このページはイラストレーターはるまきの、個人的なドラゴンボール版権小説置き場です。鳥山先生、集英社さんとは一切関係ございません。
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fire






 その山の名は俗に火焔山。絶えず噴出する業火に山体は激しく焼かれ、恐れて近在の者は近づこうともしない。
 城は金(こがね)・銀(しろがね)・玉をはじめとするさまざまの財宝を蓄え、城の主がそれを固く固く守っている。

 しかしそれももはや今は昔、20年も昔のおとぎ話。









 「おーい、悟飯、悟天ー。じいちゃんと釣りにでも行こうやあー」

 表から祖父の声が聞こえてきたので、悟飯は2歳になる弟に読んでやっていた絵本を閉じ、小さな陋屋の入り口から顔を出した。良く晴れた夏の日、きらりと透明な日差しがまぶたを打ち、彼の黒い瞳を煌かせた。
 少しえぐれたような地形の中に建つ城を少し見下ろす形の小高い丘のふもと、廃墟の家の群れのほうから祖父が大きな身体をゆすり上げながら坂を登ってくる。道の脇には一面に高山植物の花が咲きそろい、まるでおとぎ話のように美しい風景だった。城の向こうには緑の丘の中丸い大きな青い湖が広がり、青い山脈がそのまた向こうに夏なお白い雪肌を抱いて連なっている。
 世界の屋根といわれる大陸中央の大山脈に程近いこの地は、標高が高く慣れない者には厳しいが、緯度の割には夏も比較的涼しく過ごしやすい。弟の悟天もある程度大きくなったので、今年は久しぶりに一家は母親の実家のあるこの地に避暑に来ていたのだった。

 「おじいちゃん、よくわかったね、ここに居るって」
 「ん?だって悟飯は昔からここが気に入りだべ?」祖父が汗を拭き拭き笑った。もう60にもなる祖父の髪も大分白いものが混じってきて、澄んだ空気を通り抜けてくる陽光にきらきらと煌いている。
 「ここからの眺め、本当に綺麗だもん。それに珍しい花もいっぱい咲いてるし…釣り?いくいく!ちょっと待ってて」
 悟飯がきびすを返して家の入り口を潜りなおそうとした時、中からバサバサとけたたましい落下音がした。慌てて駆け込むと、弟が悟飯が持参して読んでいた専門書を積み上げたのをひっくり返し、そのひときわ重たく分厚い一冊を振り回してキャッキャと喜んでいる。中に挟んでいた薄紙がばらまかれ、押していた植物が無残にボロボロになってしまっていた。
 「あんれまあ」
 「こらぁ、悟天!」思わず大きな声をあげてしまう。なんてことだろう、午前中に二人で一生懸命採集したのがもう台無しだ。はかなく貴重な山の植物の命を、心の中で詫びながらも摘み取って大事に押し花にしたと言うのに。その剣幕に弟がビクッとなって、本を取り落として急いでとてとてと部屋の反対側の粗末なソファの影に隠れこんでしまった。ぼさぼさの黒髪が、所々破れた布張りの影からのぞいている。
 「もー、悟天ったら」
 「こら、悟天、ちゃんとにいちゃんに謝るだ。でねえと怖い怖い、魔王様に斧で首をちょん切られるだぞー」
 祖父がそう怖い顔をおどけて作ると、弟がまだ舌っ足らずな声で反抗した。「嘘だぁい」
 「ホントだべ、昔々この山には、怖い魔王がいてなあ、嘘ついたり泥棒したりする人間は皆殺してまわってたんだべ?下の村でも、いい子にしてないと魔王様が来るぞーって今も言うんだ。ほら、だからいい子でにいちゃんにごめんなさい、ってちゃんと謝るだよ」
 泣きそうな顔になった弟を抱き上げる祖父を悟飯は横目で見上げた。気付いた祖父が何処か悪戯気に笑った。黒ぶちの眼鏡の奥の、自分たちを見つめる目は限りなく優しく、その縁の皺ははた目には何の苛立ちも哀しみも映しては居なかった。
 なんとなくは知っている。詳しくは知らない。でも、何度も訪れ来るごとに、だんだんと気付いてきた祖父の昔の行い。誰もはっきりとは教えてくれなかったけれど。
 「さあ、本をかたそうな」散らばった絵本を、3人で拾い集めて女の子らしい意匠の本棚にしまった。棚の上に置かれた古ぼけた可愛らしい人形の数々。不便そうな生活の跡。外壁に残された焼け焦げの跡、ところどころにある黒い不吉な染み。
 この小さな家は、昔、祖父と母が暮らしていた場所。昔城の誰かからそう聞いた。それは昔々、この地が灼熱の炎の地獄に包まれていた頃のこと。

 「明日は、あの炎が消えてから丁度20年だ」祖父が弟を肩に乗せ坂を下りながら、眩しさを堪えるような目をした。「おめえたづのおっ父とおっ母が出会って、丁度20年、ってことだな。明日はじいちゃんは城で慎んでいるから、おめえたづはおっ母とどっか楽しくお出かけしておいで」
 肯くと、本を抱えた悟飯の肩に大きな、意外にもやわらかくてあたたかな手が乗った。
 「また話してやるべ。でもな、おめえは気にすんな。これはおらが墓までもっていく、それで終わりのことだ」







 

 「暑くねえだか?ばっちゃ」
 「平気ですよぉ、ひめさま。ひめさまこそ重くございませんか」
 「おらは大丈夫だべ、鍛えてるもの」
 片手で車椅子を押し、片手で白い日傘を差しかけながら、チチは城から下の村へと続く長い下り坂を歩いていた。乗せているのは長く城に勤めていた女中頭、かつてのチチの乳母だった老婆である。もう80も越え少し病を得たこともあって、去年役目を退いて隠居の身となったのだが、身寄りが近くに無いこともあって城で養うという形になっている。
 普段は散歩と言っても広い城の中で済ませてしまうのだが、今日は購いたいものもあるというので下の村に降りようとしている。車で、と言ってみたのだけれど、折角のいい天気だからと拒否されたのだった。

 一陣の風が青い空をさらりと通った。習慣でチチはつい日傘をよけて、空を見上げた。下のほうで簡単な袖なしの服を着た老婆が眩しそうに細い皺だらけの腕を上げて、慌てて日傘を戻す。
 こんな風が吹くとつい空を見上げてしまうのは、もう20年来の癖だ。あの出会いからこっち、ずっと。もうそんな必要も無い癖なのに。
 つい、あのてんがら陽気な声が、その後に降ってくる気がして。ただいま、と飛び降りてくる気がして。

 あの熱く澱んだ大気を蹴散らすかのように、あのひとは風のように目の前に現れた。城の火も消え、この山は地獄から清涼な善き土地へと変わった。あの炎に包まれた日々には正直ほとんどいい記憶も無い。母もなく、父ひとり娘一人で、あの丘の小さな家でひたすら山の上の城を見張りながら暮らしていたあの日々。あんな凄まじい火が出たのは何の故か今も分からないが、二つか三つ…今の自分の下の息子と同じ自分から、そのように吹きつけてくる熱風に肌を晒しながら生きてきた。
 この老婆は城がそのようなことになる前…いや、その前に父親がおかしなことになる前から仕えてくれてきたが、家族の反対もあってその時期勤めを退いていた。下の村に住まっていた彼女に、このように買い物に行く時などに立ち寄りはしたものの、当時の自分はどれだけ孤独だっただろう。
 それでもまともで居られたのは、「いい子で居れば、いつか必ず」という、昔この老婆に植え付けられた信仰、いや呪いにも近い自己暗示のおかげだった。


 「あ、ひめさま、おかくれなさいませ」
 急に老婆が悲鳴に近い声をあげた。
 指差す方向を見ると、ひとりの若い農夫が少し離れた畑のそばで籠を手にとうもろこしをもいでいる何気ない風景だった。その農夫はチチを見るとなんだか照れたように何処かばつが悪そうに笑った。目が合ってチチもそのように笑い返した。車椅子の音が乾いた白い道をなめるようにすすんで、そのうち畑を行き過ぎて行った。
 「あのガキ、いつもひめさまのことを虐めおって、ババがどれだけ叱ってやってもやめやしないのだから」
 
 チチは大分薄くなってきたホワホワとした白髪の頭を見下ろして声をあげて笑った。最近少し痴呆が入ってきたようだ、と昨日着いた時に城のものに聞いた。城づとめをしていたころは「お嬢様」だったのに、自分が幼い頃の呼び方だった「ひめさま」にもどっているのもそのせいなのだろう。
 老婆は続ける。「でもね、今だから言いますけど、あのガキひめさまの事好いておったんですよ」
 「あれまあ、そりゃあ初耳だべ。何で内緒にしてただ?ばっちゃ」
 「そりゃああんなのではひめさまと釣り合いが取れませんよ」からからと少なくなった歯を見せて笑う。「ひめさまは天下一の男に嫁ぐべきだとあの頃からババは思ってましたからねえ」
 「そのとおりになっただ。さすがばっちゃだ」
 「ええ、本当に。言ったでしょう、いい子にしていれば、きっといいことがあるって」
 チチはまたゆっくりと微笑んだ。そしてそっと山を、城を見上げた。日傘のレースを透かしてくる日差しが、白い腕に少し痛かった。






 20年前、火が消えて父親の師も帰った後、異変に気付いた村のものたちがおずおずと山に様子を見に来た。あるものは銃を手に、あるものは鉈を手に。その中に混じっていたこの乳母に、少女は抱きつきながら輝くような笑顔で告げた。
 「ばっちゃ!おら、お嫁に行くんだ!」
 仰天した乳母が首をかしげ、ついで何かに気付き急に少女を庇うように、その太いからだのスカートの陰に隠した。隠された腕のあいまからそっと覗くと、男たちの怒号がしていた。その声の中でゆっくりと、父親がゴーグルをつけたヘルメットを外した。ひときわ高い背なので、その様子はとてもよく見えた。日が暮れかけた柔らかな茜の空を背負って。少女に気付いた村の男たちが一斉に静まりかえった。
 「じゃあ、おっとうはちょっと留守にするけど、チチ、いい子にしてろやあ」
 「うん、おらいい子にしてる」大きな黒い瞳でまっすぐ父親を見つめ、少女はうなずいた。「だから、早く帰ってきてな」

 父親はそれから数週間、この地方の都に行って帰ってこなかった。炎から解放されたこの地方は急に涼しくなり、それまでの武装のある衣装をやめ東洋風の服に身を包むようになった。乳母は家に泊まりに来るように勧めたが、少女は城跡の前に出した、自分の旅用に持たされていた小さなカプセルハウスで寝起きし、なお城の財宝を狙ってくるものを見張り続けた。何度か鉢合わせて怖い目にありそうになったこともある。けれどなんとか父親が帰ってくるまで、城跡を酷く荒らされずに済ませることが出来た。
 その間に少女は月のものを初めて迎え、女への一歩を踏み出した。12歳になる直前だった。






 チチは青い空を見ながら思い返す。空の高いところを猛禽がわたっていき、そばの小さな川面にのんびりとした陰を投げかけて去っていった。

 いつか、自分も娘となり、一人前の淑女になり、あのひとと結ばれ、あのひとの子供を産むのだ。初めての身体の異変の不快感に辟易しながらも、そう考えてどれだけ胸を高鳴らせたことだろう。
 世界が変わるようなこの想い。炎の山で何処かおびえて暮らしていた自分を、空に掬い上げて果てしの無いところへ導いてくれるあのひと。あのひとは自分を迎えに来るといってくれた。自分はそれに恥じない、善き美しき娘にならなければ。あの雲に乗れる清い心を保っておかなければ。そう思って、いやそう思いつめて少女時代を生きてきたのだ。


 かつて乳母であるこの老婆は母を亡くしぐずる自分に言った。いい子にしていればきっと母親が蘇ってまた幸せに親子で暮らせるようになると。それは残酷な嘘だったが、幼い自分には一縷の希望だった。母親を亡くしたことで狂いだしたと言う父親の歯車がそれで戻るのなら、と。父親の事は好きだったが、自分のほうがまだ家事等で世間に接する機会が多いだけ、自分たち父娘がどう見られているかというのが分かって辛かった。それだけに、「自分も父親の分までいい子にしていなければ」と必死に思いつめていたところもあると思う。
 「魔王のところの姫さん」または「魔王の娘っ子」それが当時の自分の呼び名だった。父親以外にまともに名を呼んでくれる者もない日々。だから旅に出された時は正直ほっとした部分もあった。そして、自分は、自分を「チチ様」でもなく、ただの「チチ」と呼んでくれる人に出会ったのだった。

 それはもう20年も前のこと。
 その間…ともに居たのはそのうちの10年に過ぎなかったけれど、その間何度あのひとは自分の名を呼んだだろう。空腹に耐えかねて情けなく何かをねだる声、構って欲しそうな拗ねたような呼び声、空の上から元気良く呼びかけてくる声、閨での囁き声、手をつなぐとくすぐったそうに発する少し伸ばしたような呼び方。自分はそれらの声が、夫の自分を呼ぶ声がとても好きだった。少し変な名前だというひそかに抱いていたコンプレックスも忘れてしまうほどに。
 幸福に酔いしれるうちにいつしか「いい子」の呪縛をも忘れてしまった事は、自分を文字通り雲に乗れなくして地に落としてしまったけれど、最近、またたまに思う。善き人で、善き母でいれば。昔のようにがみがみと五月蝿くしていなければ、いつか帰ってきた時に、きっと、と。



 「ひめさま」
 「ん?」
 「ババがそのうち死んだら、若旦那様にちゃんとお伝えいたしますよ、お子様たちのことも」

 「…そうだな、頼むだ。でも、もうちょっとあとで、な」




 ふやけたように皺の入った老婆の腕に優しく触れた。ひたすらに柔らかな感触。
 この人が自分にかけた「呪い」は時に自分を苦しめもしたけれど、今はそれでよかったのだと思う。ただ丸く優しくなった感謝だけが、その小さな肩を優しく取り巻いている。

 自分もいつかこのように、小さく丸く白く老いられればいい。遠い未来、あのひとは…今は天国に居るだろう夫は、そんな自分を見てどういう反応をするだろう。くすくすと一人笑ったチチを振り返って、老婆も子供のように笑った。そして昔歌ってくれた昔話にまつわる童謡を大きな声で歌いだし、チチもそれに唱和した。
 青い空と緑の丘の間に、二つの歌声は綺麗に重なって夢のように流れていった。地上の天国とうたわれる美しき景色の中を。火焔の熱に絶えず雷鳴が呼応していた地上の地獄から、すっかり清らかな涼しさに洗い流された景色の中を。

 


 夫と出会ったあの日から、言葉どおり自分の人生はまるで変わった。そして自分は、まだその幸福の残像の中に生きている。







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