このページはイラストレーターはるまきの、個人的なドラゴンボール版権小説置き場です。鳥山先生、集英社さんとは一切関係ございません。
ブログの本体はこちらになります。あとがき・もくじもブログのこのページになります。よろしければ、WEB拍手小説投票で感想をお寄せください。


beat4




 「お嬢様、お手紙でございますが」

 分厚いよい色の自室の扉がいつもの男の声の呼びかけとともに叩かれた瞬間心臓が跳ねて、ビーデルはうっかりと手にしていた色つきのリップクリームを取り落としてしまった。かつんと大理石の床に落ちたその音に反応したのか、よく晴れた窓際の鳥かごの中で鳥が鳴いた。
 
 「お嬢様?入ってよろしゅうございますか?」
 「待って!待って、まだ」
 慌てて落としたものを拾い上げながら急いで答えて、立ち上がりざま鏡台の横の時計を見た。いけない、急がなくては約束の時間に遅れてしまう。薄いうわものを羽織ってポケットにリップクリームを放り込み、彼女は走って自室を出た。扉を開けた脇にはこの家に仕えて10数年になる執事が銀の盆の上になにやら堅苦しい体裁の封筒を載せて控えている。
 「お出かけですか」
 「そうよ!だからその手紙の中身は報せないで。これから見に行くのよ、合格発表!」
 その言葉に、なにやら至極機嫌よさそうにしていた毛深い顔を慌てて無表情に取り繕った忠義ものが、廊下を走り出す令嬢の背中に一声呼びかけてくる。「お父様が、今日は早く帰ってくるようにとの仰せですよ!」
 「今日は駄目、適当に誤魔化しておいて!」
 玄関ホールを掃いているメイドと危うくぶつかりそうになりながらも、大きな扉を開けて外へ。途端柔らかく涼しく眩しいよい匂いの風が彼女の柔らかいやや癖のある髪を嬲った。視界の脇によく手入れされた春の花壇の花々がとりどりに映って煌いた。
 大丈夫、こんな素敵な日だもの、悪いことなんて起きるはずが無いわ!
 そう自分に言い聞かせながら門を出ると、門柱の脇で文庫本を読んでいるひとがいる。そのひとは彼女に気付くと、鞄にそれをしまってにっこりと微笑みかけてきた。大きな手を差し出しながら。
 「おはよう、いい天気だね」
 つないだ手の奥に息づくたがいの温かさに、また彼女の心臓はひそかに走り出した。歩調を並べて歩き出し、ふと見交わす目の奥にひそかにあるたがいの秘めた予感に、思わず目を伏せてしまう。頬に春3月の日差しが温かかった。








 3月のなかばにサタンシティの新しい大学の第一期生が発表されてからひとつき弱が過ぎたが、その間理事長であるミスター・サタンの屋敷の人間たちは大忙しだった。主が令嬢を遠くの大学へやりたくないがためにつくった大学なものだから、連日連夜主は理事や教授や行政とのあつまりに出かけたり人を招いたり、時には大掛かりにパーティを行ったり、祝いの品が届いたりそれにお返しを送ったり、開学の式典で主が目立つための演出をしたり、色々通常の業務以外にやることができてみなてんやわんやだったのである。
 それに加えて新しくこの家にいついたミスター・ブウと犬が家の中を駆け回って時に破壊行動に及ぶものだから(まあ家具に粗相をするとか力余って何処か折ってしまうとかその程度だったけど)、主も令嬢も不在がちの中家を纏める執事としては頭が痛くて仕方なかった。この屋敷ができた時に主の内弟子からこの職に移って10数年。何だかんだ言って自分はこの職に向いていると思うしそれを勧めた主の慧眼には今もって感服しているが、「あの」8年近く前の戦いを境に「世界の救世主」となって桁違いに立場の重くなったこの家を支えるのは容易なことではないのだ。
 「というわけで、今日は久々に旦那様も家にいらっしゃってゆっくりお寛ぎのようですから、みなそれに配慮するように。以上」
 朝のミーティングでそのように締めた執事に、男の使用人が手を上げ質問してきた。
 「お嬢様のご予定はどうなっているのでしょうか?きのうもミスター・サタンからお伺いがありましたが」
 「さあ」執事は肩をすくめた。「自治会の御用事か、デートなさってくるか。とりあえず、いつお帰りになってもいいように。お帰りになったら、その旨ミスター・サタンにすぐお伝えすることだね」

 
 「会長ーじゃあオレ次講義行ってきまーす」
 「会長ーあたしもーあとよろしくー!お昼も食べてくるから、出るなら鍵かけて行ってねー」
 「サークル申請開始までには帰ってくるからねー」
 まっさらのサークル棟の外れの一角に設けられた大学自治会の事務室からばたばたとメンバーが出て行き、次の時限が空いているビーデルはひとりぽつりと残されてしまった。途端気が抜けて今まで纏めていた第1回フェスティバルの要項から目を上げ、ううんと伸びをしてついでため息をついた。
 入学してすぐのレクリエーションで、とりあえず夏休暇前の選挙までのつなぎと言う形で教授側から十人弱の自治会メンバーが推薦されたのだが、ビーデルはあろうことかそのトップ、会長という肩書きを負わされてしまったのである。おかげさまで入学して早々からこのサークル棟におしこめられてさまざまな予想される学校行事の検討や各サークルの面倒見、広報活動、大学の風紀維持のための活動に付き合わされる羽目になってしまった。スタッフは皆各高校で自治会長やらをしてきたものが選ばれているので、さほど何をどうしていいやら右往左往と言うことにはならないのが救いだったが、なぜそんな経験も乏しい自分がその長になったかと言うとそれはひとえに父親のネームバリューのせいなのである。その名前の下になら先輩と言う重石もなく好き勝手浮かれている学生たちもまとまるだろうと言う教授たちの期待なのだった。プライドが高いと言うか割と見栄張りな彼女はせめてもそのメンバーに恥ずかしく無いようにと今必死でさまざまな調べものをしたりしている最中である。それでなくても履修申請や教科書の購入、早速出されたレポートの提出などで馬鹿みたいに忙しい時期だというのにだ。

 窓の外でメジロが鳴いて、大分散ってしまった桜がさらさらと風に散った。今年はこの地方はとても温かく、今日もとてもいい天気だ。置かされた立場は面白くないものの、ここからの眺めは美しく彼女の気に入りだった。もともとこの地にあった大きな池に面し、その中の島には遠い昔に立てられた青い瓦葺の東洋のあずまやが咲き初めの牡丹に囲まれてぽつりと佇んでいる。池のふちには芝生を張りさまざまの花木…桜や躑躅や雪柳などが植えられ、この陽気に少しずつ花を開かせ始めている。サークル棟の隣には大学生協と学食があって、そこで早めの昼食にパンや惣菜を買った学生たちがベンチでそれらを談笑しながら食べたり、暇なものがボール遊びなどに興じたり早速出来たカップルが肩を寄せ合ったりしているのが見えた。
 自治会室に来る前に生協で買ったサンドイッチを取り出しながら彼女はまた軽くため息をついた。ここ2週間と言うものまともにゆっくり会っていない。一ヶ月前に合格発表を見たあとはそれまでの鬱憤を晴らすようにそれこそデートをしまくったものだけれど、入学してからあちらも…彼、孫悟飯は自治会のメンバーではなかったのだが…教授たちに気に入られて研究室に招かれ続けだったり、週末は祖父の家で祝い事をしたり、父親の仲間に会ったり弟サービスをしたりでなかなか多忙な毎日を送っていた。そのうち1年生としては異例だけど研究室に入ることになるだろうと言う。夜帰ってから少し家の電話で話はするものの、学部も全く違っていてさらに校舎が離れていたりするので、少ない一般教養の講義や、昼の少ない時間に待ち合わせるくらいしか顔をあわせることも無い。何処かの会社が携帯式移動電話を開発中だとも聞くが、まだまだ試験段階で実用化は当分先と言われている。高校の時と違って、大学と言うのはなんて広くって、なんて人に会いづらくて、なんて自分で動き回らないとどうにもならない場所なのだろうか!
 とりあえず今日帰ったなら、とビーデルは決意を固める。絶対電話で連絡を取らなければ。この週末は丁度相手の誕生日だ、予定を組まないといけない。なんたって20歳の節目の誕生日なのだから!

 電話、電話と心の中で繰り返しながら、その日もサークル申請の取りまとめとその内容の大学側との折衝などで遅くなった彼女は早足で屋敷の玄関を潜った。遅くにもかかわらず忠義に出迎えてくれる使用人たちに上の空で愛想を振りまきながら、階段を登ろうとしたところで執事に声をかけられた。
 「おかえりなさいませ、ビーデルお嬢様。ミスター・サタンが執務室でお待ちでございます。どうぞお出向きくださいますよう」
 「これから?」悲鳴に近い声をあげながら彼女は背の高いがっしりとした執事の顔を見上げた。「これからあたし電話をかけないといけないのよ!もう10時近いじゃない、早くしないといけないの。パパには明日にするように言ってよ」
 「いけません、絶対にお会いしたいとのこと。さあ、お手をお洗いになって」
 相変わらずの子供扱いにビーデルは顔をしかめたが結局はいい付けに従うことにした。幼い頃から母が病気で、また父親が不在がちだった分彼女の相手…話し相手であったり訓練相手であったり…をしてくれたのはこの毛深い顔の男なのだった。小さい頃は父親の内弟子だったこの男を兄のように慕い付きまとっていたものだ。いつしか使用人と言う立場にはなったものの、逆らいづらいのは今も同じなのだ。
 腕時計をチラチラと見ながら執事の後を歩き、父親の部屋へと来た。ノックの後、お入りと言う声が中からした。
 「久しぶりだねえ、私のビーデルや」
 入るなりさも嬉しそうにでれでれとした、父親の精力の強そうな鬚の濃い顔が出迎えてくれた。実際本当に久しぶりだったので彼女もどこかほっとしてそうね、と肯いたが、つい焦っていたのと疲れとで冷たい言葉を続けてしまう。
 「ただいま、パパ。何の御用?今日はあの新しい女の人はお帰りになったの?」
 だは、と顔を気まずそうに苦笑させて、父親はお座り、と促してきた。意外にも趣味のいい調度からひとつ布張り椅子を選んで彼女は腰を下ろした。
 「今更だけれど、入学おめでとう。この週末はパパも久しぶりにゆっくり出来そうだ。そこで内輪でゆっくりお祝いをしたいと思うんだけど、どうかな?欲しいものもあれば言ってご覧、何でも買ってあげよう」
 「週末ー?」
 「なんだい、都合が悪いのかい?」執務机から立ち上がって、父親は机の脇に寝転がっている犬のベエを起こさないように近づいてきて隣に座ってきた。「お前も最近はまた色々忙しそうだけれど、都合ぐらい付けなさい。折角のパパの素敵な思い付きを無駄にしないでおくれ。自治会の用事なのかい」
 「違うわ。でも、あたし。ねえ、返事は明日じゃ駄目なの?あたしこれから電話をかけなきゃいけないのよ」
 「悟飯君にかね」
 珍しくその名前が父親の口から出てドキッとした。もう付き合いだして2年近くになるけれど、タイミングを逸したせいもあって父親には直接には付き合いのことを報告していなかったので。しかしどうせ執事の口から聞いていることだろうし、なんだか見て見ぬ振りをしているような感じだったのでなんとなくなおざりのままにしてきたのだった。そこには、娘に断りもなく女性関係を派手にやっているこの父親にそんなことをいちいち報告してたまるものかと言う反発も無いではなかったのだけど。なのに父親は自分によく似た青い眼を厳しくしてさらに続けてきた。「ちゃんとしたお付き合いをしているんだろうね」
 「…」父親が望むようなちゃんと、と言う段階ではすでになくなっていたのでビーデルは赤くなって口ごもった。ええこないだ合格発表のあとめでたく大人の関係になりましたなどと言ったなら父親は卒倒するに決まっている。
 どう返してこの場から逃げたものかと絨毯の上で寝ているベエを見ながら思案していると、脇から父親が大きな手で肩を叩いてきた。
 「いいだろう。じゃあ、土曜日に悟飯君のご一家もお招きしよう。パパも久しぶりに悟空さんにお会いしたい。それに悟飯君も誕生日なのだろう?そのお祝いもさせていただこう。さあ、もういい。早くこのことを電話しておいで」
 「え、で、でもパパ!そんな急に!」
 「皆さんで絶対にお越しくださいってちゃんと言うんだよ。なんなら」顎で後ろに控えている執事をさしてにんまりと憎みきれない笑顔をする。「こいつに電話させようかね?ん?」
 情け無い顔をする彼女に、くすりと執事が忍び笑いをするのをみとめてビーデルは肩を怒らせて執務室を出て行った。





 風呂にのんびり浸かって悟飯がその日生物分子学の教授に見せてもらった機材のことをいろいろと思い出していると、いきなり居間の電話のベルが鳴った。10時までは待ったけど電話がなかったから(あちらの方が忙しいものだからこちらからはかけず、あちらの都合に合わせていたのだった)ああ今日は電話が無いのだな、明日会えればいいけれどと諦めてもう寝る支度をしていたのである。急いで脱衣所に上がると洗面所との間のアコーディオンカーテンが開いて父親が電話の子機を差し出してきた。
 「悟飯、電話ー。ビーデルから」
 「す、すみません、おとうさん」
 素っ裸の悟飯は慌てて腰にタオルを巻きつけながら、父親の自分と大して変わらぬ格好を見て面食らった。さっきパジャマを着て寝室に入っていったくせに下着一丁でしかも髪を乱してあちこち皮膚に妙な充血と濡れた跡を付けている。子供の頃もたまにそういう父親は見たが、さすがに意味の分かる歳になった悟飯は思わず赤くなりながらひったくるように子機を受け取った。にやりと父親が笑って言う。
 「ちゃんと服着ろよ」
 「お…おとうさんこそっ」
 「あ、そうだ、明日上の家の辺で修行したいけどいいよな?」
 「な」ぎくっとしたがとりあえずとぼけてみる。「なんで。いいですよ」
 「いやあ、なんかこないだ近くまで行ったらおめえら使ってるみたいだったから。まあ学校始まってからはないみてえだけど、一応さ?」
 睨み付けるとからからと笑ってさあ続き続き、などと言いながら父親は寝室に戻っていった。何の続きだと言うのだろう。ともかく急いで子機を持ち上げてみると保留になってなかったので余計脱力した。父親は電話は気がむけば受けはするものの母親以上に機械オンチだったから未だにそれくらいのことも出来ないのである。しかたのない人だ。
 「ご…ごめん、お待たせ」
 受話器の向こうで今の会話を聞いていた彼女の恥ずかしさに絶句しているような声がした。そこで出された提案は翌朝の孫家の食卓でおずおずと披露され承認された。母親はああこれで大量のご馳走を作る手間が省けたと喜び、そんな凄い屋敷にお呼ばれなんて何を着ていこうか大騒ぎし、父親はさほどお呼ばれ自体に興味は無いもののご馳走に想像をめぐらせよだれをたらし、弟は久しぶりにブウとベエに会って遊べると喜んだ。そんな無邪気な一家を見て悟飯はつくづく家は平和だなあと強く思った。自分はそれどころじゃない。何せ付き合い始めてから初めてまともに、「彼女の父親」と顔をあわせるのである。

 「緊張しちゃうよ」
 「ごめんなさい、パパったらホント強引なんだから」大教室の長机の横でノートを取りながら彼女が詫びた。図書館学は数少ない一緒にとっている講義のひとつである。履修は特に一緒に相談して決めたわけではないのだけど、一応学芸員の資格も取りたい悟飯は必須だし、ビーデルも興味があるというので偶然一緒になったのだ。
 「とにかく、そんなおおごとじゃないんだから、身構えてこないようにおばさんにも言っておいてよ」
 「今日ドレス買いに行くとかはしゃいでたしもう手遅れだよ」
 「おばさんったら。それはともかく、プレゼント何がいいか考えてくれた?もう明後日なのよ、明日はまた自治会で遅くなるから出来たら今日買いに行きたいのよ」
 「いいよ、別に」
 そう答えると、彼女がみるみる青い眼を悲しげに曇らせた。慌てて言い添える。
 「違うよ、ビーデルさんがくれるものなら何でも構わないよ」
 すると白い頬をぽうっと赤くして大きな瞳をさも嬉しそうに微笑ませる。その顔を見ると悟飯の胸に急に甘く温かいものが広がって今更ながら自分でドキドキした。ついで触れたい衝動が広がって必死で誤魔化すようにノートを取りその傍ら出されているレポートの推敲をする振りをした。
 大学は悟飯にとって想像以上に面白い場所だった。専門的に、本格的に何かを学ぶと言うのがこれほど面白く刺激的なこととは思わなかった。学者たちはなんとさまざまな手段で、深く広くものを観察しているのだろう。知れば知るほど、学問の世界を覗き見れば見るほどに、夢は膨らみ続けていく。将来この世界に己の身を浸したいと願わずには居られないのだ。
 しかしこうして、大学と言う世界の中で彼女と離れて行動すると、どれだけ自分が今まで彼女を頼りにしていたかと言うことも感じずには居られない。高校で多少マシにはなったものの基本的に自分は世間知らずだったし、それほど他人に声をかけるのが得意な方でもない。自覚はしていたが周りの同じ年頃の男子とは多少ノリが合わないのだ。入学したばかりだから仕方ないことだったが、まださほど仲のいい友人も居なかったからここのところ昼はいつも独りだった。生協のそばの広場で、母の持たせてくれる大量の弁当を広げながら、何度彼女の居るだろう自治会室の窓を広げて切ない思いをしただろうか。
 いっそ自分も何かサークルなり入ればいいのだろうけど、彼女と会えるだろう時間をこれ以上減らすのも辛かった。それに出来得るなら母親の経済的負担を減らすために、かつ少しでも金を貯める為にバイトもしてみたかったし、研究にもなるべく多くの時間を割いて在学中に認められたかった。世間的にはまだ19ではあるもの、精神と時の部屋でひとつ余計に歳をとっているために間近に迫った20歳を前にして彼は何処か焦っていた。新しく開けた道は広大なようでそうでもない。時間は限られかつやりたい事は多すぎる。卒業までなにせ4年しかないのである。
 彼女はどう思っているのだろう。彼は横目で彼女を見た。柔らかい猫っ毛が、たまった疲れにうとうとと上下している。そのなんだか暢気な可愛らしい様に幽かな苛立ちとも嫉妬ともつかぬものを覚えて慌てて振り払った。何だかんだ言ってこの時代に至っても女は気楽だ。男はそうではない。彼女はそんな自分の思いをどこまで分かってくれているのだろうか?
 それをはっきりと本人に伝える間も無く、明後日はそれを彼女の父親に品定めされるかもしれないのである。


 土曜日の夕方5時においでくださいというので、早めの昼食の後に一家はフライヤーに乗って4月終わり近くの空を北に向けて出発した。このように普通に行けばかなりの時間がかかるものだから、珍しく背広を着込ませられた父親は母親の隣の助手席で昼寝にかかってしまった。父親はどうも昔から乗り物に乗ると眠くなる性質なのである。何も刺激がなくじっとしているのがよほど苦手なのだ。
 「ビーデルさんちって遠いんだねえ。ボク退屈してきちゃった」
 2月に9つになった弟は最近ずいぶん背が伸びてきた。チェックのハンチング帽と半ズボン、蝶ネクタイを締められた姿を見て、父親は昔自分もヤムチャにそういう格好をさせられたけど、こうして見ると割と似合っているなどと妙な褒め方をしていた。弟は割とお洒落に興味があるほうでこのような格好をするのは嫌いではない。
 「悟天も暇なら寝てればいいよ」
 「ううん」弟が首を振る。「兄ちゃんと久しぶりに一緒にお出かけだから嬉しいんだもの」
 受験の間もさほど構ってやれず、最近は大学と彼女にかかりきりでほとんど遊んでやれなかったのを悪いことをしたと反省する。父親が帰ってきてからそっちに懐いてくれたのは嬉しかったが、やはり長年父親代わりをしてきた身としては寂しい気持ちが無いではなかった。またやりたいことが増えてしまって悟飯は苦笑する。
 虫の名前縛りや植物の名前縛りなど色々工夫をしたしりとりをしたり、暇だろうから持って来た本を読んでやっているうちにフライヤーはサタンシティの上空まで来た。母親をナビしてサタン邸の近くの公園に降りた。
 「入学式の時も来て思ったけんど綺麗ないい街だべなあ」
 祖父に似て花の好きな母親が目を輝かせた。咲きこぼれるがごとく花をつけたエンジュが街路樹として道の両脇に連なり、公園には咲き始めた藤の花が柔らかい紫を夕映えに輝かせている。大河が近く池の多い町にはそこここにこのような公園や旧い社寺があってこの季節見事な牡丹が咲き競い、子供たちが楽しげに遊んでいるのである。混ざって遊びたそうにしている悟天を促して一家は屋敷に向かって行った。
 邸内に通されると中で主であるサタンと、世間的にはサタンの弟子と言う形になった魔人ブウ、それとすっかり成犬になったベエが出迎えてくれた。ビーデルはまだ支度中だという。
 「よくおいでくださいました、悟空さん」
 「久しぶりだなあ、アレ以来だな」
 父親同士はがっしりと握手を交わした。アレとはおととしの戦いの後、カプセルコーポレーションで開かれたパーティーの話だ。ミスター・サタンはあの戦い以来何だかんだ言って父親を尊敬しているようだった。周りの使用人で日の浅いらしいものがその様子を見て驚いた顔をしているのがわかる。執事などは事情を分かっていたからその辺心得たもので、一行を食事用の大広間へそつなく先導した。
 「ひゃー」
 父親が顔を輝かせた。広間は見事なテーブルセッティングで、脇のワゴンには用意された冷製肉の塊などが燦然と輝いていた。父親が真っ先に手近の席に着こうとしたが促されて所定の席に座らされる。
 「こりゃ大変だ。かなりちゃんとした洋風の正式の晩餐だべ。悟空さにそんなマナーなんてわかるわけねえだよ!」
 髪に美しく造花と真珠を編みこんで東洋風のドレスでめかしこんだ母親が、使用人に羽織ったストールを預けながら顔を青くした。本人はさすがお嬢様育ちで歳とともに身についた貫禄のようなものも加わって堂々としたものだったが、席について急いで隣の弟にフォークとナイフの扱いを教えなおしたりしている。
 悟飯は上座、ホスト席の角向かいに座らされた。向かいの席は空いている。少し待たされた後、部屋の入り口から声がして、ビーデルが中に入ってきた。それを見て眼鏡の奥の目を思わず瞬かせる。まだ20前の娘らしく柔らかく少し砕けたデザインのふわりとした淡い色のワンピースに、普段しない化粧を薄くして、少し伸びた髪を綺麗に纏めている。
 「おじさん、おばさん、悟天ちゃん、急なことでしたけど来て頂いてありがとうございます」ホステス役の彼女が照れたように頭を下げた。「うちのシェフに腕を振るわせたので、料理は大掛かりなものになってしまったんですけど、あまりお行儀とかそういう堅苦しい事は抜きにしてどうぞ楽しく召し上がって下さい」
 「お招きいただいてありがとう」ちょっとほっとした顔になった母親が立ち上がって礼を述べた。「まあ今日のビーデルさんはめんこいこと。悟空さがまた意地汚く食い散らかすけどどうか大目に見てやってけれ」
 「おばさんも凄くお綺麗。ホントにドレスもよく似合ってスタイルも良くって」
 「やんだぁ、ビーデルさんったら相変わらずお世辞が上手なんだからぁ」
 女同士の世辞に付き合っていてはきりが無いので、食前酒が注がれて2人の入学と悟飯の誕生日に対して乾杯ののちに晩餐会の幕があけた。コース料理ではあったが父親はそんなこと知ったこっちゃない。サタンも前に見ているからその辺は心得たもので、父親だけ別メニューの別進行で座は和やかに進んでいった。使用人たちは次々と空く皿の回収と新しい皿のセッティングにてんてこ舞いである。
 しかしまあ、と悟飯は本音父親のようにたっぷりと食べたかったのだがサタンの手前おとなしく礼儀良く三皿目の魚にナイフを入れながら考える。何回かサタンが居ない時にこの家に来た事はあったがいつも砕けた接待だったものだから、まさかここまで彼女が筋金入りのご令嬢だとは思わなかった。趣味のいい調度を本当に自分の家の家具と見ている態度、使用人への受け答え、ちゃんとした立ち居振る舞い。服と化粧のせいもあるのだろうけれどまるで日頃見ている姿とは別人である。急に彼女が遠いような存在に思えて、目を落とす振りをして飲み物を口にした。
 母親もお嬢様ではあるし祖父の城で何か催しがあるときにはそれなりの振る舞いをするのだけど、普段は全く普通の家庭の主婦である。当然自分だってそのように育てられてきた。だが彼女は「これがあたりまえの日常」にすんでいるひとなのだ、と今更ながらに気付いて急に不安を覚えた。自分は彼女にこんな贅沢をあげられるような人間ではない。彼女は自分と暮らしたばあい、本当に満足をしてくれるのだろうか。
 彼女を見ていると、それに気付いた彼女がにっこりと微笑み返して来てくれた。思わずへらり、と弱く笑うと、横から彼女の父親のサタンの視線を感じた。二人は慌てて目を伏せてそれぞれの皿に向かい合った。
 「ごっそさん。いやー、うまかったー!」早々に大量の皿を片付けてしまった父親が、ネクタイを緩めて椅子でのけぞった。「まだ皆食ってんだろ。オラちょっとだけブウとあそんでくらあ」
 「悟空さ!お行儀の悪い、こんな席ぐらいちゃんとするだよ!」
 「まあまあ奥さん」サタンが笑った。「構いませんよ。またデザートの前になったらうちのものを呼びにやらせます。ブウも暇でしょうからどうぞ相手してやってください」 
 「おじさん、ボクもいい?ボクもうおなかいっぱい。ベエと遊ばせて」
 子供用に別に用意された料理を食べ終わった悟天も立ち上がった。いいよ、とサタンが肯くとよく似た親子はやったやったとはしゃぎながら部屋を出て行った。母親がもう、とひとつ嘆息を漏らして、場は4人だけになって、次いで微妙な沈黙に包まれた。しばらくおとなしく4人で食べていたものの、しばらくして沈黙に耐えかねたのかビーデルが隣に座っている悟飯の母親になにやら話しかけはじめた。なんだか取り残されたような気になった悟飯はもそもそと横を気にしながらひたすらフォークとナイフを操った。確かに凄く美味しいのだが余り味が分からない。何か話しかけたほうがいいのは分かっている。だがどう切り出したものか。今更いきなり、お嬢さんとお付き合いさせていただいているんですがも無いだろう。
 そもそもサタンとはほとんど話したこともなかったし、武道会のときに罵られたのが尾を引いて双方前のパーティでも微妙に気まずい雰囲気だったのだった。寡黙すぎるベジータも苦手ではあったが、こういうやたらと社交的で面子を気にするタイプの人間も悟飯にとっては得意ではなかった。なまじそういう人間であるのが分かっているだけ、なにかいい話題をと探してもたもたしているうちに相手はさっさと他の人と喋りだしてしまうのだから。
 考えあぐねていると横から手が伸びてきて皿が下げられ、次いでメインディッシュが差し出された。サタンが何か使用人に指示をして、ついでのような雰囲気で不意に小声で話しかけてきた。
 「もう2年になるのかね」
 「は、はい?」
 びっくりした悟飯は慌ててフォークを取り落としてしまった。顔を赤くしていると使用人が拾って新しいのを卓に置いてくれた。
 「ビーデルとはもう2年になるかね」
 「は、はあ…8月で」
 「そうかね」それだけ持ち前の低い声で言うと、サタンはまた何事も無いように切り分けたステーキを鬚の奥の口に運んだ。意外と綺麗な食べ方だった。
 話題の切れてしまった悟飯はどぎまぎしながらもそれに続いた。サタンの向こう、客間もかねたこの部屋の壁にはトロフィーや賞状が奥の壁に所狭しと並べられ掛けられている。それはこのひとの歩んできた、「普通の人の世界での」栄光の人生そのものなのか、と悟飯は今更に思い至った。だからと言って自分は素直にその内容を褒め称えられるでもない。常人を超えた自分はこの人とどのように接すればいいのだろう?どのように接すれば、自分たちは打ち解けられるのだろうか?
 向かいのビーデルの向こう、窓の外は美しい夕べの残照が広がっている。



 メインディッシュが終わり、散々遊びまわった父親と弟も呼び戻され、ブウも加わってみなでデザートとお茶を取ることになった。寛いだつくりの隣の部屋に一同は席を移し、おのおのソファに掛けて甘い菓子が振舞われた。BGMに雰囲気の良いクラシックも流れ、食事の時の酒も回ってなかなかに良い雰囲気だった。
 でさあ、とおもむろに、母親にネクタイも締めなおさせられ三つ揃いのベストにシャツという多少マシな格好に戻った父親が談笑していた相手のサタンに聞いた。

 「いつこいつらケッコンシキするんだって?」

 ぶうっ、と若い二人はお茶を拭いて、他のものは使用人たちに至るまで固まってしまった。きょとんとして周りを見回しているのは父親と弟とブウだけだ。
 「え?違うの?おとうさんと言ってたんだよ?これってオミアイってやつじゃないの?って」
 「なあ。オラテレビで見たことあるぞ。フツーの結婚する前にはこうやって両方の親が集まって食事したりするんだろ?オラはしなかったけど」
 「ご、悟空さ!」思わず立ち上がった母親がパイのかけらを口から飛ばすという、先ほどまでの淑女然とした振る舞いとはまるで違う形相を見せて父親に詰め寄った。
 「な、なに怒ってんだよ、チチ。おめえも言ってたじゃん、いつも、悟飯とビーデルが結婚したらいいなあって」
 「へえー」ブウがいきなりてんがら暢気な声をあげた。「なんだか分からないけど、いいことなのか?ケッコンって」
 そうそう、などと無責任に弟が肯いているのを見ながら、あまりのことに悟飯は口元を拭うのも忘れていた。いくらフツーの結婚をしなかった父親とは言えこれはあんまりではないか!
 横目で恐る恐る彼女とその父親を見た。母親も恐る恐るサタンを振り返っている。釣られて父親も。なんだかだんだん不安になってきたらしい弟も首をかしげてサタンとビーデルを見た。

 「いやあ、参りましたな、悟空さんには。そうですなあ、私としては大学を卒業したらすぐにでもと思ってるんですが。悟空さんの息子さんにならビーデルをお任せして安心ですわ、ハハハ」

 いかにも豪快そうに笑うその声に母親がほっと肩を落とした。「あらまあ、よかったこと、おらもどうせなら早いほうがいいと思ってたんです、おらたち二人も早くに結婚したもんだで、なあ悟空さ」
 「ん、そうだな」
 「これはめでたい。おい、セラーからいいのを一本持ってきなさい。なんと良いご縁だ、私は嬉しい。今日はどうぞお泊りになって行ってください」
 ちょ…!
 何だこの雰囲気は。親同士で勝手にどんどん盛り上がってしまって。なんだか父親まで加わってしまって、まるでその辺の親のように、ドラマで見るような強引な親のようになってしまっているではないか。
 「よかったなあ、悟飯」
 そう言って来る父親の無邪気な顔がなんだかいきなり悟飯には別人のように見えた。一体これは誰なのだ。ネクタイもちゃんと締め、日に焼けた目元に微かな皺を作り、さも嬉しげに微笑んでいる、自分より10も20も上のようなこの人は。
 「ちょ、ちょっと待ってください!」
 呆然としていると横からいきなりビーデルの声がした。「パパは何でいつもそう勝手に決めちゃうのよ!あたしの意志なんていつもいつも置いてけぼりにして…!」
 「ビーデル」青ざめたサタンが父親の手を離しながら後ろの娘を振り返った。「なんだね、お前は悟飯君と結婚する気が無いというのかね」
 「違うわ、でも…もう、もうパパなんか知らない!」
 「あ、おねえちゃん!」
 
 部屋にいきなりクラシックの音色が大きくぶちまけられたように思った。と思ったら執事がそっと音量を落としてくれた。
 「なにおこってんだ?ビーデルは」
 我関せずという顔でチョコレートケーキを口いっぱいに頬張っていたブウが、変わらずのんきな声をあげた。ぐすんぐすんと鼻を鳴らし始めた弟の頭を撫でながら父親がこちらを見て首を傾げてきた。別に怒っているとか悲しいとか驚いたとか不思議そうとかそういうのではなく、ただ自分を見つめて。サタンの顔はこちらからは伺えなかった。
 「なにしてるだ悟飯」椅子から腰を浮かしかけたままでいると急に低い声がした。「彼女をひとりで泣かせとくでねえよ!父さんだってもうちょっと気が利いてるだ、そんな唐変木に育てた覚えはねえ!さっさと行ってやるがいいだ!」
 



 気を探ると、彼女は中庭の方に居るらしかった。回り込んでみるとテラス窓が連なった中に切られた大きなガラスドアの向こう、ドレスのままの彼女がアザレアの生垣のそばのベンチに腰をかけていた。
 そっとドアを開けて近づく。すっかり日も落ちた庭のほのかな明かりが、淡い色のドレスに無残にこぼれた茶色の紅茶の染みを浮かび上がらせていた。彼女は顔を覆ってじっとしていたが、前に立った悟飯に気付くと小さな声で詫びた。
 「ごめんなさい、パパが」
 「ううん、ごめん、うちのお父さんこそ」
 そっと微笑みあってから、彼女は頭を悟飯の胸に寄せ、悟飯はその頭を優しく撫でた。
 「…勝手よね。私だっていろいろ、考えてたのに」
 「ボクもだよ」
 「いろいろやりたいこととか、やらないといけないことで今いっぱいいっぱいなのに」
 「そうだね」
 庭の何処かからバラの良い香りがした。抱きしめている頭から柔らかなにおいがした。確かにそうだ、自分たちはまだ若くて、開かれた道が余りに広くて目移りがして美しくて、あれもこれもと欲張ってしまう。将来の夢、掴み取りたいもろもろのもの、できるかもしれない友人、楽しげなあつまり、みんなみんな欲しい物ばかりだ。そして大学生と言う響きはそれら全てを得なさい、と眩しい掌に載せて提示してくるのだ。
 開かれた途はどこへ続くだろう?ただわかっているのは、それがこのひととともにあれば、と言う自分のこの願いだけ。肌を重ねるようになってより確かになった情熱とその落ち着くだろう先。どんなに目移りをしても、結局はこのひととともに歩む途が先になければ、それは自分にとって意味のないことなのだろう。


 高鳴り始めた鼓動に口が回らなくなる前に、そっとささやいた。
 「でも、いつか、そうしよう」
 「ええ」彼女がはっきりと肯いた。肯いて、頭の上の手をどけて、はっきりと自分を見て、もう一度。「ええ、いつか」

 微笑んで唇を寄せようと肩に手を置いたところで、振り返るとやはりバラの植え込みの陰に自分の父親と母親と弟が居た。
 「あ、やっぱり気付かれちゃったよ、おとうさん」
 「オラ完璧に気ぃ消してたのにな、チチもちゃんと消せよ」
 「おらそんなこと無理だべ」
 「ということですから」咳払いをして悟飯は続けた。「いつか、ということで」
 「んだか、まあええだよ。よかったよかった」
 「わあい、良かったぁ」
 そっか、と父親がまだ何処か別人のような顔で微笑んだ。よろしくお願いします、と彼女が頭を下げた。ガラス戸の向こうで見ていた彼女の父親が泣き笑いのような顔をするのが分かった。




 もう一度仕切りなおしだと先ほどの部屋に戻る一行を見送りながら、悟飯は庭で同じように立ち止まったままの父親を見た。
 「わりかったな」
 「…強引なんですからね、おとうさんもサタンさんも」
 「でもまあ、」柔らかい光の中で父親がまたネクタイを緩め、外して投げ渡してくれた。こちらのが汚れたから替えろ、というのだろう。「嬉しかったさ、やっぱな。オラだってずっとそうなればいいと思ってたからさ。だから今日は、柄にも無くちっとはしゃいじまったのかもな」

 肩をひとつ叩いて微笑み、父親が先に歩き出す。
 「おめえも、親父になりゃわかるさ」



 風が柔らかく中庭に通って、かぐわしい香りをあたりに散じた。なんだかこみ上げてきたものに導かれるように天を仰ぐと優しい春の星空だった。
 あのひとは、親だったのだ。
 どんなに手がかかって、無邪気で、世間知らずであっても、子である自分の幸せをこんなに一心に願ってくれる、親だったのだ。





 肩に残ったぬくもりと少し残った念話の欠片に悟飯は眼鏡の奥の目をそっと閉じ、そっと眉を顰め、そして見開いてまっすぐに歩き出して行った。
 はっきりと迷いなく、心の中に引かれた一筋の道を足取りの下に重ねながら。
 自分の、自分たちのあたらしいかたちになった家族のもとへ。






あとがき・もくじ(ブログ)
小説投票
拍手する + 拍手する