このページはイラストレーターはるまきの、個人的なドラゴンボール版権小説置き場です。鳥山先生、集英社さんとは一切関係ございません。
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Warm3





 寒いのはあまり好きではない。だから冬場は修行は南の方に限る。

 家の方がどんどん寒くなってきてから自然悟空の毎日の修行場はだんだんと南下を続け、2月なかばもっとも寒さの厳しいここ最近にはほとんど赤道のあたりにまでになっていた。といっても南の方は近場では小さめの島ばかりだし、南の都のある大陸か、もしくは義父の城のあたりがここのところのお気に入りだ。どちらかというと昼飯にそのへんで捕まえた獲物が足らなかったら気軽に寄れるので後者の方が多い。しかし遠くまで修行に行くと帰りも遅くなるので身重でひとり家で待つ妻はここのところ機嫌が悪かった。
 重ねてまずかったのが、出しな寒いのでコートだのマフラーだの着けていくのだが、帰りは運動後だしまわりが温かいのでついうっかりその辺に忘れてきてしまうことだ。数回そんなことがあってもうしないとこないだ約束させられたのに、昨日また繰り返してしまった。よりによってそれは大事にするようにとこないだわざわざ手ずから編んでくれたマフラーだったものだから、ついに妻がキレてしまった。



 「どういうつもりなんだべ!おらがせっかく編んであげたのに!」
 もうすぐ9ヶ月になろうという、だいぶ大きくなってきた腹をゆすりあげた妻に昨夜玄関先で詰め寄られた。
 「悪かったって、明日さがしてくっからさあ。なあ、機嫌直せよ。タイキョーってやつに悪いんだろ、あんまし怒ったら」
 「おらだって散々我慢してきただ。でも今日と言う今日はゆるせねえだよ!せっかく悟空さのために一生懸命編んだのに、もののひと月で無くされるなんて思っても見なかっただ!一目一目心を込めて編んだって言うだにっ、悟空さは愛が足らねえだ!」
 「ごめん、ごめんって」手にした籠から飛んでくる編み棒やら鈎針やらをあわてて避ける。いくつかが玄関前の木の幹に見事に刺さった。もう一年近く武道から遠ざかってるからとはいえ妻だって元は常人ばなれした武道家なのだから、こうなるとそんじょそこらの人が立ち入れるレベルではない。すでに村ではあそこの夫婦の喧嘩は派手だから近づくなと噂されている。
 悟空が飛んできた最後の編み棒を顔の横でつかむと、突っ掛け履きで寒い外に出てきていた妻は高潮した頬をうなだれて背を丸めぜいぜいと息をついた。さすがにもうだいぶ腹が重いらしいし、この前病院にいやいやながら付き添っていったときに血圧が高目だの言われていた。あわてて駆け寄って背を撫でてやろうとするとオマケの一発の平手がその手にとんだ。
 「いってえ」さすがに頭に来て睨むとお返しに籠の中にあった編み掛けの何かしらを投げつけられた。編み棒が引き抜かれて無残なことになったそれは身ごろ半分まで編まれたグレーの男もののセーターだった。綺麗に網目の揃ったそれを手に取ると、今気づいたかのように妻が悲しげな顔をした。
 「…今日は晩飯ぬきだからな」
 疲れたような声で言うと、妻は突っ掛けを引きずるように家の中に入っていった。悟空はそれを見送ってからその辺に散らばった編み針を拾って、しばらく待ってから家に入った。妻は風呂に逃げたらしく食卓の上にぞんざいに盛られた炒め物が放置されていた。腹は鳴ったが食べるのも癪だったのでいつもの寝室の隣の部屋…近々生まれる子供のための部屋のじゅうたんの上で眠った。そして夜が明けるか明けないかのくらいに今朝は妻と顔を合わさず家を出てきたのだった。






 昨日修行したあたりを探すと、件のマフラーはすぐに見つかった。夜のうちに風に飛ばされたのか、冬の夜明けの奇妙に蒼暗い空の下、大きなソテツの上のほうにひらひらと引っかかっていた。
 浮かんでそれを取ってみると泥水にでもはまったのかやさしいアイボリーのそれは茶色の泥染みでひどい有様だった。こんな状態で見つかったと持ち帰っても余計怒らせることになるだろうというのは容易に想像がつく。どうしたものか、と金色の曙光の中悟空はため息をついて、とりあえず、近くにある義父の城に向かうことにした。

 とぼとぼとだだっ広い草原を歩くとなんとなく見覚えのある風景にたどり着く。そこは彼ら夫婦の最初に出会った場所だった。結婚してすぐ彼女に連れてこられてああだこうだいろいろ思い出を語られたのももう半年以上も前のことだ。しばらくぼんやりとそこで長い影を後ろに背負って佇んでいたが、また気を取り直したように歩き出した。
 どうせ自分から彼女から離れることなんてできないのである。行き着いた結論は悔しかったが、そこ以外にどんな答えがあるというのか。それなのに自分の愛が足りないなんてなんて言い草だろうか。考えるとまた腹が立ってきたのだが腹が立つと腹が減るので精神修養だと思ってひたすら無心に歩くことにした。途中で牛乳配達の少年が彼を自転車で追い越していった。




 「ああ、このくらいならすぐ落ちますよ、洗って陰干しして、今日はお天気もいいし昼には綺麗にしてお返ししますよ」
 女中頭の老婆がマフラーを受け取る横で朝の軽いトレーニングを終えた義父が笑った。「朝っぱらからなんだべ、また喧嘩でもしただか」
 図星を差されて悟空は唇を尖らせたが、嘘は嫌なので仕方なく頷いた。とりあえず昨夜から何も食べてないので、義父が食べ終えた後だったがありがたく新たにしつらえられた朝食の馳走になることにする。最近来ることが多かったので料理人たちももうこの若旦那様の食欲には慣れたものである。
 そのあとひとっ風呂浴びてさっぱりしたところで庭でぼんやりと洗濯が済むのを待った。真っ青な乾季の空の下で、庭師達や義父が忙しく植物をかまっている。温室の中のとりどりのスイートピーやらフリージアやらが一まとめに近くの村に卸されていった。この城の副業である。
 「てつだおっか」座り込んでいたポーチから腰を上げて悟空は義父に呼びかけた。
 「なんだべいきなり」首にタオルを巻いた義父が軍手の泥を払いながら振り返って笑った。その隣まで来て義父が抜いていた雑草を手近のざるの中に入れてやった。
 「忙しそうだからさ。おっちゃんの仕事って毎日こんなのか」
 「まあこれもそのひとつだな、色々だども」
 働くって大変だな、と苦笑いすると、おめえの修行も大変だろ、と義父が笑った。悟空は安心した。結婚してからいろいろテレビなど見て悟ったのだが、世の父親と言うものは働いていない男に娘をくれてやるなど言語道断と言うのが当たり前らしい。それなのに義父は、娘である自分の妻が働かないと愚痴ったりするのをいつもまあまあと宥めてくれる。そういう意味のことを言うと義父はどこか痛いような笑いをして、おめえはおめえの道を究めればええ、おらができるかぎりしてやる、と言った。チチには内緒だぞ、とも。女にはわからないのだから、とも。意味はよく分からなかったが。

 「でもその分チチのこと大切にしてやってけれな」
 少しの間のあとで悟空はコクン、とうなずいた。




 そのように手伝いをしながら話をしていると洗濯から仕上がってきた。手伝いの駄賃だと義父がいくらかくれようとしたのだがそれは断り、代わりに花壇の隅に咲いていた白い小さなスノードロップとかいう花を鉢にしてもらった。なんとなく妻が好きそうだと思ったからだった。さて行くか、と悟空が洗い立てのふかふかのマフラーを首に何重にも巻いたところで女中頭が玄関ホールに駆け込んできた。
 「どうしたんだべそんなに慌てて。今の電話だか?」
 「なんだ、ばっちゃん」老婆の必死の視線が真っ先にこっちを見たのを察して悟空は嫌な予感がした。ぜいぜいと昨日の妻のように背を丸めて息をついたあと老婆は叫んだ。
 「お嬢様が、お出かけ先でお倒れになったと、今病院から」
 いい終わるか終わらないかで、玄関先から猛スピードで北東に飛び去る弾丸のような姿があった。
 




 
 
 
 「うん、もう大丈夫だってさ。ヒンケツってやつだって。買い物の途中でちょっと気分悪くなってしゃがみこんじまったんだとさ。病院にも泊まらなくっていいってさ。うん。じゃあな、おっちゃん」
 廊下の公衆電話で(看護婦にかけ方を教えてもらったのだが)義父に電話を終えて、病室に戻ると妻はもう帰り支度をすっかり終えていた。最近後ろで縛っていただけの髪を丸くうなじでまとめるようになったのだがそれもきちんと終え、ベッド脇の卓に置いた悟空が持って帰ってきた鉢にペットボトルの水を少しあげている。昼下がりの日差しを受けて、高速の移動に耐え切れずしおれそうになっていた花がゆっくり息を取り戻すように見えた。逆光になっている妻の顔が、やさしげな微笑を作るのが見えた。
 「もう行けるんか」
 「もうちょっと待ってけれ」気づくとどこか恥ずかしそうに、ベッドに腰掛けた妻は目をそらした。横に座ってゆっくりと、でかい腹を少し邪魔にしながら抱きしめると、妻がまだ巻いている悟空のマフラーにゆっくりと力を抜いて顔をうずめた。胸の奥がきゅうっと苦しくなって腕に力を込める。抱きしめた背中は細かった。やっぱり腹が邪魔だな、とぼんやり思う。そう思うと彼女の腹の中から赤子が何回か彼に蹴りをいれてきた。夫婦は目を見合わせて笑った。笑った後唇を重ねていると、入り口で看護婦のえへん、とのどを鳴らす声がしたので彼らは慌てて病室をあとにしたのだった。




 お腹の子供はとても発育がいいのだけど、その分母体である妻の身体には負担なのらしい。妻は最近お腹が減る、甘いものがほしいとよく言うのだが、食べ過ぎて体重を増やしてはお産が大変になるのだそうで、最近彼女はぴりぴりしていた。その上この時期はさっきみたいに血も足らなくなりやすいし、特に体調の管理が難しいのだそうだ。
 それなのに自分はここのところなんだかんだ理由をつけて遅くまで修行に出ていた。単純に遠くまで行ってたから帰りが遅かったのもあるのだけど、なんとなく最近面白くなかったのだ。夜の生活を我慢しないといけないのもあるけれど、彼女は暇さえあれば昨日自分が寝てた子供部屋で子供の何がしか着るものとか作ってるし、口を開けばお産のことや生まれてくる子供のことばかり、それに最近活発に動くのが面白くなってきたらしくしょっちゅうお腹を触ったりちょっと叩いて返事を楽しんだり、なにごとか話しかけたりで、こちらを構ってくれることも少ない。新婚の頃「おらは悟空さの飯炊き女じゃねえ」とか言っていたくせに今はその地位にみずから甘んじているようなのだ、まるで彼女にとって自分はどうでもよくなったようではないか。
 それにこれからいよいよ産まれてきたらますますそっちにかかりきりになるのは目に見えている。だんだん妻は、その辺の動物の雌が子供を生んでぴりぴりと発するようなあの雰囲気をもまとってきている。それはそれで仕方のないこととは思うのだけど、つがいである自分ときたら働いて食い扶持を持ち帰るでもなく巣穴を整えてやるでもない。おかげでますます肩身が狭いような気持ちだったのだ。あのセーターだってマフラーだって、なんとなく子供のついでで作ったんだろみたいに思っていたところがあった。

 「なんでそんなこと言うんだべ」
 ほんとにすっかり元気を取り戻した妻が、眉をひそめて唇を尖らせた。町の定食屋で昼も食べ、頬にもちゃんと赤みが戻っている。
 「そうだな、馬鹿な事言った」
 右手に彼女の荷物と、さっき店で買った包み紙つきのベビーカーを担ぎ、左手で彼女の手をつないで悟空は笑った。妻は右手で彼の手を取り、左手でスノードロップの鉢を大事に抱えている。
 昼下がりの町の市場はすっきりと晴れていた。昨日すこし降った雪の名残がテントや店の影に少しきらきらと残っている。最近は安産のためになるべく身体を動かすのだと言って、家からは少し離れているけれどここの市場まで歩いて買い物に来るのが彼女の日課だった。休みの日は悟空もそれに付き合って、なにかしらのベビー用品をこんな風に担がされて帰るのである。
 店で彼女が「かわいい!」だの「こんなのどうだかな、お腹の子に似合うべかな」だの言っても正直よくわからないし、やっぱり愛情をとられたようでなんだか面白くないのだけど、彼女が嬉しそうにしているのを見るのは好きだ。そう、そんな扱いをされていてもやっぱりどうしても彼女のことが好きなのだ。

 子供のことが可愛くないわけではない。でも男と分かっているのもあるけれど、なんとなく恋敵が現れたような気分に近い。彼女は最初から自分のことを好いていてくれたから、今更どうしたらもっと彼女が自分を好いてくれるのかというのが分からない。身体で彼女に想いを伝えようにも「そこ」はすでにそいつに占領されているし、言葉で伝えるのもどうにもできない。自分はもっと素直な性格と思っていたのに、なぜ好きの一言くらい素直にさばさばと言ってやれないのだろう。



 そんなことを考えながら、公園で二人で茶を飲んだ。2月、梅がその公園には満開だった。赤と白の梅をバックにして、妻のまだ娘っぽい…まだ実際19なのだけど…横顔が、うっとりとあたりに満ちる香りを楽しんでいる。緋毛氈の上で団子を一息に串から歯で外しながら、悟空は目を細めた。また胸の奥がきゅうっと苦しかった。
 最近になってこういうのが恋というのだとやっと知ったのだけど、なんとなく自分のそれが世の中であふれているそれを詠った歌のようには思いたくない、と彼は思う。だから他の人間の恋を参考にしたくもない。この想いは自分だけのもので、うかつには彼女にも見せびらかしたくないほどそれは自分にとって大事なものなのだから。ホントはそういう出し惜しみはよくないのだと分かってはいるのだけど。

 「なあ悟空さ」妻が不意によそを見たまま呼びかけてきた。
 「ん?」
 「大好き」
 思いがけないいきなりの告白にぶっ、と茶を噴出すと、隣に座った妻が顔をしかめた。ポケットから出したハンカチで口だのを拭ってくれながら彼女は続けた。「ごめんな、愛情が足らなかったのはおらの方だべ」
 「んなことねえよ」かなり嬉しかったのだけど平静を装って残った団子をもぎゅもぎゅと口の中で噛んだ。危うくのどに詰まらせそうになったのだけど。
 「この花な、すごく殖えやすいんだって。帰ったら早速花壇に植えねばな。…昔なんかで読んだけど、愛情ってのは一定の量だけあるんじゃなくて、家族が増えるごとにどんどん人の中で殖えてくもんなんだって…だから、子供が生まれてきても、悟空さへの分の愛情はきっとそのままちゃんとあるべ」
 「そっか」
 「なんだべそれ」照れ隠しのそっけない反応に(彼の反応はいつも何でもこんなものだったが)彼女がまた顔をしかめて見せた。「問題はちゃんとそれを伝えられるかなんだべなあ…ん、さっきのも愛情が足らないじゃなくて、伝えるのが足りなかったんだべな。これからおら忙しくなって子供に構いっきりになって悟空さ寂しくさせるかもしんねえけど、おらちゃんとできるだけ伝えてくから」
 そう言って妻が微笑んだ。背後の紅梅の色がその頬に綺麗に写ったようだった。長いまつげが、綺麗な唇が、まっすぐに自分に向かっている。

 かろうじて彼は団子ではなくなにか胸からこみ上げてくるものに詰まりそうなのどを励まして、「…オラも、そうする」と言った。公園のどこかで鳩の群れが飛び立つ音が重なってしまったけど、それはちゃんと届いたようで彼女がまた綺麗に笑った。風はまだ冷たかったけれど日差しは明るく透明であたたかく、その両方が頬にうれしかった。
 腹を無意識に撫でようとした彼女の白い手を捕まえて、緋毛氈の上でそっと握った。今だけは独り占めしたかった。たとえこれから一生彼女の心のどこかをお腹の子が占めるとしても、この恋は敗れるわけではない、そう思おうとする。

 うじうじしてる暇があったら、その分彼女を大切にしてやろう。毎日じゃなくとも、もう少しこうやって一緒に歩いてやろう。また倒れそうになったら自分が抱きとめてやろう、二人分の身体を。この鍛えた腕はきっとそのためにあるのだから。
 手を離して、今度は彼女の腹の上にそっと置いた。中で赤子がそのぬくもりを探ってそっと手を当てたような気がした。彼女がその自分の手の甲に重ねた手。彼女の向こう、団子屋の中で年寄りがそっと自分たちを見て目を細めた。そっと微笑み返すと、そっと頷いて微笑み返された。気づいた彼女が振り返って同じように照れたように微笑んだ。なんだかよく分からないけど何もかもが素敵で嬉しかった。




 「そろそろ帰るか」
 マフラーをまた巻いて微笑むと、妻がうなずいて差し出した手を取った。彼女が負うのは花と言うかたちの彼のまごころと生まれてくる子供、彼が負うのは産まれてくる赤子のための乗り物と彼女の荷物。彼がしんどいなら負ぶってやるぞと笑う。彼女は優しく、大丈夫、ありがとうと笑う。つないだ手が落ち着いて温かい、それが嬉しい。





 もうすぐ春が来る。梅が桃になり、桃が桜になればいよいよお腹の中の子に会えるだろう。
 あの部屋にものがふえるごとに、きっとなにかが円くあたたかく心の中で整っていく。そしてなにか透明であたたかいものが心の中で増えていくのだ。

 それはきっとふくらんでゆくなにかの若芽、もしくはなにかの蕾(つぼみ)のように。







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