このページはイラストレーターはるまきの、個人的なドラゴンボール版権小説置き場です。鳥山先生、集英社さんとは一切関係ございません。
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pain2





 白いやわらかなリネンの中で、彼は横向きに寝ていた顔をそっとしかめて、うっすらと目を開けた。真っ白な布が、視界いっぱいに広がって、まるで雲海のようだった。
 うす寒い、初夏の山地の朝の空気が、どこからか部屋に忍び込んで、素足の先に当たっている。
 朝か。
 まだ夜明け前なのだろう。世界はうす青いような、薄紫のような色にぼんやりと覆われていた。彼は、もう一度目を閉じて、頬をリネンにこすりつけた。
 リネンから、自分と、女のにおいと、それらの汗と、まだなじまない、でもひどく魅惑的な体液のにおいがした。

 
 起きたほうがいいのかもしれない。でも、目が開かなかった。眠ったのに、体は疲れたままだ。それに、つい数時間前まで起きていたのだから。
 心のどこかがひどく透明な、新しい静かなものに覆われているような気がする。疲れていても、体は軽かった。何もかもから解き放たれたように。
 もう一度、掛け布団を深くかぶりながら、猫のように身を丸めて、彼は、向かい合うように丸くなったものの頭に顔をすりよせた。そこに生えた長いさらさらとした黒髪が、鼻と唇にかき乱された。彼の胸は、まるくととのった痛みのようなものに満たされた。
 昨日、この娘が、うわごとのように繰り返していた言葉の意味が、分かったような気がした。彼はゆっくりと深く息をついて、もう一度、眠りに着いた。




 カーテンの隙間から、透明な銀色の光が漏れこんで、彼女の目の前のリネンに金色のラインを作った。 
 彼女は、半ばうつぶせにしていた顔をそっと上げて、寝返りを打って、天井をぼんやりと見た。天蓋のレースが、天井にぼんやりとした影を投げかけていた。
 目をぼんやりとこすったひじに、熱いものが触れた。そのものを横目で見て、何回か長いまつげをゆっくりと上下させた。だんだんと目に光が宿ると、彼女はそっと下唇を噛んだ。頬が熱かった。 
 そっと、そっと起き上がって、ベッドの下に落ちているものを拾って、鏡台の前に立った。そして、「自分」を見た。昨日と同じで、昨日とまったく違うものを。
 拾ったものを、ゆっくりと身に着けた。なにもまとわない、むき出しだった素肌が、柔らかい布に覆われて、ほっと息をついた。
 身にまとうときに、腕や脚に痛みをおぼえた。そっと布越しに触ると、いくつかはあざになっていた。そして、からだの奥のほうがひどく痛かった。彼女は、両手で顔を覆って立ったまま、しばらくそのままじっとしていた。涙は出なかった。すずめの声が、だんだんと世界に満ちてきていた。

 彼は、そんな彼女を、寝床から重いまぶたでぼんやりと見つめていた。こっちにきてくれと、こっちにきてくれと願いながら。
 心の中で、痛くしてごめん、と、何度もわびながら。









 どすん、と衝撃があった。
 「い痛えええええええええええええええ!」
 全身の傷が、いっせいに覚醒した。今まで、感覚を切ったようにしてうずくまっていたからだが、狭い空間の中でばねのように伸びようとしてあちこちに当たった。
 なにがあった。まぶたを開こうとしたが、うまく開かない。目頭に、額から流れた血がたまってこびりついていた。指で(久しぶりに動かしたから自分のものではないようだった)こすってこじ開ける。視界が開いた。目に血の粉が入ってぴりぴりと痛い。それより、オレンジ色に沈み行く太陽の光が目を激しく打った。空がひどく紅い。
 ポッドの蓋が開いた。それは、崩れ行く星から辛くも飛び乗ったギニュー特戦隊の船だった。

 悟空は、ポッドから四つんばいになって這い出た。緑がかった奇妙な色の土が、手のひらを汚した。山の中腹だった。半分廃墟のような都市が眼下に見えた。と、その都市のほうからサイレンがいくつも鳴り出した。

 地球じゃ、ない。頭がだんだん回ってきた。と同時に途方もない安堵と脱力感が襲ってきた。空腹も。渇きも。そして落胆も。サイレンの音が重なって、耳鳴りとめまいをおぼえた。
 助かったんだ。
 それよりここはどこなんだ。
 あれからどのくらいたったのだろう。

 乗り物がいくつも近づいてきた。同じようなヘルメットをかぶり、同じような制服を着た多くの人々が上空から彼を見下ろした。
 「隊長、こいつ、ギニュー特戦隊なのでしょうか」
 「おかしいですよ。あの5人ではなさそうです」
 「でもあのマークをつけた宇宙船ですよ」
 「フリーザ一味の残党なのか」
 「そうではなさそうだ」


 悟空は胡坐をかくように座り込みながら、両手を挙げた。
 「オラは、フリーザの仲間じゃねえよ。地球人だ」

 「それは確かのようだ」
 隊長と呼ばれていた人物が降り立ち、前に進み出た。他の隊員が危ないと口々に制止する。それを押しとどめて、悟空の前にひざまずき、ヘルメットのゴーグルを少し開けて肉眼で彼を見て、肩に手をかけた。警戒心がわいたが、とりあえずおとなしくそうされることにした。
 悟空はその目を見かえした。地球人より、もっと赤っぽくて深い微妙な肌の色。瞳は、なにかを見透かすような透明じみた淡い色。
 「ここはどこなんだ、おっちゃん」
 「先にこちらの質問に答えてくれ。君は、サイヤ人のように見えるが、どうか」
 「たしかにオラは、サイヤ人として生まれたらしいけど、そんなの忘れちまったし、関係ねえ」
 「…君は、フリーザを倒したのか」隊長が、はばかるように声を潜めて聞いた。
 「えっ」悟空は目を見開いた。「なんでわかるんだよ」
 「私たちは、多少不思議な力を持っていてね。修行すれば、心を、記憶を読むこともできる」隊長が微笑んで、手袋を脱いだ手を伸ばした。「フリーザ一味が、あわてて退却していったわけがわかったよ。ようこそ、ヤードラット星へ。超サイヤ人孫悟空よ」
 悟空は、その手を握り返しながら、うつむいて情けない声をあげた。「とりあえず、何か、食わせてくれ…」





 こうして、悟空は、ヤードラット星の客人になった。
 
 ヤードラットは、ギニュー特戦隊に数日前まで攻撃され、他の都市はかなりのダメージを受けていた。しかし彼らはよく持ちこたえていた。フリーザが特戦隊を収集し、とりあえずの危機は去り、残った者たちもフリーザが斃れたことによって大方去っていったのだった。
 フリーザ軍が去ったというものの、統制を喪って漂流する傭兵たちがまだ残留していたり、新たに襲来したりしてきていたので、星はまだ警戒態勢を解いてはいなかった。
 悟空は、そんな都市の一角、長の屋敷に逗留して傷を癒すことになった。超サイヤ人になってから負った傷はたいしたものではなかったものの、それ以前にがたがたになったからだを休めるのに時間を要した。多くの客人が訪れ、事情を聴取された。そして賞賛と歓待を受けた。この星の技術はほぼ地球と同じくらい、もしくは多少上の程度らしく、フリーザたちのように簡単に治療するような器械は無かった。
 (なんか寝てばっかりいるような気がするな、オラ)
 そう焦れながらも、元通りからだを動かせるようになるまでこの星の時間で10日ほど。それから、恩義として侵略者の掃討に加わって3週間あまり。この間に超サイヤ人のコントロールをある程度身に着けた。
 すぐさま地球に帰れなかったのは、ギニューの船の修理と解析に時間がかかったからである。


 薄いグリーンの石材を組み合わせた長の家の廊下を進み、すれ違うヤードラット星人たちに手を上げて挨拶しながら、悟空は伸びをした。窓の外には、柔らかな太陽と美しい緑と花々、甘く優しいような大気と光が満ちている。高く売れると見込まれてギニュー特戦隊までひっぱりだして侵略していたわけがわかる。ここは本当に美しい星だった。長の家の庭の向こうでは、再建に取り掛かった奇妙におとぎ話めいた外観の建物がにょきにょきと生えつつある。
 植物や風景は、あまり地球と変わらなかった。悟空は、足を止めて、そばの窓の下を見た。桜によく似た、薄桃の美しい花木が花びらをさらさらと散らしている。その花びらは落ちる途中で綿毛を伸ばし、その木の根元に、そして庭中に、さらに遠くにふわふわと飛んでいくのだった。
 (桜かあ)
 今、地球は、自分の家は、どんな季節だろう。
 そんなことをぼんやり、窓にひじをつきながら考えていると、後ろから声をかけられた。
 「孫悟空、久しいな」
 「あ、隊長のおっちゃん」悟空は振り返って笑顔を見せた。「今日は出動はなさそうか」
 「そうだな、もう君に頼らなくても大丈夫だろう。防衛機能もだいぶ復旧してきた。今まで力を貸してくれてありがとう」最初にあったこの隊長はこの都市の長の息子だった。握手を交わし、手を離すと、多少ためらいながら聞いてみた。

 「なあ、あのさ」そこまで言ったところで、隊長が残念そうにかぶりを振った。
 「わかっている。でも、この星の技術力では、まだあれをちゃんと直すことができない。君の話から大体の地球の位置の想像もつくのだが、ちゃんと観測して正しい座標を割り出さないと君が帰るためのプログラムも組めないのだ。どうか、もう少し辛抱して欲しい」
 「…そだよな」
 「妻のことを、子供のことを、考えていたな、今」
 悟空は、小さな子のようにうなずいた。この星の人々には隠し事は通用しない。強がったって仕方ないからだ。
 聞けば、推測ではあるが、この星から地球に帰るまでには飛び立ってからもかなりの時間がかかるらしい。この星は自転周期、公転周期ともそれほど地球と差は無かったが、悟空の腹時計は、地球での一日3回ではなくて、この星では一日5回を示すような感覚だった。おそらく、地球より「一日」が長いのだ。ぼんやりしていては、思った以上に時間がかかるかもしれない。
 昔、悟飯に読み聞かせてやった童話のように、ひと時を楽しく異界で過ごして現世に戻ると、知っている人が誰もいないほどの未来だった、そんなことになりはしないだろうか。悟空はじりじりと焦りを深めていた。
 
 「多少時間も空いたし、この星の不思議な術など土産に覚えて帰る気は無いか?」遠くを見て唇をかんでいる横顔を眺めやった後、隊長が、悟空の肩に手を置いた。「瞬間移動とか」
 「しゅんかんいどう?」
 「一瞬で、ある人物のところに行き着ける術だ。ほかにもさまざまな術をわれわれは持っているが、君に一番必要そうなのはそれだろう。ヤードラット人でない君には難しいかもしれない、でも」
 「オラ、やる!覚えてみせる。だから、教えてくれ。今すぐにでも!」悟空は、隊長の肩にしがみつくようにして何度もうなずいた。




 悟空の、新たな分野での修行が始まった。
 もともとヤードラット星は、地球で言うところの「魔法」みたいなものを礎にして栄えた星だった。何度か興亡を繰り返し、宇宙から来た人々に科学を伝えられてからは、車の両輪のように2つを並べ用いながら発展してきた。今回の攻防戦を耐ええたのも、敵への精神攻撃を利用した独自の強固な防衛線のおかげであった。
 ヤードラットの「魔法」の基礎は、ファンタジーのようなエレメンツに頼るのではなく、自分の体内の気の流れをうまくコントロールし、自分自身の肉体を操ることである。どちらかといえば超能力に近い。他の物体を操るのは、その応用である。
 舞空術や、念話や、ある程度他の物体を操ることは、悟空にもできた。その意味では、悟空は素養を持っていたといえる。しかし、瞬間移動ともなると話はまったく違っていた。気を探り当てる。気のある空間を強くイメージし、自分の気をそこに「ひきこむ」ことで門を作る。同時に、気をもって自分のからだを守り、「はざま」を通過させる。気の集中がおろそかだと、からだがうまくはざまを潜り抜けられず、強烈なダメージを受ける。
 はじめは、長について何度も瞬間移動をしてもらい、一緒に瞬間移動をすることではざまの感覚を理解する。ヤードラット人が言うところの「智の世界」である。彼らが本質的にここから発生したものと自らの神話に語るとおり、本能的に理解している世界。でも、異星人である悟空には理解が難しく、ここでかなりの時間を要した。あるとき、それが念話に近い感覚だと思い至ってからは、急速に進歩した。宇宙船はまだなおらない。

 毎日毎日繰り返される修行。武術のようにはうまくいかない。神殿で修行をしていた頃のようなもどかしさが常に悟空を襲う。やれどもやれどもうまくいく気がしない。
 これなら、おとなしく、楽しくこの星で過ごして、宇宙船を待ったほうが楽なのではないか。

 でも、あきらめきれなかった。





 やがて苦闘の後に、術が完成した。相前後して宇宙船の修理と解析も終わり、地球へと帰るための段取りが組まれた。
 感謝とねぎらいの宴席が設けられ、かつての敵同士だったサイヤ人とヤードラット人たちの末裔は、ひと時の友情をことほぎ、別れを惜しんだ。





 出発の前夜、静かな夜、悟空は宇宙船を修理していた部屋に忍び込み、丸い白いポッドを抱きしめた。自分自身が、生まれたばかりの頃、同じようなポッドに乗って地球に来たことに思いをはせる。
 「もうすぐ、帰るから」
 わかっている地球の方角を、強く思う。遠すぎて気はうまく捕まえられない。でも、せめて、かつて傍らにいた、あの気を強く思う。
 「帰るからな、チチ」
 怒っているだろう。きっと怒っている。ひょっとしたら、嫌われているかもしれない。心を移しているかもしれない。
 ポルンガが呼びかけてきたときは、その思いが掠めて、帰る、と答えられなかった。あとでひどく後悔した。でも、多分、この術は、きっとこれからとても戦いに役に立つ。それに、地球に帰れたなら、どんな離れていても、地球の裏側にいたって、自分は一瞬で家に帰れるのだ、だから、覚えてから帰るべきなのだ、と言い聞かせて修行してきた。依怙地になってたのかもしれなかった。負けず嫌いが災いして、途中で修行を放り出したくないだけかもしれなかった。多分そうだったのだろう。

 そんな修行バカの自分を、多分、絶対、怒っている。きっと、会ったら、怒鳴られるだろう。泣かれるだろう。それを想像して、胸を痛くする。でも、会えない痛みのほうが、はるかにつらい。
 泣いても、怒っても、かまわない。待ってないなら、会いに行く。


 胸の中で、はじめて彼女を抱いた翌朝に覚えた言葉を繰り返す。
 許してくれるなら、抱きしめて、伝えたい。うまく口で言えるかどうかわからないけど。きっと、「愛してる」と。
 口の中で、何回か練習をくりかえした。それでも、照れくささに舌がもつれてろくに言えなかった。苦笑をもらして、悟空は頭をかいた。そして、手近な毛布に包まって、宇宙船にもたれかかって、明日からの長旅のためにしっかりと目を閉じた。






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