このページはイラストレーターはるまきの、個人的なドラゴンボール版権小説置き場です。鳥山先生、集英社さんとは一切関係ございません。
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 遠いアラーム音の後、目の前で青い髪の毛がさらりと揺れて持ち上がる気配で彼は目を覚ました。ぼんやりと羽枕に頭をうずめながらヤムチャが見上げると、いかにも鬱陶しげにバサバサと大雑把に長い髪を手櫛で梳く恋人のブルマの白い背中があった。
 彼女の広い部屋のロフトベッドの上だ。その一角にある籠に昨夜放り込んだ服を慌てて身につけているのをそのまましばし眺めていると、いよいよ身支度が出来たのかええとなどと宙を差してなにやら思い出そうとしながら彼女が立ち上がった。その拍子にこちらの脇腹を蹴っ飛ばされ、それでヤムチャの目はようやくはっきり覚めた。
 朝、といってもだいぶん遅い。上半身を起こしざまに確認すると10時だった。
「いてえなあ」
 あまり寝起きの良くないたちのヤムチャは、長く伸びっぱなしにしていた黒髪をわけて頭をぼりぼりと掻きながら文句をつけた。文句を言われた側はけろりとしたもので、あら痛かったの、などと朝から生意気な言葉で受け流してくる。
「鍛えてるんだから平気でしょ。遅れちゃう、遅れちゃう」
「今日は?大学か」
「博士論文のチェック日よ。それに経営工学の日。今日午後はずっと大学の研究室で実験だから遅くなるわ。休暇をとってた分忙しいったらありゃしない」ブルマはロフトから降りてウェットティッシュで顔を拭き、コンパクトを覗き込みながら早口に説明する。ベースが終わると、最近の気に入りらしいローズピンクの口紅をさっさと引き、青と緑の中間の様な色合いのアイシャドーを目尻に乗せる。ロフトの上からヤムチャはその様子をまだ寝床に寝そべりながら見下ろしていたが、不意に改めて、こいつもそんな歳になったのか、と思った。こちらが武道家として修行を始めた6年前からろくすっぽ傍には居られなかったけれど、たまに会う時にだって…少なくとも3年前にはこんなに念入りに、しかも手馴れた様子で化粧などしていなかったのに、と。
「なあ、お前さあ。いくつになったんだっけ」
「なによ、覚えてないわけっ」ピーコックブルーのまなじりを吊り上げてブルマが睨んできた。が、本当に怒っている暇すらないのか慌ててポーチに化粧道具を放り込んでそれをまた鞄に放り込み立ち上がった。「23よ。8月で24。じゃああたし行くわ、そうそう、あんたいい加減散髪行ってきなさいよね、ヤムチャ」
 うぃん、と2回部屋の自動ドアの音がして、ヤムチャはひとり部屋に残された。ロフトの片隅にある、明り取りの小窓からきらきらとした日差しが漏れこんでくる。レバーを回して窓を外に押し上げると、心地の良い空気が流れ込んでくると共に都の喧騒が遠く聞こえてきた。頭を潜らせると、5月の半ばの風が癖のある彼の長い黒髪をなぶった。

 悟空が優勝した武道会が終わって2週間ほど。昨日までは長年の修行の慰労と称して師と修行仲間もこちらに来ていて、休暇をとっていたブルマも加えて別荘やらあちこち遊び歩いていたのだがそれもようやく解散し、ヤムチャにとっては久しぶりののんびりとした朝だ。家には自分だけらしい。博士は会社だろうし、夫人もこのいい日和のこの時間に庭に出てこないということは買い物か何かだろう。ブルマは大学院だし、ウーロンもバイトらしい。プーアルもすっかり自分がいない三年の間に己の世界を構築したのか、今日は朝から出かけると昨夜言っていた。
 …いい天気だなあ。
 何処かで珍しく雲雀が鳴いている。遠くに海のきらめきが揺れている。
 しばらくぼけーっとそのまま景色を眺めていると、社の正面玄関に車が止まって、社員らしき人影が入ってきた。車から察するに、少し郊外に在る別の事業所の人間だろう。タイトなスーツに身を包んだ、すらりとした感じの、いかにもなキャリア女性だ。上から見ていると、気付かれて微笑され小さく手を振られた。思わずへらり、と手を振り返す。軽くブルーグレーのかっちりとしたラインの肩をすくめて彼女は笑い、玄関から中に入っていった。
 その間も、いくつかある社屋棟を結ぶ通路には社員達が書類を持ってせわしなく行き来をする。6月は決算の時期だ。秋の新モデル発表も控え、この事業本部は一年で一番活気付く季節に突入しようとしている。
 さてと、自分はどうするべきか。とりあえずシャワーを浴びるために、ヤムチャは首を引っ込めて窓を閉めた。



「んであんたは一日何してたのよ。散髪にも行かないで」
 翌朝、昨夜予告どおりに実験で遅く帰って来たブルマが食卓の隣から睨みつけてきた。
「いやー…散歩したり、軽く一回り都をランニングしたり、で昼にちょっと食べたら金無くなっちまってさあ」
「貧乏くせえの」パンにバターを塗ってローストビーフをはさみながらウーロンがからかってきた。実際の話、ヤムチャはほとんど無一文だった。修行の間にたまに日雇い等で金を得てはいたのだけれど、武道会で会場が荷物ごと吹っ飛ばされたので、交通費の残りの全財産も、ちょっと気に入っていた雨避けコートも哀れ塵と消えてしまったのだ。
 そういう大惨事だったものだから、大会が何とか決着がついて悟空が去って行ったすぐあとに南の都から軍の偵察機が飛んできたのだが、残された一行はブルマが持っていた大型機で逃げるように慌ててその場を離れてきた。結局後始末については審判氏にまったく一任というか押し付ける形になってしまい彼の勧めであったとは言え気の毒だったと思う。師と修行仲間がしばらく西の都にいたのもそのほとぼりを冷ますためというのもあったのだが、どちらにしても次の武道会の目途は全くついておらず、彼は今宙ぶらりん状態だった。小規模の武道の大会なら探せばどこかしらではやっているだろうけど、あれほど大規模に多流派がほとんど何の縛りもなく手合わせを出来ると言うのは本当は実に稀有な事なのである。
 「ヤムチャ様、ちょっと貸して差し上げましょうか?」
 「プーアル、いい歳した男を甘やかさないで頂戴」
 「まあまあ」ブルマの母がころころと笑いながら口を挟んできた。「パパさんとあたくしは今日広報の部長さんの結婚式にお呼ばれだから遅くなるわね。晩御飯はいらなくってよ。ところで悟空ちゃんの方からお知らせとかはそろそろ来たのかしら」
 「へ?」
 「何の?」
 「あの子も結婚なさるのでしょ、クリリンちゃんがさんざん愚痴ってたもの。お相手のお嬢さんと一緒に何処かに行かれたそうだけど、お式とかもそろそろあるんじゃなくって?お祝い差し上げたいわぁ」
 一同は顔を見合わせて一様に知らない、と首を横に振った。
 「あら。まあ、でもお若いし、すぐお式とは限らないものね。ヤムチャちゃんみたいにお金がないのかもしれないし」


 後になって知った事だけど、とっくにその頃には彼らは式を挙げていたのだった。が、
 「そうだよな、そろそろなんか言ってきても良さそうなもんだぜ。こっちにも予定ってもんがあるんだから早めに言ってくれねえと。聞こうにもどこにいるんだかわかんねえし参っちまうよな」
 ウーロンがパスタを口に運びながら愚痴った。昼前の都の商業地区は早めの昼食をすまそうという人でだんだんと込み合ってきている。
 「でも良くわかんないけど、いろいろ準備とかあるんでしょう。式場の予約とかあるし、普通は半年ぐらいはかけるもんじゃなかった?」プーアルが芥子の実も香ばしい釜焼きパンをちぎりながら首をかしげる。
 「そんなもんなのか」ヤムチャはさっき本屋で買った男性向けのファッション雑誌のヘア特集のページを横目に見ながら、肉のソテーにフォークを入れた。3年もまともな食事から遠ざかっていたせいか、ちゃんとしたカトラリーの使い方も疎かになってる気がしてちょっと気後れがする。ウーロンが昨日バイトの給料日だったからと最近都で評判の店に奮発して連れて来てくれたのだった。ブルマは割と味には頓着のないところがあるのだが、ウーロンは結構うるさい。色々趣味を持っているようだけれど、食べ歩きがその1つなのらしい。
 「でもそしたら祝いで包まないといけねえかもなあ。ちょっと今日奮発しすぎたかもしんねえぞ。また奢れよなおまえら」
 「西の都じゃあんまり包まないけど、多分東のほうだものねえ。割と出してた気がするよねえ。どのくらいが相場なんだろ」
 「いざとなりゃ亀のじいさんに電話すりゃわかるだろ。ヤムチャ、お前もバイトでもしとけよな。ハタチ過ぎたらおやっさんも奥さんも小遣いくれなくなったから」
 「あー…やっぱそうかなあ」とりあえず今日の散髪の金もろもろはプーアルに借りたのだが、オケラ状態には変わりない。
 「まあ、奥さんが言うように式はすぐじゃないかも知れませんよ、お金ないでしょうし。にしても、そしたら悟空さんも働かなきゃなんですよねえー。なんか変な感じ」
 ちょっとの間の後、ウーロンがジュースのグラスに差していたストローから盛大に息を噴出した。オレンジの泡が立って、一部が白いテーブルクロスに細かな染みをつけた。「女房子供を食わせるためってかあ?あいつが!」次いでげらげら笑ってついでにむせた。「にあわねー。やめてくれよ、腹いてー」
 「スーツなんか着ちゃったりして。名刺出したりして」
 「や、やめろぉ、あんまり笑わせるな、プーアル」
 とりあえず一緒になって笑いながらも、ヤムチャは思った。スーツで名刺は笑い話としても、内容自体は笑い事じゃない。自分だって、どうにかしなければ!もう24にもなるのに、…普通なら、もう結婚を真剣に考え始めたっていい歳になってきたのに、4つ5つも下のあんなガキに先を越されてヘラヘラ遊び歩いていられるほど図太い神経は持ち合わせていないのだ!








 さりとて都に来た頃になんとか入れてもらった高校も中退し、顔に傷もあるし、武道家としての修行も続けたいという我儘な事を望んでいる身でまともなホワイトカラーの仕事があるわけでもない。というかつく気もない。
 「用心棒」
 「うーん」
 「ライフセーバー」
 「夏だけだろ、それ。まあバイトならやってみてもいいけど」
 「軍とか、警察とか」
 「盗賊やってた俺を採ってくれるかねえ。経歴調べられたら撥ねられるんじゃねえのか」
 夕飯の席で同じ面子で煮込み鍋をつつきながら顔をつき合わせて相談していると、背後の会社フロア直通のエレベーターが鳴って、中からぐったりとしたブルマが出てきた。大学の学部生の時から会社を手伝ってる彼女だが、今日は出勤の日だったのである。
 「お、お疲れ様です」プーアルが席を空けてテーブルの上に在ったレモン水をグラスに注いで、どかりと座った彼女の前に置いた。
 「なんの話〜?」
 「ヤムチャの話だよ」ウーロンがにやにやした。「悟空を見習って。真面目に人生設計でも、ってな」
 「はあ〜?」白いテーブルクロスに突っ伏したまま彼女は低い声で唸った。
 「ええと」ヤムチャは両手の人差し指を突き合わせるようにして宙を仰いだ。言ってしまおうか、やめとこうか。ジト目で睨んでくるプーアルを尻目になんとも優柔不断な言い方を結局した。「いやあ、仕事でもして、金貯めようかなー、と。これから将来的にオレも物入りになる事だしぃ」
 「やめて頂戴、仕事の話は!ひとさまのでも沢山よ!」途端テーブルをひっくり返しそうな金切り声が食堂にこだました。吃驚して3人がすくみ上がるとブルマはブルンと後ろでくくりあげた髪を振るって顔を上げて捲くし立てた。「金に困らないんだからお嬢さんは大学でじっくり素晴らしい論文に専念なさったら!?お商売の事はまだ慣れてらっしゃらないから!?ちょっとたまにミスしたからって、鬼の首でもとったみたいに!ろくすっぽ新しいアイディアも出せない癖に。見てなさい、きっと実用化に耐えるほどにもってってやる。次の発表会の目玉にしてやるんだから!あいつ、あたしが社長になったら覚えてらっしゃいよ!」
 はいはい、とこういう場合の扱いに散々この3年で慣れたのだろうウーロンが、棚から年代ものを取り出してきて彼女の前に置いた。さながら虎の咆哮に固まったままだったヤムチャはそのコトリという音でやっと我に帰った。鼻先に漂ってきた煙草の香りに、なんだかひどく胸が痛くなった。吐き出した煙にかすんだ彼女の横顔。
 こんなに、遠くなってしまったのか。
 「あーあ、最近は禁煙してたんですけどねえ、ブルマさんも」
 今日短く整えてきた黒髪の横で、プーアルがため息をついた。
 「…吸う様になったんだなあ」
 「ええ、ヤムチャ様がいなくなった頃から」
 ウーロンが顰め面で見上げてきて、もう行け、という風に手を振ったので、ヤムチャはそのままふらふらと食堂をあとにした。本当は、一番傍にいるべきは自分だとわかっていたのに。
 プーアルとの共同部屋で何度も寝返りをうちながら、思う。自分は、なんて臆病者なんだろう。
 そんな自分が、これからもっと大変な立場になってゆく彼女の傍にいて、宥めてやっていくことができるのか。
 自分が求めていた結婚というのは、そういうものだったのか?


 悟空、お前はどうしてるんだ。本当に結婚するのか。
 彼女は優しいか。もう一緒に住んでるのか。
 幸せにやってるのか。

 幸せにやってやがるのか。










 ふた月ほどが過ぎた。

 「じゃあ次は、このマシンで10分ですね。心拍数に気をつけて。緊急停止ボタンはこれですからね、終わったらまたスタッフに声をかけてください」
 やっと覚えたマニュアルどおりに説明を終え、ヤムチャはにっこりと愛想笑いをして込み合うトレーニングルームを退いていった。時刻は晩の9時、シフトの入れ替わり時間だ。
 週2で当座の身分はインストラクター見習いということで、カプセルコーポレーションの関連企業の経営するジムにバイトとして入るようになったのだが、彼が入ってから女性客が増えたと店長はホクホク顔である。午後だけの仕事ではあるが、午前にはジムのマシンも使わせてもらえるし、研修と言うことで運動の理論等をちゃんと学ぶのはそれなりに面白くもあった。どちらにしても、すでに常人を超えてしまったヤムチャにとっては大して役に立たないものではあったけれど。
 「じゃあお先に上がらせてもらいまーす」
 「おーう」
 「お疲れーっす」
 すっかり板についた愛想笑いを顔にはりつけてロッカールームとカウンターを抜けて、ジムの正面玄関の自動ドアを抜けると、すっかりと夏の熱気を宿した8月の夜風が額を撫でた。体温のようなぬるさの大気が、小金も得て多少都の流行にも乗った軽装を包んだ。だが、地下鉄の駅へと向かうスニーカーは重かった。
 遠い昔、子供の頃。盗賊の下っ端時代に、人に使われる事なんか慣れてるはずなのに。愛想笑いなんか慣れてるはずなのに。
 (あー、帰りたくねえなあ…)
 海浜地区の街灯は青く、舗装を涼しげというよりは冷たく照らし出している。埠頭を望むフェンスに手を掛けて、鞄の中から飲み残しのミネラルウォーターを取り出して口に運ぶ。そんな理由ででも立ち止まって時間をつぶしたいのだと思うと、この黒い海にざんぶと頭から飛び込みたいような気持ちになった。或いは、あの昔居た赤い荒野へと逃げ帰りたいような。
 こんな疲れを抱える事は別にいいけれど、そんな顔を、ポロリと漏らす愚痴を、上から蹴っ飛ばされるように叱咤されるのが一番きっとこたえるのだ。
 なによ。そのくらい。あたしなんかねえ。聞いてるの。
 
 …知るか。

 とりあえず金を稼ぐために始めたバイトだけれど、理由のひとつだった悟空の結婚式についてはさっぱりあれ以来もなしのつぶてだった。一度、多分牛魔王なら調べれば番号もわかるだろうかと思い電話でもしてみようと思わないでも無かったのだが、そうまでして近況を敢えて知りたいとも望まなかったのだ。うっかり電話してやつが仕事についたとかそういう世俗めいたことを言うのを聞くのもなんだか嫌だったし、かと言って(ありえないとは思うが)のろけられるのも御免だった。それより何より、おそらく、多分、自分は心のどこかであの2人がうまく行かないことを期待しているのだ、と思うと自己嫌悪に吐き気がする。
 あんなに強いくせに。
 女に興味無さそうだったくせに。
 自分だけ幸せになるなんて許せない。だから連絡してこないことを何処かで安堵しているのだ、と。

 「なんか、お疲れですね」
 振り返ると、バイト先の年下の女性スタッフだった。急いで顔にまた愛想笑いを貼ろうと思ったのだが、水のボトルに反射したいやに眩しい街灯の寒色光が急に目を打ち、タイミングを一瞬逸してしまった。
 「ちょっと、飲んできません?あたし、ヤムチャさんと一度飲んでみたかったんですよ」




 
 男の人って、大変ですよね。
 頑張ってますよ。よくやってるじゃないですか。
 泣き上戸なんですか。
 …そんな時だってありますよ。



 慰めの言葉は柔らかい手指の感触で頬を滑り、寄り添った体温は背徳の感触を伴いながら全身を宥めた。
 幸福というのは、こういうことなのだろうか?
 自分は、ひょっとしたら、この娘となら上手くやれるのだろうか?
 
 でもね、と、彼女は言った。
 女の人にだって、そういう時はあるんです、と。今日は、機嫌が良かっただけかもしれませんよ。余裕があっただけ。だから、構ってあげたんです。

 帰り道の空は、夜明けの桔梗色だった。






 

 帰り着いて自室に戻ると、プーアルが寝ぼけ眼でなにか言いたげにしたが、そのまま眠った。だいぶん明るくなってから、自動ドアが開いて、枕に埋めた頭の横に、形のいいブルーブラックのデニムスカートの尻が降りた。
 「あら、起きたんだ」
 「…」
 眉を顰めて、ぼんやりと見返した。そのままいかにも眠そうな顔で目を閉じたのは、その大きな彼女の目が怖かったのだ。彼女は別に怒っている風でもなかったけれど。
 「遅かったのねえ」
 「…ちょっと、飲み会」
 「そ。ね、聞いてよ。父さんが昨日財界の集まりで聞いてきたんだけど。牛魔王さんって事業かなんかやってるらしくって。でね、東の方の人がね、5月くらいにあそこのお嬢さんの結婚式に出ましたよって言ってたんですってよ」 
 「…?え、じゃ、つまり」
 「そ。もう、あのバカったら亀仙人のじいさんにも、このあたしにも誰にも言わずにとっくに勝手に結婚しちゃってたってわけよ!結構立派な式だったって、薄情よね、全く!もう、勝手にすればいいんだわ!こっちは、密かにドレスなんか作って待ってやってたってのによ!」
 憤慨しながらも何処か嬉しそうな恋人の様子にヤムチャは苦笑した。彼女はなんだかんだ言って、悟空のことを弟のようにかわいく思っているのはよく知っている。
 「で、今はどうしてるって?あいつ」
 「さあね。牛魔王さんとは別に暮らしてるみたいだけど。でも、ま、なんかありゃ顔を見せるでしょ」
 それが一番あの子らしいわ、と彼女は笑った。
 そうだな、と肯きながらヤムチャは彼女の顔がやけにさっぱりと輝いてるのに気付く。このところ、寝るのもほとんど別々で、見かけてもどこか疲れた風情で見てるこっちが気が重かったというのに。おずおずと上体を起こしながら聞いてみた。
 「…お前、今日、仕事は?」
 「ああ、一段落したわ」けろりと彼女はラベンダー色の眼を久しぶりに柔らかく微笑ませた。「きつかったわー、今までで一番。でもおかげであいつの鼻も明かせたし、聞いて、あたしの担当したのが多分今年の目玉製品になるのよ!ヒット間違い無しよ!」
 そこからヤムチャにはわからない科学用語やら技術的な言葉がポンポンと飛び出し、正直分けがわからなくなった。が、ちゃんと座りなおして、嬉々として子供みたいに自分の手柄を自慢するその顔を見ながら思う。まあ、この女が報われたんならよかったじゃないか。
 聞いてる?と小首を傾げるその柔らかい髪を撫でた。
 「そうか、よく頑張ったな。よかったよかった」
 ぱあっと彼女が笑った。そうして嬉しそうにこっちの胸元に抱きついてきた。
 
 
 正直泣きたくなったのだが、そこは男だからぐっと堪えてやった。
 自分たちは、遠い子供の頃に自分が憧れたような、平凡で慎ましく温かな家庭というのはきっと築けないのだろう。父母もない自分が、自分がもしも将来一家の主になったら、そうしておとうさんというものになったら、きっとこうするのに、それがきっとまだ知らぬ本当の幸福というものなのだと、そう夢見たようなそのものはきっと築く事は出来ないのだろう。
 その夢を取るか、この女を取るか、もう少し、傍で見極めさせて欲しい。
 この女を取るとは言い切れない。だって、自分は、女に慰められる心地よさを知ってしまったのだから。弱虫だと、ヘタレだと謗られようと、自分が心からその温かさを、無償の慰めを、純粋なる母性の手を欲しているのだと自覚してしまったから。他の女だって、気まぐれにだってそれを与えてくれると気付いてしまったのだから。

 …でも、手にしてしまったこの女の温もりは、簡単には手放せはしない。強欲な盗賊根性だけれど…
 「ね、遅くなったけど、バカンスにでも行きましょうよ」
 青い髪に熱い目元を埋めて、肯いた。
  …だって、初めて恋した女で、初めて自分を抱きしめてくれた女なのだもの。たとえ、すれ違った愛情の方向であっても。

 うまく行くにしたって、行かないにしたって、悟空、お前だって知るといい。
 その甘美を、その理不尽を、その切なさを、その離れがたさを。
 そうして、その悟りきったような面をやめて、ちょっとだけ俺達と同じところまで降りてくるがいいのさ。あの武道会のあとの様な真っ青な空の高みの境地から、この混沌とした愛すべき世俗へと。


 
 
 









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