このページはイラストレーターはるまきの、個人的なドラゴンボール版権小説置き場です。鳥山先生、集英社さんとは一切関係ございません。
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 対峙をする。
 土をぎり、と踏み、己を緊密で思い切り縮められた一個のばねに整える。対峙する相手を全感覚を使って観察する。網にかけようとする。どんな息遣いをもどんな目配せをも、どんな筋肉の動きすら見逃さないように。
 眼は相手の目から離さない。頭脳の奥ではまるでボードゲームのように、何百手先までもの攻防が激しく思考と言う形をとらずに渦を巻く。
 対峙している相手は、唇を自然に微笑ませる。この男は、この一連の緊張感を、魂の底から楽しんでいるのだ。自分をにらみつける眼の奥に、自分がそこにある喜び、そのように生まれついた喜びが隠すこともなくあふれ出ている。それは、男が神殿で身につけたある種の静謐さをまとって、もはや生への賛美歌を奏でだしているのに近い。そして、男に対峙する相手、この場合自分を驚嘆させるのだ。
 これが、純血の戦闘民族というものか。戦闘民族とはかくも己の魂かけて戦いを楽しむものなのか。自分が、魔のうちから戦うために生み出されたものとはいえ、そしてまた戦士をこの身のうちに同化させたとはいえ、本質的に穏やかな種族であることを、ピッコロは、そう、かつての大魔王は、この男にこうして修行のために対峙するたび感じずにはいられないのである。

 一瞬の目配せの後、空気を切り裂くような攻防が開始される。音よりもはやく拍撃が、蹴りが飛んでくる。負けじと反撃をする。脳の大半がその音より早い攻防よりさらに早くぶん回しになり、さまざまな脳内物質を分泌し、電気信号を明滅させる。それはとりもなおさず相手と己へのすさまじいまでの集中である。隙を縫って届く一撃一撃が重い。だがそれにいちいち痛覚を発動させている間もない。できるだけ整えた呼吸の間に何百手をもを合い交わす。
 眼をにらみ続ける。下手をするとのまれかねない。相手の目はさらに黒々と輝き、時に緑を潜り抜けた陽光のような透明な光をまとった。そしてよく晴れた今日の太陽の光がさまざまな角度からその虹彩に映りこみ、ぎらぎらと光を放つ。まるで星を隠した宇宙のように。少し日焼けをしたすっと伸びた鼻筋と、初めて合間見えた頃より格段に大人びた口元がさらにはっきりと笑みを形作る。子供のような純粋な笑みに。 
 はなれて、一瞬のうちに両者天に舞い上がる。
 男のぼさぼさの黒髪が心地いい上空の風になぶられる。よく澄んだ空気の冬の青空に山吹色の胴着が眼に痛いほどに映える。誰もいない緑の、この男の故郷の山を足元に、いっそ穏やかといっていいほどの再びのにらみ合いの時間が訪れる。

 「ようっし、ピッコロ!本気出して、超サイヤ人でいくからな!覚悟しろよ!」
 男が陽気に手を上げて高らかに宣言して、ふっ、と気合を入れると、たちまち黒髪が天をつくようにして稲光の色に燃え上がり立ち昇った。軽く瞬きをした間に黒い瞳が、翠緑に色を変えまばゆいまでにさらにきらめいた。とてつもない圧力がピッコロの身を締め付ける。先ほどまでとはまったく違う、飢えた純粋な獣のような気に。
 緑の肌のうちに惧れすら走る。
 そこにいるのは金色の原初の獣。戦闘民族の、永きにわたり強さをあくことなく欲しつづけた血の怨念が、最後に生まれた純血のものに結晶となってとり憑いた、と見えなくもない。その力への執念!
 男が唇の端を、再び、今度は悪の香りをたたえてゆがめた。男の全身が発するのはさっきまでの世界への賛歌とはまったく違う。脈打つように、いや怒涛のようにあふれ出すのは世界を圧するような純粋な憤怒。世界をこぶしのうちに一息に握りつぶしてなお余りあるような破壊の衝動。血を流す獲物を前にした歓喜だ。はじめて見るものでもないのに、ピッコロの全身がまた総毛だった。この肌に毛穴などないが、まさにその表現が正しかった。
 「はあっ!」声が到達するよりも早く、ピッコロの眼前に空を蹴って男が飛び込んできた。



 と。いきなり電光に撃たれたようにその動きが止まった。

 それと同時になにやら鳥の鳴くような声が下界でした。
 「あ、おかあさん!ダメですよ、ここまできちゃ。あぶないですよ!」
 かつて男が住んでいた陋屋の前で男の子供が瞑想を解いて大きな声をあげた。
  
 男がピッコロに向けて今にも飛び掛らんと掲げていた腕を、ゆるゆると下ろした。満ち満ちていた緊張感がぱつん、と音を立てそうなほどあっけなく消えて、金色の光も同時に消えた。そして、男はさっきまでとは全く違った、途方にくれたような、頼りなげな表情を下界を見下ろす横顔に浮かべた。
 「おとうさーん、ピッコロさーん」子供が手を振って呼ばわった。「今日、お弁当忘れたからって、お母さんが届けてくれたんです!お昼にしましょう!」
 傍らで、黒い大きな眼の女が、ごく薄いグレーのコートに白い毛糸のショールをまとって、男をじっと見上げている。男は、唇をそっとかんで女を赤い顔でちょっと見つめかえした後、ため息をつくように体の力を抜いて下界に下りていった。
 ピッコロは、全身を縛っていた畏怖と緊張をゆっくりと解きほぐしながら、別の意味で心のうちでため息をつきながら男に続いた。
 まったく、なんと言うざまなのだろう。情けないにもほどがあるではないか。とんだお笑い種だ。この宇宙一といって差し支えないほどの男が、この小鳥のようなかよわげな女に、もう1ヶ月近くも翻弄され続けているなんて。
 それは、男が自らまいた種とはいえ、かなりこじれた難問だった。それは力でどうにもなるものではなかった。それは、ピッコロにとってこれまた本質的に理解の困難な、「男女」の問題だった。


 




 ところどころ凍っている滝つぼの水を手ですくって口にする。キン、とこめかみが痛くなるほどに冷たく清冽なものが胃の腑に落ち、いつの間にかからからに渇いていたからだをピッコロは思い知った。純粋な悔しさが身のうちからわいてきて、ピッコロはひじを滝つぼの氷に叩きつけた。透明な音を立てて、きらきらと氷が砕けて散った。
 言っても詮無いことではある。だが、これほどまでに差をつけられてしまったことに、やはり屈辱を感じずには要られない。今日は気孔波などを禁じて、肉弾戦だけという縛りを課しての組み手だった。なのに全くかなわないのだ。
 いつの間にこんなに開いたのだ。時間としては高々、あの自分の弟子が生まれてからぐらいの時間しかなかったはずだ。あの男とあの女が結婚と言うものをした頃、自分とあの男はほとんど差もなかった。まだ、あの男が、自分に流れる血を知らず、まったくの無自覚だった頃の話だ。そのときならもう後一歩のところで殺せたはずなのだ。あの時きちっと殺していれば、こんな屈辱を味わうこともなかったのに!しかしどっちみちそれでは、仲間たちが男を生き返らせただろう。
 いや、よく考えたら、あの男が一度死ぬ前だって、それほど開きはなかった。むしろあの時もろとも殺したのが失敗だったのだ。それであの男は界王の所に行って力をつけたのだから。むしろ今思えばそうしてよかったのだろう。そうしなければ…、いや、こうしていれば…
 思考を切った。それ以上は考えてもどうしようもない。するだけ無駄な仮定だ。
 ピッコロは、どさり、と滝のそばの岩肌に背をつけてもたれかかった。大岩の向こうの陋屋の前から、女の持ってきた弁当を食べながら男が子供と笑いあう声がする。


 男が、宇宙から帰ってきたのはひと月近く前のことだった。そして、ピッコロは3年後に訪れるという戦いに備え、この家族の男連中と共に修行をすることになった。そう決まって彼らの家に着くと、あの女が玄関先に腕組みをして立っていた。
 女はひとしきり無断で飛び出していった子供を叱り、次に1年半ぶりに顔を見た夫に散々ピーチクパーチクと高い声で怒鳴りつけてから(怒鳴られた側は身を縮こまらせながらもへらへらと嬉しそうに笑っていた)、彼らにへんな服装を脱いで風呂に入るよう命令し、ピッコロにも隠すことのない怒りをぶつけてきた。
 「なんでここにいるんだべ、ピッコロが」白い頬が憤怒でぎらぎらと赤く高潮し燃えていた。形のいい眉がぎり、とつりあがり、黒い大きな瞳が涙の膜を張りながら気丈にかつての大魔王を見据え、赤い唇で呪いじみた言葉を立て続けに吐いた。理由としては妥当なところである。ピッコロはこの家の一人息子を無断でさらった挙句に一年ほども戻さなかったのである。それ以前にも彼は彼女の夫を殺しかけていた。
 どうせおめえが来たからにはろくなことじゃねえ、彼女は冬の風に黒い前髪を翻しながらそう言い放った。夫から詳細を聞け、と受け流したが、ピッコロは正直面食らった。最初見たときにすでに気が強いとはチラッと思っていたが、ここまで強気な女だったろうか。
 案の定ろくな話ではなかったので、彼女は夫に激怒していた。ピッコロはさらにあきれた。あの男が頭が上がらないだけある。いつぞやだれかが宇宙最強と彼女を評していた気がするが、それはあながち間違いではない気もした。そしてその怒りはいまだに持続している。

 これが世に言う「母は強し」、というやつなのだろうか、とピッコロは考える。
 母親。
 それがすでにわからない。そして、男女が父親と母親という核となって構成する家族の姿も、ピッコロにはやはり理解が難しい。

 ナメック星人、という自らのからだには性と言うものが存在しないからだ。この身だってひとつの生物から卵として単為生殖の結果生まれたものだ。そしてナメック星人はテレパスのような共有意識の元に緩やかな集合体で生活するいきものだ。そこには文字通り言わずとも分かり合う、魂の安寧がある。ともに暮らすからにはいさかいなど起こりえない、怒りなどおこりえない。魔と生まれても、それは同じなのだ。魔族として卵でふえ、集団で安定する。そこには裏切りなどない。あるのは忠実な上下関係だ。
 それにくらべて、地球人とは、なんと不便な単位で群れ集っていることか。最小の単位である家族のうちですら、不信と不必要な片意地に満ちている。今まさにこの夫婦のように。






 「おら帰るだ」女が重箱を片付け終わり、ふわりと白い鉤針編みのショールを広げてコートの肩にかけた。ピッコロはそれを岩陰から見て、やはり、この女は鳥、もっと言うなら白い鷺のようだ、と思う。畦田の中にひとりきり、一本足でたたずみ、白い翼を広げたはかなげな鳥の姿。その怒りはひなを必死で守るところを思わせる。
 そう、やはり似ている。純白の羽毛を持ちながら、その脚は泥に汚れ、そこにくちばしを突っ込んで餌をあさる鳥。連れ合いをうしなえば、目を赤くして傍にたたずみ、じっと悲しみに耐えいる、そのように俗に言われる白鷺に。

 男が、一緒に立ち上がりながら女に声をかけた。女は眼をそらして、もと来た道を歩き出した。男が、子供になにか告げて、後に続いた。子供が、かけ寄ってくる。
 「ピッコロさん、おとうさんが、先にボクたちで修行始めててくださいって。おかあさんを家まで送ってくるからって」
 心配そうな顔で、子供は両親の後姿を見た。ピッコロにも判るほど、このひと月、あの男女はギクシャクとしていた。子供であるこの弟子には、つらいようだった。ピッコロはその頭に手を置いた。
 まったく、自分よりはるか長く、もう25年ほども生きているくせに、何をちんたらとやっているのだろう。あの男もあの男だ。いつものように、笑い飛ばせばすむものを。
 だが、それが、俗に言う恋愛、というやつなのだろう。それは力でねじふせられず、無知を言い訳にできない、一度捉えられたからには対峙し続けなければならない関係らしい。肉の欲、独占欲、征服欲、依存心、その他もろもろを絡めとり、人に自らの愚かさを認識させる、という。
 自らもそのような汚いところから生まれたのに、その感情を理解できないと言うのもこっけいなものだ、とピッコロは思う。そして、人間が理解できないと思うたびに、ピッコロは善とはなにか、悪とはなにか、そして自分はどちらの側の生き物なのか、と埒も無い結論の出ないことを考えさせられる。それは、みずからの悪に悩み、悪について考え、それをこり固めて排除した神の、その血を分け合った業ともいえるかもしれない。
 「…ピッコロさん?」
 傍らの弟子が、不安そうに見上げてきた。ピッコロはその眼を見やってかすかに笑った。



 この星において、人は、より強く安定したいがために、利己的な思いに穢れる生き物だ。あの女も、それに苦しむ生き物だ。
 あの男が純粋無辜で強く羽ばたき続ける分、彼女が代わって泥の中をあさらなければならない。そしてそれは日々の中では当然のことなのに、男に対峙してその純粋に惹かれる分、余分に自身が穢れた気になって苦しむのだ。彼女も美しい翼をまだ持っているのに。
 今、女はそのように、男に心を開くのを恐れている。この自分が、一時同じ気持ちでこの弟子に近づくのが恐ろしかったように。
 だが、男は、その彼女の穢れを「ま、いいか」の精神で受け容れ続けてきた。くちばしと脚が穢れていても、男にとって大切なのは、彼女の穢れない優しい温かい翼である。今も、自分も威嚇にあい傷つきながらも改めて対峙して寄り添おうとしている。

 一度ピッコロは男にどうしたらいいか、と尋ねられたことがあった。そんなもん知らん、話し合え、とつっけんどんに答えてやったが、男はその日からそれなりにその忠言を実行に移してきたようだった。だから、女も、どうしても、という必要もないのに今日理由をつけて顔を見に来たのだ。近いうちに新しくととのった心のかたちを受け容れるだろう。こんなわけのわからないこちらの気苦労も、きっともう終わる。
 それにしても、なぜ自分が暴力などではなく話し合いなど勧めなければならないのか。ピッコロは改めて自らの変貌を自覚して可笑しかった。


 「では、先にはじめるか」ピッコロは立ち上がって、弟子に基礎的な組み手を促した。弟子がとりあえずふっきったように明るい笑顔を見せる。
 ピッコロは打ちかかってきた弟子のまだつたない攻撃を右に左に受け流しながら、なおも考える。
 思うに、ひとは、穢れにまみれる己と他を自覚し、それでもともにいようと願うところに、きれいな美しいやさしいものをうむのだ。
 自分が、この弟子を得て、魔の呪縛から抜け出したように。あの傲岸不遜な王子が、近く縁を得て、この星での新たな生き方をみつけるように。
 


 
 そのとき遠くのほうで、あの女の声が朝にさえずる鳥のように穏やかになるのを、ピッコロはかすかに聞き取った。
 そのごく傍で、男のどこかとがっていた気配が、その歌のような声に穏やかに暖かく癒されて、そこからまた優しいものがあふれだすのもなんとなく感じた。




 ほら、推理どおり気苦労はすんだ。これでやっと、やつも修行に身が入るだろう。
 まあ、その前に、今晩くらいこの子供を預かっといてやっても、かまわないさ。せいぜい代わってしごいてやろう。孫悟空、お前はこいつの師匠を名乗るにはまだまだ甘すぎるからな。
 ピッコロは、口の端に軽く皮肉げな笑みを浮かべて反撃を開始した。









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