このページはイラストレーターはるまきの、個人的なドラゴンボール版権小説置き場です。鳥山先生、集英社さんとは一切関係ございません。
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time3





 うーん、うーん、と言う声に眠りを破られた悟空は、眉間に皺を寄せた。重いまぶたを持ち上げる。身体の中に、昨日の修行の疲れがまだじんわりと残っている。
 「…なんだよ」
 まだそれほど寝ていない。声はもうしない。また寝るか、と布団をかぶりなおして横向きに丸くなったとたん、また背中の方から声がした。
 「うー」
 「なんだよ…オラ、まだ眠いんだよ。寝かしてくれよ」
 「…ごめ、痛くて」
 「…腹痛いんなら便所行って来いよ」
 「ちがう、産まれ」
 そこまで聴いたところで悟空は目を見開いて跳ね起きた。「なんでもっと早くおこさねえんだよ!」
 4月も終わり近くののどかな夜の静寂はめったにない彼の怒鳴り声で破られたのだった。



 悟空はこの5日間、ずっと待ちくたびれていた。この日くらいに産まれてくる、と予告されていた日には朝から何も手がつかず、ずっと妻の後をついて回っていたのだったが、結局何もなかった。いつもどおり家事をしようとする妻を無理やり座らせていようとして叱られたり、病院にいくべきだと主張してまだいいと叱られたり、様子を伺いに電話してきた義父におろおろと心配を口にして笑われたり、まあおよそ彼らしくない一日を過ごしてしまった。あくまで予定日は目安であり、2,3日前後するのは当たり前だ、と妻に諭されて一応納得して、その翌日からはそこまでのていたらくは見せなかったのだけれど、さすがに外に修行に行く気もせずリビングでテレビを見たり何か読んだりする「ふり」をしていた。暇であるやら妻が気になるやらで、彼女のつわりの時期以上に気苦労で疲れる。なのに5日過ぎても一向に産まれる気配がない。さすがに病院に相談して、明日になったら入院して検討しよう、という話になっていた矢先のことだった。
 「どうせなら明日入院してからはじまってくれたらよかったのに」
 彼女がぼやいた。ぼやきながら入院の荷物をベッドに腰掛けて確認している。
 「だ、大丈夫なのかよ」
 「大丈夫だべ」さっきまでかなり痛がっていたのに、今は嘘のようにけろっとしている。「全然覚えてねえだな、こないだ先生に説明してもらったのに。痛いのと痛くないのと交互にくるんだべ。今は平気なもんだ。ずっと痛かったり痛くなかったりだ」
 「オラが寝てる間も何回も痛かったのか」
 「んだ。でも起こすと悪いかなって。痛くないのがまだ長いからおらもその間うとうとしてたし」
 悟空は唇を尖らせた。確かに眠かったけど、そんなら起こして欲しかった、と文句を言うと、最初はおなかが張ってるのかと思っただけだからと言われた。妻は意外なほど落ち着いている。なんだか憎らしいほどだ。
 「悟空さは普段精神を鍛えるとか言ってる割に肝が小さいだなあ」彼女が笑う。「ちゃんと勉強しとかないから、いざと言うときに慌てる羽目になるんだぞ?あとなんかやっとくことあるかな。あ、おっとうに電話しとこ」
 「起きるのか!?」
 「だって今まだ痛くないのが長いうちにいろいろ準備しとかねえと。朝ごはんも今のうちに作っとこうかな。そんなに慌てても、間隔が20分くらいだし、まだまだ産まれねえだよ。今おっとうに電話しても十分来れるくらいだべ」
 そんなに先なのか、と拍子抜けした。義父が来る、となればいくらジェットフライヤーで急いでも8時間は先ではないか。焦って損したと悟空はあくびをして傍らの時計を見た。まだ夜中の2時ではないか、もう少し眠っておこうか、と布団にもぐりこんだところで戻ってきた妻に怒鳴られた。
 「おっとう、すぐ支度して来るって。…悟空さ!妻が苦しんでるときにのんきに寝てるなんて、なんて薄情な旦那だべ!」



 結局朝になって、朝飯を食べてから病院に連絡し、じゃあ来てくださいというのでタクシーを呼んで彼らは病院に行った。もう5月近いとはいえまだ朝は寒いし、大きな腹を抱えて筋斗雲に載せるのはいくらなんでも怖い。ちょうど病院に着いたとき陣痛がまたきたものだから、悟空は慣れない支払いをしないといけないわ大きな腹をかばいながら狭いドアから彼女を下ろさないといけないわ入院の手続きを書かないといけないわで大変だった。ろくに住所も電話番号も覚えていないものだから、苦しむ妻ににらまれながら冷や汗をかいて教えてもらわないといけなかった。さすがにそれくらいは覚えておかないと、と反省したしだいである。
 「…どのくらい続いてた?」
 「えっと、50秒、かな」
 陣痛室に入れられてからずっと彼は時計と睨めっこである。もともとそんなにまじめに時計を見ない彼にとっては、何秒たったかというのを頭の中で考えるのも大変だ。そもそもおおまかな時刻はともかく、秒のよみ方をちゃんと覚えたのがかなり最近になってからなのだ。妻の持ってきたアナログ時計のグルグル回る秒針を、陣痛の続いている間見つめ続けていると目が回ってくる。その間じっと見ているだけではだめで、痛がる妻のあちこちをマッサージしてやらないといけない。
 「お水」
 「おう」
 間隔はだいぶ狭まってきた。今の陣痛から前の陣痛の終わるまで3分ちょい。だんだん痛みが強くなっているのがはた目にもわかる。何とかしてやりたいのだが本当にこればかりはなんともならない。せめてもマッサージをしてやったりするのだが、馬鹿力のせいかこちらも余裕がないせいか力を入れすぎてしばしば怒られる。ちょっとめくって見るといくつか痣になっていた。
 「〜っ!」
 「わっ、もう痛えのかっ」
 慌てて時計を確認した。9時25分42秒。さっきの痛みから2分48秒。だいぶ時間の足し算引き算が早くなってきた、と彼は自分で感心した。
 「痛い痛い痛い痛い!悟空さ、後ろ!後ろぎゅっとしてけろ!」
 「こ、こうか」
 「ちがう!もっとこう!」
 怒鳴られて手をふんづかまえられ腰を持たされる。妻はベッドの手すりにしがみついて必死で痛みに耐えている。全身が痛みでぎりぎりと張り詰めている。悟空は息を詰めてその背中に額をこすりつけた。

 怒鳴られるのはおっかないがそんなものはどうでもいい。こんなに痛がるというのはどんな感じだろう。
 さっき聞いたら、内臓に杭を打たれてひき下ろされるような感じだの、腰を握りつぶされるような感じだの言っていた。想像がつくようでつかない。自分が今まで一番痛くて苦しかったのはいつだっただろう、と考える。ピッコロに胸を貫かれたときだろうか。その前のピッコロにやられたときだろうか。あの時は比喩ではなく死にかけた。それとも超神水を飲んだときだろうか。それに一番近いかもしれない。あの時は一晩苦しんだ。
 焼け付くようなのどの痛みが胃の腑に落ちて、あっというまに全身を猛烈な痺れと痛みが襲った。内臓がでんぐり返るような、いやぎりぎりとねじ切られるような感じが間断なく続く。猛烈な吐瀉の欲求がくるが、でも吐き出せない、吐き出してはいけない。必死で我慢して毒を身体にとどめ置く。冷や汗が全身を膜となって覆い、際限ない震えが背筋から立ちのぼった。死の掌が何度も心臓をわしづかみにした。たぶん何度かは止まりかけていただろう。
 隣も陣痛室だ。誰か別の女が、同様に苦しんでいる声が聞こえる。この病院の中には大勢の女たちがいて、彼女たちは今の妻と同様にして子供を産み終わったものでありこれから同様にして子供を産もうとするものだ。自分がやっとのことで克服したあの苦しみと似たものを、世の中の子供のいる女はみな耐えているのだ。たぶん、この先ブルマやランチも子供を産むとなればこのように苦しむのだ。チチは強いからまだましなほうなのかもしれない。あんなひ弱な女たちも、こんな苦しみを味わうのか。
 なんという強くおそろしいものと顔をつき合わせて、男は生活しているのだろう。悟空の胸にめったにない畏敬の念がわいた。同時につわりの時期に感じていた申し訳なさがまたわいてきた。子供をつくるに当たって、自分はただ気持ちよかっただけだった。目くるめくような快楽に溺れ、彼女を弄んでいただけだったのかもしれない。彼女も気持ちいいと言ってはいたが、自分ほどによかったのだろうか。

 そこまで考えたところで彼女の全身が弛緩した。はっとして悟空はまた慌てて時計を確認した。ちょうど1分間。1分で結構ものを考えられるものだな、とぼんやり思って、彼は妻の首筋に唇を寄せて、汗ばんだ額を指でぬぐってやった。
 「なしただ」
 さすがに疲れが見えてきた妻がくにゃりと背後の彼に身体を預けながら聞いてきた。彼が黙り込んで抱きしめてきたままだったので。
 「いや、女ってみんなすげえな、って思って」ぼそっと呟いた。なんだか胸が痛い。「よく我慢できるよな」
 「そりゃ、おなかの子供のためだもの。早く会いてえもの」
 彼女がはちきれそうな腹を丸くなでた。悟空も真似をしてなでた。腹の中では、強い気配が胎内の眠りから目覚めようとしている。男の子だともうわかっている。どんな顔だろう。「あとどれくらいなのかな」
 「ちょっと待ってくださいね、今調べてみますから」不意に後ろから声がして、悟空はびっくりして妻から慌てて離れた。様子を見に来たちょっと年かさの看護婦が、彼女に間隔がどれくらいとか聞いたあと、脚の間に手をやってなにやら確認している。悟空はその様子をぼさっと壁際で見ていた。変なところを触られていて女同士とはいえ面白くないがしょうがない。
 「子宮口ももうそろそろ全開ですね。うん、とても順調。安産ですよ、これは。もう一時間くらいしたら全開して破水するはずですから、破水したらすぐ呼んでくださいね、分娩室に移りますからね」
 「どのくらいで産まれるんだ?」
 「このペースだとお昼前かしら。普通ははじめてだともうちょっとかかるものだから、早いほうね」
 言ってる間にまた陣痛が始まった。「ほら、だんだん間隔が短くなってきたでしょう。これがなくなってもうずっと痛いままになったら、ようやく出産の準備ができたってことですよ」若い夫である彼に優しく言い聞かせるように言って、看護婦はまだ痛がっているにもかかわらずあっさりと隣の様子を見に行ってしまった。
 時計を見るのを忘れてしまったので、なんか時間を気にするのが面倒くさくなってきた。あと3時間ほどか、とりあえず、早く終わってくれないかなと思いながら、また悟空は痛がる彼女を抱きしめるために寝台のうえに登って窓の外をぼんやり見た。いい日和に照らされ、庭のチューリップが色とりどりでとても綺麗だ。モンシロチョウがひらひらと飛んでいる。生垣の向こうの庭で飼っているらしい犬の親子が転げまわって遊んでいる。
 命のつながり、と言うものをあまり寝ていないための眠気の奥で思った。神殿にいる頃に習った世界のつながりと言うものが眼前に確かなかたちとなって実感として見え始めていた。連綿と続く命の流れ。自分のあとに続く流れが今できようとしている。では自分の前は?
 「オラのかーちゃんもさ」
 痛みのわずかな隙間に、そう呟いたまま黙り込んだ悟空の手を、妻が何も言わずそっと優しく撫でた。しっとりと冷たく優しい手だった。
 悟空は思った。この女がいればいい。





 10時半、妻は分娩室に移った。空っぽになったところの陣痛室に、入れ違うようにして義父が入ってきた。
 「あれ、空っぽじゃねえだか。チチはどこさ行っただ」
 「ああ、おっちゃん。今ちょうどこれから産むからって別の部屋行ったところだ」荷物をかばんに放り込みながら悟空は答えた。
 「そ、そうか。いよいよだな。ちょっとその前に励ましたかったけどしかたあんめえ。おめえは付き添わねえのか」
 「なんかチチがいいってさ」
 実際は彼女は付き添ってもらいたかったのだけど、事前の父親側の研修を悟空がすっぽかしたものだから駄目になったのだった。それでここ1ヶ月ほど散々機嫌を悪くされていたのだが、今更どうしようもない。次はちゃんとしてけろ、と言われている。
 「じゃあ行くか。どうした、顔色が悪いぞ。ちゃんと朝飯食ってきただか?」
 「食ってきたよ。気のせいだよ。おし、行くか」
 かばんを担ぎ上げた婿の背中を、牛魔王はくつくつと忍び笑いをもらして眺めた。結婚してからもうすぐ一年、この婿は本当に変わったと思う。式の前、この男が本当に自分の娘を愛してくれるようになるのか危ぶんだのが嘘のようだ。普段はおおらか過ぎるほどおおらかで大雑把過ぎるほど大雑把なのに、妻である自分の娘のことになるととたんに心配性になる。なんどか妊娠中にも様子を見に行ったが、できるかどうかは別にして気を常に遣っているのが見て取れた。優しい、いい婿だ。やはり、娘の目に間違いはなかったと思う。
 何だよ、と鼻白むその横顔は、この1年でかなり大人びた。もうすぐはたち。そしてもうすぐ父親。名実ともに大人の仲間入りだ。
 
 彼らは分娩室の前の硬いベンチに肩を並べて陣取った。厚い扉の中に、かすかに多くの人の動いている気配がする。背後の窓のそばには、大きな桜があった。もうすぐ満開だ。蜜を集めて花の間を飛び回る蜂の羽音が聞こえるほど、廊下は静かだった。
 牛魔王は改めて横の婿を見た。ジーンズのベルト部分につないだ時計を気にしている。銀色の鎖が、陽光に照らされてやわらかい光を放っていた。やはりその顔色はどこかよくない。
 「疲れたか、悟空さ」
 「まあ、あんま寝てねえし、ちょっとな」
 「なんか食うか」傍らの自分のかばんから、出る前に女中につくってもらった握り飯の残りを取り出した。ありがてえ、とそれに手を伸ばしたが、いつもみたいに一口でぺろりと平らげず、もそもそと少しずつ口にしている。ぼろぼろと飯粒が廊下の床に落ちた。ときおり何か耳をそばだてているようだ。
 「ああ、もう、仕方ねえなあおめえは」ティッシュで飯粒を拾いながら牛魔王は笑った。「心配か?まああたりまえだけんどな」
 あたりまえのことだ。でも、なんとなくだが、この婿にとってはそれは似つかわしくない。もっと泰然自若、風のように万事に飄々としているイメージだったのだが。
 「だって、散々痛がってたからなあ。見てくれよこの手、爪で散々引っかかれちまって。痛え痛え。…それにさ、下手したら死んじまうこともあるんだろ」
 「確かにたまにそういうこともあるけんどな」
 「だったら落ち着いてらんねえよ。オラ耳いいから中であいつがまた痛いって苦しんでるの聴こえるし」
 「大丈夫だ。チチは強い娘だ。おめえに会うために、つらい修行で鍛えてきたんだ。こんなことで死んだりしねえだよ。あと1人や2人どんとこいだ。おめえももっとどんと構えとけ。でないと立派な父ちゃんになれねえぞ」
 「オラ父ちゃんっつってもよくわかんねえ」
 ああ、と牛魔王は心の中で嘆息した。そうだった。しまった、余計な事を思い出させてしまっただろうか。

 「…じゃあ、じいちゃんみたいになればいいのかな」
 「そう、そうだな」しばらくの間の後に出た言葉にほっとした。「悟飯さんのように、立派に子供を育てねえとな」
 「おっちゃん、あのさ。じいちゃんの名前、子供につけるのって変かな?どう思う?」
 婿が不意に言った。
 「男だしさ。なんとなく思ってたんだけど、変かなってなんか出せなかったんだよな、チチと名前相談するとき。まだちゃんと名前決まってないんだけど。いろいろ考えてんだけどな、悟天ってのとか」
 「おお、そりゃいい思い付きだぞ!悟空さ。変じゃねえ、むしろいいことだ」牛魔王は婿の肩を思い切り叩いた。「悟飯さんもあの世で喜ぶだ。悟飯さんはやさしくて強くてそりゃ素晴らしい方だった。生まれてくる子がそのような素晴らしい子になるように。そして悟空さの悟飯さんに対する感謝の気持ちを込めて」
 「そうか!?」婿が顔を輝かせた。その表情が、一瞬固まったのち、目が見開かれて、そこに外の春の青空がいっぱいに写しこまれた。
 「ど、どうした」
 「今」
 「産まれましたよ!」直後、扉が開かれた。そのとたん、産声が廊下に響いた。「旦那さん、…あの、尻尾があるのは」
 「知ってる。オラもあったんだ。何も変なことねえ。オラの子だからな!」
 きっぱりと満面の笑顔で言い切る婿に、看護婦がほっとした顔を見せた。後処置が済むまでお待ちください、と再び扉が閉められた。婿が振り返って笑いかけてきた。
 「おっちゃん、サンキューな」
 「へ?」
 「チチがオラに会いに来てくれてよかった。おっちゃん、あいつのこと鍛えてくれてサンキューな」
 そう言うと、婿は顔をくしゃくしゃにして泣き笑いのような顔を一瞬した。そして、扉の前で足踏みをしだした。遊びに行くのを待ちきれない子供のように。牛魔王は笑った。彼の胸にも、初孫にもうすぐ会える、という喜びが急速にわいてきていた。
 「どうぞ」
 扉が開くのと同時に飛び込んだ。分娩台の上で、大仕事を終えた娘がぐったりと微笑んでいた。その胸の上にあるものが、うにゃうにゃと柔らかい日差しに照らされて動いている。 
 「おっす、悟飯!」開口一番、婿がそれに向かって呼びかけた。赤くて、皺だらけで、とても小さくて、尻尾のあるその素敵なものに。
 「悟飯になったんだべか、名前は」
 「うん。決めた。悟飯だ。いいだろ、チチ」
 「うん!」
 「頑張ったな。おめえつええよ。ホントつええ」
 最大の賛辞に、娘が涙をこぼした。婿が笑ってそれを手で拭いてやる。胸の生まれたての息子の頭をそっと撫でながら。
 牛魔王は鼻をすすった。目の前にあるのは、自分が必死に結婚する前の婿にそうなるようにこいねがった、間違いなく幸せな家族の情景だ。この男を待つのを諦めるように言ったこともある。もっといい男をと勧めようとしたこともある。でも、これでよかった。
 娘が強い意志で築き上げた幸せの誇らしさに、胸が熱くなった。亡くした妻に対し心で呼びかけた。どうか見てやってくれと。この夫婦と子供を見てやってくれと。

 カメラを取り出して、にじむファインダーを覗いた。1枚目の音に夫婦は照れくさそうに振り返り、2枚目、春の日差しにも負けない輝く笑顔を並べた。3枚目、日付を入れるのを忘れていたのでさらに続けて撮った。
 婿が貸してくれ、と手を伸ばした。初めて彼が撮った写真は、妻と生まれたての子供のものだった。撮り方を教えながら、牛魔王は婿を背後から抱きしめた。限りない感謝をこめて。2枚、3枚と、日付を記した新しい家族のスナップが増えていく。看護婦たちに笑顔でたしなめられるまで、シャッターの音は続いた。窓の外は天へと抜けるような美しい青空だった。

 
 写真に焼きついたこの日付は、一生みんな忘れない。この日の記憶とともに。
 きっとみんなにとって、最高の幸せの時間として、永遠に胸に刻まれていくことだろう。







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