このページはイラストレーターはるまきの、個人的なドラゴンボール版権小説置き場です。鳥山先生、集英社さんとは一切関係ございません。
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 甘い花の香が部屋に立ち込めていた。黄色い月の光のような、ぼんやりとした光に満ちている。やわらかい、南国の楽器の音が、部屋の下の方をそっとたゆたっている。
 眠るか眠るまいかの境目を、長いまつげを時折上下させながら漂っている。脳がしびれるように心地良い。
 素肌の背中をやわらかく滑っていく人の手。香りの良い、健康にいいといわれる油越しに、手のひらの下のほうの硬い部分が、指の先が、力強くそれでも限りなく優しく体を押してくる。極上のマッサージだ。
 やっぱり、くやしいけれど、人の手にはかなわないのよね。
 ブルマは、そっとため息をついた。それは、機械を扱う会社に身をおく人間としては悔しい事実だが、認めざるを得ないことだ。
 「ブルマさん」
 少し遠くに引かれたカーテンの陰から、女の声がした。
 「なに、母さん」
 ブルマはそっけなく答えた。
 「じゃあ、ブルマさんもいよいよ役員になるの、うちの会社の」
 「そうね、そう父さんに希望を出したわ」
 「パパさんはなんておっしゃってるのかしら」
 「おまえさんがやりたいならやってご覧って、いつものパターンよ」
 「そう」
 眠そうな声がして会話が途切れた。



 施術が終わった。ブルマが控え室から出てロビーに向かうと、ソファにきちんと脚と手をそろえて、黒っぽい紫のワンピースを着た母親が座っていた。気づくとにこやかに微笑んで、小さく手を振ってきた。ブルマはそれを横目で見て、カウンターにチェックアウトの手続きに向かった。会員制の、超高級総合美容サロンである。もともと母親行きつけのところだったが、最近ブルマも通うようになった。




 西の都の中心は円状の広場になっていて、そこを取り囲むように公園、その中に市庁舎群と金融街が立ち並び、そこから四方八方に各業種のすみ分けている通りが延びている。各通りには、上空のチューブリニアのおかげで今はもう使う人も少なくなった地下鉄がまだ走っていて、そこから町の郊外の居住区へと人の流れが続いている。母子の住む家…家と呼ぶにはあまりに大きく、そしてそこは一家の経営する会社の本社敷地も兼ねているのだが…は、その郊外の一画を占めていた。
 今日は、ブルマは母親と、この服飾や理美容に関する高級店が立ち並ぶ通りに出てきていた。ブルマが今日予約を取った、と言うと母親がじゃあ久しぶりだから、とついてきたのだった。
 日はとっくに暮れていた。夏の終わりの、雨の降りそうな曇った夜。行き交う車や飛行機の明かりが、けだるげに熱のこもった町の明かりと混じって揺らめいている。ブルマが地下鉄に乗りたい気分だ、と主張してたので今日は車もなく、2人はサロンの前から歩いていた。ブルマは細い紙巻タバコに火をつけて、ゆっくりとふかした。揉んでもらった背中が、軽いような、重いような、妙な感じで体にうまくなじまない。

 ここのところブルマはずっと働き通しだった。いくつかの新製品の開発に追われていたからだ。ブルマは今、開発部の主任と言うようなポストにいて、さまざまなチェックの海がそこには待ち構えている。やれ電源がちゃんとつくかで20項目、回路の動作で100項目、今一番厳しい安全性関連では数え切れないほど。そのいちいちに自分が立会い、この目で見て、OKかどうかの判断をゆだねられる。クソ面白くもない作業である。まあ、そのいちいちに自分のサインがついてるのは、それだけ製品に自分が深く関わっていると言う証なのだろうけれど。
 おかげでここ1週間は眠る暇もなかった。昨日の朝が開発部としての締め切りだった。あとは首脳陣が決済して、デザイン部がパッケージングし、広告部が工夫を凝らし1ヶ月後の発表会に並べられるだろう。その後は営業部やマーケティング部の仕事だ。
 ゆうべは泥のように眠った。しかし、起きてみてまだ会社と同じ敷地にいる、ということに気づいて心底うんざりした。今日と明日、休みはとってある。でもこの家にいるのはいやだった。ので買い物に出て、ちょっとテニスをしてきて、母親と待ち合わせてサロンにも行った。サロンに行って、改めてこんなに疲れがたまっていたのか、と驚かされた。一回の施術では落としきれない疲れがまだ肩から背中にかけてじわじわと重みとなってのしかかっている。
 もう、若くない、と言うことなのだ。それは、認めざるを得ない。




 「ずいぶんさっぱりしちゃったのねえ」
 地下鉄の改札へと階段を下りていると、無言だった母親が不意に上のほうから話しかけてきた。
 「ママ、今までのパーマのブルマさんもかわいくて好きだったわよ。ずいぶん短くして。男の子みたいだわね」
 「そう」
 「どう、気分は変わって?」
 ブルマは一瞬上にいる母親をにらみつけたが、目をそらして息を吐いた。誰かが下からこつこつと階段を登ってくる音がする。
 「そうね。14年も続いた気分だもの、このくらいさっぱりしないとね」
 
 ブルマは、今日、サロンでいわゆるベリーショートにしてもらった。今までは長く伸ばした髪をゆるいアフロのようにしてまとめていたのだけれど、それをばっさりとやめたのだった。
 ひと月前、気分を変えざるを得ないことが起こった。長年付き合ってきた男と別れ、彼が家から出て行ったのだった。結婚するのしないのでやり取りをしたのがきっかけだったように思う。多分、あっちは本気だった。自分がその一言に眉をひそめると、手のひらを返したように冗談だ、と汗をかきながら笑っていた。でも自分にはその態度がはっきり言って気に入らなかったのだった。ちょっと距離を置いて観察しているうちに…あちらもこちらを観察していたようだけど…昇進して仕事が忙しくなったのもあいまって、距離が離れ、そして別れた。

 なにせ14年である。そのうちに相手も自分も30と言う歳にまで達してしまったのだ。相手がもともと結婚願望が強いということはわかっていたのだが、その一言まではまだ自分だって若いのだから、と口実があったつもりでいた。でも、結婚の一言が出た瞬間それはもう違うのだとわかった。それは、あの長らく行方不明だった孫悟空が帰ってきてなんだか余計なことを言い置いて行ったすぐあとの事で、その晩に改めて、「お前ももう30超えたんだし」とか言う言葉でそろそろどうかと聞かれたのだ。
 女にとって29と30の境には、筆舌に尽くしがたい壁がある。ブルマは、自分ではあまりそういうことを気にしないタイプだと思っていたし、実際その時点まではそうだったのだ。でも、相手に歳のことを言われてそういうことを意識した自分にも悔しかったので、答えが急に出せなかった。すると冗談だとはぐらかされたのだ。
 本気でないなら、そんなこと軽々しく口にしないで欲しいわね。そうブルマは怒った。でも、下手な冗談なんだから、とこちらも逃げを打って、とりあえず成り行きを見守ることにした。そのうちこちらも結婚したいと思えるようになるかもしれないと思ったのだったが、行きついた結果はこういう有様だった。


 ひと月前に別れ、それでも今日まで髪を切れずにいたのは、未練だったのだろう。暑い時期、パーマの長い髪型は蒸し暑くてうっとうしかった。それでもヘアバンドやゴムで纏め上げ、切らずに置いてきた。今日、やっと、さっぱりすることができた。でも、ひどく頭がすうすうする。





 「ブルマさん」行き過ぎる人が階段を登りきったあと、母親が階段の上からまた話しかけてきた。
 「なに」
 「人間、お仕事ばかりじゃダメよ。恋をしないとね。ショートのブルマさんも素敵よ」
 「なによ、急に」
 「役員になるのもいいでしょう。でも、開発も続けるのでしょう。役員って、のんきそうに見えるけど、とっても疲れることよ」
 ブルマは、母親を見た。逆光の中で、いつも笑顔のその目元は、いつもと変わらないように笑って見える。およそ記憶にある限り、母親はいつもこのように自分の前で笑っている人だった。
 母親は、美しい人だった。もう50なかば過ぎになるのだけれど、とても美しい若々しい人だった。認めざるを得ないほど。ブルマが誇りにしている己の美貌は、この人譲りなのである。なんでも結婚前は学生時代から長いことモデルの仕事をしていたらしい。大学ではミスなんとかで、そこで博士号をとったあと講師をしていた父親と知り合ったのらしい。そして父親と結婚してからは、カプセルコーポレーションの黎明期、経理やらなにやらをしていたと聞く。もうその立場からはとっくに退いているのだったけれど。
 「今は、会社の方も増えて、楽にはなったことも多いでしょう。けれど、役員と言うのは、人が増えるほど疲れるお仕事だとママ思うの。人の冷たさで疲れた事は、人の温かさでしか癒せないものよ。ブルマさんは、今大丈夫かしら」
 厚ぼったい唇が、にこやかに残酷な言葉を吐いた。この人は馬鹿そうに見えて、馬鹿ではない。だから、ブルマは母親が嫌いだった。にこやかにのんびりと生きているくせに、時々とてつもなく怖いことを言う。

 「ごめんなさい。でも、ママは、おかあさんですから。言わずにいられなかったの。ママ、馬鹿でごめんなさいね」

 そう言い残して、母親は階段を上がっていった。どうやって帰るの、と呼び止めたが、その辺で車を拾うから、とさっさと消えてしまった。




 地下鉄の駅からとぼとぼと歩いて、家の巨大な丸い屋根が見えてきた。社員はさすがにもうあらかた退社したのだろう、研究棟と本社棟は明かりが落ちていた。
 地下鉄に乗ってるうちに、ぱらりぱらりとぬるい雨が落ちてきていた。降るのだか降らないのだか分からないような感じでそれが長く続いている。
 降るんなら降れ。
 降らないんなら晴れちまえ。
 そんな思いで空を振り仰ぐと、人の影が見えた。ん、と思って目を凝らすと、それは家の中に飛び込んでいった。なんだ、あいつか。ブルマはため息をついた。





 家に帰り着くと、廊下を歩いていた父親とすれ違った。父親は両手に多くの資料を抱えていた。その中には昨日ブルマが提出した書類も含まれている。カプセルコーポレーションの社長としてこれらに目を通し、明日の重役会議で判断しなければならないのだろう。
 「どうしたね」
 ブルマが無言のまま父親の顔を見ていると、父親がひげの中で笑いかけてきた。
 「母さんは」
 「うん?さっき帰ってきたよ。もう寝るんじゃないのかね」
 「そう。父さんも、早く寝てね」
 「そうしたいね」父親はからからと笑った。

 父親は本当は、研究だけしていたいタイプの人間だ。普段は開発部顧問扱いで、独自の研究をひとりでしていて、経営の実務は腹心の部下に任せている。でも、さすがに社長ともなれば、この会社の重大時期には連日の会議に出席したりすることも多くなってくる。父親はとてもとても頭がいい人だったから…それはブルマも十分認めていることなのだけれど…経営にも、さして情熱はないが才能はあった。おかげでわがカプセルコーポレーションもここまで大きくなれたというわけだ。
 今でこそ両親はのんびりと暮らしているように見えるけれど、ブルマがまだ小さい頃は2人ともできたばかりの会社の世話、世に急激に広まっていく製品の開発であまり家庭にいない生活を送っていた。ブルマのもっぱらの家での相手はロボットであり、メカであり、本だった。そのせいか、ブルマは、自分でも少しゆがんでる自分を自覚している。結婚と言うものに価値を見出せないのもその一環なのだろう。

 「父さん。私、役員になるの、やっぱりちょっと考えさせて」ブルマは笑顔を作って冗談めかして告げた。
 「そうかい」
 「とりあえず、また、ドラゴンボールでも集めて恋人でも探そうかしら。休暇でもとって」
 「そうかい。でも、恋人と言うのは案外身近なところにもいるものだよ、父さんと母さんのようにね」
 「そうかしら」
 「まずは、周りの人をよく見てごらん」


 そんな人、いたかしら。ブルマは、周りの部下や上司を思い浮かべた。大学での同窓生たちも。だが、みんな、ありていに言うと馬鹿で軟弱なのだ。あの去っていった男だって大概そうだったが、今思い当たる男たちに比べれば軟弱さと言う点では格段にマシだった。あとはそっち方面の仲間たち。まあ、孫悟空に関してはちょっともったいないことをしたと思わなくもないが、そういう対象になりそうな男などいない。


 「まあ、ゆっくりやんなさい。それと、その頭、似合っているよ」
 父親は、エスカレーターを居住区へと上がっていった。





 ブルマは1階のシャッターを開けて暗い広大な屋内庭園に出た。犬や猫や恐竜たちが寝ているのでむやみに明るくするわけにもいかない。ブルマは、中央のあたりの噴水と東屋のある小高い丘の椅子に座って頬杖をついた。噴水に埋め込まれた水中のライトが、ひそやかに闇を照らし出している。

 ずいぶんさっぱりとしたものだ。去年の頭までは、ここにたくさんの異星人たちが住まいしていたのだ。彼らは庭園や動物の面倒をよく見てくれて助かったのは助かったがやはり騒がしくもあった。そう、それはもう去年のことだ。自分が宇宙に行ってとんでもない目にあったのなんて、もう2年も前のことなのだ。去年の暮れには、最後の懸案だった孫悟空も宇宙から帰ってきた。そして、あのメンバーたちは、別れたあの男も含めて、未来に待ち受けているという戦いに向けて修行をしまくっている。自分は星から帰ってきてから、必死に仕事をしているというのに。
 ブルマは自嘲的な笑みを浮かべた。修行してたらそれでいいんだから、武道家と言うのはなんと気楽な商売だろうか。そりゃあの馬鹿な少年の妻も嘆きもするだろう。今もってあいつが結婚した事は驚きだが、まあそこそこうまくやって子供まで作ったのだからさらにびっくりだ。それなのに稼ぎもしないのだから妻が気の毒ではある。大変にあいつらしいことだけれど。戦いさえあればいいのだから、ほんとにヤバい独裁者のようだ。
 でも、自分は、あいつらのいる戦いの世界から遠ざかってしまったのだ。架け橋だった男は、去っていってしまった。このまま、日常の雑事に追われて、自分はごく普通の人間に成り下がってしまうのだろうか。
 そう思うと、なんだか哀しくなって、ブルマはあわててハンドバッグからタバコを取り出して火をつけてふかした。


 と、割とそばで人間の咳の声がした。

 「けむい。なんだこれは」
 椅子の後ろのほう、ベンチのほうだ。目を凝らすと、つんつんと天に逆立った髪をした小柄な男がベンチに身を起こそうとしてしていた。
 「…なんだ、あんただったの、ベジータ」
 ブルマはため息をついた。こいつは、父親に作ってもらった重力室にこもったり、かと言えばふらりと出かけたまま帰ってこなかったりで、いまいちどこにいるのか把握しがたい。というか、顔をあわせるのがとても久しぶりだった。一応居室はあるのだがブルマの部屋と離れているためにどうしているのかよく分からないし、ここの所自分が忙しかったので研究所につめていたからである。いつぶりだろう。2ヶ月くらいは見ていないのじゃないか。
 「なんだとはなんだ」
 「一人だと思ってたからびっくりしただけよ。あんたこそもう地球に来て2年にもなるのにタバコも知らないわけ。ほんとサイヤ人って世間知らずよね。孫君そっくり。特徴なのかしら」
 「カカロットか」
 「あの子もそりゃ世間知らずだったけどね」ブルマはくすりと笑って、椅子ごとベジータに向き直った。2年間少しずつ観察してきたが、ベジータが興味を引かれるのは孫悟空のことについて話したときだけ、というのがすでに把握できていた。「これはなんだ、あれはなんだってそりゃあはじめて会った頃はうるさかったわ。大きくなってからもオヨメって何だとか言い出すしね。結婚ってことを知らなかったんでしょうよ…そういうことを、今あたしもちょうど思い出していたのよ」
 ベジータが暗がりの中でにやりと笑ったような気がした。
 この男は、孫悟空に対してほとんど恋着とも言える感情を持っている、とブルマは思っている。ひたすら、あいつに勝つ、あいつにだけは負けたくない、という感情のみで動いている。超サイヤ人とやらになった姿を見てからは、特にそう思っているようだ。あの金色の戦士にひたすらあこがれている初心な娘のように。
 孫悟空が乗って帰ってきたギニューの船がまだ残っているのだから(それはこの会社で保存している)、さっさと宇宙なりどこなり行ってしまえばいいものを、そうできないのは孫悟空がいるからだ。あいつが、この男を地球に縛り付けているのだ。何と言う純粋な愛憎。一方的な片思いではあるけれど。

 だから、ブルマはちょっと意地悪心を起こして聞いてみた。
 「ね、サイヤ人って、結婚しないの」
 「…なんだ、いきなり」
 「孫君もさ、結婚って興味がなかったし。ひょっとしたら、サイヤ人って、結婚をしない種族なのかしらって」
 しないな、としばらくした後答えが返ってきた。サイヤ人は結婚と言う形をとらない。一生一人の女とは限らない。戦闘民族であればこそ、いい女、強い女はみずからの手で奪い取るのが誉れであり、女も嫌なら戦って抵抗をする。半分夜這いの延長に男女の関係と言うものがあるのだ。そして子供が生まれれば、血統のいいものは強い子供を産んだ女を第一夫人、というようなポジションにおいて暮らしの保障をする。下級戦士は子供を他星に送って、また強い子供を生める女を捜す。そのようなことをベジータが説明した。
 「合理的ではあるわね」ブルマは眠くなってきたが、背もたれにひじを組んで聞いて、最後に同意を示した。でも、全然ロマンチックじゃない。種族保存の本能が強いだけの猿のようだ。野蛮人。それを聞けば、孫悟空はまだほんとにマシな部類に思えた。一応浮気はしていないようだし。

 「で、あんたは、子供を残そうとか思わないの」ぽろっと流れでブルマは聞いてしまった。「まさか頻繁に出かけるのって、どっかの地球人の女に手をつけて子供でも生まそうとしてるんじゃないでしょうね」

 「馬鹿を言うな、何と言うはしたない女だ」ベジータが珍しくうろたえた。「オレは王子だ。サイヤ人の中でも王族と言うのはその辺の女に軽々しく手を出したりしないものだ。特に血統のいい一族から臣下が品定めした、強い美しい女を妃に迎えるものだ」
 ふうん。うろたえてやんの。でも、そんな暇もないほど、修行三昧だったってことか。
 「そ。でも、もったいないわよね。あんたと孫君が最後の純血のサイヤ人なんでしょう。意地を張らずに、だれかいい女でも捜したらどうよ。悟飯君くらい強い子供、できるかもしれないわよ。それとも孫君が好きすぎて女に興味ないとか言うんじゃないでしょうね」
 ベジータががたん、と席を立った。あ、やばい、言いすぎた、と思って席をあわてて立ったときには、軽く突き飛ばされて噴水に落ちていた。
 「男に逃げられたからといってオレに八つ当たりしてからかってくるんじゃないぞ、バカにするな、女」
 そう言い放つとさっさときびすを返して歩いていこうとする。
 ブルマは目を丸くして、びしょびしょに濡れた自分に気づき、白いシャツと短いカーゴパンツの中にだぼだぼと浸入してくる水の感触もあいまって無性に腹が立ってきた。大体ろくすっぽ家にいないくせに何でそんな事情は知っているのだ。


 気づいたら怒鳴っていた。
 「ちょっと待ちなさいよ!この馬鹿王子!」ざばざばと噴水から水をこぼしながら走り出て、相手に平手を飛ばそうとした。それはあっさりかわされた。「他人にお膳立てされなきゃ女も抱けないっての!その時点であんたは孫君に負けてるのよ!地球人の女だからって馬鹿にしないでよね!混血が強いって事は、地球人だってそれだけすごい可能性があるってことなのよ!」
 なんだかめちゃくちゃなことを言ってる気もするが、なんだか今日は無性にむしゃくしゃするのでブルマは怒鳴り続けた。殺されたってかまうものか、という勢いだった。ベジータは意外なことに立ち止まってこちらを見つめている。
 「地球に暮らそうというなら、それらしくしなさいよ!なにいつまでも悲劇の、最後の王子ぶってんのよ!そのまま滅びるのが美しいとか思ってるんじゃないでしょうね!なんなの、修行修行ばかりで。あの孫君だって人の親やってるというのに。あんたの修行の先には何があるのよ。何もないわ。そんなのにいつまでもいられてもうちだって困るのよ!その修行の挙句に孫君を殺そうというなら、なおさらよ!」

 それは、本音だった。正直、なんでこんなのが家にいて、なんでいつまでも面倒を見ないといけないのか、というのは自分が招いたとは言え偽らざる本音だった。何しろ帰ってきたら帰ってきたでやたら食う。大金のかかっている重力装置はしょっちゅうぶっ壊す。なのに礼を言うわけでもなくえらそうに命令し悪態をつくばかりだ。
 うちが金持ちで両親が多少のことを気にしない人物だからいいようなものの、普通はこんなの養っていられない。赤の他人どころか本当に凶暴な宇宙人なのだから。それに、こんなことしてたらまるでうちが孫悟空の家の幸せをぶち壊すためにスポンサーになって鍛えさせてやっているみたいではないか。まだ今は人造人間のため、と言ういいわけもつくからいいものの。
 ブルマはいつの間にか泣いていた。顔を噴水の水が流れているな、と思ったら涙だった。わけもなく悔しくてならなかった。自分と、この目の前の男のことが。その先に何もないのが、悔しくてならなかった。それぞれの先にも、2人の間にも。
 2人の間には何もない、あるのは、ただ、孫悟空を知っている、というつながりだけ。そのつながりすら、この男はみずからの手で殺してしまおうというのだ。そして種として滅びようとしているというのか。あまりに哀しいじゃないか。

 そう、2人の間に何もないのが、悔しくてならなかったのだ。ブルマは気づいた。2年にもなるのに、何もつながりがないのが、哀しいのだ、と。
 一緒に住まうからには、もっと確かななにかが、ほしかったのだ。家族らしくとは言わない。言わないけれど。





 「地球人に夜這え、と言うのか」
 ぼそっと、ベジータが言った。そうしろとけしかけたのはこちらのほうなのに、なぜだか、ブルマの胸がびくりと跳ねた。言ってから、ベジータは眉をしかめてそっぽを向き、大股に庭園を出て行ってしまった。
 ブルマは、大きく息をついた。怖かったのか、今頃になって震えが来た。水がぼたぼたと石畳に落ちた。座り込んでうずくまった。また、顔を熱い水が伝った。
 背後に、目覚めたのか、一匹犬が近寄ってきた。ブルマはうつむいたまま手を伸ばしてなでてやった。犬が手をそっとなめてきた。あたたかい。嗚咽の中で思う。

 
 悔しい。悔しい。
 見ていろ。絶対に、もう少しこっちを見させてやる。もうすこし、確かなものにしてやる。

 人はそれを、振られてやけになったとか、人肌恋しい、とか呼ぶかもしれない。
 けれど、あたしは違う。そんなんじゃない。なんにせよ最後に笑うのは、あたしだ。30過ぎた女の開き直りをなめるなよ。




 しばらくそんなことを考えているうちに、ブルマの体を伝う水が減ってきた。ベリーショートにした、うつむいた首筋がすうすうする。なんだか、自分が、全身で涙をこぼしているような気がして、ブルマはうずくまっている中でくすりと笑った。
 一度笑うと、今度はそっちがとめられなくなった。しばらくくつくつと笑った後、彼女は仰向けに天井に寝転んで、満面の笑みを浮かべた。天井に埋め込まれたかすかな誘導灯は、星座をかたちどっている。それが、木々の葉陰にちらちらと、涙の向こうに揺らめいた。



 大丈夫よ、父さん、母さん。あたしは、これだけ、こんなにも泣いたのだから、明日は強くなれる。だから、そんなに心配しないでよ。ほら、なんかの歌で言ってたじゃない。
 女は涙を流した分だけ強くなる生き物だ、ってね。







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