このページはイラストレーターはるまきの、個人的なドラゴンボール版権小説置き場です。鳥山先生、集英社さんとは一切関係ございません。
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 西の都は古くから要津であり、この地方の要だった。ゆえに幾代もの王朝がまた来たり去り、常に社交と言う文化の花を咲かせていた。今この時代に至っても、いや安定し爛熟した今現代だからこそそれは変わらない。モデル、俳優、政治家、起業家、トレーダー、芸術家、古き貴き血を今に継ぐ者、そして大企業の要人。噂と儲け話と各々の利益、ラブアフェア、ひとときの暇つぶし、そんな虚虚実実のごった煮は西の都の繁栄の鏡であり、隠れた産業と娯楽である。
 本格的な社交のシーズンは初夏からだが、年の入れ替わるこの時期も重要な社交の場だ。連日何処かで行われるパーティ。それはホテルの宴会場であったり、現代のサロンといえる美術館での夜の催しであったり、だれかの家でのものであったり、時には船を借り切ってみたりという場合もある。長期の休みと重なるから少し南の保養地にも分散はしているけれど、それでも律儀に招待される全てに出ようと思えば幾らからだがあっても足りない。特にブルマのような、「未婚の大金持ち」はそれこそ引く手数多なのだから。

 「ではお休みの間の予定はこういうことで」
 「またびっちりねえ」
 「これでも厳選に厳選を重ねたんですけどね」秘書課の、そこではもう古株であるブルマより少し年上の係長が笑った。役員が主に使うフロアの休憩室には年の瀬を控えた冬の低い午後の日差しが柔らかく差し、敷き詰められた絨毯を照らしている。コーヒーを継ぎ足してくれながら係長は続けた。 「パーティのお断りのお返事をするのが大変ですわ」
 「悪いわねえ」ブラックは苦手だったが砂糖を入れるのを諦めて啜った。ブルマが家業であるこの会社に20歳から入ってもう丁度10年にもなる。大学を卒業してフレックスの契約社員扱いから正式な社員となり、その頃から社交の場に出るようになってスケジュールの管理を秘書課に任せるようになった。家には執事と言うものがおらず、でも個人ではとてもさばききれないことだからだ。
 「いいんですよ、今からお嬢さんの交際関係を把握しておいたほうが私どもとしてもやりやすいんですから」
 「そうね」ゆくゆくは社長とその秘書になるだろう、これからも長い付き合いになる2人は笑った。「さあ、じゃあもう開発のほうに戻るわ。今年も一年ご苦労様。また晩の忘年会でね」
 「あ、私今日は」係長が手帳を閉じながら残念そうな顔をした。「一応顔は出しますけど、娘が風邪気味で。母に任せてますけど早めに失礼させていただきます」
 「まあ、大変。そう、じゃあ仕方ないわ。来年もよろしく。お大事にね」
 「ええ、よろしく。ありがとうございます。お嬢さんも風邪にお気をつけて」牛革張りのシックな色合いのソファから立ち上がり、ドアを開けると暖房に火照った頬が活気ある社内の白い廊下の風に洗われた。「もし体調を崩されたらお電話ください。私の方からその旨先様にご連絡しますので。幾ら今年はお体が空いてるからって羽目を外しちゃ駄目ですよ」
 ブルマは鼻に皺を寄せたが、にやりと微笑んで見せて一階下の自分の部署、開発部へと階段を下りていった。

 

 

 ブルマが体が空いた…つまり、彼であったヤムチャと別れたのは今年の夏の暮れのことだった。季節もすっかりと移り変わった今思うのはまあ別れと言うのはそんなものか、と言うことだ。自分の心情についても、周りの反応についても、生きるステージの変化についてもだ。何分長い付き合いだったし住居と会社がごく近い(というか同じ建物なのだが)ということもあって相手の存在については本社内のほとんどの人間が知るところだったし、おかげさまで別れた後しばらくは、自意識過剰かもしれないけれど仕事場でも家でも顔をあわせる人みなが何処か腫れ物に触るような気分がしてはなはだ不愉快で、余計にいらいらしていた時期もあった。しかしそれを過ぎれば、今このように言い寄る男も選り取りみどりと言うものだ。
 「送っていきますよ」
 今一番熱心なのは、開発の隣のセクションにこの秋から異動してきた3,4つばかり下の部員だった。南国の血でも入っているのか、黒々と細かく波打った短髪と日焼けした肌はいかにも情熱的な感じだし、見目もそんなに悪くはない。しかしブルマは気に入らなかった。若くしての本社栄転と言うことでいい気になっているお調子者。なまじ見目がいいからと、女子社員の中で人気があるのを意識して伊達男を気取っている。ちらちらと遊んでいる噂をも聞くけれど、今自分にターゲットを絞っている風に見えるのが余計に浅はかに見える。
 飲酒運転になるからと地下鉄ルートに押し切って、会社の門の前で手を振った。収穫なし、と踵を返す部下のコートの背中を見る。臙脂色の細いストラップを編み上げたハイヒールを鳴らして門に向き直ると、否が応でも目に入るのは巨大な、この「我が家」の威容だ。この男が、自分の後ろに見ている景色。
 また顰めていた鼻からひとつくしゃみを発して、ブルマはブザーを鳴らし玄関を潜った。会社の正面玄関と共用の巨大なシャッターが音を立てて開き、中から忠実なロボット達が滑り出してきた。

 

 会社では例年年越しの休暇は2週間程度である。今年は曜日のからみで、年末に10日、年明けに4日の予定だ。昨日仕事納めだったこともあり、今朝は多少のんびりとした朝食の開始になった。
 「わしは今日は午前中は作業室にいるよ。昼はこないだのあの教授と食べに出る。そのまま晩のホテルでのチャリティーに行くからね」
 「5時からでしたかしら。そうだったわね」後ろに控えるメイドロボが持っている手帖を繰って母親が答えた。「じゃああたくし4時半に先に行ってますわ。呼び出して頂戴な、あなた。ブルマさんの今日のご予定は?」
 「ジムに行って…買い物かしら。晩には学会の方の集まりに行けばいいんでしょう、父さんの代わりに」
 「ああ、すまないね」
 食卓では、大体めいめいのその日の予定の報告になる。広い家族用の食堂に置かれた、いささかこぢんまりとした風にも見える、ごく一般的な大きさのダイニングテーブルに今この家に住まう4人が顔を揃える。席は3つ空いていた。真っ白いテーブルクロスが未だに隠しえぬ、そこに生じた空白を雄弁に物語っている。去っていった2名。もう一名は、ふらふら修行に飛び回っていて今はどこにいるものだか知れない。テーブルの周りを給仕用のロボットが、金属質なボディを古風な衣装に包んで音も無く動き回っている。
 「ウーロンは?」
 「俺も買い物だな」今はただ一人の、この家の居候である子豚が食後のカフェオレを啜りながら答えた。「言うの忘れてたけど、おれ明日からバイト仲間とスキーに行ってくるわ」
 「へえ、いいわねえ。あたしも久しぶりに滑りに行きたいなあ。今年は無理かなあ」
 「今朝ノ分ノオ手紙デス」進み出てきたロボットが、揃って食堂を出ようとした二人にそれぞれ郵便物を手渡した。ウーロンに2,3通、ブルマには袋に入った沢山を。いつもの日課だ。どうせいつものDM類ばかりだとブルマは目も通さず、昨夜の酒の軽い名残を感じながら伸びをした。母親の丹精している温室の向こうに、冬枯れた庭が大きな窓ガラス越しに見える。木々が騒がしくしなっている。今日も風は冷たそうだ。
 「お、珍しい。見ろよ、悟飯からだ」めいめいの部屋のフロアへと登るエレベーターの中で、ウーロンが一通のこぎれいな封筒を取り上げた。
 「あら、珍しい」
 「年賀状にしちゃ早いな」この地方ではもう少し早い時期に一年の感謝と来る年の多幸を寿ぐカードを贈りあう習慣があって、年明けにはあまりそういったものはやりとりしない。遅配なのかもしれなかった。ウーロンが言うような年明けの年賀状は東方の風習で、彼にはそちらのほうが馴染み深いようだった。
 慎重に封緘のシールを捲って、歓声を上げる。「去年はおとうさんが宇宙から帰ってきたばかりでばたばたしてて送れませんでした、すみませんだってさ。お、悟空もなんか書いてる」
「へえ、どれどれ」
 「お前にも来てるんじゃないか」
 袋の中を探ると果たして同じような封筒があった。淡いピンクの紙に薄く梅のレリーフを施し所々箔を散らした品のよいそれは、おそらく悟飯の母親のチチが選んだのだろう。丁度部屋の前まで帰ってきたところだったので、机からペーパーナイフを取り出して開けてみる。
 「こっちは『元気か』、だってよ。それだけだよ。そっけねえの」ウーロンが笑った。ブルマも広げてみる。悟飯からはしっかりした、でもまだ幼さの残る鉛筆の字で、改めて、宇宙ではお世話になりましたということ。チチからは細かい万年筆の字で、同じくその折の礼を。うちの一家全員に送っているのなら誰か宛にまとめて送ればいいのにそうしないところが几帳面なこの二人らしい。去年は確かにばたばたしていたから仕方ないが、宇宙に行ったのはもうおととしの事なのにまったく今更だったが。けど考えればその年の暮れは一家の主(考えてみて可笑しかったが)が不在だったのだからこういうものが出せないしきたりなのかも知れなかった。
 そいつの字は、カードの下の方に、少し大きな…筆の文字だろうか?…で、短くつづられてあった。『頑張れよ』。ただそれだけ。

 なんだ?
 どういう意味なんだろう?
 あいつが帰ってきて以来、忙しさにかまけて一切連絡は取っていない。心配される何ほどのことも伝えてはいないと言うのに。

 「仕事を、ってことじゃねえのか」
 「生意気な」カードを自室の壁の、設計メモやらが無数にとめられたパンチボードに無造作にとめつけながらブルマは鼻を鳴らした。「孫君の癖に」
 ウーロンはげらげら笑った。「悟空に仕事を励まされるとか。うん、ねえよなあ」
 全くだ。あんな野放図なガキだった癖に、一丁前に、こんな意外とまともな字で、そんな大人ぶったことなどしてくるなんて。ひとしきり笑った後、ウーロンが腰掛けたソファの上でおもむろに言った。

 「全くなあ、悟空ももう大人だもんな。俺もうかうかしちゃいられねえよ。…前々からちょっと考えてたんだけど、俺さ、年が明けたらちゃんと就職するわ。そんでよそに部屋借りようと思う」

 ブルマが青い目を見開くと、いつしか…一緒に住むようになって15年近く、殆ど外見は変わらなかったが、それでもいつしか確実に大人びた顔を少し寂しげに笑わせて、彼は呟いた。「まあ、そろそろな」
 「…また、家が広くなるじゃないの」
 「お、寂しいのか?」にやりと道化めいて笑ってソファを降りるその後姿を見て、ブルマはこっそりと、歯の内側で頬を膨らせた。「まあ、あいつらみたいな気まずいことじゃねえし、また暇があったら顔を出すさ。そうそう、明日の晩はテレビ局のパーティだろ。サインでも貰ってきてくれよ、ホラ俺が最近ファンの。餞別にさ。楽しみにしてるぜ、スキーから帰ってくるの」

 こいつは、存外優しい奴だ。
 ひらひらと手を振りながら出て行くのに手を振り返しながら、ブルマは14年で慣れ切ったその事実を今更ながら思い知る。気まずい、そうだ。何もそう思う必要はないけれど、出て行ったあいつらと親しかった身としては、ずっとこの4ヶ月あまり気まずい思いをあの子豚がしているのを自分は知っていた。それでもここに留まっていてくれたのは、自分が心配だったからだ、と言うことも。別に取り立てて慰めてはくれたりしなかったけど、そういう奴なのだ。助平なところは変わらないけれど、変なところで紳士なのだ。あの豚は。
 もういいだろう?
 …そう言うのなら、なんで留めていられようか?あたしは大丈夫、そう太鼓判を押してくれたのだ。
 立ち上がって、今まで子豚が座っていたソファに寝転ぶ。まだ尻のぬくもりが微かに残っていた。その前には、出て行った男のからだを長年受け止めてきた、このソファ。

 何も、寂しくなんかあるものか。そうだとも。大丈夫。
 パーティに貸しきられている大型の船の甲板で、決然と冬の海を睨む。冬の星々はグレーの雲を纏わせながら青くチラチラと輝き、海は華やかなラウンジの光を映して穏やかに黒くたゆたっていた。ざざあ、ざざあと波を蹴立てて走る船の舳先。一人煙草に火をつけて、風に煙をあずける。白い首を反らして天を仰ぐ。紺色の、この季節にはいささか露出の多いドレスのその上に引っ掛けた毛皮のコートが、胸に長く垂らしたネックレスがちりちりとはためく。
 はじめての、本当の意味でパートナーのいない年の瀬が過ぎていこうとしている。

 

 


 

 

 

 3日ばかりがそのように、慌しくむなしく過ぎた。

 宴会が長引いたせいで前の晩遅く帰ってきたブルマが目覚めたのは昼すぎだった。朝食をどうするかとコールが来た事は来たのだが、二日酔いだからもう少し寝かせてくれと答えてそれきりまた寝てしまったのだった。柔らかく乱れた髪をかき上げだるい体を起こして、窓の外を見る。霙交じりの冷たい雨が、母親の、今は花も無いバラ園をしとしとと打っている。
 家の中はひどく静かだった。ぼうっと、ロフトの上の寝床の上で目を擦った。広い部屋に張り巡らされた、ごく淡いブルーグレーの壁紙が、白い昼の光に鈍く光っている。風呂にでも入るか、と廊下に出ても、人の気配も無い。
 この本棟は、中心部にある吹き抜けとなった内庭を境にして大雑把に玄関向かって右が一家の居住区、左が経理部・経営部・資料部・開発部・役員室のある本社中核部という振り分けになっていたが、当然会社の方も全くひと気は無かった。この年末に働いているのは郊外にあるサポートセンター位のものだ。吹き抜けの向こう、会社側の廊下に時折見えるのは警備ロボットの影くらいだ。別棟、玄関脇の守衛室まで行けば誰かいるのだろうけれども。
 風呂から帰ってくるとメイドロボが籠に出していた汚れものを集めているところだったので、ブルマは尋ねた。
 「父さんと母さんは」
 「旦那サマト奥サマハ、今朝オ友達ガ入院サレタトカデオ見舞イニ。ソノママ財界ノ忘年会ニオイデデオ帰リハ遅イソウデス」
 「あ、そう」
 「ブルマサマハ、オ食事イカガナサレマス?」
 「要らない」ソファに腰を鎮めて煙草に火をつけながらブルマはため息をつくように言った。「冷蔵庫から適当に食べるから」
 カシコマリマシタ、と言い残して静々とメイドロボは去っていった。
 なんて事はない。家にロボットと自分だけと言うことなど、慣れっこだ。

 部屋備え付けの冷蔵庫から酒の肴のチーズを取り出して、適当にその辺にあったクラッカーに載せて幾枚か食べた。やはりひどく静かだ。誰も人がいないのだから当たり前だけれど。かといってテレビを見たり音楽を聴いたりといった気にもなれぬまま、ブルマは最近ダイエットにも効果があると話題の炭酸水をグラスから呷った。まさか毎日食べまくるというわけでもないけれど、連日連夜のパーティではそれなりに体重の維持には気を遣わないといけない。こればかりは自分が気をつけないといけないことだし、怠って太ってドレスが合わないとか陰口を叩かれたりするのは全く御免なことだ。
 ひょっとしたら微熱でもあるのかも知れない、と思う。だるい。社交自体は嫌いじゃないけれど、元々他の人間と馴れ合うタイプではなく、まして女社会と言うものに溶け込め切れなかった自分にとって、パーティとはどうしても自らの楽しみではなく、仕事の一環だった。将来の社長としての顔売り、顔つなぎ。まだ役員と言う地位には着いていなかったけれど、30と言う歳を越し、まだ至って元気そのものではあったけれど親が垣間見せるようになった老いというものを感じるようになって、自分がどうにかしなければという焦りも当然、心の中に生じてきていた。所詮自分はまだ親の会社で食わせてもらっている域を出ない小娘なのだ。いくら子供の頃から、父親の跡をつぐべきは自分しかいないとその才能を自負してきたとは言え、機械の才能と、会社をやりくりしていく才能はまた全く別物なのだと歳経るごとに思い知らざるを得ない。いざ立ち行かなくなった時に結局頼りになるのはこの世界での人脈である。だから、忙しくはあろうとも、…そう、あの暢気な武道家連中にこちらからコンタクトを取ろうとしないほどに忙しくても、その合間を見てはなるべく集まりには顔を出すようにはしてきたのだった。

 ぼんやりとだるさに身を任せながらそんな思考にもならない思考を巡らせていた目の端に、例の先日届いたカードが止まった。その筆の文字は少し離れたここからでもよく見えた。その言葉を口の中で一回転がして、ブルマは顔をしかめて残りの水を飲み、卓の上の電話を手に取った。
 「お休みのところ悪いわね」
 「どうされました」受話器の向こう、秘書課の係長の背後からは幼い子供のはしゃぐ声がしている。「お嬢さん?御具合でも?」
「…そうね、申し訳ないけど今晩の予定はキャンセルしておいてくれないかしら。大丈夫、明日の分からは行けるわ」
 「わかりました」娘を少し遠ざけているのだろう声の後に返答があった。「お大事に。ご無理はなさらないでくださいね」
 慎ましやかな沈黙を挟んで通話が切れた。

 ずる休みと言うのは妙なもので、休むと決めれば気が楽になってちょっと体調もマシになるものだ。まだだるい事はだるいけれど、ブルマはタンクトップと短パンと言う部屋着の上に、柔らかいグレーのロングカーディガンを羽織って部屋の外に出た。この部屋で一人でじっとしているのも陰鬱だし、さりとて機械をいじっていられるほど集中が続くわけでもない。久しぶりに庭の犬たちでも構ってやりながら本でも読もうかと決めて足は図書室へと向かった。同じフロアの奥にある図書室は書架が会社のものと共同になっていて、定期購読している雑誌などもちゃんと管理してある。そういえば増刊号になっているだろうあのファッション雑誌をまだ読んでなかったっけ。
 プライベートエリアの方の読書室はちょっとしたリビング仕立てで、よくここに篭る父親の備え付けた小型のセラーもある。やはり庭じゃなく、ここに居座ることにしよう。セラーから適当に安そうな一本を選び出して、部屋の奥にあるコンロで少し温めてちびちびやりながら本に目を通していると、何もかも、ここのところ溜まっていた何もかもが少しだけ紛れるような気がする。雑誌以外に選んで卓に積み上げる本の山が結局は仕事に繋がる論文だとしても、今は社交よりは余程そちらのほうが愉快だった。自分が本当に父親似で、ワーカーホリックなのかも知れないと思うのはこういう時だ。父親もさほど社交が好きなほうではなく、時に寝食も忘れてこの部屋や研究室に篭ったりするのだった。がつがつと仕事をするのを嫌う風潮のあるこの都の人からは変に見えるかもしれなかったけれど。
 ソファに寝転んで本を読んでいるうちに、酒も程よく廻ってきてそのままうとうととまどろんでしまった。

 

 

 

 

 その眠りを妨げたのは、ぺたぺたと廊下を歩いてくる裸足のような足音だった。身を起こすと同時に、ドアの近くまで来たその足音は立ち止まった。誰だろう。父親のいつもの突っ掛け履きの音でも、母親の家でのローヒールの音でもない。ましてやウーロンでもあるわけない。思い当たるのは一人だけだ。
 「ベジータ?」
 呼びかけて手元の汎用リモコンでドアを開けると、久しぶりに見る黒いつんつんした髪が垣間見えた。
 「なんだ、貴様か」
 ため息をついてその男はドアの前に立った。
 「何だじゃないわよ、どこに行ってたのよ。3週間ぶりかしら。ああら、なんだか日焼けして、一足お先に南国のバカンスでも愉しんでらしたのかしら?」
 「飲んでいやがるのか」顔をしかめて吐き捨てる。しかしこの家に来た当初のようにこの時点でぷいとそっぽを向いて行ってしまわなくなったのは、彼女の努力の一応の成果だった。と、不意に、家出の垢を落としてきたのだろう、風呂上りらしき濡れた額の真中の眉間が何かをいぶかしみ、急にベジータの目がこちらをじろじろと探り出した。
 「な、なによ」
 「なんだか奴の臭いがする。かすかにだが」
 「奴ぅ?」
 「カカロットの」

 それだ、と差した先のポケットに入っているのは、例のカードだった。さっきボードから外して突っ込んでいたのだった。
 「あんたってよくよく鼻が利くのね」
 どうも切手を貼る時にあの生意気なバカが舐めてくっつけたらしい。なんだこれは、と言いたげなのを察してブルマは中身を手渡した。この星に来た当初は言葉は通じるものの、実はこの宇宙人は読み書きがあまり得意ではなかったらしい。どうやらこそこそと折を見てはこの部屋で一人勉強をしていたようだ、と以前にウーロンやプーアルに聞いたことがある。それでなんとかできているらしいのだから、その根性はたいしたものだ。
 「随分原始的な筆記具だ」
 変な感想を述べるものだ。しかしこいつが感想を述べるのはあのバカについてのことと相場が決まっているので、ブルマは再びソファに座ってワインを継ぎ足し肴を口に入れながら相槌を打った。
 「きっと小さい頃おじいさんに字を習った頃の習慣なのよ。確か出会った頃鉛筆を見て便利だなこれとか言ってたもの。墨をつけなくていいなんてって」
 「ふん」カードを突っ返してきた。ついでに卓の上の肴の残り少ないハムを摘もうとしたものだから、ブルマは不平を述べた。
 「やめてよ!行儀の悪い」
 「腹が減っているんだ、俺は」
 「食堂に行けばいいじゃないの」
 「ロボットがいなかったんだ!」
 そう言えば年末だし用意させる機会も減るので、シェフロボットは子会社に点検とアップデートに出していたのだった。「でもやめて。食べてもいいけど、そんならお酒に付き合って頂戴よ。飲めるんでしょうが」

 しぶしぶとベジータは角向かいの一人がけ用に座った。全く、サイヤ人に言うことを聞かせるには餌付けに限る。寝たせいか大分だるさも取れたし、冷蔵庫を浚ってありったけのつまみを並べてやった。新しく切ったハム、ピクルス、パン、チーズ、マリネ。ナッツ類、フルーツ。忠実なメイドロボたちは食材の管理も完璧だ。
 並べてやったものを、ベジータは次々と食べた。ここの所ブルマが毎晩見慣れていた豪勢なオードブルなどとは比べるべくも無い、素朴で料理とも言えないものだったけれども。そんなさまをまた自らも酒をちびちびやりながら眺めつつ、呟いてみる。

 「…あんたが王子様だった頃は、さぞかしもっともっと凄いご馳走ばっかり食べてたんでしょうねえ」
 「なんだ急に」
 「お城では毎日毎日パーティで。舞踏会なんか開いちゃってさ。素敵なドレスとか着て、くるくる廻って踊るのよ」

 うとうとと、また酔いにまどろみかけている頭を膝の上の頬杖で支えながらゆっくりと夢見るようにブルマは言った。遠い昔、親も会社の用事で留守がちで、できたばかりのこの広い家のこの部屋に篭って読書に耽っていた幼い頃に触れたさまざまの絵本。お城で繰り広げられているそれらの催しは、子供心に憧れを呼び起こすものだった。
 でも、今、実際にそのような華やかな催しに出るようになった今感じるのはそんな素敵なことばかりじゃない。お城で自分を見初めてくれるはずの王子様はいないし、自分がこれと見込んだ『素敵な恋人』は去っていった。惜しいことをしたと思えるような男は他の女の手がついてるし、実際に目の前にいる王子様とやらは野蛮人なのだ。
 「そんなふわふわちゃらちゃらした宴などやるわけ無いだろう」案の定その野蛮人の王子様はにべも無く言ってのけた。
 「そんなものかもねー」
 夢のない返答だけど、大人など全くそんなものだ。膝を抱えて頭を持たせかけ、少々とうの立った、この大会社という城を継ぎ女王になる予定の姫君は大げさに嘆いて見せた。姫君も楽じゃない。ロマンスは全て、国と国を結びつける縁談の打算に直結し、相手が自分の後ろに見て舌なめずりをするかまたは腰を引けさせるのはこの、世界に冠たる大企業と言う名の帝国だ。
 あいつが、別れた男が褒められることがあったとすれば、それは、あたしの後ろにこの家とその財産を背負って見なかったところだ、とブルマは思う。だからあたしは、ずっとあの男から離れられずに来たし、あの武道家連中が好きなのだ。この生意気な手紙だって何が腹立たしかったかって、何も知らないガキの癖してこの自分の後ろに仕事と言うものを見るようになったのかと思うと、自分が本当にこの世界に染まりきった気がしたからだ。

 急に、ブルマの前に置かれたグラスにワインが注がれた。びっくりして顔を上げると、ベジータが手酌で彼の手前のグラスにも残りの分を注ぎきっているところだった。

 「なんだ、目を丸くして」
 「あんたも、そんなことするのねえ!」
 「礼ぐらい言え!」ベジータは怒鳴った。「酒を注いでもらうのは、家臣の誉れだろうが!」
 「家臣ですって!」
 「いや、違う。つまり」説明するところによれば今は無き彼の母星では、酒とは目下が目上に注ぐものではなく、目上が目下に戦闘の労いの意味で杯を与えるのが習慣なのらしかった。給仕役の奴隷が注ぐのは別にして、基本的に毒殺を防ぐために自分の分は自分で注ぐのが当然なのだという。なるほど、以前に家の中でバーベキューをしていた時などになんだか妙な顔をしていたわけだ。
 「だから、飲め」

 ぶすりと拗ねた顔で杯を差すその口元がなんだか可笑しくて、ブルマは笑った。家臣ね。このあたしに向かって。そんなこと言うの、こいつぐらいだろう。そりゃそうだ、あたしなど採るに足るようなもんじゃない。だって異星の王子様なのだから。 こいつが本来背負うべきは、会社どころじゃない。星の運命だったのだもの。
でも多分それはあたしに近い。召使にかしづかれ、親を継ぐべきは自分と矜持を育て、広大な城にすまい、他のものとの親しい交わりも遠ざけて。他者を見下しながら、ただ、来るべき未来のために。

 グラスを傾けながら目を伏せてそう考えているところに、声がした。
 「疲れたんだか、嫌なことがあったんだか知らんが、とりあえず飲んで寝てしまえ」
 「…うん」
 「それに限る」
 こいつはこいつなりに、沢山そういうことがあったのだろう。王子様も楽じゃない。まして、よそに占領されかけた国の王子様なら。
 労い、ね。ブルマは、ポケットの中にまたしまったカードを、太腿の感触で思い出した。サイヤ人というのはわけが分からないけれど、野蛮人だけれど、それでも根は結構優しいものかもしれない。まだ何かつまんでいる男の、もう日暮れ近くの窓の外を見遣っている横顔を眺める。
 例えそれが偽善だとしても、今はそれに甘えていてもいいではないか。 

 だって、あたしは。だから、もう少し、

 「さて、俺は行くぞ」
 「待って!」

 咄嗟に立ち上がり際のその手を掴んだ。その目が丸くなった後、ソファに座ったままのブルマに落ちた。一瞬のちにその手を振り解いて、足早にドアを開けて出て行こうとする。下階へと向かおうと遠ざかっていく足音。
 一瞬取り残された手を見つめて、それを胸元にあててから、ブルマは急ぎ立ち上がって猛然と駆け出した。階段を下りて2階へ。奴は多分、下りたところにある重力質にでもまた篭るつもりなのだ。そうはさせるか。

 案の定ハッチを開けようとしていたベジータが、こちらを見とめてぎょっとした顔を向けた。
 その目を、ぎり、と睨みつける。

 

 

 そのまま、数秒。
 表から、強く吹きつける冷たい風雨の音がする。

 

 「…入れ。ここを使うのも久しぶりだからな。点検していけ」
 そうぶっきらぼうに中に誘い背を向ける、筋肉のよくついた首を見つめる。そして念じる、無言のままひたすらに。

 そばにいて。
 もっと近く、近く、近く。

 そして触れて。もう一度、人肌のぬくもりを与えて。だって、認めよう、あたしは寂しい。
 こいつはあたしより多分ずっと寂しい。でも口ではくだらないと笑い飛ばすだろう。それがいい。そうしてくれていいから、触れるのを許して。

 

 

 睨み返しながら、野蛮人の王子が、無言でこちらに向き直った。自分と同じ、酒の匂いを纏わせて。どこか、頬を上気させて。

 体を熱く潤してくるもの。それは噛み殺し押し潰した涙、おののきの波、愛欲の雫。それが酒と言う媚薬を源とするものだとしても、それはもうどうでもいい。ただ、歩み寄りたい。泳ぎだしたい。この、ただひと時であっても。
 肩から自ら滑り落としたカーディガンのポケットの中のカードが、床にぶつかってかさりと音を立てた。

 

 『丈夫なあかんぼ産めよ』

 不意にそんな言葉が蘇ってきて、王子に向かい合いながら、姫君は微笑んだ。 

 そうね。
 こいつとなら、そうなってもいいかもね。
 あたし、頑張るわ。

 

 重力室のハッチが、ガチリと音を立ててロックされた。音も、どんな声も、衝撃をも遮断する分厚い殻を閉ざして。
 逆に、どんな冷たい風も、どんな空虚な無音も、この中には届かない。
 だからその中で、今しばらくは誰にも秘密で、味わおうではないか。互いが背負った国も星も忘れるほどの、このような純粋なロマンスを。









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