごろと天が唸りをあげている。

「…かみなり」
「ん」夫が耳元で、小さく呟いた彼女の声と同じ音量で相槌を打った。「そんなに怖いか?すげー魘(うな)されてた…まだ遠いのに」
「…武道会のときの、夢を見ただ」また雷が鳴った。彼女は横抱きにこちらを抱えた夫の素裸の胸板の中に隠れるように、わずかに震えた頬を寄せた。その右の胸の肌には、うっすらと円い傷痕が残っている。
「そっか」
「…」その朴訥な一言きりの相槌に、なんだか言いたかったようなことも、打ち明けたかったようなことも全てどこかに縫いとめられたような気がして、何か悔 しくてそっと肩口に歯を立てた。すると相手が仕返しに彼女の小さな耳介を甘く噛んだ。ごろり、と天が鳴るのに紛れるように、あ、と小さく腕の中で鳴いて寄 り添ってまた汗を吹いた喉を上げた。


「…悟空さ、戦ったりしねえで」
 稲光に照らされながらこちらに幾度も幾度も打ちかかってくる肌に縋って、ようようそれだけ言った。
 「なんで」
 快楽に切羽詰った夫が、怒気に似た必死の目と声で上から返す。引いてしまいそうな指を叱咤して、こちらも必死で縋りつく。触れる。存在を確かめる為に。こんなに、からだの中まで繋がっているのに、なお。
 「悟空さ、死んだら、やだ」
 「死ぬもんか」
 「まだ、かみなり往ってしまうまで、ずっと、」





 妊娠したのは逆算すればそのあたりだ、と今振り返れば思いあたる。引っ越してきた年のこの地方の初夏はその晩を皮切りにしてひどく雷が多く、しょっちゅうそのように自分は夫に縋りついていた。
 それまでの雨の季節だって頻繁に肌を重ねあっていたけれど、それは気が向けばという怠惰な甘さとけだるさのうちのことだった。でも、この雷の頃はひどく 自分が不安定になっていたせいか、夫の肌が欲しくて仕方がなかった。自分からねだることを覚え、その気恥ずかしさと後ろめたさを半ば開き直るように夫を喜 ばせる技巧を身につけて行った。
 自分は女なのだと、このひとに甘えていい、このひとに守られるべき、このひとに抱かれる女なのだと、そう心のどこかで己の立ち居地を、己の中で夫婦のありかたを定めていったあの夏の入り口の日々。


 写真のネガを取りに入った車庫兼倉庫の床に膝立ちになり、あの年の数字がついたアルバムの背表紙をぼんやりと眺める。夫が写真が好きではなかった頃のことだからあまり分厚くはないけれど、見るまでも無くわかる。幸福しかないと信じていた笑顔をべたべたと貼り付けた一冊。
 続く分厚い4冊は息子の一挙一動に一喜一憂していた時間の記憶。続く極薄い、一冊にまとめられた2年分。
 今年…ここ11ヶ月と半分までの分も、ここに継ぎ足したくらいが適当なほどしか『一家』としての思い出はない。自分の父親に会って、その時に撮ってくれるくらいしか枚数が無いからだ。
 帰らない、と言われて、1年近くが過ぎている。…来年も、こうなのだろうか。


「おかあさん、おじいちゃんそろそろ帰るけどまだかって」
 薄く開けていた車庫のシャッタがガラガラと音を立ててもう少し上がり、昼下がりの光が長い帯を作って彼女を照らし出した。はっとして彼女はへたり込んでいた底冷えのするコンクリートの打ちっぱなしの床から腰を浮かせた。
 振り返ると、家の居間で勉強をしていた6歳の息子が、逆光の中どこか不安そうな目で、それでも笑っている。その後ろでは12月の木枯らしが、家の玄関横の木から盛んに葉を散らしている。
「ああ、ゴメン、悟飯ちゃん。今戻るだよ」
「これ?昔おじいちゃんがくれたってストーブ」息子が近づいてきて、梱包を解き終わったところでほったらかしていた白い円筒型の灯油ストーブに手をかけた。
「ああ、おめえが赤ん坊の頃は危ねえから使わなかったけど、さっきおっとうにもう使ってもいいんでねえかって言われたから」
「これ、持って行けばいいの?」
「ええだよそんなの、母さんがやるだ。置いといてけれ。あとで運ぶから」
「ううん、戻るついでだもん、こんなの軽いし」本当に軽々と、小柄な身体に似合わず持ち上げる息子の姿から慌てて踵を返して、彼女は家の方へと駆け出した。力が強くなった息子が何気なく見せるこのような振る舞いを、未だに受け容れられずにいる。


 「まあ今日は仕事のついでに寄っただけだからな。もう城にもどらねえと夜中になっちまって明日に差し支えるだ。ばたばたで悪いけんどな」
 昼飯時にふらりと来て一時間ばかりでそろそろ帰ろうと言う父親が、さっき話題に上った今年春の母子での遠出の時のネガを光に透かしながら笑った。「おう おう、悟飯も楽しそうでえがった。…で、もう正月だが、城に帰ってきちゃあどうだ、山の上だけどこっちより多少はあったけえぞ」
「うーん…考えてなかったべ」灯油を入れ終わって、ストーブの中の芯に火をつけながら彼女は気の無い返事を返した。まだ油があがってきていないためなかなか火がつかないが、やがてボ、ボ、ボと音がして円形に青い炎が立ち上ってくる。
「なんで」
「そりゃおっとうはフライヤー持ってるからすぐ来られるけんど、おら達がそっち行こうと思ったら大変だべ?普通に乗り物乗り継いでいったらどうしたって途中で何泊か泊りがけになるもの。結局おっとうが迎えに来るんだったらこっちで過ごした方が楽でねえか、御互い」
 その方が父親の城の使用人たちも休みが取れて気楽でいいだろう、などいろいろ理由を並べる彼女に向かって、父親がぼそりと呟いた一言が急に胸を刺した。「んだなあ、悟空さいねえし、筋斗雲もつかえねえものなあ」
 穿いていた軍手をはずして手を嗅いで灯油の臭いに顰めたようにして、眉をきつくしかめた。流しの蛇口を捻って、柑橘の香りのする洗剤をつけて、冷水に荒れた手を洗う。また眉が顰められる。
 「とにかくまた折を見てそっちには行くだ。御土産に今朝これ、柚子貰ったの砂糖で煮てたの詰めてやるだよ。ばっちゃ風邪引いてるって言うし、お湯で割ったらあったまってよく効くから分けてやってけれな」

 その段になって息子があったまった居間に移ってきて机で勉強をはじめたので、父親とともにその飲み物を分けて飲ませてやった。鍋で冷ましていた残りを空き瓶いくつかにおたまで入れながら彼女はぼんやりとさっきの胸の痛みについて反芻していた。


 自分は雲に乗れなくなった。息子はまだ乗れる。けれど自分を主として積極的に乗りまわそうとはしていない。飛べるようになったらしいにしろ、乗れ ばあちこちどこだって行くことができるのに。…それはあれを自分のものにしてしまっては本当にもう帰ってこないのではないか、と息子なりに感じているらし い、と彼女なりにわかっていた。
 この一年近くはそのような、母子互いの惧れを察しつつ見て見ぬ振りをしようと言う密かでひどい緊張状態の時間だった。そう、もう一年近くがたつのだ。気 にしまいと努めてきたその年月の流れは、押し迫った年の瀬と一つ増えようとしている年の数字によって嫌が応にも眼前に突きつけられている。
 死んでいて(少なくともそう思われていた)『帰ってこられない』、と、自ら選んで『帰ってこない』にはとてつもない隔たりがあった。あの宣言までは、待 つ、と比較的気楽に言えたものを、あの日以来心のどこかで閉ざしてしまって考えの中ですら素直に言えなくなってしまったのだ。それはとても消耗すること だった。
 それが、あと、こうして一年の繰り返しでどれだけ続くと言うのだろう?


 と。
 じりぃん。不意に電話がけたたましく鳴った。身体があったまったとカーディガンを脱いで半袖になって机で寛いでいたはずの息子が何か前もって知っていた かのように慌ててそれを取った。そうしてなんだかばたばたとしたやり取りの後慌てて着替えてどこかへ飛んで行ってしまった。

「どうしたんだべか、悟飯は。なんぞまた戦いとかであるめえな」
 フライヤーに乗り込もうと階を踏みながら父親が縁起でもないことを言った。
「やめてけれよ。さあもういかねえと遅くなるだぞ」
「しばらく居てもええんだぞ?明日のことなぞどうにでもなるだ…そんなひでえ顔色しちまって」
「ええから」

 巨体を運転席に押し込めて、ようよう南のほうに飛び立たせてから木枯らしの中くしゃみをした。さっき慌てて息子を追いかけようとして、ちょうど洗っていたおたまから湯を服にぶちまけてしまったのだった。着替えなければ。
 着替え終わって、ソファの脇の卓に残された、父親が焼き増しにと持っていかなかった分のネガを手に取った。仕舞いついでに今年の分をもうあの2年まと まった冊子に足してしまおう。どうせあと半月かそこら、何があるわけでも無いのだもの。そう思って、再び彼女は車庫に向かってアルバムを取りだしてきた。 塗装のはげかけてきたシャッターをまた音を立てて下ろし、太い毛糸で編んだ短いマントに顔を埋めて家の前まで戻ってきたところだった。


「チチ!」
 どこからか声がした。
 何だ今のは。木枯らしに紛れて遠くから聞こえてきた今のは。
 咄嗟に、結婚してからの習慣で、空を見上げた。その人はいつもそこから帰ってくるのだったから。
 慌てて彼女はドアを開けて、アルバムをその中に放り込んだ。写真が幾枚かはがれて白い残像を残したが、構わなかった。そんな空虚な記憶は、年月は、もはやどうでもいいのだから。

 玄関先に仁王立ちになって、己の震えを押さえるように腕を組む。
 抱きついたりするものか。
 抱きつかれたりさせるものか。
 泣くものか。笑うものか。いくらでも怒鳴り散らしてやる…


 …ああ、着替えて、髪を結いなおしてて良かった!


 





 遠雷がうっすらとグレーの雲の膜の向こうからまだ聞こえてくる。岩棚の軒先の珊瑚樹の細かく白い花から、今はもう止んだ初夏の雨の雫がぽろぽろとこぼれて、下の水たまりに落ちて心地よい音色を作っていく。
 「…ありがと、悟空さ」
 今しがたまで絡んでいてうっすらと濡れた唇を夫の胸元に寄せて、彼女は小さく囁きかけた。少し抉りこんだようになった極浅い洞穴の中で、夫婦は小一時間立ったままながら雨宿りをしていたのだった。
 「何が」
 「かみなりだからって、修行ほっぽって来てくれて」
 「ん」
 長い不在を終え、帰ってきたあの日から半年が過ぎた。あまりにも心を強張らせていたせいで緩めるのが自分で恐ろしくて、多少の時間は要したけれど。
 「新婚の頃も、こんなことあったべな。前に戻ったみてえ」
 そう、同じようにジュンサイやら野の草を摘みに出たときに雷に遭って、半泣きのところを駆けつけてくれたのだった。今回は、こちらの気を探ってとかで、急に目の前に。

 「あっちでも、夏になると雷多くてさ」
 宇宙に居た頃の話だ。
 「雷鳴るたび、おめえが泣いてる顔が浮かんでよ。だから、帰ってから鳴ったら、絶対どこに居たってすぐ行ってやろうと思った…瞬間移動覚えて、って…なあ、おめえなんでそんな嫌なんだ、なんか嫌な思い出でもあるのか」

 後ろから抱いて来る腕にある、今日修行でつけたのだろうわずかな擦り傷の血の痕をそっと細い指でなぞる。ああ、やっと聞いてくれた。
「むかーしな、おらがちっせえ頃悪い奴等にさらわれた時、かみなり鳴っててな」
「ああ、おっちゃんに聞いたことある、さらわれたのは」
「かみなり鳴ると、心のどっかで思い出しちまうんだよ、その時おっとうがその人達殺したの…ずっとそれは忘れようとしてたけど。鳴ると、また誰か死ぬ、とかわけも無く感じてな。だから」
 「…そっか」
 黒髪を解いて、汗をかいた彼女のうなじにそっとくちづけが落ちた。やはり朴訥な答えだったけれど、後ろからそっとさらに抱きしめられたその腕の熱さと力 強さに、差してきた陽の透明な美しさとそれが夫の腕に落ちたときの彫像のような美しさに、心はひどく穏やかだった。身体の中が、まださっきまでの余韻に熱 く甘くじんわりと痺れている。
「…だからか。あの時。…死なねえよ。オラは」
「嘘ばっかり。一度死んだでねえか」
「次こそは、な」
 
 何度か修行してる風景を見に行ったことはあるけれど、やはりいかずちに似た力を揮って戦うのは見ていておっかないし、それが生命の奪い合いなのだとあの 戦いを思い起こして恐ろしい。ましてそれに息子を巻き込むなんて、とは未だに思う。でも、この人が生きるために戦うのであれば、自分の傍に居たいがために 戦うと言うのなら。自分を守るために戦う、と、本心のうちの半分でも思ってくれるなら、この腕を信じよう、と思う。

 「あ、…蝉」
 初鳴きの蝉が、光に溢れた季節を運んできた。この人が好きな季節、夏を。
 着衣を直して、また強くなりに行くこの人を見送ろう。修行に夢中になっていたって、自分のことを忘れずこうして駆けつけてくれるなら、一人家で待っていたって、耐えていられる。信じていられる。二度と、もう想わなくなる為の努力なんてしない。

 だから、もう、絶対に…



 






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