このページはイラストレーターはるまきの、個人的なドラゴンボール版権小説置き場です。鳥山先生、集英社さんとは一切関係ございません。
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 7月末。

 いよいよ夏本番になった。一家の住む山村にも容赦のない暑さがやってきた。



 「あっちいぃ」
 朝の修行を終えて、この家の主である悟空は首にかけたタオルで汗を拭き拭き家の前に降り立った。上空を飛んでいる間は多少風を受けるからマシなものの、家の前に立つとむわ、とした湿気が肌を覆って、吹き出る汗を肌に閉じ込めるようだ。
 多少標高が高いこの山村ではあるが、逆に山から吹き降ろしてくる熱風で時折このように我慢ができないほど暑くなる。そして今日も日差しは容赦がない。家の脇の小川の土手もゆらゆらと小さな陽炎にゆれ、白いカプセルハウスの屋根、そして車庫の屋根も不吉さを感じさせるほどの熱気に揺らめいている。
 世界中を回ってかなり暑い土地にもいろいろ行ったことがあるが、こういう湿気の高い暑さと言うのはこたえるものだ。少年の頃もこの地方に暮らしてはいたが、山の上のほうに住んでいたのでここまでは暑くなかった。去年この山裾に暮らし始めて、やっぱりもうちょっと山のほうに暮らしても良かったんじゃないか、と後悔したくらいだ。去年は妻も体調が悪かったのだから。

 悟空は家の中に飛び込んだ。空調がひやん、と顔に当たって、「うはあ」と気の抜けた歓喜の声を出した。
 冷蔵庫から冷たく冷えた麦茶を出して、ガラスのコップに注ぎ、一気に飲み干した。あまり冷たいものばかり飲んでは体に悪いけれど、とりあえず修行帰りのこれだけはやめられない。あっというまに空になったグラスをテーブルに置きながら家の中を見回した。あれ、誰もいないんだろうか。ちょっと早く帰って来すぎたかもしれない。

 最近はこのように暑いので、ちょっと早めに出て修行に行き、10時くらいにいったん切り上げて帰ってくるのが悟空のスケジュールだった。その間に妻も何やかやと家の用事をしたりする。いないということはまたお隣にでも遊びに行ってるのだろうか。

 あ、いや、いた。




 悟空はまっすぐ寝室に向かった。ドアを開けると、リビングより多少冷房を落とした中で、寝台に2人が寄り添うようにして眠っていた。
 妻と、生まれたばかり…いや、この春に生まれて、もう3ヶ月とすこしになる息子。

 妻の手には、小さなうちわがあった。多分、扇いでいるうちに眠ってしまったのだろう。

 のんきだなあ。人が暑い中頑張って修行してきたのにさ。
 思いながらも、悟空は微笑んだ。微笑んで、寝台の柱に手をかけて、2人を見下ろす。よく眠っている。
 
 最近、夜中に授乳のためにたたき起こされることも減ってきて、やっと妻は多少ゆっくりできるようになった。ので、ゆうべはこっちにかまってもらった。疲れてるのはわかるけれど、こっちだってまだ若いのだから有り余っているのだ。つい調子に乗ってしまったかもしれないのは反省する。その疲れもあるので今寝てるんだろう。
 2人してかぶっているタオルケットのすそから、白くて細い脚がすらりと伸びている。暑いから、最近は短い丈の服を着ていることも多い。いい眺めではあるが目の毒といえば毒だ。ケッコンしてから自分はエッチになった、と思う。やっと世の中の男が女のからだを見て喜ぶ理由がわかった、と思う。でも自分はこの妻で十分だ。



 どうしようか。混じって寝てしまおうか。気持ちよさそうだ。





 考えていると、息子が口をむにゅ、としたあとにぼんやりと目を向けてこちらを見てきた。
 「よう、おはよう、悟飯」
 そっと呼びかけると、小さな手を伸ばしてきた。笑って、妻を起こさないように気を配りながらそおっと抱き上げた。尻尾が妻の鼻先を掠めたが、まだ眠っている。
 腕の中に抱き上げる。最近首もしっかりしてきたので、立て抱きにしても大丈夫なようになった。やわらかい、妻の母乳のにおいがする。悟空は目を細めた。
 「かあちゃんよく寝てるなあ。あっちで遊ぶか?ん?」
 話しかけると、息子は自分の腕を触ってきて、不快そうな顔をした。まだ汗が引いてなかったからだ。
 「ああ、わりいわりい。風呂入ってねえからなあ。じゃ入ろっかな。悟飯も一緒に入るか」
 頭をつつくと、息子がキャッキャと笑った。最近よく笑うようになって、とてもかわいらしい、と悟空も思うようになってきた。生まれたばかりの頃は愛想がないなあと思ってすらいたのだけれど。



 
 妻がゆうべ洗ったきれいな浴槽に、ぬるめのお湯を張る。裸になって一回湯をかぶって汗を落としてから、リビングの床のバスタオルの上に横たえてあった息子を抱き上げ、服を脱がせる。
 2人でゆっくりとぬるま湯に沈む。お湯がざあざあとふちからこぼれた。ひざの上に軽く座らせた息子が、ふわあ、と息を吐いた。
 「あー、いい気持ちだなあ」濡れた手で頭をなでてやる。最近太くなって伸びてきた髪の毛がぴんぴんと手のひらの下で主張した。小さないたいけな背中の下で、細い茶色い尻尾が機嫌よさそうに揺れている。
 息子の尻尾を見ているのは好きだ、と悟空は微笑む。眠っているときにときどきぴくり、となるのも可愛いし、機嫌の悪いときに左右にぶんぶん揺れたり、びっくりしたときにピン、となるのを見るのも楽しい。なにせ昔自分にも同じものがあったのだから、尻尾を見ていれば大体の感情はわかるのだ。意外とものを考えているんだな、と言うのもわかる。
 それに、この尻尾。間違いなく、自分の子供であるしるし。自分の精から生まれ、2人で作ったものであるしるし。それが、無条件にいとおしい、と悟空は思う。世の父親と言うのは生まれてしばらくは自分の子供と言う自覚がなかなか沸かない、という風に言われるが、悟空の場合この尻尾のおかげでもう最初から十分自覚できていた。 
 尻尾があるというのはいいことばかりじゃないだろう、奇異の目で見られることも多かろう、と言うのは悟空にもなんとなくわかっていた。実際、医者などはそういう風に扱ったのだから。でも、尻尾があるとわかった妊娠中からその事は妻はほとんど口にしなかった。むしろ、尻尾があるということを、確かに悟空の子供だと言うことで喜びとして受け止めてくれている。悟空にはそれが何より嬉しかった。むしろ、神が自分の尻尾を取らずに、おそろいとして残してくれていれば楽しかったのにな、とすら思っている。



 「あう」息子がひざの上からからだを伸ばして腕を伸ばした。その先にはお気に入りのお風呂おもちゃがあった。「お、これか」と取って、小さな手に握らせてやると、息子は喜んで水面に腕をたたきつけた。
 風呂場の窓から入ってくる夏の日差しに、しぶきがきらきらと散乱して、リンリンと中に入った鈴の澄んだ音が風呂場中にこだました。悟空は声をあげて笑って、ひざの上の息子を抱きしめた。窓の外、玄関前の木のどこかでセミが鳴き始めると、息子は動きを止めて笑って青い空を見上げた。顔に水面の光の網が反射している。それが、とても尊いような横顔に見えて、悟空は小さな耳元にそっと、何かがじわりと登ってきた、自分の日焼けした鼻筋を押し当てた。

 急に、風呂場の外で足音と声がした。
 「まーた、脱衣カゴにこのシャツを入れてるだなっ。重くて壊れるから、やめろって言ってるのに」
 「ああ、起きたんか。もうちょっと寝てりゃ良かったのに」
 「だって、悟飯ちゃんがいなくってびっくりしたんだもん。それより悟空さ、またリビングの床ビチョビチョにしただな。濡れた足跡だらけだ」
 「まあまあ。でもな、ほれ、だいぶ悟飯を風呂に入れるのも慣れてきたろ」悟空はにへら、と笑った。「気持ちいいぞ。おめえもどうだ」
 う、と顔を赤くして妻がうろたえてもじもじと身をよじらせた。でも、しばらくすると、そうだな、と笑った。「ちょっとだけな。暑いし、プール代わりに」




 妻がからだをさっと流して入ってくると、湯がまた浴槽からあふれた。妻が、自分の肩口にゆったりと顔を寄りかからせた。ほんと、気持ちいい、とつぶやきながら。悟空はそのつやつやとした髪をゆっくりとなでた。セミがまだ表で鳴いている。
 「今日は、これからどうするだ、悟空さは」
 「そだな…昼飯食って…でもなんかすっげえ暑いし、今こんなのんびりしちまったから表出るのも億劫だからな、家にいようかな」
 「そっか、そりゃ良かっただ。じゃああの服も靴も洗っちまってな。汗くせえだぞ」
 「えー」
 「おらはやだぞ。あれすっげえ重いんだから」まだ眠そうな声で妻がつぶやき、息子をひざの上から奪い取った。そのやわらかい胸に息子が乳を飲むでもなく顔をうずめる。悟空はちょっと嫉妬する。妻にそうされるのが悔しいのか、息子にとってやはり妻のほうがいいのが悔しいのか、自分でもよく分からない。
 「わかったよ」
 実際、例の胴着の洗濯は悟空のちゃんとやれる数少ない家事のひとつだった。神殿にいた時だって自分で自分のものは洗濯していたのだから慣れている。それに修行にもなるし、ま、いいか、と悟空は思った。

 「家にいるならちょうどいいだ。今日はな、山の向こうのほうで花火大会があるんだって。ちょっとはやめに晩御飯食べて、今晩はそれを見に行くべ」
 「へえ、花火かあ。屋台、屋台出るのかっ」
 「んだ、いっぱい出るらしいだよ」妻がくすりと笑った。「そんで、筋斗雲の上から、みんなで花火を見ような。誰も来れない特等席だべ」
 「いいな、それ」
 2人で顔を見合わせて笑った。と、息子が急に顔を赤くして泣き出した。
 「あっ、まずい」
 「また風呂の中でしちまうぞ、早く早く、外に出せ」



 あわてて妻が息子を抱いて、ばたばたと風呂から上がっていった。浴槽には、ひとり悟空だけが残された。お湯は大分減ってしまっていた。

 でも、まあ、いいか。
 減った分の水は、きっと、うちの幸せの量だから。


 
 悟空は微笑んで残ったお湯を手で肩から体にかけ、息子のいじっていたおもちゃを手にとってちりん、と一回鳴らし、妻があわてている声のほうへと風呂を出て向かっていった。






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