このページはイラストレーターはるまきの、個人的なドラゴンボール版権小説置き場です。鳥山先生、集英社さんとは一切関係ございません。
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travel2





 目覚まし代わりにかけているラジオがいつもの時報を知らせたと思ったら無音のままだったので、寝ぼけていたブルマはついに西の都に唯一残されたラジオ局が壊滅したのかと飛び起きた。真っ暗な地下室の一隅で頭をどこかにぶつけて何かが上の棚から落ちた。それにかぶさるように音声が再び流れた。深い闇の中に、厳かにつくった女のアナウンサーの声で。
 「黙祷を終わります」
 続いて、国王の演説がはじまった。
 「今日5月12日はあの恐るべき2人の人造人間が世界に現われ出た日であります。ちょうど10年前のこの日、彼らが殺戮を始めて以来、どれほどの尊い生命が失われてきたことでしょう。どれほどのものが無残に失われてきたことでしょう。
 しかしわれわれ人類はあきらめてはいけません。希望を失ってはいけません。
 昔あのピッコロ大魔王を滅ぼした少年のような救世主がまた現れるかもしれないのですから。
 祈りましょう。神に」

 しばらくその演説のあとブルマは闇をじっと見つめていたが、やがてくつくつと笑い出した。笑って立ち上がり部屋の明かりをつけた。薄暗い明かりに、かつて栄華を誇ったカプセルコーポレーションの地下倉庫の一室がぼんやりと照らし出された。壊滅した地上階からかき集めた物資、各種部品をおさめた箱で埋め尽くされた部屋の一角に彼女の寝台はあった。寝台の脇に積み上げられた本の山に気を配りながら長年着古した作業服に袖を通す。
 神は居ない。そう、古い言い回しをすれば「神は死んだ」のだ。
 救世主の少年本人ももういない。人間世界の崩壊が起こる前に死んでしまった。言葉どおり、「神はわれわれを見放された」。彼女は神をも超える、宇宙を束ねる存在も知っている。しかしそれすら、今人類が相対している敵にははるか力及ばない。
 知っているという事は時に残酷である。普通の人間はまだ神を信じられるだけよい。しかし彼女は知ってしまっている。そもそもよしんば超常の存在がこの世にあったとして、あの平和な時代にすっかりと信仰を忘れていた人類に今更何をしてくれようか。
 「かあさん、用意ができたよ」
 部屋の戸が叩かれた。今行くわ、と返事をして、彼女は髪をひとつにくくり手袋をし、鞄を担いで歩き出した。

 階段を上って庭に出ると、10になる一人息子のトランクスと、19になる孫悟飯が、車に燃料を入れ終わったところだった。5月の朝の光が芝に鮮やかだった。昔彼女の母親の愛した美しい庭は主を失って荒れ果ててはいたが、根の残った薔薇のいくつかが朝露を宿して美しく花を咲かせていた。
 「おはようございます」
 「おはよう、悟飯君」
 救世主の一粒種はあの最初の戦いをかろうじて生き延びた唯一の戦士だった。そのあと、4,5年ほど前から彼の家を出ているらしく、たまにこの西の都に来てトランクスの面倒を見てくれるようになった。家で母親が心配しているだろうに、と諭すもののいつもにっこりと笑って困ったようにはぐらかすばかり。しかしもう19にもなるいい大人なのだから、あまり口を出すのも野暮かと思う。
 彼は今は父親の着ていたような山吹の胴着に身を包むようになった。そうしていると本当に、見違えるように背を大きくして再会したときの、18の時の彼の父親を見るような思いがする。そう、それはもう丁度20年も前のこの季節だった。
 「本当に行かないの、一緒に」
 「いいよ、僕は残るよ。うちを留守にするわけにはいかないでしょう」
 「僕も残ります。ここを守らないといけませんからね」
 サイヤ人の子供たちは笑った。彼女はこれから少し長い旅に出るつもりだった。北の谷へ向かい、東の山へ。そして南の海へ。26年前と同じ道をたどるつもりだった。飛行機で行けば早いが、飛ぶ事は人造人間に見つかる危険も多くなるから、あの時と同じに車やバイクを使って。そして幾人かに会うつもりだった。
 確かに家は軽々しく長く留守にはできない。荒れ果てたとはいえここにはまだ世界一の大富豪の遺した財産の幾許(いくばく)かが残っている。都の治安はよくなかった。それを狙ってくる人間もいないではなかったし、それよりもっと大事なものがここには今はある。それだけは失われてはならない。いざとなったら留守を守る彼らに持ち出してもらわなければならない。
 「じゃあ行くわ」
 車に乗り込もうとする彼女に、一通の小さな封筒が差し出された。
 「これを、かあさんに。おじいさんにもよろしく伝えてください」
 わかった、と微笑みそれを受け取り、彼女はドアを閉めて車を瓦礫ばかりの道に走らせ出した。




 北の谷に向かうことは特別の意味があってのことではない。単に、あの時と同じ道を走りたいという彼女なりの感傷だった。16の夏休み、素敵な恋人を求めて不思議な珠を求め旅立ったときの自分を懐かしむ気持ち、と言おうか。
 希望に燃えていたときのあの時の若く溌剌としていた自分。美貌と知恵に恵まれた自分には、素晴らしい未来のみが開けていると信じていた幼さ。未来に向かってわき目も振らず走り出せる無鉄砲さと体力があの頃にはあった。今は40の大台も超え、長く車に乗っていると腰がつらくなるのもまた情けない事実である。ここ数年化粧も肌の手入れもご無沙汰ですっかり皺も板についてしまった。顔に刻まれたのは、壊滅した都市でひとりきり、子供を守って生きてきた母親、会社を守ろうとしてきた社長としての苦悩である。
 あの日南の島に現れた人造人間が数日たって西の都にやってきた。生まれたばかりのトランクスの検診にたまたま病院を訪れていた彼女は、衝撃と爆音のあと瓦礫の中から息子と共に救出された。その頃には、都で繰り広げられていた戦いは終わっていて、病院は運ばれてきた人々で地獄絵図の有様だった。幸い軽症だった彼女と息子は町にさまよい出て、息子の父親たる男と、彼女のかつての恋人の死を知ったのだった。
 放心のまま家に帰ると、そこもひどい有様だった。父母と多くの社員を失ってしまっていた。息子を背負ってしばらくは会社の経営を引き継ぎ遮二無二働いていたものの、一年前に会社も人手に渡した。かつて世界に冠たる大企業だったカプセルコーポレーションの幕を自分で下ろした自責の念はないといえば嘘になる。今はどこかの地方都市で細々と経営が続いているはずである。今も特許権はブルマが有しているから多少の収入をそこから得て暮らしているのだった。金融システム自体が今はもうあてにならないものだったから不安定な収入ではあったけれど。
 あれから、10年。
 人造人間は毎日毎日殺しまくっているわけではなく、一ヶ月に一度か二度、ふらりとたまに車などで街に一般人の顔をして表れては、殺戮を楽しんで去っていくという行為を繰り返している。まるで猫から逃げた鼠の群れがおずおずとまた現れて活動するのを狙い済ましてとどめを刺しに来るさまのように。つかの間の平和を味わっている人間が恐怖に叩き落されるその顔が好きなのだろう。その意味で全く彼らはたちが悪かった。いつどこに現れるかわからない分、あのピッコロ大魔王より数倍も。そんなのんびりしたやりかたでも、地球の人口は10年前の半分近くまで減ってきてしまっている。
 ラジオでその出現の情報に気を配りながらブルマは車を走らせ、数日の後にやがて26年前に初めて珠を見出した場所に至った。春晩い北の谷の冷気が少し風邪気味の彼女の鼻をくすぐった。ところどころまだ雪を抱いた灰色の岸壁のところどころに大鷲やカモシカの姿が見えた。自然だけは変わらず、いや、人が減った分より生き生きとして美しい。

 珠にかけること叶わなかった「素敵な恋人を」と言う望みは一旦はそれなくして叶えられたように思ったが、結局は彼女の望んだそのものではなかった。彼は優しかったが純情に過ぎ、自分が身体を許せばそのあと女と言うものの味を占めたかのように他のものに目移りを見せた。それに修行だの何だのでそばにいる機会も少なかった。しかしこちらも学業や仕事だので忙しくしてたから切なくて哀しくてどうにもならない、とかそういうこともなかった。それは自分の性格上そうなのだろうと思っていたがとどのつまりはさほどこちらも彼に執着していなかったと言うことなのかもしれない。
 別れた後に惹かれた男についてはいまだによく分からない。宇宙人の王子とかいう常識を外れた肩書きそのものに惹かれたわけではない。無意味と成り果てたそれを背負っている背中に触れてみたかったのかもしれないと今は思う。ひと時だけでも触れたあの男の心はうまく言葉にできないが、たまに今息子に教え聞かせるように優しい側面も有していたと思う。むしろ思いたいだけかもしれないけれど。

 しばらくその場所で食事を取りながら毛布に包まり景色を眺めたあと、彼女は東に進路をとった。

 中の都と北の都の間にある大山脈の南辺に沿って東進し、かつての東の都のあたりまで出る。かつてカプセルもない頃に作られた交易の大動脈である道が大陸を何本か横切っているが、これが一番北寄りのルートである。
 今はもう運行もされていない鉄道の銀の道が遠くなりまた近くなりつつブルマに寄り添うように走った。東の都はかつて彼女の惹かれた男が壊滅させた場所だった。古い昔には強大な文明を築いた大帝国の都だった地は今はもう面影もなく、いくつかの漁業集落の寄り添うように固まる寂しい土地だった。そこまで来たところで程近い地に人造人間が来たという情報が流れたので、村人たちと共に地下壕に避難したりもした。幸い遭遇する事はなく、村人の好意で一晩宿を借りてまた出発した。通信網もずたずたの今、ブルマの見てきた各地の様子の話は喜ばれた。
 東の都の面する大海沿岸を南下していくと、やがて東の山地帯に出る。26年前の地図の記憶に沿って道を辿る。今も記憶力には自信がある。一度見た図面や地図、本をあやまたず頭の中で再現できる能力は彼女に自分自身に「天才」と名乗らせるだけの価値のあるものだった。でも実際の生活の中での出来事などはそういうわけではない。彼女に子供を生ませたあの男の面影も10年のうちにだんだんに薄れてきていたし、あの、後に救世主となった少年の幼い面影などは底抜けに明るい夏の光のイメージの中にぼんやりとかすんできている。人間はあえて他者の顔をはっきりと微細には記憶しないようにできているのだ、と聞いたことがあるが、それは残酷でもあるし一方救いでもあるのかもしれない。
 その山が近づくにつれ、ナイーブになってきている自分を彼女は自覚していた。車のシートの上の腰に、二週間を超えた旅での心身の疲れがのしかかる。なぜ自分はつらい世界を目の当たりにしながらこんな旅をしているのだろう、という理不尽な問いが湧き上がる。もうどこにいっても願いを叶える珠などこの世にはありはしない。これから向かうあの山にも、あの少年はいないし珠もない。
 でもだからこそ、今はもうないからこそ、自分はこれから「それ」を為さねばならない。
 旅の途中から、彼女の車の助手席にはまぼろしの少年が座っていた。そして何か綺麗なものを、面白いものを見るたびに少年はケタケタと声をあげて笑い、これはなに、あれはなぜと聞いてくるのだ。そして彼女は微笑みながら思うのだ。


 本当に、あなたがいれば、どんなに楽しい旅かしら。

 本当に、あなたがいれば、この世界もどんなに楽しいものかしら。

 きっとあなたの愛したあの子は私以上にそう思ってる。あなたがいればと。だから喜んでくれるわよね、きっと。

 そう、自分に言い聞かせるように。







 かつてのその山に入ろうと麓の川を渡ると、夕暮れ近く見通しの悪くなってきた道の脇から2人の少年が飛び出してきて手を振った。ブルマはあわててブレーキを踏んで怒鳴った。
 「危ないじゃないの!」
 「誰だお前!」そう気色ばむ色黒の少年を抑えて、もう一人の少し年かさの少年が聞いてきた。
 「この山に何の用ですか」
 「ある人に会いにきたの。この山の中に隠れてるって聞いたんだけど。チチさんって人」
 「ああ、媽媽にですか」少年は笑った。「お名前は?…ブルマさんとおっしゃるんですか。たまに媽媽から聞きます。ご案内しましょう」

 よく事情が飲み込めなかった彼女に、後ろに乗り込んだ少年たちが説明してくれた。10年前からここに隠れ住んだ女とその父親が、人造人間によって親をなくした近在の子供たちの面倒を見ていることを。
 「媽媽と爺爺は」マーマとイエイエ…その呼び方は、母親と祖父を指すこの地方の古い言い回しなのだと教えてくれた。「優しい人です。前からお金持ちだったそうなんですが、4,5年前息子さんが行方不明になってからこの山に僕ら孤児を集めて、一緒に食べ物を作ったり、強くなるために武術を教えたりしてくれてるんです」
 「媽媽と爺爺も昔武道家だったんだって」色黒の少年が誇らしげに言った。「でも媽媽の死んだ旦那さんはそりゃもうすっごく強かったんだって。なんかの大会で天下一をとったこともあるんだって。すごいねえ。俺もそんな風になりたいから武術を頑張ってるんだ。そんでこの山にやってくる悪い奴から媽媽を守ってあげるためにああやって見張りもしてるってわけさ」
 「そう、えらいわね」
 後ろに乗せた色黒の小柄な少年は、どこかあの救世主に似た雰囲気があった。今ひとりのおとなしげな思慮深そうな少年は、救世主の息子…あの孫悟飯の子供の頃にどこか似ていた。彼らに微笑みかけながらブルマは教えられるまでもなくあの時とおった道に車を滑らせた。道の脇にはところどころ遅い山桜や山躑躅の花が咲いている。空はよく晴れた茜色に染まり、夕べの風に杉がざわざわと音を立てている。
 ある場所でしばらく車を止めた。少年たちが不思議そうな顔をした。「ここから歩きましょうか」笑って促して車を降りさせる。小さな庵を臨むその場所は、26年前の出会いの場所だった。大きな魚を担いで歩いていた小さなぼさぼさ頭の少年の幻影が金色に光っている道に一瞬浮かぶ。
 あの時少年と歩いた道をゆくと、庵のそばに大きめのカプセルハウスが二つほど並べられ、その前に畑が幾枚か耕されているのが見えた。庵はあの時と同じくぼろっちいたたずまいを残していた。待っていてください、と少年が言ってその戸を叩くと、中からいらえがあった。
 出てきたのは、細いからだの黒髪の女だった。女はブルマを見ると意外そうな顔をしたあと、お久しぶりと笑った。夕焼けの光が彼女の顔を眩しく照らして肌の衰えを隠し、その面差しは驚くほど幼く見えた。

 子供が総勢で8人と言う、孤児院と呼ぶにも規模の小さな集団生活だった。3歳くらいの子から12歳くらいの子まで。みなチチが道で出会っては声をかけて連れてきたのだという。
 彼女の作った山の幸の多い夕食を子供たちと一緒に馳走になり、子供たちを寝かしつけてから女たちは2人であの庵に向かった。チチはこちらで寝起きしているのだという。立て付けの悪くなった木の扉を押すと、あの時と同じ飾り気のない白い壁の一室があった。ろうそくの明かりをつけると、オレンジの光がぼんやりともの思わしげに暗がりを照らし出した。床に引かれたじゅうたんの上、小さな座椅子を勧められて腰を下ろした。
 「おっとうは今買出しに出ててな」彼女が笑う。「今は食料も少ないし。米を手に入れるのもひと苦労だべ」
 「8人も食べ盛りがいたら大変よね」
 「なに、悟空さと悟飯ちゃんがよく食べたからな、あのくらいはなんでもないだ。もう財産もあまりねえけど、金が続くうち、できる限りはしてやろうと思ってる…おっとうもそれがかつての罪滅ぼしだからって、な」
 そこまで言って、ちょっと沈黙が落ちた。おもむろに来訪の意図を静かな声で問われ、ブルマはそれに答えた。考え考え、眉間に皺をかすかに寄せつつ。聞くほうの顔にもだんだんと、ろうそくに陰影を映し出されてかすかな皺が深まるのがわかった。
 「タイムマシン…」聞き終わったあとに、救世主の妻がつぶやいた。「ちょ、ちょっと待ってけれ。今考えるから。すまねえ。お茶も入れずにな。待っててけろ」
 あわてて閉められた扉を、ブルマは見つめた。部屋のオレンジの明かりがゆらゆらと揺れている。その明かりに、たんすの上にあるいくつかの写真立てのガラスがきらきらと光っている。立ち上がってそれを眺めた。大人になったあの少年と、彼の妻が肩を並べた若い頃の写真。婚礼衣装を着て幸せそうに微笑む美しい姿。生まれたばかりの赤子を挟んで微笑む若夫婦。あとは息子の写真の幾枚か。
 そこに急須と湯飲みを持って写真の主が帰ってきた。
 「それくらいしか持ち出せなくてなあ」彼女が卓の上で茶を注ぎながら笑ってその頃のことを語りだした。10年前人造人間が出現したあと、しばらくして麓にあった自宅にもやつらは現れたのだという。前日に戦いで怪我を負って帰ってきた孫悟飯がやがて彼らが来るだろうことを予想し、母子はあわててこの山に逃げ込んだらしい。家はカプセルにして持ってこれたが、別棟だった物置はカプセル仕様でなかったのでだめだったのだという。そこはもう、そばにあったあの少年の墓もろとも破壊されてしまった。
 しばらくは母子二人の生活だったらしい。連絡が取れなくなったのを案じた牛魔王が探し当てるまで。
 「あの頃はしんどかっただ。悟飯はもう自分しかいないのだからどうしてもまた戦うと駄々をこねる。おらはそれを必死になって止める。どうしても行くんならおらを殺してから行けとまで言った。あの子は修行をしたがった。そのうち根負けしておらも修行には見ないふりをしてたけど、修行をして多少強くなればまた戦いに行くだろう事を思っておらは怖かった。あの子は優しかったけど、心のどこかでおらを疎んじてるのがわかった。いつか怒鳴られたよりそれは数段つらいことだった。あっちもそう感じてるおらがわかるんだべな、だんだん修行で家を空けることが多くなってきて、あの子はある日帰ってこなくなったんだ」
 茶の馥郁とした香りの湯気に顔を隠すようにしながら彼女は呟くように語った。
 「気が狂いそうだった。悟空さがいつか帰ってこなかったときより数倍も。本当にどこでいつ人造人間に殺されるかわかったもんじゃねえ。今はあの頃と違って、死んでも気軽に生き返ることもできねえ。それが世の中の本来の姿といわれればそうだけども、あれほど嫌っていたピッコロの存在をあれほどありがたいもんだったんだと思った事はなかっただ」
 「悟飯君は大丈夫。たまにうちにも来るの。トランクスの面倒を見てくれるわ」
 「うん。おっとうから悟飯は今もどこかで人造人間と戦ってるってのは聞いてる。あの子もトランクスくんは同じサイヤ人の血を引く子供だから守らないとってよく言ってた」
 顔を覆ったその白い手をとってブルマは一通の封筒を握らせた。悟飯君からよ、と告げると、大きな黒い眼がさらに大きく開かれた。読まないの、と聞くと、所々白髪の混じった黒髪を揺らして首を振って、あとでひとりで読みたいから、と笑う。その顔はまるで恋文をもらった少女のようだった。
 「ブルマさんがつくろうっちゅうタイムマシンのことだけど」と顔を若干こわばらせながら彼女は続けた。
 「うん」
 「…悟空さが心臓病で死ななかったとしても、そのまま人造人間と戦うことになるんだべ?」
 「…そうね」
 ブルマは躊躇いながら頷いた。そのために作るのだから。でも彼女は小声で言った。それは残酷だと。ブルマは眉をひそめた。心のどこかでこの反応は予想はしていたことだった、だからこの山に来るのも本当は怖かったのだ。でも反論する。あの少年はきっとそれでも敵と戦いたいと思うだろう。そしてきっとどうにかしてくれる。この世界を変えてくれると。
 「でもおらは」彼女はうつむいた。その手が膝の上で震えている。「悟空さにそんなこと期待したことねえんだ!悟空さは英雄じゃねえ。おらが惚れたのはそんな人じゃねえんだ」
 「わかってないわ」そんな彼女をブルマは睨み付けた。「あなた、孫君が生き返って嬉しくないの。あたしは嬉しいわ。どれだけあの子がこの世の中に今もいたらと思う。10年思い続けてきた。だから必死に理論を組み立てたのよ!」
 「生き返って嬉しくないわけねえしわかってるだ!ホントは悟空さはそういう人だ。でもおめえに何がわかるだ!おらはあの人が心臓病で死んで正直ほっとしてるんだ。戦いの中でずたずたに、ピッコロの時みたいに血を流して死なずに済んでよかったって!」
 2人の女の目線が切っ先を交えるようにぶつかった。ろうそくの明かりが、発せられた慟哭めいた叫びの名残に震えている。どこかでフクロウが鳴く声が奇妙に大きく聴こえた。しばらくの後、目線を外したのはチチのほうだった。ブルマは驚いて眼を瞬かせた。どっと背中に汗が沸いた。衰えたりとはいえかつての武道家の気迫の余韻がまだ肩筋にビリビリと残っている。
 「…でも、そうするしかねえんだ、な」白いのどをのけぞらせて彼女が天を仰いだ。「そうして、もし、あの子供たちが幸せなまま親と一緒に暮らせるのなら。悟飯が戦わなくてすむのなら」

 首をうなだれるように戻して、よろしくお願いするだ、と頭を下げる彼女を前にして、ブルマは眼前から落とされた幕を見る想いがした。もう引き下がれない。
 なのに気づいてしまった。自分の恐ろしいまでのエゴに気づいてしまった。

 かつて自分は、彼女が息子を戦わせまいと必死になる姿をどこか軽蔑してきた。戦えるのに戦わせようとしないなんて、なんてエゴイストかと。しかし自分も今はひとの親となってみてわかる。今こうなってみてわかる。
 自分は、歴史をゆがめてまで、自分の息子に戦わせたくないのだと。神の領域を侵してまで、あの少年を無理に甦らせてまで、自分の息子にこの時代で戦いに出させたくないのだと。
 さらに息子のことも頼む、と頭を下げる彼女を前にして唇を噛んだ。自分が10年育ててきたのはほとんど信仰にも近い、あの少年がきっとどうにかしてくれる、という想いだった。その中には当然息子の父親であるあの男が死ななくてもいいようにというのも含まれている。何度も何度も描いてきた夢のなかで、あの少年は金色の戦士になってまた他のものを首尾よく逃がし、自分がただ一人傷を負って血を流して、人造人間たちに立ち向かっていくのだ。或いはその命を犠牲にしても。なんて自分勝手な都合のいい夢だろうか!
 英雄。
 救世主。
 ひとはその姿をそう呼ぶだろう。でも、彼女はそれを望まない。
 歴史を、ひとの願いを捻じ曲げてまで。自分の選んだ道はそういうものなのだ。口にした説得の言葉は戻せない。後悔はすまい。
 走り出さなければ。理論の再検証。もろもろの実験。部品の調達。エネルギーの確保には時間とコネと莫大な金が必要だろう。やる事は山ほどある、なるべく早く完成させなければ。
 せめてもあまり彼女を、彼女の息子を待たせないように。
 そして自分の息子が戦いに万一借り出されるようになる前に。




 お寝み、と庵を辞し、脇に出した自分のカプセルハウスで眠りにつく前に、小さな庵を眺めやる。青い闇の中、まだオレンジのろうそくの明かりがほのかに点っている飾り窓を。きっと息子からの手紙を読んでいるのだろう。
 こちらの明かりを消すと、闇の中、床に布団を敷いて横たわる小さな少年の幻影が見えたような気がした。この家はあの時とはまったく違うものだけど。

 彼女はさっき、庵の出しなに言った。「ブルマさんも、悟空さが好きだったんだべな」と。そして笑った。なぜか心の底から嬉しげに。
 その顔に、さっきと同じ恋する少女の面差しを交えて。12のときの、無邪気な可愛らしい面差しを浮かばせて。
 ブルマがあの頃素直に可愛らしいと思い、18の頃匂い立つように美しくなり少年をいきなり奪い去った彼女。嫉妬がなかったといえば嘘になるだろう。だから今日会うのも少し気詰まりだった。でも結局は来てよかったと思える。本当は許可を取らずに進めることも考えたが筋を通してよかったと思える。今度はいつ会えるかわからないけれど、いつか、ともだちになれるはず。
 初夏の満天の星明りの中、そっとため息めいたものを吐き出して、今一度、彼女の言葉を反芻し床のまぼろしに微笑みかけて目を閉じた。





 そうね。好きよ、孫君。
 だから、どうか勝って生き延びて、幸せに生きて。



 あなたは救世主。力を以って世界を救うひと。



 あたしは預言者。智慧を以ってあなたを人々の前に導く者。






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