このページはイラストレーターはるまきの、個人的なドラゴンボール版権小説置き場です。鳥山先生、集英社さんとは一切関係ございません。
ブログの本体はこちらになります。あとがき・もくじもブログのこのページになります。よろしければ、WEB拍手小説投票で感想をお寄せください。


touch






 いきものには縄張りと言うものがある。
 それは自分の場合、空気の色。自分のにおいの濃密な範囲。自分の気配の顕著な場所。
 動物だって植物だってそれを持っている。不躾に侵入すれば痛い目に合わされることになる。入るにはそれ相応の覚悟と言うものがいるのだ。自分だって、幼い頃うっかり他の強い動物の縄張りに入ってしまって、どれだけ恐ろしい目にあったことだろう。だから、縄張りは重んじないといけない。
 自分の縄張りは、かつて小さい家の周りだった。今は、自分だけの場所といえるのはこの金色の雲の上。

 地上は騒がしい。地上を走る乗り物は、妙な気分の悪くなる臭いと音と煙を吐きながら走り、自分はそれの硬い椅子の上に身体を痛くして座っておかないといけない。でもこの雲はふんわりといい匂いで、優しく自分を受け止めてくれる。
 よいこだけが乗れるこの素敵な雲は、今のところ自分だけのもの。






 「すっげえもんだなや、この雲は」
 後ろに乗せた少女がさっきからちょこまかと話しかけてくる。夏の南国の夕暮れ間近の日差しがやわやわと徐々に優しく海面を照らし始めている。
 少年と少女は西へ、西へと飛んでいた。言いつけられた御用向きを無事済ませ、少女の住まうところへ、少女の父親のところへ戻るところだった。西に傾き始めた太陽をずっと追いかけて飛ぶ。
 「はえーだろ」
 「うん、最初は怖かったけどだいぶん慣れてきただ。これも武天老師様からいただいたんだべ?さすがおっとうのお師匠様だ」
 「オラのじっちゃんのお師匠様でもあるんだぞ」
 「そっかあ、縁があるんだなあ、おらたち」
 少女がいかにも嬉しそうな声を後ろであげた。少年はちらりと目だけで後ろを振り返った。ピンク色の唇がにっこりと弧を描いて、少年の肩の上で日差しにつやめいてるのが見えた。長いやわらかそうな黒い髪の毛が風を受けて、その間近をふわりと踊って一筋唇に張り付くのが見えた。
 少年は、急になにかが欲しくなった気がした。首を戻してなんだろう、と考えた。
 「オラ腹減った」
 実際はそれほどでもなかったのだけど、そう言った。幸い水平線の方、割と近いところに小さな島が見えたので少年はそこに雲を向けた。鳥の群れが遠くの空を渡っていくのが見えた。そろそろ大陸が近いのだ。

 少年が採ってきた果物と、少女がカプセルに入れて持ち歩いていた旅の食料で彼らは浜辺で腹を満たした。少女は昼を食べていなかったし、少年はもともとの食欲を発揮して二人ともよく食べた。
 「いっぱいあるなあ」
 「1か月分の食料だもの。おっとうがおらに武天老師様探してきてけろ、って旅に出すときに持たせてくれたんだべ。…悟空さはよく食うだなあ」
 「そっか?おめえは食わねえなあ」
 「女の子はこんなもんだ。それに悟空さが食うの見てるだけで腹いっぺえだ」
 へんなの、と少年は思った。少女がぽそりと、将来悟空さにごはん作るのは大変だな、といったのを聴いて、また変なことを言う、と思った。ショウライ、とは何だろう、と小首をかしげる。それより、こんな弱そうな少女がただひとりで家を出てあてどもない旅に出た事実の方が興味を引いた。案外こいつは度胸がある、と思った。年のころは自分と同じくらいなのに、やはりあの強そうな男のこどもはやっぱり強いんだな、と妙な感心をする。
 「さ、行くか」
 「もうだか?」少女が唇を尖らせた。傾き始めた陽がその頬を淡い茜色に照らし、唇の柔らかそうな粘膜のしわをふちどった。
 「だって早く帰らねえと、みんな待ってんぞ。のんびりしてたら亀仙人のじっちゃんだって先についちゃうかも知れねえ。おめえの父ちゃんも心配してるしさ。ほれ、さっさと雲に乗れよ、おめえ」
 「…そうだな。なあ、悟空さ」
 「ん?」
 「おらのことは、おめえ、じゃなくてちゃんとチチって呼んでけれ」
 金色の雲の前で少年は少女を見上げた。少し少女は少年より背が高かったので。潮風が少女の長い髪をさらりと棚引かせた。黒い大きな目がじっと何かをたたえて自分を見ている。じっと見返していると、少女に何か負けそうな気がした。目をそらして雲に飛び乗ったけど、なんだかやはり何かに負けた気がした。
 「わかったよ。ほれ、早く乗れ、チチ」
 「んだ」
 雲の上から差し出した手を少女が握り返した。少女の体重を預けられた手を引っ張りあげる。その手が、手袋の向こうでほこほことしていた。帰途の残り、少女は少年の背中に頬を預けて眠っていた。旅の疲れが出たのだろう。雲の後ろから振り落とされないように、身体に回されている手をつかんでやりながら、12歳の少年は思った。

 この少女は、自分の縄張りを侵す。自分だけのものの雲に乗れて、自分の落ち着く縄張りに立ち入って勝手に眠る。今いっしょに旅をしている女だって、こんな勝手な真似はしない。なんだか、危険な気がする。それは、こいつがやはり強い、ということなんだろうか。さっき尻尾を握られてひどい目にあったからそう思うのだろうか。自分の極めつけの弱点を知られたからそう思うのだろうか。
 答えは出なかった。少年は考えるのが苦手だった。背中の温かい寝息にうとうととこちらも眠気を誘われてきた。でも、少女が落ちるかもしれないから眠るまいと気を張った。
 西へ急ごう、西へ、西へと。








 雲の上で、18歳の彼はそんなことを思い出していた。彼が天下一に輝いて仲間たちのもとから旅立った後、今は雲は北へ、北へと向かっていた。周りは一面の紺青の海だ。空もそれを映じたかのような青にところどころに沸き立った白い入道雲。彼らはその間をすべるかもめのように雲を走らせていた。
 「なしただ?悟空さ」
 後ろから鈴のような声がした。あの時と同じ、でもすこしだけ低くなって落ち着きを足した声。
 「なんでもねえ」
 なんだか、何を思い出していたか、言いたくない気がした。吹きつける風に口を開いて、息を吸った。新鮮な酸素が肺に流れ込んでくる。それを大きく吐いた。
 「へんな悟空さ」
 「おめえ、まだ筋斗雲に乗れるんだな」
 おもむろにそう聞いてみた。あのときに比べ、彼は人が汚れる、と言うことを知っている。よいこだけの乗れるこの雲は、大人は乗れないことが多い。子供でも乗れないものも多い。あの後、この雲に乗れるのはかなり限られた人間なのだ、ということを知った。あれから何人かこの雲に乗せてきた。そいつらは皆とてもいいやつだった。彼女がまだ、大きくなってもこの雲に乗れてよかった、と思う。こいつはいい人間なのだ。これから一緒に暮らす人間なんだから、悪いやつよりはいいやつの方がいいに決まっている。
 「そりゃ、おらは心が綺麗だもの」
 彼女が後ろで微笑んだ。彼の心眼に、あの時と同じに彼女がピンク色の唇をまるくして微笑んだのが見えるような気がした。
 
 心眼で彼女を観察する。記憶と照らし合わせながら。彼女はさっきからなんだかよく分からないけれど、これからのことを楽しそうに次々と話しかけてくる。どんなケッコンシキにするかだの、どこに住むかだの、子供は何人欲しいだの、どんな部屋にするだの。それを生返事でやり過ごしながら。
 なるほど、これがあの時言った将来と言うものだったのか、と彼はぼんやり考えた。「じゃ、ケッコンすっか」という一言は、その承諾だったのだ、と今更ながらに気づいた。それは、自分の生活の縄張りをこいつに明け渡すということだったのだ。もちろんあの時、ずっと一緒に暮らすとわかっていて自分でそう言ったのだから今になって嫌も何も無い。しかし、「くれるもんならもらいに来るぞ」と軽々に言った自分自身のことを改めてガキだな、と思った。
 あの頃の自分は本当に無知だった、と思う。6年余りの歳月で、彼は彼なりにいろんな知識を蓄えてきたし、それなりに世間慣れもした。今だってたいして物を知っているとは言えないのだけど、彼が昔の自分を振り返るときにいつも沸いてくるのは多少の気恥ずかしさだった。別に過去の自分を恥じているというのではないけれど、彼は昔の子供だった自分を美しく懐かしむ、と言うほどにはまだ歳はとっていなかったので。
 彼はまだ成長する途上だし、それに自負を持っていた。あの時うまくできなかったことを、もっと今ならうまくやれる、という自負。だから、きっと、この女にも勝ってみせる、とおもむろに思った。あの時感じていた微妙な敗北感のようなものも、きっと今なら感じずにやっていくことができるはずだ。

 「ちょっと、悟空さ!聞いてるんだか!」
 急に背中が叩かれた。彼はびくっとなってあわてて振り返った。大きな目が彼をにらみつけている。それが綺麗な黒曜石の槍のように彼のどこかをすきっと刺した。
 「なんだよ、急に」
 「おらの話ぜんぜん聞いてねえだろっ。せっかくこれからのこと相談してるのに」 
 相談だったっけ?と彼は目を上にあげながら眉をひそめた。一方的に彼女の夢を述べているだけのように思えたが。
 「ちゃんと聞いてたって」
 「嘘ぉ」
 「おめえが子供は2人欲しいな、って言ってたのとか」
 途端に彼女の白い頬がピンクに染まった。彼はその速さに目をしばたたいた。人の頬がこんなに綺麗に赤くなるなんて。
 「や、やんだあ、悟空さったら」
 彼女が笑み崩れていきなり背中を軽くはたいてきた。なんなんだ、わけがわからない。「…悟空さは、何人がいいだか?って聞いたのに、教えてくれねえんだもん」
 「別にって言った」
 「それじゃだめだべ」
 「だから、生まれたら別にそのときはそのときだろ。何人だって」
 彼はまだこのとき彼女に子供を産ませるのが他ならぬ自分自身と言うのをのんきにも自覚していなかったので、おそろしく無責任なことを言った。ただ、ああ、そのうちこいつも子供を産むのか、とか妙な感心をしただけである。でも彼女はまた赤くなった。
 「た、頼もしいだなあ。悟空さは。頑張ってかせがねえとな」
 彼は頭を前に戻して小首をかしげた。やっぱりこいつはわけの分からないことを言う。そこに彼女が後ろからぎゅうっとしがみついてきた。彼は慌てて身をよじった。
 「わ、なんだよ、あんまりくっつくなよっ」
 「だって、嬉しいんだもん。悟空さと会えて。悟空さと結婚してこんな話ができて」
 「暴れんなってっ」
 「悟空さ、死ななくてよかった。あの時ほんともうだめかと思った、悟空さが死んだら、おら、おら」
 「…」
 胴着の背中の亀の文字のあたりに、彼女の震える頬が押し付けられるのがわかった。
 なぜだかわからないけど、クリリンの顔が浮かんだ。自分が死んだときにそれほどに哀しんでくれるだろう親友の顔を。でも、まだほとんど一緒にいてもいない彼女が自分のことをそれほどまでに大事に思ってくれる、というのはなんだか不思議な気持ちがした。さっき彼女は自分のことを6年待ってた、と散々言っていた。その間、ずっと自分のことをそれほどに大事に考えてくれていたのだろうか。自分は彼女のことをほとんど忘れていたというのに。
 いや、たまに思い返すことがなかったわけではない、と思う。ふと、どうしているかなあ、と思い返すことが無いでもなかった、と気づく。世界をめぐっているとき、また、神殿での修行のときに、あの時の少女の面影を。だから、少女の姿を忘れずにいられたのだ。
 それが、縁と言うものなのだろうか。

 「そう簡単に死なねえよ、安心しろ」
 「でも、ピッコロがまたそのうち悟空さ殺しに来たら」
 「したら、また勝つさ。修行して」
 「…ピッコロが、おらのことも殺そうとしたら」
 は、と思い至った。その可能性もないではないのだ。これから一緒にいたら、こいつも人質にとられたり、危害を加えられることもありうるのだ。
 「ピッコロは、んなことするやつじゃねえよ、多分。それに、オラが守ってやるさ、おめえのこと」
 彼女が背中の向こうでうなずいた。ぎゅっとしがみついたまま。

 しばらく彼らはそのままだった。雲が金色の澪を引いて青い天と海の隙間を渡っていく。
 吹きつける風にも負けじと、彼女の温かさがじんわりと背中から彼の全身に染みとおっていく。なぜだか顔が熱かった。


 やはり、なぜだか敵わない。そう彼は思った。
 彼女がこうして引っ付いてくると、そう思ってしまう。あの武舞台の上でケッコンをした直後からそうだった。どこか負けてしまうような気がして、それがやけに気恥ずかしかった。それでなおさら、仲間たちにはそんなさまを見られたくない、という部分もあったと思う。そういう自己分析ができるほどには、彼は大人になった。
 でも、なぜ彼女だとそうなるのかはわからない。
 ただ、あの時雲の上で眠った彼女にそうしたように、自分に回された腕をそっと握った。

 「もうすぐ陸地だな」
 白い大きな翼の鳥が、悠々と彼らの目の前を飛んでいく。
 陸へ、陸へと向かって。
 彼女の温かい柔らかいからだが、まるでその鳥の羽毛のような錯覚を覚えた。自分がそれに包まれているような。ひたすらに輝きながら青の間をすべるように行く信天翁の白い翼が、これからのなにか心の目印のような、そんな不思議な気持ちがした。



 彼らはそのように飛びはじめたのだった。
 幸福の約束された広大な未来と言う地平に向かって。







あとがき・もくじ(ブログ)
小説投票
拍手する + 拍手する