このページはイラストレーターはるまきの、個人的なドラゴンボール版権小説置き場です。鳥山先生、集英社さんとは一切関係ございません。
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 「お勉強中すみませーん、ヤムチャさーん、お電話ですよぉー」

 もうすぐ昼休憩になろうとする時分に珍しくランチが受話器とおたまを手にカメハウスの玄関から突っ掛け履きで駆け出してきたのは、もうすぐ年の瀬の声を聞く12月も半ば過ぎのことだった。
 「ああ、すみません、ランチさん」
 勉強といってもすでに高校の途中まで通っていた自分にはすでに師匠も学力で教えることもなく、この時間はもっぱらクリリンの勉強を見てやるか、少し遠くの大きな島まで行って借りてきたり、また島の小さな書店で買ってきた本を読むのが常だった。今読んでいる歴史小説は正直はずれだったので、これ幸いと目を上げて本を置き受話器を受け取った。
 「誰ですか」
 「ブルマさんですわ、都の」
 その名に師匠と同輩が色めき立つ。
 「いいなーいいなー彼女からの電話ー」
 「ほれ、はよ出てやらんとおっかないぞ」
 顔を赤くして受話器を持ったまま慌てて立ち上がり、カメハウスの建っている浜辺(今はウミガメも一緒なのでここにしたのだ)を、離れた木陰のほうまで駆けていく。
 こういうところはなんだかんだ言って自分はまだまだ初心だ、と思う。いくらなんでもあの好奇に満ちた視線の前で(一応)彼女と話などできるものか。まあそんな恋愛めいた内容ではないと想像はついているけれど。

 『何やってんのよ、待ちくたびれたわ!こっちは朝早い時間に電話してるってのに!』
 ほら見ろ。でもへこへこ謝ってしまう自分も自分だ。実質そばで付き合っていたのはほんの半年余りだが、すでに尻敷かれ根性が染み付いてしまっているのだ。「す、すまん。まだ昼休みにはちょっと早かったもんだからさ。そんな怒るなよ、ブルマ。どうしたよ、いつもはもっと遅くに電話してくるのに。なんか急用か?」

 

 「ああ、ええぞい、年末年始くらい帰ってやらんとな」
 「いいんですか」後ほどクリリンが風呂に入っている時間に願い出たところあっさりと聞き入れられたのでヤムチャはほっとした。
 「でないと来年武道会で顔を合わせたときにどれだけぎゃーぎゃー文句つけられるかわかったもんじゃないわい、あの娘っこは顔は可愛らしいのに本当に口喧しいったらないからの」
 「ありがとうございます」風呂上りのくつろいだ格好で、布団の上に座ったまま頭を下げる。上にひとつっきりの個室はランチが占領しているものだから、今はカメハウスの広くもない居間に布団を3組適当に広げて半ば雑魚寝というなんともむさくるしい有様だった。しかしそれももう2年と半ばを過ぎてすっかり慣れてしまった。
 クリリンがいない間に相談したのはもちろん帰る場所のないのを気遣ってのことである。去年もおととしも、その気兼ねがあったのでこうして休みを願い出ずにこの家で新年を過ごした。その代わりブルマが学校の夏休みやら週末やらにたまにこちらに来ていたのだったが。考えてみればそのほうが見せ付けているみたいで気に障ったかもしれない。
 「じゃあついでといっては何じゃが、姉ちゃんの所に寄ってちょっと届け物でもしてきちゃくれんか」
 「姉ちゃんって、占いババ様のところですか」
 「ああ、歳暮代わりにでもな。もうあれ以来ずっとご無沙汰じゃから」
 「ご自分で行かれればいいじゃないですか」
 「わしゃ姉ちゃんが苦手じゃよ。どうせ説教されるに決まっとるんじゃもん」
 まるで少年のような師匠のごね振りに苦笑する。この歳(といっても正確なところは知らないのだが)になってもまだ身内がいるというのは有り難いことなのだから大事にすればいいものを。そこへクリリンが風呂から上がってきた。「なにの説教ですって?」
 「ああ、クリリン、ヤムチャは新年おらんからな」
 「あ、そうですか。わかりました」
 あっさりとした受け答えに正直拍子抜けした。翌朝それとなく聞いてみるとクリリンは笑った。

 「そんなこといちいち気にしてちゃ孤児なんてやってられなかったでしょう?」
 クリリンは今も体力づくりのために朝の牛乳配達は一緒にしているのだが、昼からは自主トレということで自分とは別メニューである。ここに自分が来た当時からそうだった。最初はこんな3つも下のチビに後れを取っているとは、とずいぶん悔しかったものだ。子供の頃盗賊の使いっ走りで険しい山の砦を駆け上がり駆け下りしてたものだからずいぶん足腰は強かったつもりだが、亀の甲羅を背負ってのさまざまの運動は想像していたよりもはるかにつらく厳しかった。
 それでも3年近く続けてこられたのは、あの日あの少年の破天荒な強さを実際に目の当たりにしたからだと思う。そして今一人、あの人の強さも。

 12月も押し迫った30日になって、ヤムチャはいとまをもらって西の都へと出発した。南の都を休憩に経由し、南西の亜大陸へ。あの日飛んだのと同じルートである。
 「なんじゃい、相変わらずけち臭いのう、あのボンクラは」託された師匠からの手土産をあらためるなり齢も知れぬ老婆はぶつぶつと文句を言ったが、それでもどこか嬉しそうにして、控えていた使い魔にそれを託した。
 遠来使いに来たのだし折角だからと茶を振舞ってくれた。薬草くさいけれど不味くはなく、体が温まる茶だった。周りは趣味の悪い内装や得体の知れないものばかりで余りくつろげると言えたものではなかったが。
 「どうじゃ、みな息災かね」
 「おかげさまで。悟空についてはわかりませんけどね。ババ様もお元気そうで」
 「それならよし。まあ来たついでだし、力試しにでもちょっと試合でもして行かんか」
 慌てて顔の前で手を振った。「冗談じゃないです。怪我したくないですよ、大会を前にして」
 「ふん、臆病じゃのう。まだあの頃のあやつに追いついた自信がないというか。だからおぬしは駄目なんじゃよ、このヘタレ坊主め」
 その言葉に少し頬を膨らませると、ババは歯の少ない皺だらけの口を意地悪く微笑ませた。その表情ときたら御伽噺の中の意地悪な魔女そのものである。
 「まあ折角休みを取ったんじゃから、親兄弟の供養などして帰るのもええだろうよ」
 客間を辞して、飛行機に乗る前に少し湖の中の舞台に立ち寄った。年末ということで訪れるものもなく、砂漠の中の神秘の宮殿は、ピラミッドは、しんとして青空の下に白い肌を横たえていた。聞こえるのは風の音と、たまにそれで立つ漣の音ばかりだった。

 

 「おう、ヤムチャ久しぶりー!元気だったかよ、おい」
 「ヤムチャさまー、ヤムチャさまー、お待ちしてましたよー!」
 「まあまあお帰りなさい、ヤムチャちゃんったらまたいい男になったわね」
 「よう、お帰り、ヤムチャ君」
 「あー、みんなうるっさい!ヤムチャはこれからあたしとデートなんだからねっ!早速だけど出かけるわよ、ヤムチャ!」

 そんなわけで大晦日の朝に帰り着いて温かい歓待に浸る間もなくブルマに連れ出された2年半ぶりの西の都は、久しぶりに見るとかなり面代わりして見えた。知った店のいくつかは消え、新しいビルが建ち、当然街の流行もかなり変わっている。
 あの冒険の後はじめてブルマたちとこの都に来たときのことが思い出された。辺境暮らしだった自分には、あの頃この都は何もかもが大きく刺激的だった。そして田舎ものよと侮られまいと必死だった。望んでやって来たとは言え、それまでの山塞暮らしとはまるで違う環境、そしてほとんどプーアルとしか顔を合わさない日々だったのが、学校に通うことになって放り込まれた人間関係の海。そしてはじめての、あれだけ苦手にしていた「女との付き合い」。
 たまに思う。悟空があの時自分たちと一緒に来ていたらどんな男に育っていたろうかと。やはり自分と同じような苦労をしていたろうか。

 「今度はあの店よ!」
 「ま、まだ買い物すんのかよ!俺もう疲れてきたよ」
 「だらしないわねえ、何のために鍛えてると思ってんのよ!」
 もう夕方だが半日この調子で連れまわされっぱなしだ。久しぶりの都の空気、人ごみ、そしてまた久しぶりの冬の寒気に当てられてさすがに疲れてきた。不思議なものでいくら体を鍛えたとしてもこういう疲れというのはまた別の話だ。ベイエリアのアウトレットモールのカフェで一服をする。女というのは肉体的には弱いのにこういう疲れには滅法強いのもまた不思議なものだと思う。
 「あらぁ、ヤムチャ君じゃない」
 「ホントだわ、どうしたのぉ。休学したままどっか行っちゃって」
 通っていた高校の同級生の女の子たちが見かけて声をかけてくる。そこに手洗いに立っていたブルマが帰ってくると彼女たちはそそくさと別の席にスイーツを乗せた盆を手に立ち去っていった。
 「相変わらずおモテになってよろしいこと」
 「ちょっと話してただけだよ。今何してんのとか。あの子達も大学行ってるんだな」
 「ああ、学部は違うけどね」
 冒険の後にヤムチャはブルマと同じ高2に編入したのだったが、師匠の元に弟子入りした高3の年からは休学という扱いになっている。その翌年にブルマは大学に進学し、今年大学2年の夏に20になった。
 すらりとした長い足をカラータイツに包みミニスカートを履き、短く整えたつやつやとした髪を寒風に翻して颯爽と歩く彼女はいかにも溌剌として美しく、上手くエスコートもできずに連れ回されているのは情けなかったものの誇らしかった。この女を彼女と呼べるようになったのはドラゴンボールのお恵みのおこぼれかもしれないが、自分にとって本当に望外の、一世一代の幸運だったとヤムチャは思う。

 「この後は?そろそろ帰るか?」
 「何言ってんの。まだ映画見たりディナーしたり、晩にはカウントダウンライブにも行くのよ。ちなみに明日も新年だってのんびりしてないわよ。初日の出とか初売りとかニューイヤーコンサートとか、いろいろ付き合ってもらうんだから!」
 苦笑すると並んで歩いていた脇から肘鉄を入れられた。思わぬ攻撃にいたた、と脇を抑えると彼女は粉雪の舞う中でけらけらと化粧っ気のまだ薄い顔を笑わせて言う。
 「あさってにはもう帰っちゃうんだから、それこそもういやって言うほどサービスしてもらうからね」

 この女もこの女なりにさびしいのかもしれない。俗に言う遠距離恋愛というものを、この自分とこの奔放な女がしているというのは考えてみれば不思議なものだ。週末には街まで出て電話をし、他愛のない話をする。たまにあちらが尋ねてくる。都合がつけばその時デートに行けたりはするが、そのくらいである。
 それで続いているのは、この女のそれを許すさばさばとしたところを自分が愛して甘えていたからかもしれないが、2年半はさすがに長かったということなのだろうか。そんなことを漏らす性格でないことは承知しているが、吐き出そうとしてくれないのはきっと己が不甲斐無いからだ。
 でも今回はこうやってわがままを言ってくれたのだから、それに精一杯応えてやるのが自分の務めというものだろう。そのように心得てそれこそいやというほどのサービス三昧で、大晦日と正月一日はあっという間に過ぎていった。

 

 

 

 ついたちの晩はカプセルコーポレーションで一同で鍋を囲み、いろいろな話をした。そもそもなんで今年自分が強引にブルマに呼び出されたのかといえば、ブルマが今年からかなり忙しくなるかららしかった。才媛と自分で言うだけあってブルマは大学に入って早々、1、2年生のうちに必要な単位のあらかたは取得してしまいあとは卒論といくらかの単位を残すのみなのだが、飛び級ですぐ卒業してしまうよりはまだまだ気楽な大学生の身分でいたいというのが本音で、でも暇は暇なものだから今年から空き時間を使って会社の開発の手伝いに入るのだそうだ。…というのが、夕食前ブルマがシャワーを浴びていたときに彼女の母親から聞いた話である。
 「それで4日には会社はじめでいろんな方への面通しがあるから、今年は前みたいにゆっくりヤムチャちゃんところに行けないってわけなのよ。年末は年末でいろいろ忙しかったし」
 冬枯れた庭を臨む夕方の温室で、社長夫人はおっとりと微笑んでよい香りのミルク入りの紅茶を差し出しながら教えてくれた。
 「そうなんですか」
 「あの子もヤムチャちゃんがいなくって、大学もつまらないらしくて随分毎日ヒマヒマって言ってたのよね。だからかも知れないわねえ」
 「卒業しても院に行くんでしょう」
 「ええ、博士号を取りたいそうだから。でもブルマさんは、いつかは自分がパパさんの跡を継ぐのだってずっと思ってたから、どうせ会社を経験しとくのなら早いほうがいいとお思いになってるのかもね」
 電話ではそんなことはこれっぽっちも言っていなかったではないか。単にたまには帰って来い、といつもの居丈高で命令されただけだった。なんとなくもやもやとした気分になっているところに、ウーロンとプーアルがメシだ、と呼びに来たのでその話はそこまでになってしまった。

 

 「久しぶりですね、ヤムチャ様とこうやって一緒に寝るのも」
 自分が出て行った後プーアルは独りでこの部屋を使っていたのだが、布団の上で嬉しそうにころころと転がりながら喜んでいる。ブルマは昨日今日はしゃぎすぎたし腰を冷やしたのが悪かったのかさっき始まった生理で腰痛が酷いといって今日は自分の部屋に引っ込んでしまった。昨夜この部屋におらず、またプーアルをこの部屋に置き去りにしてたというのはまあそういうことだ。
 西の都に行くといっても最初はまさか居候させてもらえるとは思っていなかったからどう自活したものかと危ぶんでいたので、この家の余りの金持ちぶりとおおらかさには正直とまどったものだ。言ってしまえばていのいい同棲なのに、ここの家の父親も母親も「ああそう」とばかりに迎え入れて自分たちが深い仲になろうがほとんどどうという波風も起きなかった。かえって母親など「もう結婚なさったら」などと気を利かせた発言をしてくれるのでブルマが一時期怒っていたほどである。むしろ機嫌の悪かったのはプーアルだった。理由はもちろん自分が彼女に構いっきりだったからだ。

 何せ自分たちは長い付き合いである。盗賊として一本立ちする前からずっと一緒だった。姿かたちはまるで違うけれど自分たちはずっとそのように離れがたい親分子分の間柄であり、もっと言ってしまえば歴史小説に出てくるような義兄弟のようなものだった。やきもちを焼くのも当たり前のことかもしれない。
 「でも、もう明日の朝にはお帰りなんですねえ」
 「そうだな、遠いから仕方ない。修行中の身だもの仕方ないさ。また春、武道会のときに会えるだろう?だからそんな泣きそうなツラすんなよ」
 「武道会ですか。また半年近く先ですね」
 「あっという間さ」
 そう笑うと、枕に突っ伏しておとなしく柔らかい毛並みの猫耳をぐりぐりと撫でられていたプーアルは壁にかかっていたあの頃使っていた刀を上目で見遣りながらつぶやいた。ヤムチャ様はもうすっかり武道家なんですね、と。黙っているとさらに聞かれた。
 「武道会が終わったら、どうなさるおつもりなんですか」

 その問いにはすぐに答えは出せなかった。実際それまでその件についてははっきり考えたことはなかったから。でも、潤んだ目に負けてつい言葉が出てしまった。
 「戻ってくるよ」
 「本当ですか!?」
 言った後で微妙にしまった、と思った。なぜ自分はこう流されやすい性質(たち)なのだろう。でも、そうしたいと思っていることも事実なのだ、ととっさに自分に言い訳をする。
 喜んでいるプーアルを尻目に、「そういえばまだだった」と歯磨きに立とうと寝台を起き上がったところで、部屋の前を急いで遠ざかっていく足音に気づいた。はっとして慌てて顔を出すと、隣の…ブルマの部屋のドアが閉まった。

 ノックをすると鼻先でドアが自動で開いた。中からリモコンで操作したのだ。ロフトの上の彼女の寝床によじ登るとさっきのプーアルと同じように枕に顔をうずめていた。黒いスウェットの上下を布団にもくるまず。そっと掛け布団をかけてやる。
 「プーアルには言うのね、あんたっていつも」
 「…」上手いこと言い訳が浮かばずに黙っていると、ばしばしとその姿勢のままこちらの胡坐をかいた脛を叩いてきた。
 「いつもそうだわ。あたしには肝心なこと言ってくれないのよ。待ってろともなんとも。弟子入りの時だって勝手に突然あの爺さんに言い出しちゃってさ。吃驚したんだから、本当は」
 「…お互い様じゃないか?おかあさんから聞いたぞ、仕事のこと」
 「何で言っちゃうのかしら」
 「何で言わなかったんだ?」
 「みっともないじゃないの、あんたがいなくて寂しいから仕事に逃げましたとか」一層短い髪が枕にのめりこんだ。夕食のとき少し飲んでいたのが回っているのかもしれない。ベッドライトにぼんやりと浮かんだ赤い耳朶が綺麗だった。「ああ、みっともないったらありゃしないわ!でも、あたし仕事にすごく入れ込んじゃうと思うの。それこそあんたをほったらかしにするくらいにね。なんかもうそれは自信あるわ。
 だからそうよ、お互い様なのよ」

 さっきプーアルにしていたより優しく、ヤムチャは突っ伏した彼女の頭を撫でてやった。窓の外は雪の気配がする。その冷たいだろう感触を思ってそっと息をついた。
 口先で誤魔化してしまうのは自分の悪癖だとわかっている。でもそう言わないと、その冷たいものが自分と彼女の距離の間に降り積もっていくようで。
 「5月いっぱいは、暇にしておくんだぞ」
 「…それからは?」
 「その時はその時さ」

 

 

 休みは3日までの予定だった。本当はいっぱいいっぱいまで彼女の傍にいてやるべきだったのかもしれない。でも2日の昼すぎには西の都を出てきた。まっすぐと東南東に向かってフライヤーを飛ばしていく。
 正直なところ、先のことなんてわからない。武道家となったからには、一生が修行なのだ。たまに日銭を稼いだりすることもあるかもしれないけれど、たぶん自分はこれから定職にもつくことはないだろう。彼女に確たる約束をしないのは精一杯のこちらの、嘘はつきたくないという誠意だった。だから、あれほど望んでいた結婚の二文字ではあるけれど、いまだに面と向かって言葉には出せないでいるのだった。武道家になると決めてしまった自分なのだから。

 南に大陸南部を縁取る大高山帯が見えてくる。雪をかぶってはるか地平に横たわるそれは、あの夏の冒険で見慣れた山並みだ。もう少し行けば自分たちが捕らえられて大変な目にあったあの城、その南の丘陵地帯にはウサギ団が巣食っていた町。そのまた南の高原地帯にはあの牛魔王の山もあるだろう。 その先の不毛の山岳地帯には自分の生まれ育った地方だ。
 供養ねえ、と独り操縦桿を握りながら考える。そんなこと考えたこともなかった。あの霊界にも通じ行き来するという老婆に言われるとどこか説得力がある気もしないではない。

 

 

 

 ヤムチャはある街に降り立った。時差もあってあたりはもう冬の早い夕暮れだった。雲の厚い空から時たま漏れてくる紅い日の光が、この地方特有の赤い岩がちの山の中の街並みを時折照らしている。
 小さな市で花を購って丘の上のほうに昇り、はるか下を流れていく川に放り投げて短い間手を合わせた。参るべき場所といえばそこが一番ふさわしいように思えたからだった。親ばかりではなく、幼い日に関わった人たちすべてに向けては。一匹狼の盗賊としてプーアルとこの地を去ったのは、もうどのくらい昔だろうか。その前に暮らしていたのはここではなく、もっと上流の人知れぬアジトだったけれど。
 丘から降りて夕闇に染まり行く街を歩く。街路の店はもうあらかた閉めかけていた。ひとつの書店の前で老婆が木でできた格子を下ろしかけている。通りすがりに少しだけ頭を下げた。もうここの家の子供もどこか遠いところに行ってしまったのだろう、あの頃次男坊なんだからそうせざるを得ないだろうと嘆いていたように。このあたりは山がちで何の地の恵みもなく、古来より特産といえば盗賊か傭兵かという地だったから、自分も末はどこか私軍に入るのだろうかと言っていたっけ。
 どこかで息災でいるだろうか。あの頃たまにこの街に使いに来ていた自分によく武術雑誌を見せてくれたものだけれど。そういえば自分はそれで、今の師匠やあの悟空の祖父である孫悟飯のことを知ったのだった。

 武術は周りから仕込まれて強くなるのは楽しかったし自信もあったけれど、自分が武道家になるなんて幼い日には想像すらしたこともなかった。この境遇に堕ちたからには自分は一生このままだろうと何とはなしに思っていたしそれに特段悲しみを抱くこともなかった。この世の境遇など、このような幸運不運のほんの掛け違いに過ぎない。その中でのおのれの立ち居地と弁えるべき分というものだけ外さなければ生きてゆける。それが処世というもの、ひいては人生というもの、そう思っていたのだった。
 ブルマと出会ったのは本当に望外の幸運だった。都に行き、物を奪わなくても暮らせるようになった。力試しとして武道会に出てみるか、という気持ちにもなった。

 そしてその後に占いババの宮殿であの対決を見たのだ。あの冒険でまだ小さいくせにあっさりと武天老師の弟子入りを果たして己の未熟を思い知らせた存在である悟空と、その養い親の、自分がずっとあこがれてきた「天下に並ぶものなし」とされた武術の達人孫悟飯との試合を。
 火がついた。自分も強くなりたい、と本気で思った。先に武道会でジャッキー・チュンと悟空の試合は見ていたもののまだどこかお祭り気分の技の応酬という印象の戦いだったからその時はそこまでは思えなかったのかもしれない。でも目にも留まらぬスピードを身につけ、レッドリボンを独りで壊滅させたあの小さな少年の強さ、そしてそれに対する面をかぶった老人の技は圧倒的の一語だった。対して己はどうだ。盗賊時代に強さを鼻にかけて威張っていた癖に、武道会に出てみれば手も足も出ず一回戦で負けではないか。

 そこまで思い返して、ヤムチャは街にひとつきりの安宿の寝台の上で苦笑した。

 気づいたときにはそれまで都で築き上げてきた全てを投げ打って弟子入りを願い出ていた。負けたくない。せめて近づきたい。少なくともこんな小さな少年たちには負けておれぬ、その意地だった。まあ、弟子入りしてからもクリリンの体力にも自分は及ばないのだと随分悔しい思いもしたものだけれど。
 クリリンも自分と同じ気持ちなのだろうか。悟空に負けたくない。せめて背中に届きそうな位置を走っていたいと、そういう気持ちなのだろうか。

 悟空は、今どこで何をしているのだろう。案外、近くを走っていたりするのかもしれない。そんな気がする。そしてあいつは、またはるか前を突き放すように駆け出していって、自分たちはきっとまたそれを慌てて追いかけるのだろう。そしてまた悔しいと胸に炎を燃え上がらせるのだ。
 ああ、はやくカメハウスに帰りたい。都のあいつらには悪いと思うけれど。きっとずっと、あいつに火をつけられたこの想いは消えはしないだろう。

 部屋の明かりを消し、ヤムチャは寒さの忍び込んでくる中布団を深くかぶった。明日朝一番であの南の島に帰ろう。そう心に決めてほくそ笑む。

 

 

 悟空よ、覚えているだろうか。あの旅で、お前が何気なく言ったことを。最後の城につく前に、二人で用足しに立ったときに。

 「おめえ、なんで武術強いのに、盗賊なんて悪いことやってたんだ?」

 答えに窮していたところに、お前はけらけら笑ったよ。
 「根はいいやつなんだから、そんなことやめちまえばいいのにな。おっかしいの」

 余り軽く言われたから、つい笑った。そうだな、と。
 お前は知らないだろう。俺がお前に、それでずっと恩義を感じていることを。







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