このページはイラストレーターはるまきの、個人的なドラゴンボール版権小説置き場です。鳥山先生、集英社さんとは一切関係ございません。
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Luna1

 




 ひどくまぶしい夢を見た、と思った。
 まぶしくて熱くて、懐かしい開放感。例えて言うなら空を飛んでいるような。
 自分が自分でなくなるような、いやそれでいて自分が自分に還るような。
 ある種の幸福な、夢だった。






 目が覚めたときには、冬近い夜明けの空の薄紫が、登り始めた金色の弱弱しい光をたたえていた。空は曇っていて、どんよりとした雲が仰向けに大の字になって見上げている峰の隙間をゆらりゆらりと埋めていくように流れていた。
 8歳の少年はぼんやりと目を開けて、数秒の間その様子を見ていた。これは夢の続きかもしれないと思いながら。なぜ目を開けたのにいつもの家の、いつもの布団の中ではないのだろうか。これはきっと夢の中で飛んでいた空から落っこちた続きなのだ。
 そう思いながらも意識のスイッチがじわりと捻られ、素裸の全身を下から蝕む地面の不快な冷たい感触が顔の前面に立ち上ってきた。眉をひそめた瞬間に、少し近くの松の樹からなにかの大きな鳥が飛び立った。それで意識が幕を落とされるように戻ってきて慌てて少年は身を起こした。


 なんだ、ここは。


 薄暗い晩秋の山の中だった。空気の匂いなどで、彼と彼の養祖父のすまいの在る山のどこかとは知れたが、見たこともない風景だった。日頃すまいの近場なら、狩や遊びでくまなく駆け回っていた彼だったが、覚えのない峰の姿や山の稜線だった。その谷の一角で彼は目覚めたらしい。見上げた崖に何か大きいものの足跡と、岩の新しく崩れた跡が見分けられた。グレーの雲が頭のすぐ上を渡っていく。湿っぽい冷たい感触。
 「なんだよ、ここ!」
 彼はおもむろに恐怖に駆られて立ち上がった。そして精一杯の声で呼んだ。「じいちゃん!じいちゃん!」

 こだまは返ったが、返事はなかった。彼は駆け出した。空の一隅に消えそうに、雲に時折紛れながら光る明けの明星を目当てに方角を定めて。精一杯に自慢の鼻を利かせて懐かしいなじんだ匂いをたどりながら。茶色の細い尾を揺らして。すっかり冷え切った身体を時折自分で抱きしめながら。
 やがて懐かしい匂いが濃くなりだした。彼の縄張りへと。懐かしい水の匂いは、彼の家のそばを流れる川に続くもの。冬枯れた茂みの細い枝が皮膚を時折裂いて血をにじませたが、彼は衝かれたように必死に走った。とてつもなく嫌な感じがした。頭から突っ込むように躑躅の茶色い茂みに突っ込み、咲き始めた山茶花の花を散らしながら崖を飛び降りると、見慣れた道に出た。またどこかが切れたのか血の匂いがした。いや、ちがう、これは、

 これは自分の血の匂いじゃない。





 匂いのみなもとは崩れた滝つぼの脇にあって、流した大量の赤いものが流れる小川をまだ僅かに染めていた。
 何かを叫んだのは覚えている。そこから数日の記憶は、ふつりと途切れている。その断絶から立ち直ったときのはじめの記憶は、声が出ない、とかすかに思ったことだった。力なく横たわってその赤いものに寄り添いながら見上げた、十八夜の美しい有明の月の光だった。

  
 そしてやっと理解したのだった。
 この「養祖父だったもの」は、満月の夜に現れる化け物に殺されたのだと。
 少年は身を起こした。ひどく体が熱い。
 遠くで狼の遠吠えがした。
 
 体が熱い。声が出ない。さむい。ひどくさむい。
 死んでしまう。自分も死んでしまう。
 なぜ生きるのか。なぜ一人になって生きなければいけないのか。この人を失って、それでもなぜ生きなければいけないのか?


 
 
 生きたいから。そう体が叫ぶから。心が叫ぶから。
 …どこかで、誰かが。
 …会いたい。


 …チチ。






 目覚めると、そこは真っ暗だった。ひどく汗をかいているのが自分で分かった。体が熱く、ひどく痛んだ。のどの奥がひりひりとざらざらと、空気が通るたびに嫌な感触を体中にばらまいているようだ。
 胸がひどく苦しい。口の周りは何か器具で覆われている。ゆっくりと現在の、記憶の糸を辿る。そうか、手術は終わったんだ。
 24歳の彼の身体は身動きひとつできないケージに入れられて、真夜中の個室の病室に静かに横たえられていた。骨の何箇所も砕かれた両腕には針が刺され、薬と栄養がただ流し込まれている。各種のセンサーが無数に入れ込まれたケージからは、かすかな器械の唸りと彼の鼓動を真似して刻む電子音がしていた。
 死から蘇ってすぐ激しい闘いを行い、なんとか敵を追い返したものの文字通り再び死の淵を覗き込む羽目になった。数日は病室もにぎやかだったが、昨日息子と親友が退院し、宇宙へ行くもろもろの準備のために、泊りがけで付き添っていた妻も息子と一緒に一旦我が家へ帰ってしまったのだった。この病院のある西の都には、義父が近くにホテルを取って居てくれている。
 ベッドの減った病室の気配はがらんとしていた。今日は2回目の手術だった。病院に担ぎ込まれてすぐ行われた最初の手術は、ほとんど気を失っているうちに行われたので自分はよく覚えていないが、10時間以上の大手術だったらしい。麻酔から覚めた後、沈痛な面持ちを作ってケージの上から覗き込んで彼に告げた医者の言葉は残酷なものだった。全治4ヶ月。深刻な障害の残る恐れあり。予想はしていたつもりだったが、その言葉は思ったより衝撃を持って彼の心に飛び込んできた。軽くめまいがした。
 今思えば闘いの疲れと怪我、長丁場の手術で、自分でも予想以上に心身が弱っていたのかもしれない。医者の後ろで青い顔をしていた久しぶりに見る妻の姿が、夜も明け切らぬ都の光を儚く受けてやけに綺麗だったのを覚えている。

 ひとつため息をついた。熱い息がマスクの中にこもり、供給される冷たいしっとりとした酸素にすぐさま溶かされるように消えていった。麻酔がまだ効いているのか、身体はそれほど痛くなくうとうとと眠かった。全身麻酔の名残で、胸がひどく苦しい。これから麻酔が切れてきたらひどい咳と痰に悩まされるだろう。そしてそれが傷に響いて痛い思いをするのだ。
 一人。真夜中、巡回の足音も聞こえない。闇の中、ひどい静寂だった。

 たった一人になったあの朝の、さっきの夢を思い出し、彼はマスクの下の唇をゆがませた。また意識を手放す前に。
 


 …じいちゃん、ごめん。
 …ごめんな。






 数日何もせずにただ「そのもの」のそばで横たわっていて、やっと他のものに目をやる余裕ができたとき、熱に浮かされながら見上げた有明の月はひどく美しかった。小さい頃から満月は絶対に見てはいけないと戒められ、その妖異の恐ろしさを教え込まれていたから月はそもそもあまり好きではなく、なんとなくちゃんと見つめるのが恐ろしかったので、月をきれいだな、と思ったのはその時が最初だった。

 月明かりに照らされた自分の家だったものは前半分がめちゃくちゃのばらばらに崩れてひどい有様だった。しかし奥の方にあった寝台は無事に残っていたので、寒さと悪寒に耐えかねて、屋根も無いふきっさらし状態だったが埃っぽい布団に丸くなってくるまった。
 丸一日そのまま寝て、目覚めたときに祖父の残り香が布団からするのに気づいてぼろぼろと涙を流した。記憶の無い間に泣いていたのかもしれないが、とにかくとめどもなく涙があふれて仕方なかった。泣き止んでのろのろと、床に散らばっていた果実の干したのやら干し肉やらをかじって水瓶の水をすすり、また布団に包まって眠る。その繰り返しで数日が過ぎた。
 空っぽでうつろに大きくぶち抜かれた心の穴は埋まらなかったが、掘り崩された穴の断面から危うく流れ出す砂がいつかはやむように、心はその形を受け入れていく。何も深くは考えられなかった。ただ哀しい、という思いだけだった。そして寒い、という思い。そばにいつもあったあの人の体温はもう無いのだ。寒い、冷たい、それが哀しい。
 やがて散らばっていた食べ物も尽きたが、しばらく動く気力がわかなかった。けれどだんだん、これからどうすればいいのか、という思いが胸に忍び込んでくる。布団の中から顔を出し、目をめぐらせると少し離れた場所に家の物置が無事の姿をとどめていた。


 起き上がり、寝台を引きずって物置の中に運び入れた。物置の箪笥の中に自分用に作ってくれていたのだろう服が幾揃いか見つかったので、ずっと素裸だった肌にそれをひとつ纏うと、自分でも驚くほど体が落ち着くのが分かった。まだ熱も引ききらないが、瓦礫の前に穴を掘り始めた。穴を掘ってひたすら瓦礫を埋めた。あらかた埋め終わったところで冷たい雨がぽつぽつと暗い曇天から落ち始めたが、またもう一つ穴を掘った。掘って、そこにおさめるべきものを取りに行った。寒かったおかげと幸運にも獣に荒らされなかったおかげでそうひどいことにはなっていなかったが、虫が幾種類か取り付いてそれを食んでいた。そのまま抱き上げて運び、埋めた。なるべく柔らかい土を探して、そのなるべく深く掘った穴にかけていく。土を探してその辺を探っていると、不意に硬く丸いものの感触にぶち当たった。掘り出してみるとそれはオレンジ色の宝珠と、彼が祖父から貰っていた不思議な棒だった。
 またひれ伏して彼は泣いた。本格的に振り出した冷たい霙に身を打たせながら。ただひたすらに悲しみに身をゆだねて。今埋めてしまったものとの思い出を思って。
 声はそれでも、全く出ることはなかった。
 







 数日たって、一旦自分に顔を見せに来た後息子は妻と義父を見送りに引き連れ宇宙へと無事旅立っていった。その翌日ちょうど検査のためにそのとき彼は病室を留守にしていたのだが、またケージに収められてまるで荷物のように台車に載せられて部屋に帰ってくると、ウーロンとプーアルが待っていた。
 「よぅ」セッティングを終えて看護婦たちが部屋を出て行くと、ウーロンが覗き込んできて片手を上げた。その姿は最初あった頃とさほど変わらない。多少背は伸びたようだけれど。
 「お疲れ様、悟空さん」主を失ってしまってすこしやつれた様子のプーアルも浮かびながらけなげな笑みを向けてくれた。「今日は僕たちだけでお見舞いに来たよ。チチさんは?」
 「悟飯を見送りに行ったままだ。明日帰ってくる予定だけど」
 「そうか。クリリンもブルマも宇宙に行っちまったし、見舞いに来るものもいねえだろうと思ってよ。俺は今日バイトも休みだし来ようかってな」
 「サンキュー。一人だとつまんなくってよ」
 「明日はブルマの父ちゃん母ちゃんも来るってよ」
 しばらくテレビを点けながら2人の近況やらを聞いた。18で武道会に出たときに少し顔をあわせたくらいで、長年ほとんどまともにゆっくりと話もしたことも無かったから、2人が、そしてヤムチャが都であの冒険の後どう暮らしていたか、と言うのを彼ははじめてちゃんと知った。思えばあの時自分も都に来ないかとブルマに誘われたのだ。もしあの時応じていれば自分もカプセルコーポレーションに行ってこいつらと学校へ行ったりそれなりに楽しくやっていたのかもしれない、となんとなく不思議な気持ちになった。
 しかし約束どおり師匠のところに行っていてよかったと今は思う。世界をめぐっていろんなところを見てきたけれど、結局自分は都会などになじめる人間ではないと思うからだ。そういうことを言うと2人もそうだろうな、と笑ってくれた。そして自然と話題はあの冒険の内容に及んだ。
 「あの時はホントおめえはやなやつだったよなー、すぐ逃げ出すしよ」
 「ホントホント、ウーロンは昔っからそういうずる賢い奴なんだよ」
 「うっせーなー、悟空、お前こそホント今でもしつこいなあ、いつまでもそういうことをネチネチネチネチ。そんな奴は女にもてねえんだぞ」
 「ウーロン、でも結構悟空さんって看護婦さんに人気だよ。来る時だって」
 「ふん。大体あの頃のチチさんだって俺が先に目ぇつけて可愛いと思ったのに。何っにも興味なかったお前がさっさとほんとに結婚しちまうとはなあ」
 そろそろ疲れの見えてきた彼は反論せずに苦笑した。プーアルがじゃあお暇する前に、と手洗いに立った。
 病室にはウーロンと彼だけになった。そろそろ夕方にさしかかろうかという頃、外は4月末のさわやかな青と茜の混じった一片の雲も無い空だった。西日が入ってきたのでウーロンがカーテンを引いてくれた。
 「…なあ」
 「うん?」ウーロンが振り向いた。
 「おめえらはさ、オラが最初の武道会で大猿になっちまったのを見てたんだなあ」
 「…ああ、知っちまったのか」
 「…ベジータがな、大猿になった時、わかった」
 「俺たちは、あの冒険のとき、あの城でお前が大猿になったのも見た」ウーロンが静かな声で言った。「プーアルがその時はお前の尻尾を切って戻してくれた。武道会のときはジャッキーの爺さんが月をかめはめ波で消して戻してくれた」
 「みんな、内緒にしてくれてたのか」

 ちょっとの間、ウーロンは考えるようにした。カーテンから漏れ出た細い光が奇妙に賢しげにその顔を縁取っていた。彼から見えないところにその姿が消え、テレビの音声が不意に途切れた。
 「知ったら、お前がお前の爺さんを踏み潰したこと、分かっちまうと思ってな。ブルマがそうした方がいいって」
 不意に走った胸の痛みに、彼は唇を噛んだ。自分がガキだったから、みんな守ってくれていたのだ。自分はこいつらを守ってやるんだと思い上がっていたのに。
 「俺、もう行くわ」また不意ににかっと笑ったひょうきんめいた豚の鼻面がケージの上に突き出された。「しかし、ほんとに宇宙人だったとはなあ。俺、あの時冗談でお前のこと宇宙人じゃねえのか、とか言ってたのに」
 「でもそのおかげで、とっても強いんだから。結果オーライだよ」手洗いから戻って会話を聞いていたらしいプーアルの声が戸口の方からした。
 「うん。お前が地球に来てくれてよかった。なんてな。じゃあな、悟空」
 おう、と言おうとしたけれど、声が出なかった。ウーロンの足音が遠ざかっていった。後には、夕食近い病棟の喧騒が残っていた。
 
 



 声を取り戻すまでにどれくらいの時間がかかっただろうか。寒い一人の、飢えを満たすだけだったあの冬には誰とも口を利いた記憶が無い。やがて福寿草の芽が膨らみ、春になり独活の柔らかい芽が伸びる頃に怪我をした一頭の小鹿を世話するようになった。そのうちにかもしれない、声を出せるようになったのは。その小鹿もやがて傷を悪くして死んでしまったけれど。
 そのすぐ後、はじめて山を降りてみようかと思った。眠れなかった寝台からふらふらと春の夜明け前にさまよい出て、一旦覚えた寂しさに引きずられるように坂を下りていった。空の高いところに、細い細い月が白く白く輝いていた。
 明け方前の山の道には、薄く白い山桜がところどころひっそりと優しく立ちすくんでいた。松と杉の若葉のさわやかなにおいがした。その時は、このまま歩けばどこまでも行けるものと思えた。実際そのまま行けばどこまでもどこまでも、遠いところに行けただろう。
 静かな山道、杉の林の中で、不意にどこかで狼の遠吠えがした。
 振り返ってなにかの気配を感じて見上げると、一匹の猿が、自分と同じような長い尾を揺らして枝の上にじっと座っていた。こんな朝早くに何をするでもなく、何故か。
 目が合った。空っぽのようなその目の奥に、彼はひとつの言葉を聞いた。

 行ってしまうの。


 その目が赤みがかったオレンジに一瞬光った。彼は忘れてきたものに気づいて、慌てて今来た道を駆け上がって戻っていった。
 ごめん、じいちゃん。
 じいちゃん、今戻るから。






 かすかなパチリ、という音に目が覚めると、あの時と同じ春の夜明け前だった。部屋の衝立の奥の方、満月のように布を透かして淡い黄色い電気スタンドの光が映っていた。

 「…チチ…」

 呼ぶと、解きかけた髪をのせた頭が衝立の上に伸び上がってすぐ隠れた。
 「…ただいま」
 小声でそういうとごそごそと言う気配と衣擦れの後で、緩やかな寝巻きに着替えた妻の顔がのぞきこむように現れた。ちょっと疲れたような様子だった。
 「ちょっと寝かせてけろ。おら疲れてんだ。急いで帰ってきたけどこっちはまだ夜中で、無理言って看護婦さんに病院入れてもらったんだべ」

 「…ちょっとだけ、こっち来てくんねえか。水飲みてえ」
 
 そっと低くかすれた声でそう言うと、しばらくして上にカーディガンを羽織った妻が水を入れた水差しを手に近づいてきた。ひたひたと、室内履きの優しい音をさせながら。のどが渇いていたのは本当だったので、差し出された吸い口を素直に啜った。なんだかひどく安堵して目を閉じると、妻の白い細い、吸い口を支える指が顎をそっとなぞった。


 会いたかった。

 会いたかったんだ。




 そう言いたかったのだけど、なんだか泣きそうだったので黙っていた。その代わりに指に頬をそっとこすりつけた。妻の手が一瞬ひるんだが、変わらず吸い口を支え続けた。
 「うちのほうな、桜咲いてた」
 「そっか。見てえな」
 「また来年な。ちゃんと怪我治して」
 
 それだけそっと会話を交わしたところで水が無くなった。おやすみ、とどちらともなく言って、また病室は静かになった。今はもう天に無い、さっき病室にあった小さな満月もそっと消えた。






 「君の小さなころ乗ってきた宇宙船を?」
 「うん、探して改造して欲しいんだ」
 翌日来たブルマの父親、ブリーフ博士に彼は頼んだ。ブルマの母親は脇の方で妻と義父と世間話をしている。
 20年以上前のものか、見つかるかねえと言う博士に彼はできるだけ自分が祖父に拾われた時のことを、祖父からいつか聞かされた限り詳しく教えた。そして宇宙船についてのいろんな要望や注文。博士もだんだん意欲が沸いてきたらしくあれこれとアイディアを出し合った。
 「よし、じゃあこれで行こう。実際見つからないとこのとおりできるか分からないがね。見つかったらまた来るよ。すぐ探しに行くから」

 「あ、もひとつお願いがあんだけど」
 「なんだい」
 「じいちゃんの墓参り、オラのかわりにしてきてくれ」

 視界の向こうで妻が聞きとがめて怪訝な顔をした気がした。妻にはまだ大猿のことも、自分が祖父を殺めたことも教えてはいなかった。自分が宇宙人であることすら直接には。そのうち折を見て話さなければならない、とは思っている。今回彼女が家に帰る前ちゃんと話して頼めればよかったのだけれど、いろいろと慌しくしていたから。それに、それを語るには今回息子を闘いの流れの中で大猿にしてしまったことも告げなくてはならない。ちゃんと話すにはそれなりの勇気が必要で、それができるほどにはまだ彼の心身はちゃんと回復しきっていないのだった。



 博士は少しの間黙っていたが、優しくヒゲを持ち上げてうなずいた。おそらく、ブルマからいろいろ聞かされていたのだろう。しばらくの後、夫妻は病室を辞し、妻と義父も見送りに出てしまった。超VIPの来訪と言うことで病院内がざわざわと浮き立っていた。
 
 彼は一人、病室で優しいため息をついた。外は柔らかな雨が降っていた。雲は薄く、白く優しい光が空の全面を流れていた。




 自分は、思っていたより多くの人に、そのように優しく気遣われて守られていたのだ。
 そうやって守ってくれる人が、外の世界には、たくさんいたのだ。
 何を、外の世界を恐ろしがることがあったのだろう。





 自分を狂わせる月はまた地球から消えた。
 でもこの身に流れる血は消せない。

 けれど、絶対に乗り越えて見せよう。あいつをも倒して、自分は、きっと、ひとであり続けて見せよう。
 この世界で、化け物ではなく、ひととして、ひとの中で生きていくために。
 







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