このページはイラストレーターはるまきの、個人的なドラゴンボール版権小説置き場です。鳥山先生、集英社さんとは一切関係ございません。
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 「そうかあ、今日でいよいよおしまいってことなんですねえ。いやあ、長かったような短かったようなですねえ」

 5月の頭、その日に相応しいように見事な快晴の早朝、店長が感慨深げに唸った。綺麗に手入れされた黒光りする角はこの牛乳店の牛の店長のご自慢だ。それがぴかぴかと朝日に反射して、眩しくて悟空は目を細めた。すぐ目の前にいる師匠と修行仲間の禿頭の反射が眩しいのもあったけれど。いつもよりちょっと早い、5時少し前。明け初めの青く暗く眩しい空を南国のとりどりの色の鳥たちが渡っていく。
 「どうも8ヶ月の間ウチの不肖の弟子どもがお世話になりました。武道会から帰ってきましたら儂もとりあえずは元の島に戻るつもりですので、今朝はご挨拶にと思いましての。こやつらも散々ご迷惑をおかけしたと思いますが」
 「いえいえ、とんでもない」
 「また牛乳瓶を返しに来る時に改めて御礼させていただきますけれど、どうも今までありがとうございました」
 「うん、こちらこそ助かったよ。こちらこそどうもありがとうねえ。大会頑張ってね、クリリン君、悟空君」
 そう言うと店長はクリリンの手を、そして悟空の手を順繰りに握ってくれた。
 「サンキュー」
 そう元気に答えた悟空の頭に師匠の杖が飛んできた。それを何とか避けて彼はもう一度満面の笑顔で言い直した。「ありがとうっ、ございました!」





 40kgの亀の甲羅を担いでスキップでまずは2kmといういつものコースを、いつものように甲羅を揺らしながらクリリンが後ろから呼びかけてきた。
 「いやあ、いよいよ明後日って実感がわいてきたなあ、悟空」
 「そうだな、いよいよ修行もおしまいって感じがしてきたな」
 「ちゃんと行く先で人に会ったらさっきみたいに挨拶せねばいかんぞ。全く、悟空の礼儀は8ヶ月かけても大して進歩せんかったのう」
 師匠がスキップをしながら前を先導しているのがなんだか余計に最初の日を思い出して感慨深い気持ちがする。山の上の和尚にも挨拶したいと言うのでそこまでは付き合ってくれるらしい。広々とした海が右手にきらきらと広がっている。ジグザグをする並木道が、遠く丘の向こうのほうにぴょこぴょこと頭を出してきた。

 去年の夏あの冒険を終え、悟空は約束どおりこのとぼけた師匠の弟子になった。祖父が死んでから自分より強いと思えるものにめぐり合ってこなかった自分にとって、この師匠は初めて心の底から「すげえ!」と感嘆できる唯一の人となった(あのチチの父親の牛魔王も凄いんだろうな、とは思えるけれど実力のほどを見せてもらってないしそこまでではない)。
 いつかこの人の放ったあの物凄い「かめはめ波」とやらが自分にも撃てればいいと思う。いつかこの人を超えるくらいに凄くなれれば、と思う。それを目標にこの半年以上を、正直余りかっこよくない亀の甲羅を背負って、毎日毎日同じ修行をひたすら繰り返してきたのだ。 
 甲羅を背負い始めの頃は、このスキップだけでもかなりふくらはぎが攣りそうに痛くなったものだ。実際クリリンは何度もこむら返りを起こしてしまい自分はしょっちゅうそれを撫でてやっていた。それがだんだんと平気になり、いつしか甲羅を意識しないほどになった。ひとつき前に甲羅が倍の重さになってまたちょっと辛くなったけれど、もう今日は今このように山の階段を登ってもだいぶん平気だし息も切らさない。体力がついたとはこういうことなのだろう。
 読経の声とぽくぽくという木魚の音が聞こえ出すと、頂はもう間近だ。この寺の牛乳はクリリンの箱から出すのがいつもの習慣である。瓶を入れ替えている間に師匠が剥げかけた朱塗りの扉を叩いて、ふくよかな和尚の鬚面が覗いた。和尚もにこやかに、今までの礼を言い大会に向けて励ましてくれた。店長と同じように握ってくれた手がふかふかと暖かかった。
 次の朝の修行でも同じことだった。思えば最初の頃は秋植えのサトウキビのために耕していた畑も、季節が移るにつれ豆のためになり、青菜のためになりしてきた。自分たちが耕してきた畑には農家の人たちが次々と種を蒔き苗を植え、時にはその水遣りの手伝いもしてきたものだ。山を出るまで自分は畑と言うものすら知らなかったのでブルマに教えてもらった当時は何故草など育てるのかとても不思議だった。天気が良すぎても大変、大雨が降っても大変。でもすくすくと美味しく実ればとっても嬉しい。なかなか面白い仕事かもしれないと思う。
 「そうかあ、ご苦労さんだったなあ。よっし、今穫れたばっかしのだけどな、やるべ。これたんと食って精つけて頑張れやっ」
 そう手渡してくれた野菜を食堂の卓の上に積み上げるとランチが笑った。
 「まああ、こんなに沢山!すごいですわ、ありがたいこと。今日はご馳走にしましょうねえ」
 「ちゃんと礼は言ったんじゃろうな、悟空」
 「言ったさ」と唇を尖らせるとクリリンが嘘つけ、また敬語できてなかったじゃねえか、と笑った。周りの皆が笑った。食堂のナマズみたいな鬚の主も、蟹みたいな面構えのばあちゃんも、毎朝顔をあわせるのですっかり馴染みになった常連客たちも。この家の子どもがそれを見ながら学校へ出かけてゆき、客たちもそれぞれの仕事へ席を立っていく。何人かはまた励ましの言葉を言ってくれ、そのうちの何人かはまた手を握ってくれた。悟空は思った。世の中にはいろんな、ほんとうにいろんな手があるのだなあ、と。
 この修行をはじめて自分が知ったのは、世の中にはいろんなことをする人がいるんだなあ、ということだった。山を出る前は、世の中の人はみんな都でもどこでも、自分のように身体を鍛えて、獲物を探して日々を暮らしているのだと思っていた。でも世の中は、いろんなことをいろんな人が分け持って成り立っているのだ。祈る人、配る人、作る人、獲る人、育てる人、整える人、片付ける人、考える人、その他、その他、たっくさんのことを、たっくさんの人が。
 それが、あの冒険で知った「いろんな風景」のなかに樹の根っこのように広がっている、「ひとの世界」というものなのだ。



 昼の勉強は敬語大会だった。それもあってか、工事現場の親方にはなんとかちゃんと終いの挨拶をすることができた。珍しくちょっとしゃっちょこばってそんな慣れない挨拶をする悟空を見て親方は豪快に笑って、太い腕で背中を叩いた。クリリンは仲良くなった別の作業員とも言葉を交わしている。
 「そうかい、明後日いよいよ武道会ってわけだな。武天老師様のお弟子だもの、きっといいところまでいけるだろうよ、頑張れよ」
 「うん!」
 なんでも親方も昔武術を少し齧っていたのらしい。「まったく羨ましいぜ、武道会だもんなあ。オレも頑張ったけど、所詮は普通の人間レベルさ。…あの人たちには全然及ばなかったなあ」
 「あの人って?」工事の片付けを手伝うクリリンを遠目に見ながら悟空は親方に聞いた。
 「むかーしな、この島で同じように修行をなさってた老師様のお弟子さんたちだよ。ひとりはガキだけど物凄く図体が大きくて、牛の角の帽子をかぶったひと。もうひとりはもうかなり年食ってたけれどそりゃあもう強くって、ガキだったオレはその姿に憧れて武術をはじめたのさ。あんなに強くなれたらなあって。結局無理だったけどな」
 親方が何処か痛いような笑いをして、岩の上で無精鬚にうもらせるようにして煙草をひとつふかした。夏の気配を帯びてきた青空が、椰子の葉陰の向こうにきらきらと眩しく光っている。
 「無理って」そう呟いたところで、なんだか胸に重い釘を載せられた気がして眉をしかめた悟空の隣にクリリンがやってきた。憮然としたままのその表情を見て2人は顔を見合わせ、やがて親方は肩をすくめて笑った。

 「なあ少年ども、若いっていいなあ。お前らはまだ13かそこらだ。まだまだ強くなれる、強くなれるだけの時間がある。だがな、お前等はそれを無限に思ってるのかも知れねえけど、過ぎてみればあっという間のことなんだよな、実は。だからおっさんたちはその真っ只中なお前等が羨ましくて仕方なくて、励ましたくて、でもちょっとねたんだりもしてみるのさ。
 オレみたいなおっさんが例えカカア子供を食わせるために武の道を諦めましたとか言ってもまだなんでかわかんねえかも知れねえ。でもお前等にもそうしてなにかの為に何かを捨てる時が来るだろう。人生ってのはそういう取捨選択の積み重ねなんだ。
 でもな、頑張れよ。もうこうやって顔も逢わせる事もないかもしれないけど、おまえらは自分のその時々の一番大切なものをいつも見失うなよ。一番大事なもののためになら、何もかも投げ出せる心意気を持てよ。それが男ってもんだからな」

 周りで、トラックの荷台に荷物を載せたり、みずからも乗り込もうとしている作業員たちがそれぞれ肯き笑った。交わした手のまめが掌に痛かった。
 トラックが去ってゆき、少年たちは青い空の下、舗装したての温かく黒々とした道の上に2人残された。
 ヘルメットを脱ぎたてで、汗に濡れて余計にぼさぼさしている黒髪を潮風が分けてゆく。そんな風にして珍しくぼんやりともの思わし気に立ち尽くしている親友に、クリリンが貰った二人分の日当の封筒をひらひらさせて笑いかけた。今日の分は最後だからというのでちょっと色をつけてくれている。
 「いい人たちだったな」
 コクン、とひとつ肯いて、その亀の甲羅はおもむろに勢いよく駆け出して行った。









 水泳を終え、蜂をかわす訓練を終え、もう習慣になってしまった岩を動かす二人だけの秘密の訓練を終え、かくして武道会前最後の日の修行も無事終わることが出来た。その日はちょっと多目に貰った工事の日当と貰った野菜とで、ランチが豪勢な食事を作ってくれた。
 「私は武道会にはご遠慮させていただきますから。もしそんな人の多いところで変身してしまって皆さんにご迷惑をかけてしまっては大変ですものね。お二人ともどうぞ頑張って来てらしてくださいね」
 「そうかあ」
 「折角だからランチちゃんにも晴れ舞台を見せて上げられれば良かったのにのう」
 「でもそうおっしゃるなら仕方ないですね」
 そうクリリンが言うと、ランチは2人を見つめて優しげに、何か意味ありげに微笑んできた。何処か寂しげなようなその顔を見てクリリンは思う。彼女も昼間はこの島をもう離れると言うのであちこち挨拶に回っていたようだ。この半年余りで知り合いも多く出来、中には師匠の目をかい潜って積極的にアタックする男もいた。いろいろ名残惜しいこともあるのかもしれない。
 武道会までを節目と定めて、この8ヶ月間この島で一同は暮らしてきた。弟子としての生活はこれからも続くのだろうが、この形での、この島での人々を手伝いつつの修行はとりあえず今日終わりを告げた。8ヶ月と言う時間は根を下ろしきるには長くもなく、さりとて離れるのが寂しくない、と言うほどには短くはない。とりあえず武道会から帰ったらこの家はあの島に再び戻される、と言うのはすでに決まっている。それはまた行方不明になっているこの家のメンバーらしいウミガメを待つためでもある。
 自分はこれからもこの師匠の弟子を続けていくつもりだ。そして言えるのは、もう自分にとって帰る場所といえばこの家しかないと言うことだ。肉親もなく、預けられた寺も飛び出し、ただ強くなりたいと言う(不純な動機も混じってはいたが)一心で、噂に高い武天老師の居場所を探して舟をこいで弟子入りしてきたのだ。せめてその名を汚すことない戦いをしたいものだ。そう念じながら、クリリンは布団にもぐった。隣にいつものように師匠がもぐりこんで来た。
 少し寝付けなくてぼんやりと天井を見上げる。階段のあたり、少し上階から漏れている光がぼんやりと影を作っている。いつもならもうとっくに皆眠りについている時間なのだけど。
 空には満月に少し足りない月がぽっかりと夜風に気持ちよさげに吹かれていて、部屋は思いのほか明るかった。クリリンは立って、ブラインドをきっちりと閉めなおして、また布団にもぐりこんで今度はきっちりと目をつぶった。





 翌日の昼にカメハウスを車であとにした一行は、島にある小さな小さな空港から時代遅れの型の中型機で南の都に向かった。東南海の、弓形に連なった島嶼部には大小の有人の島がちりばめられ、初夏の翠の海は綿雲を浮かべてゆったりと波打っている。大きな人口の比較的多い島にいくつか立ち寄り客を拾いながら飛行機は南西へ南西へと飛んだ。隣の窓際の悟空は最初はずっと窓の外に張り付いていたが途中で眠り込んでしまった。やがて目を覚まし腹減った、と騒ぎ出す頃にはすっかり窓の外は夕暮れ近い金色を帯びてきて、無骨な翼の反射の向こうに南の都のある大陸が見えてきた。路線の関係でこの飛行機は武道会のあるその手前のパパイヤ島ドリアン空港には着陸しない。今日は南の都の空港の近くで宿を取り、明日再び飛行機に乗って会場を目指すことになる。
 「こんな距離筋斗雲ならひとっとびなのになあ。乗れないやつらはめんどくさいことしてるんだな」
 手続き待ちに飽き飽きした悟空がゲートに並びながらそうぶつぶつ言ったが乗れるほうが稀なのだから文句を言われても困る。武道会のためにホテルはどこも混雑気味だったが幸い2室確保することが出来た。ホテル内のレストランで食事を済ませて、その日は早めに就寝するように言われた。師匠はなにやらこれからどこぞにお出かけのようだが追及するのは野暮と言うものだろう。
 ホテルの名物は地熱を利用した天然温泉である。海を臨む露天風呂を見るや否や、悟空は口をぽかんと開けてついで瞬く間に服を脱いで岩風呂に満面の笑顔で飛び込んだ。
 「馬鹿、ちゃんと身体を流してからはいれよっ、汚いなっ」
 まわりの客にペコペコ謝って湯船から引きずり出しながらクリリンは悟空を叱った。いつも「一応年上だから」と言うのでカメハウスでは風呂は悟空のほうに先に譲ってきたのだが、まさかいつも身体を流さずこうして湯船に飛び込んでいたのではあるまいな、とひやひやする。案の定そんなことしたことないと言い放った。
 「だってオラ山出るまで風呂なんて入ったことなかったんだもんな」
 シャンプーの泡をくっつけてあっけらかんと笑って言うがそれが何の自慢になると言うのだろうか。
 「まったくお前には呆れるよ。ん、なんだ、お前まだ生えてないんだな」
 「なにが?…ああ、へえ、ほんのちょろっとだけどタマに生えてんじゃねえか」
 カメハウスの風呂が狭かったものだから、こうして風呂に二人で入るのは実は初めてのことだ。寺にいた頃も共同で他の子供たちと風呂に入りはしたものの、時間が短く定められていてこうしてのんびりと話す時間はあまりなかった。普通の子供が学校で行く修学旅行とやらはひょっとしたらこういう感じなのかもしれない。
 「最近生えてきたんだよ。へん、勝ったな」水泳はいつもしていたけれど次の修行もあるし冬を挟んで寒くて最近はすぐバスタオルを羽織っていたので、あまりじろじろ互いのものを見てなかったのだった。
 「えー、それって勝ち負けなのかよっ」
 「はは、そうさ。なんだ、だからお前パンツいつも穿いてないんだな。ちゃんと生えてきたら穿けよな、みっともないから」なんだか妙に楽しくなって笑った。ようし、早く生やすぞ等と妙な対抗心に燃えた悟空が泡を流し終わり、黒い痣のようなもののある尻を空中に躍らせて再び湯船に飛び込んだ。おかげでまた泳ぐなだのいろいろ叱り飛ばさねばならず、そのうち悟空は鼻面を湯船に沈めて頬を膨らせてぶくぶくと泡を立てながら少し拗ねだしてしまった。
 

 ようやく大人しくなってくれたのを幸いに、クリリンはゆっくりと露天風呂からの景色を愉しんだ。夜間飛行の大型機が赤と緑のライトを点滅させながらゆっくりと空に上っていく。海上に半分突き出た形の空港の、その誘導灯が海の先を矢印のように収束して指し示している。飛行機の上にはほぼ円に近づいてきた大きな夕月が出てきていた。夜と言うほど暗くもなく、夕方と言うほど鮮やかでもない。日が沈んだばかりの茜と藍の空に、手近の岩場の上の大きなサボテンが頼もしげな影を伸ばしている。なにかの予感に満ちたいかにもいい、初夏の宵だった。
 そのうちクリリンはやけに傍らの悟空が静かなのが気味が悪くなってきた。もともとこいつは余り口数の多い質ではなかったが、旅に出てから割とはしゃいでいただけに急に黙られると逆に気になってしまう。横目で見ると、赤い岩に顎をもたせかけて、ぼんやりと赤い頬で月を見上げていた。
 「なんだよ、何考えてんだ?緊張してんのか?明日の大会のこと」
 気づいた悟空が、額に黒い短い前髪から垂れたしずくをきらきらと光らせながら振り向いた。「いや、別に。なんでもねえよ」
 「いつもカラスの行水の癖に、珍しいな」
 「だってこの風呂おもしれえからな」
 「のぼせないようにな」
 「ああ」
 それきりちょっと黙ったが、しばらくしてまた口を開いた。

 「おめえもさ、オトナになっても武術やってるよな」

 クリリンは少し目を見開いた。またそっぽを向くように月を見上げてしまった悟空。なんだ、こいつもそんなこと考えることがあるのか。14にもなるのだから当たり前と言えば当たり前なのかもしれないけれど。横顔を見ていると、いきなりその口元がにま、と曲げられた。
 「なーんか胸ん中がさ、ざわざわするっつーかわくわくするっつーか、ドキドキするっつーか、なんだろな、月見てるからかな、変な感じだな。そんな感じしねえか?だからかなあ、変なこと言っちまった」
 なんとなくその笑顔に安心したクリリンは笑った。「ああ、きっとやってるよ。でなかったらあんな一大決心して老師様のところに弟子入りしたりしないさ。強くなろうな、って約束しただろ。大人になって、なんか仕事するようになったって、きっと」
 「そうだな」ぱあっ、と悟空が白い歯を見せて笑った。「オラの一番は武術だ。例えおめえがそうでなくなったって、オラは多分、絶対かわんねえや。そんでいいんだよな」
 苦笑して肯いてやると、途端饒舌に明日への期待を親友は語りだした。どんな強い奴が来るんだろう、とか、人はいっぱいくるのかな、とか、どんな所でやるのかな、とか。赤く上気した頬に月の柔らかな光をいっぱいに受けて。その顔はいかにも少年らしい快活さと溢れんばかりの希望に輝いていた。



 思い返してみれば、今日のこいつはやたらと色々立ち働く人をきょろきょろと眺めていた。何回か、あれは何してるんだと自分や師匠に問いかけてきたりもしていた。昨日親方に言われたことが意外と響いていたのだろう。
 世の中の人はみながみな、心から望んだ境遇にいるわけではない。親方の言ったように、人生とは選択の連続なのだろう。その中で意に添いきれない答えを出した道を、なおこれでいいのかと思い悩みながら往くこともあろう。こいつは気付いたのだ、ひとの、糧を得る営みの影にはそのような哀しさが潜んでいることを。それでもそれを、一言(いちげん)に、ならそうしなきゃ良かったのに、と切り捨てられぬことを。人が生きるために糧を得ていかなければならない、と、実は誰よりもわかっているのは悟空自身なのだから。
 武道家とは、因果な商売である。特に何かを生み出すでもない。生産を循環して支えあうことが人の連環を為すとすれば、自分たちはそこからはどこか外れてしまっている。武術を生かして用心棒や兵隊に就職するというならまだしもである。それでもその道に専心していこうとするなら何かしらの覚悟と言うものが必要なのだろう。親友ほどではないにせよ、自分だってそれは持っている。あれだけいじめられても、どんなに寺が面白くなくとも、武術だけはやめようと思わなかった。もっともっと、強くなりたかった。
 今は、それでいい。周りの大人たちも、それを許して、優しく見守ってくれる。今13と14、あと何年あるかは分からないけれど、いつか来るかもしれない、その選択をせざるを得ない日までは、2人はこの道を突っ走っていけばいいではないか。


 「とりあえずは、明日だな」
 「ああ、頑張ろうな」
 

 2人はすっかり湯に赤くなった背中を叩き合って笑った。
 許される限り、自分が許していられる限り、あの飛行機のように、一筋にこの道を。いつか、自分に、もっと大事なほかの道が見えるまでは。
 そして、たとえそうなったとしても、自分たちは、きっと一生。





 


 
 「なんだよ」
 自分が淹れた茶を飲みながら、悟空が横目で問いかけてきた。久しぶりのカメハウスの絨毯にどっかりと胡坐をかいたその膝には、すっかりと懐いた、この男の二番目の子供が圧し掛かっている。
 「いや、ちょっと最初の武道会の頃を思い出してたのさ。やっぱり悟天を見てると昔のことを思い出すなあ」
 「そっか」
 悟空が笑った。自分も笑った。その声を聞きつけたように、自分のまだ幼い娘の声がした。「おとうさーん、もうおひるごはんできるってー」
 「ちょっとそこ片付けておくれよ、あんたたち」
 「そうだべ!悟空さ、久しぶりで懐かしいからって人様の家でくつろぎすぎだべ。はいはい、悟天ちゃんも起きて、マーロンちゃんとお手手を洗ってくるだよ」
 苦笑した顔を見合わせて夫たちは立ち上がり、それぞれの子供の手を引いて、あいも変わらず狭苦しいこの家の洗面所へと向かった。


 ブウとの戦いも済み、季節は夏に差しかかろうとする頃。窓の外に椰子の葉がまぶしく風に吹かれている。ユニットバスの天井の上から、いい匂いに階段を降りてくるのんきな師匠の足音が聞こえてきた。
 あれから20年以上が過ぎた。自分たちは紛れもなく、あの晩どこか恐れた「大人」というものになった。そして予感したように、自分たちもけして人の営みの哀しさからは無縁と言うわけにはいかなかった。或いは自由極まりない修行一筋の生活を捨て、或いは戦うことをやめて、そして或いは別離を選んで。しかしそれは、それぞれが得たかけがえのないものの為だった。
 あの日、悟空は、武術がなによりも一番大事だ、と言った。でも、今はそればかりではない、と言う事は、その眼差しで分かる。子供の頃と同じ黒々といきいきとした眼差しの奥に、あたたかくやどったものを見れば分かる。

 悟空もきっと、自分が娘を見る眼差しに、同じものを感じるのだろう。
 そして、それを分かり合える自分たちに、二人はあれから何も変わらぬものを見出すのだ。

 自分たちが年老いた未来までも、それはずっと同じなのだろう。きっと、止むことのないこの潮騒のごとく。









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