このページはイラストレーターはるまきの、個人的なドラゴンボール版権小説置き場です。鳥山先生、集英社さんとは一切関係ございません。
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Warm4





 「ただーいまー」
 「ただいま、おかあさん!ご飯ご飯!」
 「はいはい、今できるからな?2人とも早く手ぇ洗ってくるだよ」
 「はぁい」

 11月はじめのよく晴れた金曜のうららかな昼時だった。窓の外の山並みもところどころ色づき始め、庭の桜の樹もだんだんに紅葉の気配を見せている。村は収穫の季節を迎え、広がる金色の穂波が時折山から吹き降ろしてくる風に鮮やかな光を反射させている。
 「今日はね、お父さんと修行してるときクマを見たよ」少しまだ詰め物を高くした自分専用の椅子で手を合わせながら悟天はいつもどおりその日の午前のことを母親に報告した。
 「へえ、珍しいだな」にこにこと飯を茶碗によそって渡してくれる母。
 「今は冬眠する前だからあちこち食いもん探してうろついてるからな」洗ってきた手を胴着の脇でぬぐって母親に怒られる父。すっかりもう「いつもどおり」になった孫家の昼時の光景である。
 この春、兄である悟飯が高校に行くようになって、数日昼時の孫家の食卓は悟天と母親の二人だけだった。それはひどくがらんとした気持ちだったものだ。それがしばらくビーデルを交えて4人になり、そして兄との3人になった。戦いが済んで兄がまた高校に行くようになって、替わりに死んでいた父親が加わるようになった。それはとても思いがけなく嬉しい変化だった。
 父親がいっときこの世に帰ってくると聞いても、当初はさほど嬉しくもなくむしろ早く帰ってしまえばいいと悟天は思っていたものだが、いざ帰ってきて家族としての生活が始まれば7年の空白を埋めるように父親になつくようになった。最近は午前の間は父親について行って修行を施されるのが日課だ。正直修行はそれほど悟天にとっては我を忘れるほど楽しいというものでもないが、父親について山に行くのが面白いのである。兄も色々なことを教えてくれたが、父親にとって山はまさに自分の庭であり家であり、さまざまなことを見せて教えてくれたから。

 「おら昼からは村の人の稲刈り手伝うことになってるから。ちょっと留守にしてるけど悟天ちゃんはちゃんとお勉強しとくんだぞ」
 「えー…ぼ、ボクも稲刈りお手伝いしようかなあ」
 「いいだよ、かあさん一人で」にべもなく断られて悟天はサラダを頬張った口を膨らせて見せた。7歳になり町の子供が小学校に上がるような歳になったので、悟天も通信教育で勉強をさせられるようになった。午後はもっぱらその時間に当てさせられている。勉強など修行よりもさらにはるかに面白くないのだが、母親の言うことには逆らえない。この性格も父親譲りである。
 「チチ、オラ悟天を見とかなくていいか」
 「ええだよ、悟天ちゃんだってお留守番くらいちゃんとできるよなあ?明日ブルマさんとこ行くんで修行できねえんだろうから今日はちゃんとしてくればええ」
 父親が母親を見て嬉しそうににっこりした。そこにオマケの一言が跳ぶ。
 「それに悟空さがいっしょにいたらすぐ悟天と一緒に遊んでお勉強にならねえもの」
 ちぇ、とその結果を期待していた悟天が舌を出すと、父親が頭をかきながら明るく笑って、母親がおかしそうにコロコロと心地いい声で笑った。温かい色合いのテーブルクロスに母親の手で綺麗に縫い取りされた鳥のその声のように。花壇から食卓に連れてこられたピンクと黄色のカラー菊の鉢も心なしかニコニコと微笑んでいるようだ。
 3人の食卓は毎日がそのように幸福そのものである。産まれたときからずっと大好きな綺麗で優しい母親。大好きになった逞しくあたたかい父親。この二人に挟まれて幸せでないわけはない。ただ困るのは両親仲がよくてたまに身の置き所がなくなるような気がするところだけど、2人とも自分を精一杯愛して大事にしてくれる。最近自分よりはるかに大切な人ができた兄の事はちょっと面白くないのだけど。






 昼飯のあとちょっとだけ悟天の勉強の姿を見て父親は修行に行き、母親も動きやすい格好に着替えて鎌と差し入れのお握りを手に村の手伝いに行ってしまった。悟天も根は真面目なほうだからおとなしく自分の勉強机で算数のドリルを解いた。分からないことがあったら回線を呼び出して担当にたずねればある程度のヒントは教えてくれるし、テレビの専用チャンネルに合わせれば遠隔授業も行われている。僻地に住まうものが多いこの世界では学校に行くよりこのようなシステムを利用して勉強する子供も多い。母親も昔はそうしていたらしいし兄もずっとそうしてきた。父親はそういうことはしてこなかったらしいが、「頭もちゃんと鍛えなきゃな」といつも勉強を嫌がる悟天に言う。最低限の勉強はしておかないと苦労するから、と。まあ父親を見ているとなんとなく説得力があるような気もしないではない。
 「ただいまー」
 なんとなくだらだらと勉強しているうちに4時半頃兄が学校から帰ってきて、続けざまに母親ももらったという柿の実を手に帰ってきた。ちょっと早いけど父親を呼んできてそれで一緒にお茶にしようと言うので、いつもどおり兄に今日の勉強の添削を頼んでから、申し出て父親の気を辿り迎えに行くことにした。

 今日父親が裏の山のほうでずっと修行していたのは勉強中も父親の発する気で分かっていた。悪戯心で気配を殺して近づいてやれ、と思ったのだが、舞空術で姿が見えるところまでいくとすでにあちらは気づいていて悟天が見えるなり手を大きく振ってくれた。
 「柿かあ、やった」ちょっと待て、と悟天をかつての家の軒下に座らせて父親は締めのいくつかの型と体操をはじめた。秋の夕暮れ近く、もう気温もだいぶん落ちてきている。冷たい風がざわざわと周りの杉林を揺らしていく。茜がかった日差しが父親のよく鍛えられた筋肉をうっすらと覆う汗をきらきらとさせていた。呼吸を整える父親の横顔は逆光で見えにくいもののきりっと引き締まって一種神聖なものをすら感じさせる。はるか遠い高みを目指して。
 悟天はあの戦いのときまぶたの裏に見た超サイヤ人3の横顔をちらりとそこに見た。逆光にはじけた金色の長い光があの長い髪の毛を思わせたので。あの世でしか保っていられないという透明で崇高な強大な力、自分が父親に憧れを抱いたきっかけ。後に自分とトランクスもあの姿になれるようにはなったが、やはりそれでも父親には何かが及ばないと思う。それが、大人と子供の背負ってきたもの、歩いてきた年月の差と言うものなのだろうか。



 「よし終わり。帰ろっか、悟天」
 「うん」そういって立ち上がった頭上に、こないだ来たときにはなかった軒先の干し柿があるのを見つけた。「あれ?これ何?」
 「ああ、それ父さんが昼に吊っといた奴だ。昔ここに住んでたときはよく作ってたんだけどな、じいちゃんに教わって」
 「へええ」
 「ここらへんの柿は渋いからな、こうやって吊っといて甘くするんだ。そうでなきゃ食べらんねえ」
 父親が試しに一個紐から外してかじらせてくれたのを思わず吐き出した。舌を出して泣きそうになってるのを見て父親が笑いながら同じように齧って見せて同じように渋さをこらえておどけて見せた。でもちゃんと最後まで食べた。
 「冬は食べ物が少なかったから、こんなんでも大事に食ってたもんだ。あの頃にしたら母さんが毎日美味いメシ作ってくれる今なんて有難くてしょうがねえな」
 笑う父親を見上げて手を握った。自分の曽祖父と言う人の墓参りを含めここには何度も来たことがあるが、今日はなんとなくいつもと違って神妙な気持ちがした。昨日自分の曽祖父のことを詳しく教えられたからかもしれない。
 先日ドラゴンボールが復活したとトランクスの母親であるブルマから連絡が来た。そこで明日、トランクスと悟天はドラゴンボール集めを行う予定である。話に聞かされていたドラゴンボールを巡る旅を小さな次の世代の子供にさせようと両家が決めたのだった。引率は自分の父親の予定。兄は明日デートらしく予定がつかなかった。日曜もトランクスが運動会だとかで、とりあえずは明日だけ。一日で集まるはずもないから週末何度かをこの試みで使うことになるだろう。
 それで父親は改めて当時の冒険などを最近語ってくれる。それは父親の仲間や兄から聞いたのとはまた一味違うものだった。父親はけして喋るのが上手いほうではなかったが、当時子供だった父親が何を考え、どう戦ってきたかと言うのを本人から聞くのはやはり重みのあるものだった。当時の父親の写真は一枚も残っていないのだけど、鏡を見れば生き写しだというその姿が悟天の目の前に居る。今こんなに大きく逞しい父親にもそんな時代があったなんて。
 そしてこんな寂しい家で、今の自分と同じくらいからたった一人で暮らしていたなんて。毎日毎日食べ物を探し修行をし、ただそれだけの日々。誰も話す者もいない、ただ曽祖父の肩身と言うドラゴンボールだけが相手。
 「お父さんは、さびしくなかったの、こんなところで」
 「そりゃな」涙ぐみかけた悟天の頭を父親が大きな手で撫でてくれた。「さびしかったさ。下に降りれば人も居るのはなんとなくわかってたし何度かいこうと思ったときもあった。でも父さんは子供で臆病だったから、よその世界が怖かったんだなあ。一人では行きたくなかった。ブルマが来てくれて、二人でやっと行く勇気が出たのかも知れねえ」
 「お父さんでもこわかったの」
 笑う父親を照らす光はだいぶんと茜色を帯びてきた。それが照れたように赤く父親の頬を染める。「でも外に出てよかった。母さんにも会えたし、そんでおめえたちもできたからな」
 どこかで烏が鳴いた。父親の後ろに曽祖父の墓が見えた。なぜどのようにその人が死んだかをも教えられていた悟天はなんだかひどく切ない気持ちになった。今までなんとなく避けてきたそれを聞いてしまったのはその胸を締め付けるようないろいろな感情のせいだったのかもしれない。

 「お父さん」
 「ん」
 「お父さんは、なんで生き返ってくれなかったの?ボクが産まれるってわかってたら、…」
 


 優しい微笑を浮かべていた父親が一瞬真顔になった。

 「死んで、ひいおじいちゃんに会いたかったの?さびしかったから?」


 「…悪かった。さびしかったよな」
 しゃがみこんで上から覆いかぶさるように頭を抱きしめられた。そっと太い腕の下で頭をうつむかせ唇を噛んだ。違う、自分は父親が居ないことなど、再会するまで寂しいとは思ったこともなかった。兄がいたし、母親も居た。自分には父親が居ないのが当たり前だと思っていたのだから。
 でもこの人が帰ってきてそばに居るようになってから、「なぜ自分の小さい頃にこうしてくれることが出来なかったのか」と思うにつけ、7年の空白が思い知らされる。一緒に居るのが楽しいからこそ、もっと小さい頃から当たり前にこのように一緒に居れたら、どんなにかもっともっと幸せだったろうかと考えを至らせずには居られないのだ。しかしそれはわがままだ。兄だって小さい頃父親のそばに居られたけどその後はそうでなかったのだから。父親はもっと寂しい思いをしてきた。だからこんなことで泣くのは情けないし甘ったれの子供ではないか。


 「おめえが産まれるってわかってたら、そりゃ、どんなことをしても生き返ったと思う。ホントだぞ、悟天。だからこれからはいっぱい傍に居る」
 「ホント?もう死んだりしない?」
 「死なない。だから今度こそどんな奴にもやられないようにする」

 閉じ込められた体温の中、むせ返るように汗の匂いがした。どこか懐かしいような安心する匂い。それが二人が親子だという何よりの証に思える。
 でも自分は父親ではない。兄とも違う。自分は父親のようにどこまでも強くなりたいという望みも持っていなければ、兄のように学問で身を立てたいという望みもない。自分ひとりだけが手を引かれきょときょとと道を歩いているひどく頼りない存在のような気がする。父と兄のように一人で生き抜いた経験もない。こんな甘ったれで父親は内心がっかりしているのではないか。
 「んなことねえさ。子供なら当たり前なんだから。これからゆっくりやりたいこと探してけばいい」
 不意に降ってきた声に顔を驚いて上げると、父親が悪戯っぽく歯を見せて目の前で笑っていた。「あ、お父さん、ボクの考えてること読んだね!」
 わりいわりい、とおどけながら父親がふわりと宙に舞い上がった。悟天も顔を赤くしながら慌ててあとを追いかけた。巻き上げられた風に墓の周囲に植えられた野菊が白い花弁を揺らした。家では待ちくたびれた兄と母が、それでもちゃんと自分と父親を待っていてくれることだろう。


 7年の空白は徐々に埋まりつつある。父親にしたらこのように触れておのおのの記憶を読めばそれで済んだことなのかもしれない。でも父親はそうしようとはしなかった。なるべく家族の話を聞いてやる。聞いて応えて心を通わせる。その過程こそが失われた年月を繕う優しくけなげな強いわざなのだからとでも言うように。けして人の話を聞くことも人に話をすることも得意ではないひとだけれど、それが自ら離れてしまったことに課せられた罰であるからとでも言うように。
 
 悟天が思うに、やはり父親は大人である。そして思う、この人はきっと一生自分の前に立ちはだかる大きな壁であり続けるだろうと。







 翌日の午後に父親の瞬間移動で西の都のカプセルコーポレーションに飛んだ。目の前に現れたのはトランクスの父親のベジータだった。ちょうど朝の洗面を済ませてその逆立った髪の毛を満足げに整えているところだったから、いきなり現れた父親を前にして真っ赤になって怒鳴りつけた。
 「クソッタレ、こんな朝っぱらから何の用だカカロット!人が用を足しているときに不躾に現れるんじゃない」
 「オッスベジータ」気にするでもない父親があっけらかんと片手を上げて挨拶した。「おめえの気が一番探りやすいんだもんよ。オラ達今日はトランクスとドラゴンボール探しに行く約束なんだ。おめえもくるか?」
 「冗談じゃない。くだらん。オレ様がそんなことにつきあってられるか」
 「ああら、くだらんことですって」
 振り向くとトランクスの母のブルマが丈の短いネグリジェ姿で豪華な洗面所の入り口に立っていた。「おはよう孫君、悟天君。チチさんと悟飯君は用事で来れないんだっけ。…てかあんたたち、まだ7時よ。ちょっとはTPOを考えて欲しいもんだわね」
 「オラん家はもう昼すぎだったけど」
 「時差ってもんがあるんだから」ぶつぶつと言いながらブルマが羽織った上掛けの前をあわせて、朝ごはん食べてくわよね?と聞いた。さっき昼を食べたばかりのクセに父親は嬉しそうにうんうんと頷いた。かくしてブルマの父母、ブルマとベジータ、それにトランクスの食卓に2人は遠慮を知らぬ食欲で加わることになったのだった。ベジータはさも不愉快そうにそっぽを向いていたのだったが。

 「ごちそうさまー」
 「美味かったー。ごちそうさん」
 「いいええ、お粗末様」ブルマの母親が上品に笑った。食卓の上の、自ら育てたとりどりの花の活け具合を確かめながら。
 「しかしキミは相変わらずの食欲だねえ。先日のパーティの時もびっくりしたもんだけど」新聞に目を通しながら、食後のタバコを咥え家の主のブリーフ博士が笑う。すでに社長業はブルマに引き継いだが、会長として相変わらず研究にいそしむ日々だ。
 「あたしも今日はついてこうかしら」
 「え、ホント、ママ」
 食堂から去ろうとしていたベジータがぎょっと振り返った。
 「手助けはしないわよ、見てるだけだから。あんたももういっちょまえなんだからできる限りやって御覧なさいな。ベジータは?どうするの?」
 「行かんと言っているだろう!」朝ああ言ってしまった手前今更引っ込みのつかないベジータが怒鳴りながら足音高く部屋を出て行った。そんな態度でもこの家のものはもう慣れっこで気にした風もなく逆に面白がっている。悟天はそのさまに素直に感心した。自分だったらちょっとおっかない。自分の父親が優しい人でよかった。しかしまああんなおっかない人のオヨメサンになったトランクスの母親はやっぱり凄い。頭もいいし美人だしでっかい会社の社長さんだ。トランクスがいつも自慢するようにとっても凄い人なのだ。もちろん一番は自分の母親だけど。








 「しつっこいわねえ、あげないって言ってんでしょうが」
 「だって界王神のじっちゃんと約束しちまったもんよ」
 「嫌って言ったら嫌よっ!あんたって人は本当にもう、またチチさんに言いつけるからね!」そう一喝すると孫悟空は少年っぽくちぇ、と頬を膨らせてあさってのほうを向いてしまった。
 ベジータがついてこないのをいい塩に、こいつはこないだ慰労パーティで断ったはずの自分のHな生写真をまた要求してきた。あの頃の少年であるならともかく、もう30も過ぎたいい歳の男がそんなもん要求してくるなんてセクハラそのものではないか。あとでベジータに言いつけてやる。そう横目でにらみつけながら、ブルマは車のボンネットにもたれながら取り出したタバコに火をつけた。脇で孫悟空が薄手のジャンパーに手を入れながら煙い、と不平を垂れたがわざと煙を吹き付けてやった。
 11月のさわやかに晴れた午前だった。朝食のあと彼らは作らせた弁当を手にすぐ出発した。一番近いボールは幸いなことに西の都のすぐ郊外にあったので、トランクスに預けたレーダーを子供二人で覗き込んでナビをするのにしたがって、車をのんびりと走らせてきた。西の都を流れる大河の上流、平和な牧草地帯は草の刈り入れもあらかた終わり、のんびりとした広々とした情景を横たえている。
 子供たちは時折、川べりで草を食むアルパカたちのもこもこした姿に構いながら、レーダーを覗き込んでは何事か相談している。のんきなものだ。ちっとも真面目に探している様子がない。
 「まーた遊んでるぞ、あいつら」
 「いいのよ、好きにさせといたら。ほっときなさいよ」
 「仕方ねえな、ガキだからな」
 「ガキだからね」
 あんたは行かないの、と聞くと、孫悟空はまあまあ、と適当に笑った。「2人で仲良く遊んでりゃいいさ。平和ってこった」
 ブルマは車内の灰皿にタバコを始末しながら思った。あの少年ももう30なのだ、と。死んでいなければ自分より4つ下の37。いやサイヤ人が来たあと1年死んでたのだからもうひとつ下と数えたほうがいいかもしれないが。
 自分たちが出会ってから25年。それはとりもなおさず、自分たちが成長し大人になってきた年月である。自分ももう40を超えて、あの頃はしかと想像も出来なかった「人の母」というものになった。この男は自分よりもはるかに早く人の親になった。それはかなり予想外のことだったけれど。

 「なんか眠くなってきちまったな」
 「あんたねえ。引率で来ておいてそれはないでしょ」
 「オラ寝る」さっさと車の後部座席に入って横になってしまった。あまり大きくもない軽自動車の後ろで、長い手足をたたむようにして。


 子供たちは相変わらず動物を追っかけまわして遊んでいる。適当にその辺にしなさいよ、と呼びかけてブルマも車内に入ってリクライニングを倒した。後ろでまた狭いだの苦情がしたが気にしないことにしてまたタバコに火をつけた。一応気を遣って煙は外に吐き出してやる。その煙がゆらゆらと青い、この季節にしては日差しの強い空に上っていく。ハンドルに添えている手にじりじりとそれが熱く、もう少し強い日焼け止めを塗ってくればよかったかとぼんやりと後悔した。

 「…おめえも年取ったなあ」
 不意に声がした。倒したリクライニングの脇で、後部席に横たえた眠そうな顔がこちらをぼんやり見ていた。
 「誰がなんですって?ええ?」
 「きついきつい重い」わざとさらに倒した席の下でそいつがあがいた。「いや、オラ昔は年寄りしかタバコってもん吸わねえと思ってたから。オラのじいちゃんとか亀仙人のじっちゃんとか見てそう思ってて。だからさ。そういうイメージなんだよ」
 「若い人間だって吸うわよ」
 「もちろん今はそれくらい知ってるさ。オラがガキの頃はそう思ってたって話だよ。オラも年寄りになったらタバコを吸わねえといけねえのか、やだな、って思ってた」
 「ふうん」
 ちょっとの間車内に沈黙が落ちた。少しだけ早まった鼓動を自覚しながらブルマは灰をそっと灰皿に落とした。今日のマニキュアはパール入りの濃いオレンジ。ボールの色に少し合わせたつもりだった。


 「ちょっと、それ吸わしてくんねえか」
 無骨な節くれ立った指が急に目の前に伸びてきた。驚いてみると、上体を起こして無邪気そうな目元で微笑みながら、悪戯っぽく笑っている男の顔があった。
 「何よ急に」
 「ためしさ。どんな味がすんのかなって」
 「あんまし美味しいもんじゃないわよ」
 「ふうん?」
 少し躊躇われたが吸い差しのそれを手渡した。手渡すときに少し指が触れ合った。口紅がついてる、と文句をつけられた。

 ブルマは慌てて窓の外を見た。男の息子を見た。その無邪気に何も知らずにはしゃいでいる少年の笑顔を。





 「ホントだ、美味いもんじゃねえな。オラ年寄りになってもタバコは吸わねえことにする」
 おい、と促されたのを睨み付けるように見返してタバコを受け取ってまた咥えた。不思議そうにきょとんとした男に言ってやった。

 「チチさんには内緒にするのよ」

 数秒考えたあと、急に咽(むせ)たように咳を軽くしてそいつはけらけらと笑った。
 「ああ、あいつはやきもち焼きだからなあ。おめえもベジータには黙っとけよ、写真のこともな」
 悪ガキ。そう悪態をつくと二言、三言眠そうに言ってまた後ろでうとうとと眠りについた。オラはガキじゃねえよ。もうおっさんだ。昨夜だってあんまり寝てねえんだから…いい歳してってあいつは言うけどさ…。







 リクライニングに深く身体を沈め、シート越しに体温を感じながらブルマは改めて煙を長く吐いた。見上げたフロントガラスの上をすべるように流れていく羊雲の群れがやけに愉しげだった。山のほうで白い風車が緩やかに回っている。いつか幼かった頃のこの男に、あれはなんだと聞かれ丁寧に教えてやった事物のひとつ。

 25年と言うのは思えばあっという間だった。もとから友達と言うものに恵まれなかった、そして一人っ子である自分にとってこの男、いやこの少年はもっとも長い間友であり弟だった。そしてそれは自分が死ぬまでそうだろう。
 男女としては絡み合うことのなかった人生の糸。自分では過去には惜しいことをしたと思ったときもなかったではなかった。でもそれでよかったのだ、となんだか哀しいようなでもさばさばした気持ちだった。あの小柄な無邪気な少年はもういない。本当はもうはるか昔にそんなものはいなくなっていたのだろう。間近にいて愛していたなら自分はこの男が「大人」に変わっていくさまを受け止め切れなかったかもしれない。
 自分はこの男が少年のまま純粋で居ることを望んだ。
 この男の妻である自分の友人は、立派な大人になって迎えに来てくれるだろうこの男を待った。彼女はだから、この男とともに歩んでこれたのだろう。ともに大人になる道を選んだがゆえに。

 遠くで子供たちがオレンジ色に光るものを掲げて得意げに手を振った。

 あの子達がああしている。今ここに居る。だから、歩んできた道に、愛してきたそれぞれの相手に、何の後悔があるだろうか。今こうしてこの男が生き返ってこの世界にいる、望外の幸運に何の不足があるだろうか。







 「おじさん寝ちゃってるよ」
 「お父さん起きてよぅ。見つかったんだよ、次のを探さなきゃ」
 「おー、よく見つけたな。星が2つ、二星球かあ」
 「綺麗だね、お父さん」
 「その球から全てが始まったのよね」トランクスの見ているレーダーを車の脇で覗き込みながらブルマは言った。皆がブルマを見た。気づいてブルマはてれたように笑った。「その球がうちの蔵に転がってなかったら、あたしはドラゴンボールを探しに行かなかった。そしたら孫君と会うこともなかった。あんたたちも生まれる事はなかったかもよ?」
 「パパとママも会わなかったかも?やだなそれは」
 「お父さんとお母さんも?」
 「そうだなあ、そりゃ困るな。あーオラ狭いところで寝てたから体中いてえや。早いけど飯にしようぜ」
 「あんたはぶち壊すわねえ…まあとにかく、神様のお導きって奴ね。感謝しなきゃ」


 神様のご加護を信じていない彼らは目を見合わせて笑った。悟天の手の中に在る奇跡の球を取り巻いて。
 奇跡といっても無限ではない。そうであるならば7年余りの空白は生じはしなかっただろう。この男が死んだ当時、いつでも生き返らせられるようにと集めてずっとブルマの手元に保管しておいた7つの球。この男が蘇るのが最高の望みであるがゆえに、他の何の願いをもかなえようとは思わなかった。
 今回ブウの戦いによって自分たちの一家はひどい騒動に巻き込まれた。ブウの記憶を人々から消すという望みをかなえた後、またいつか何かこの球が必要なときが来るかもしれない。でもその時はその時だ、それまでに叶えたいつまらない望みなどもうない。あの時友人が自分の腕の中で嗚咽交じりに漏らした望み、そして自分が衷心から彼女のそれが叶うようにと願った望みはもう成就したのだから。






 孫悟空が大声で呼びかけると、遠くのほうで気配を殺していたらしいベジータが気まずそうに悪態をつきながら姿を見せた。
 じゃあちょっと呼んでくると言って孫悟空が姿を消し、すぐさま稲刈りの途中だったのか鎌を手にした彼の妻を伴ってまた現れた。
 緑の草原に鮮やかに広げられたマットの上、母親たちが弁当を並べ、父親たちと子供たちがふざけ合う。そんな、世を救った二組の幸福な家族の、秋のうららかで暖かい週末の情景がそこにはあった。



 神は天に在り、全て世はこともなし。
 







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