このページはイラストレーターはるまきの、個人的なドラゴンボール版権小説置き場です。鳥山先生、集英社さんとは一切関係ございません。
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touch4





 その日は近づいていた。5月の声を聴いて、彼らの間にじりじりとしたものが流れ始めていた。一日一日が過ぎるごとに、背筋に積もってくる重みが感じられる。それに反するかのように緑は日々湧き上がるように萌えたち、彼らの住処の窓から望む山々も青々とした峰を青空に連ねて伸び上がるような曲線を描いている。
 しかしそのさまを見るにつけ、美しいと思わされるにつけ、なおさら彼らはその双肩に、その腕に荷ったものの重さを感じ入らされるのだ。修行は春になり苛烈さを増し、連れて怪我も増えた。家の妻はそれに連れて着実に機嫌を傾けていた。


 「はい、悟飯ちゃんおわり!次!悟空さ!」
 子供の手当てを眉をハの字にして終えた女が、次に待つ夫に眉を逆立てて傍に来るように命令した。よくまあころころと表情が変わるものだと、ピッコロは後ろに並びながら毎度のことながら感心させられる。手当てを済ませた子供がそばに寄ってきて含み笑いを見せた。いつしかピッコロもこの家に上がり、時に休憩をしたりするようになった。2年半の月日と言うのはひととひとがそれなりに馴染むには十分すぎるほどだ。宿敵の構えた家にあがりこんでいるというのもよく考えなくとも奇妙なものではあるが。
 最近は夕方修行を終えて帰ってきて、夕食の前にこうして並んでこの家の妻から手当てを受けるというのが3人の日課だった。ぎゃーぎゃーと説教をしながら夫のそこここに包帯を巻く様子を耳で聞くともなしに聴きながら、ピッコロは疲れた脳と身体を休めるように窓の外、残照の残る緑の山肌を眺めやる。そして、台所の壁にかかっているカレンダーを見た。12日に大きく丸がしてある。今日は9日、その日まであと3日。
 「ピッコロさ!」
 「おーい、ピッコロ、終わったぞ、次おめえだ」
 あわてて我に返り、今まで男が座っていたアイボリーのソファに入れ替わりに座った。血などで汚れないように模様の入った紺の上掛けをしたソファの良いすわり心地に、男の残した体温の名残に身をゆだねるたび、どこか居心地の悪いものを感じてしまう。遠慮などと言う単純なものでもないが。
 そんな彼の眼下で、女がじゅうたんに跪いて白いガーゼに壷から出した薬草を塗り広げている。かつてこの家の主人が天界で作り方を習い覚えたという妙薬で、仙豆ほどの効力は無いが一日二日あればたいていの傷は癒してしまえるというすぐれものだ。この男が修行漬けの毎日でいられるのもこの薬のおかげなのである。
 どこだ、と聞かれて怪我をしている箇所を手短に伝える。絞った布でそこを清められる。次に範囲の広いところに先ほどの薬を広げたガーゼを当てられ、包帯を巻かれる。白い細い指が細い白い布をたくみに手繰って、自分の緑の肌を丁寧に覆っていく。彼にしてみれば今まで傷というのは己の治癒力、ひどい場合は腕を折り取って自己再生能力で癒すものであったから、このように手当てを受けるなどと言う事は望んだことも無いことだった。
 「あとは自分で塗るから薬をよこせ」
 「可愛げのない。怪我人はごちゃごちゃ言わずにおとなしく手当てを受けるだ」
 女が指の先に薬を取って、ピッコロのターバンを取った頭の打撲に塗り広げ始める。そのくすぐったいような感触はいつまでたっても馴染めない。立ち上がって自分に寄せてくる女の身体の柔らかそうな感触の予感と体温が頬に感じられる。感覚をそらすために、今子供がつけたテレビのニュースに眼をやる。世界は何も知らず平和なものだ。くだらない芸能の話題のあとに指輪がどうとか言うCMが流れ始めたところで女が両手をはたいた。
 「はい、おしまいだべ。おりこうさんでした」
 「馬鹿にしてるのかっ」
 「してねえべよ。おらより15も下なんだからこれがそれなりの対応ってもんだ」
 そうおどける女に合わせてピッコロの後ろで夫たる男が愉快そうに笑った。その隣の子供は悪いなあ、と言うようにくつくつと笑いをこらえている。
 本当に2年半と言うものは長い。ここに来て修行を始めた当初は自分のことを恐れて、怒って、ろくに口も聞こうとしなかったではないか。それがいまやこんな有様だ。もともとこの女は人懐っこいし、そうそう怒りを長持ちもしないのだ。夫が宇宙から帰ってきたときも長いこと怒っていたがせいぜいひと月でおさまってしまった、要するに得な性格なのだろう。男に対して3年間恨みを募らせて幼少の頃を育ってきた自分が馬鹿馬鹿しくなってしまう。
 「さあて、晩御飯の用意だべ。とその前に、ピッコロさ、明日は修行はお休みにしてくんろ」
 「へ?なんで?こないだ日曜で休んだばっかじゃん。明日は仕上げしようと思ってたのに」
 「なぜだ、もう戦いもまもなくだというのに。どうせあさって、戦いの前日は体を休めるために休みだぞ」
 「そうだよおかあさん、明日休んだらもう戦いまで修行できないんだよ。ボクもそれまではちゃんとしたいよ」
 「ごちゃごちゃ言うでねえだ!」
 女がいきなり怒鳴った。3人は身をすくめた。勢いよく指した指の先のカレンダーを見させられる。明日の日付に添えられた文字を読ませられる。

 ”10年目 結婚記念日”

 読んだとたん、子供がまずったな、というような顔を見せた。男はさも今思い出したかのように手を叩いて、さらに女に睨まれて包帯を巻いた頭を掻いた。
 「修行修行修行で、おめえらはちっとも大事なことがわかってねえ!こういうのは当日に祝うから意味があるんだ!とにかく、悟空さだけでも明日は休みだ。仕上げしたかったらあさって午前中にでもやりゃええでねえか!それと、晩はレストラン予約してあるから悟飯ちゃんも早めに帰ってくるだぞ、いいだな!」
 ピッコロはやはりこの女が宇宙最強なのではないかと強く思った。






 おかげで翌日は妻は朝から機嫌が悪かった。結婚記念日といっても自分たちの場合2つあるようなものだから(武道会の日と結婚式をあげた日と)覚えづらいのだ、と悟空は修行に出かけた息子を見送ったあと朝食後の茶をすすりながら心の中で言い訳をした。自分としては結婚式の事は酔っ払っててほとんど覚えていないし武道会の日のほうが印象に残っているから心情的にそちらなのだけど、妻としてはウェディングドレスを着た日、つまり今日のほうが結婚記念日なのらしい。
 ここまで怒るのは、去年も忘れていたからだ。おととしは宇宙帰りでこちらも気を遣ってたせいもあって忘れずに済んだ。去年も怒っていたが、今年は特に10年と言う節目なのに忘れていたというのがいたくご不満のようだ。それにもともと生理中で機嫌が悪いらしい。皿を荒い手つきで片付けながら、小雨が降ってて洗濯物が干せないとかプリプリ怒っている。
 「でさあ」おっかなくはあったが悟空は流しに立った妻の背中に聞いてみた。「今日はどうするつもりなんだよ」
 「…」妻はしばらく無言で皿を流していたがひとつ息をついて気を取り直した風に聞き返してきた。「悟空さはどうしたいだ、どこか行きたいところあるだか」
 怒って一日を過ごすのも無駄だと思ったのだろう、と察してほっとする。せっかく貴重な一日をつぶしてつきあうのだからそうでなくては困る。
 「えっと、デートってやつするんか?映画とか、買い物とかか」
 「別に街に出るんでなくてもええんだけど」
 「特にねえなあ」
 「悟空さはそればっかし」多少やさしくなった手が白い布巾を取って皿を拭き始めた。「じゃあ、今日は上の方にでも散歩に行くベ。もう雨もやみそうだし、悟飯ちゃんに渡したお弁当の残り詰めるから」
 「上って、オラの前の家の方か」
 「んだ、戦いに行く前にじいさまのお墓にも顔見せに行くだ。家もだいぶ放ったらかしにしてるし、ちょっとは綺麗にしねえとな」


 昼前に彼らは家を出て山のほうに向かった。まだ少し雨が残っていたので赤い傘に二人でおさまりながら。
 「腹、平気か」
 「うん」
 いつもの胴着を着て、左手に弁当の包みを持ち、右手に赤い傘を掲げてゆっくりと歩く。雑巾やら線香やらを入れたかばんを持った妻がその右隣に納まって滑りにくい長靴で少しだけ早足で歩く。家の脇の小川を越え、遅い山桜のところどころ生えた森に分け入り、杉の多く植わった山道に入った。細い若葉の萌える青く乾いたようなにおいが立ち込めている。道に積もった茶色い古い葉がじくじくと濡れて、時折足場を悪くして妻が腕につかまってきた。
 中腹まではこの村の人々もたびたび分け入るから道もしっかりしている。遠い昔にはこの山も通商路に使われていた時代があったから、比較的上のほう、昔の家の近くまで道はきちんと引かれているのだ。ブルマもそんな道を車でたどってきたのだから。
 子供の頃の自分は、その道をずっとたどれば山を出られる事はおぼろげながらわかっていた。一度道をたどって山をいくらか降りてきたこともあった。ひとり山の頂にのぼりつめ、山でないところを見下ろしたこともあった。でも山を出ようとは思わなかった。今思えば臆病だったと思う、こんなに簡単なことなのに、女の足でも行き着けるほどに。

 そういえば、こうして妻と一緒に二人きりで歩いて山に登りかつての家に行くのは初めてのことだな、と悟空は気づいた。最近は息子も一緒だったし、昔は筋斗雲で一家で一気に登っていたものだった。
 自分が一度死ぬ直前に彼女は雲に乗れなくなった。そうだ、ちょうど5年前の今日だったか。義父が遊びに来て息子を預かってくれて2人で出かけようとしたときに気づいたのだった。彼女も自分も気づかなかったふりをしてやっぱり車で出かけようとなったが、彼女は車の中運転しながら、じっと思いつめたような眼を前に向けていた。自分は何か言おうと思ったのだけど彼女がそんな風に思いつめているようだったからどう言葉を紡ごうか寝たふりをして悩んでいるだけだった。
 結局彼女がすぐに空元気を出してそこから楽しく過ごせはしたのでその日も、そしてまもなく兄が来て自分が死ぬまで、何もそのことに触れぬままだった。表面上は気にしてないように見せていたので安心してしまったのだ。今考えればちゃんと、慰めると言えばおこがましいけど何か言っておくべきだったのだろう。
 宇宙から帰ってきて彼女が一番引っかかっていたのは実はそこなのだった。もちろん自分の勝手にも怒っていたのだが、穢れた彼女を自分が嫌いになったから帰ってこないのだと思い込んでいたらしい。師匠も余計なことを言ってくれたものだと思う。

 「待ってけろ、悟空さ、速い」
 息を切らしかけた彼女が少し後ろから声をあげて、悟空は慌てて傘を手にあとずさった。考えに耽っているうちに道は勾配を増していて、彼女のペースが落ちていたのに気づかなかった。自分はこういうことばかりなんだな、と苦笑した。何だべ、と軽く睨まれてなんでもない、と笑って答える。傘を持った腕で肩を抱き寄せながら。
 10年武道から遠ざかって、彼女も体力が落ちたな、と思う。自分はそのペースに合わせて歩くわざを身に着けた。新婚の頃はうっかりどんどんさきさきと歩いてよく怒られたものだ。時に泣かれることもあった。自分はおってけぼりばかりだ、とよく彼女は新婚の頃泣いたが、それは10年経った今も大して変わっていないのかもしれない。だから彼女は今もできるだけ手当てや食事やら服の準備やらでうるさく言って自分たちに関わっていようとするのだろう、最近は特に。
 来るべきその日、本当の歴史では彼女はどうなるはずだったのだろう。考えたくもない。その世界でも自分は彼女を置いてきぼりにしたが、今度はそうさせはしない。






 山道を歩いているうちに雨がやんだ。赤い傘をたたんで彼女が持った。上につく頃には薄日もさしてきた。かつて暮らした家は雨雲の上だったらしくあまり周りに水溜りなどもできていなかった。家の前の、昔武術の修行をした広場にはところどころシロツメクサの青い群生ができていた。
 崖の脇にある小さな墓…祖父と壊れた家の瓦礫を埋めたあたり…はヒメジョオンやアザミなどが生い茂っていた。悟空はそれをぶちぶちと抜いて、多少盛り土を足しなおした。露出した瓦礫の名残に、いまだに残る建物の土台に、己がしでかしたことの証左を見て自然と眉は曇ったが努めて深く考えないようにした。今更この身に流れる血を呪ったところでどうなるものでもないし今はその力に縋らねば勝てないのだから。
 その間妻は家の中のくもの巣やほこりを払った。終えたところで手を洗ってきて、来る途中で摘んだ花を供えて二人で手を合わせた。悟空は横目で妻を見た。真剣にいのりごとをしている。
 「あさって、みんな無事でありますようにってな」持ってきた弁当を家の軒下で食べながら彼女が言った。その隣でうん、と頷きながら弁当をほおばった。薄曇りを割ってくるうらうらとした5月の日差しのなかでどこかで鶯が鳴いた。裏に生えている梅の、なりかけの実の青いようなにおいがした。柳の細い葉を風が渡っていく音がした。
 食べながら、無理につき合わせてごめんと妻が不意にわびた。いいさ、と答えて、うめえなこれ、とおかずを貪る。妻がくすりと笑ったので、それに微笑み返した。予定が狂ったことにいらついた気持ちがなかったといえば嘘になるが、妻のその顔を見てどうでもよくなった。1日修行が減ったとして今更大幅に力が変わるわけでもないだろう。それより最近風景にのんびり眼を向ける余裕の無かった自分に気づかせてくれた感謝のほうが今は大きかった。

 かつてのこの家の前からこうして見ている景色は子供の頃とまったく変わらないのに、こうやって肩を寄せている相手が違うのは妙な気持ちがした。あのころの祖父の、どこか渇きをはらんだようなヤニくささの混じった熟した男のにおい。今隣にいる女の、血のにおいをはらんだ優しい花のようなにおい。
 悟空は30年に迫った己の人生をぼんやりと思った。自分は、本当の歴史ではもういるはずのない自分というこの存在は、これからどこに向かって生きていくのだろう。この先に、山を出た頃のような心を震わせるような感動は待っているのだろうか。この先に、あさって戦う敵ほどに、心を震わせるような強い敵は待っているのだろうか。

 「悟飯ちゃんどうしてるべかな」
 弁当を片付け終わったあと、妻がボソッと言った。
 「ちゃんと修行してるだろ」
 「…一緒に来れたらよかったのに、修行したいだなんて」
 「あいつだって、不安なんだろ、自分を鍛えてないとさ」
 幸いにして本当の歴史では息子はあさって死なずにすむらしい。が、ひどい目にあってその後ただひとり、トランクスを守りながら戦っていくらしいのだから。5月に入って一番焦りを見せているのは息子だった。鍛えてやりはしたものの実力的にはもちろん自分にも、ピッコロにもはるか及ばなかった。とてつもないものを秘めているのはわかるが、9歳になったばかりではやはりまだ心身が追いついていないと言うことなのかもしれない。人造人間の実力しだいではなるべく戦いから遠ざけておかないといけないかもしれない。「オラができるだけ守ってやるからさ」とりあえずにかっと笑って妻の頭をぽんぽんと撫でた。妻は不承不承ながら頷いた。
 結局は妻は息子が修行することについて完全には賛意は示してくれる事はなかった。悟空はそれについてはもう仕方のないことだと半ば諦めている。その問答だってあさって戦いが勝利に終われば意味のないことになるのだしそうならなければならない。まだ9歳なのに、とまだ妻はぶつぶつと言っている。

 「あいつももう、9歳なんだよな」眠くなってきた、と家の中に入って寝台に横たわりながら悟空は言った。
 「…んだなあ」促されて脇に座りながら妻が遠い目をした。ちょっと痛むのか下腹を押さえながら。その痛みに陣痛のことでも重ねているのかもしれない。「あんな小さかったのに。これからどんどん大きくなって、離れていくばっかりなんだなあ。背も伸びて、男っぽくなって、反抗期なんか来たりして、女の子さ惚れて、結婚して…」
 相槌を打ちながら悟空も想像した。そっと後ろから手を回して妻の下腹を撫でてやりながら。とても不思議な気持ちがした。でも、そうならなければ。生き残って、そうやって幸せになってもらわなければ。
 「んで、お嫁さんが子供を産んだらおらたちもじい様ばあ様だべ」
 「オラもじいちゃんになるのかあ」
 くすくすと笑いながら妻が振り返って見下ろしてきた。飾り窓から漏れこむ光が柔らかく彼女を照らしている。
 「その前にさ、もうひとりくらいは欲しいよな」ちょいちょいと脇を空けて手招きをする。
 「まだ言ってるんだべか」妻が頭を腕の上に横たえた。
 「今度はさ、ちゃんと産むとき立ち会ってやるからさ」
 「先に働いてもらわねえとな、約束したべ?それに今日はできねえだぞ」
 「わかってるって。たまにはこうしてのんびり横になってるのもいいだろ」





 結局のんびり横になってるとは行かなかったが、うとうとと眠りにつく前、昔と変わらぬ寝台の天井を見上げながら悟空は思う。
 楽しいことばかりじゃないけど、人生は悪くない。だからこんなところで終わらない。
 戦いが終わったら、じいちゃん、また、探しに行くからな。
 拾ってくれて、ありがとうな。見えるだろ。今、こんなにシアワセだ。



 絡み合った指にそっと力を込めた。それぞれの左の薬指に、さっき妻が戯れに絡めた白く耀く小さなシロツメクサの花。
 どこまでも静かな5月の光に、それはこの上なく優しく照らされていた。流れる妻の黒髪と共に。


 あまり寝たら晩の予定に遅刻する、と妻が寝言のようにささやいた。わかってると、この美しい静寂を破るまいとそっと、そっとささやき返した。10年の想いを噛み締めながら。







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