このページはイラストレーターはるまきの、個人的なドラゴンボール版権小説置き場です。鳥山先生、集英社さんとは一切関係ございません。
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pain




 ある初夏の午後。
 悟飯の勉強机の窓の外には、朝から雨が降っていた。この季節、この地方には長雨が降る。激しくは降らないものの、長くじとじとと。家の側の小川は少し増水し、茶色じみた水を勢いよく流し続ける。川が深いのでそうそうあふれる事はないが、見ていて多少気になる光景ではあった。
 暗い空から、しとしとと雨が降り続ける。部屋の中も薄暗い。明かりをつけようか、少し迷ったが、悟飯は小川と書き取りをしてたノートから目をもぎ取るようにして立ち上がると、ベッドの上に上がり、傍らの文庫本をぺらぺらとめくって読むともなく読み始めた。影の中、黒々とした文字を目をすがめて追う。
 また、目が悪くなると母親にしかられるだろうか。
 そんな思いが胸を掠めたが、かまうものかと仰向けのまま読み出した。今の彼の気に入りは長編SFジュヴナイルだ。悟飯は歴史ものやファンタジーものよりは、SFを好んで読んだ。やはり幼い日に訪れた宇宙は魅惑的だった。心を惹かれるのは生物の生態についてだったが、星も好きだったし、かなうなら、この物語に出てくるある脇役の研究者のように、宇宙をめぐってさまざまな生物の研究をしてみたい、と思う。
 でも、そんなことは。
 目をぐっとつぶり、悟飯は腕を枕にして寝転びなおした。部屋の外からは、母親が3歳を過ぎた弟をしかる声が聞こえてくる。弟がまたなにか聞き分けのないことを言っているのだろう。反抗期と言うやつだ。

 やがて、弟のワンワンと泣く声が扉のこちらからも聞こえてきた。母親の苛立った声が聞こえてくる。
 「そんなに外に行けなくてつまんなかったら、表で立ってればええだ!」玄関の閉まる音がして、居間は静かになった。掃除機をかける音がはじまった。
 (おかあさんは、相変わらずだ)と薄目を開けて悟飯は思う。自分も子供の頃、泣き虫で、よく聞き分けのないことを言って母親を困らせた挙句よく締め出しを食った。それは何よりこたえる罰だった。
 山奥と言うほどではないけど、夕暮れのこのあたりはやはり怖かった。だんだん夕闇に染まってくる辺りの風景。カラスとフクロウの声。ざあざあと流れる川の音。隣家は遠く、呼びかけても誰も答えてくれない。でも、強情な自分はなかなか母親に向けてあやまりたくなくて、じっとひざを抱えて耐えていた。そのうち、修行からお父さんが帰ってきて、自分と同じところまで背をかがめて話を聴いてくれた。抱きしめてくれた。そして、そのうち、家の扉が開くのだ。
 お父さんが、顔を見せてくれると、どれだけ安心しただろう。お父さんがとりなしてくれて、お母さんが苦笑しながら、自分を嫌いでないと言ってくれると、どれだけ安心しただろう。
 
 でも、今はお父さんはいない。だから、自分が、顔を見せてあげないと。今日は、川だって水が多い。もし誤って落ちたら大変だ。




 悟飯はそっと窓を開けてからだを浮かせてくぐらせ、家の外に出て裏の菜園に向かった。そこは、自分も、かつて気に入りにしていた場所だから。
 菜園には、ひとつ黄色い小さなかさがうずくまっていて、その下に10歳下の弟が唇をまげてひざを抱えていた。手を差し伸べると、泥を跳ね上げて、鼻水と涙を悟飯の白い中華服のすそにこすり付けてきた。
 「おかあさんがね、おかあさんがね」
 「泣くな、悟天」傘を拾って差し伸べて悟飯は弟の頭をなでた。父親に、そっくりのその髪型を。悟飯は、生まれて最初にこの髪をした弟を見たときの気持ちを思い出した。いまだにどきりとさせられる。見ていたいような、見ていたくないような気持ちにさせられるのだ。最近は、特に。
 濡れた髪の毛をなでつけ、少しでも髪形が変わるように、とそんな風に無意識にしている自分に気づき、悟飯は改めて胸が痛くなった。


 3年前。母親が難産の末に、この弟を産んだ。遠方の祖父もなかなか到着せず、ひとり小さな病院の控え室で待っている悟飯は、母親の苦しむ声に、苦しむ気配に、1昼夜身が切り裂かれる気持ちだった。でも、子供の悟飯は、産室に入れてもらえなかった。父親なら、きっと、顔を見て安心させてあげられるのに。父親なら、きっといくらか、受け止めてあげられるのに。
 なんで、子供なんて、弟なんて、残していったの、お父さん。
 でも、お父さんは勝手に残して行ったんじゃない。生きて、きっと、ここにいるつもりだったんだ。なのにそうできないのは、自分のせいだ。お母さんが苦しんでるのも。
 父親が明るく死んだあと、母親も明るく振舞っていて、そんな思いは忘れたつもりだったのに、悟飯の胸はその時また自責の念であふれかえった。そして、それは、弟を見たとき、決定的に胸の奥に焼きついた。悟飯は思った。きっと、これは、罪のしるしを見続けろということなのだと。


 「悟天、男の子が、そんなに簡単に泣いちゃいけないんだぞ」
 しゃくりあげる弟をいつか父親に言われたようになだめながら、それでも悟飯は余計に自分が悲しくなった。お父さんのようには、言えない。お父さんのように、あんなに暖かく安心させるように言えない。自分は今13、あの頃の父親は二十歳そこそこだった。そんなに離れていないのに、なぜ父親はあんなに大きかったのだろう。



 「まあ、2人ともドロドロにしちまってぇ」
 奇妙に明るい声に振り返ると、長靴を履いた母親が大きな傘を差し、もう一本をこちらに差しかけていた。
 「悟天は、反省しただか?」母親が悟飯に向かって聞いた。何も言えずにいると、今度は微笑みながら悟天に聞いた。「母さんの言うことが、わかっただか?雨降りの日に無理してお外に出てもつまらないだけだ。濡れるし風邪を引いたらもっとつまらねえ。母さんは、悟天に風邪ひいてほしくねえんだ。ごめんなさい、って、言えるだな?」
 悟飯の腕の中で、弟がうなずいた。二人とも、お風呂がわいてるから、一緒に入るだよ。母親が笑いながら、家の中を指差した。弟が先に駆け出した。
 「こらぁ、ちゃんと傘も持っていかねばダメでねえか!」
 母親が、傘を持って追いかける前に、ちらっと悟飯を見た。その視線が交わったとき、なんとも複雑そうな、なにか言いたげな目をしたのを悟飯は感じた。
 しばらくそこに立った後、家の中から早く一緒に入ろうと言う声に促されて、悟飯は靴の泥を落としながらゆるゆると歩き出した。








 夜になり、雨が上がった。日付の変わりそうな刻限に、悟飯は天体望遠鏡を持ち出して外にでた。家から小川の対岸に舞空術で飛んで、望遠鏡をセットした。
 家はもう寝静まったようだったが、わずかに非常灯などがついている。天体観測には、少し邪魔だった。晴天とまでは行かないが、昼に雨を降らせた雲はきれぎれになって地平線にたまりこんでいた。目当ての星の付近は晴れている。今日は、流星群が見られる日なのだ。
 三脚をセットし、望遠鏡を組み立てる。傍らにレジャーシートをひく。まだ雨が草に残っていた。シートの上に、赤いセロファンを張った懐中電灯と、天文手帳、星座早見盤を投げ出して、自分ももうひとつ手ごろな天文用のオペラグラスを構えたまま身を投げ出した。まだ流星が流れ始めるには時間がある。でも、グラスの中の視界に、微細な星屑がピントが合って見え出した。
 悟飯は、派手な星雲とかよりも、細かい星を見ているほうが好きだった。あの星の中に、かつての、そして今のナメック星のように、そして今はなき自らの祖先の星のように、人が暮らす土地が本当にあるのだ。世界の人々はまだ宇宙人の存在すらろくに知らない。でも、この身の中にも、確実に宇宙の息吹として存在しているのだ。


 向こうのほうで草を踏む気配がした。目をやると、家の前で、長い髪を解いた母親がこっちを見ている。助走もなしに、ひょいと小川を越えて(それでも川幅は2mはゆうにあるのだけど)こっちへ歩いてきた。
 「今日が流星群の日だったもんな。母さんにも、望遠鏡のぞかせてけろ。ええだか?」母親が明るく笑った。
 「ええ、いいですよ」悟飯は立ち上がって、望遠鏡を指し示してやった。
 「えっと、動かすのってどうやるんだっけか」
 機械オンチの母親に聞かれるまま、初心者向けの天体をいくつか覗かせてやりながら、悟飯はその横顔を見る。最近前髪を伸ばしていて、真ん中で分けて少しシャギーを入れて流していて、昼間はピンで留めつけているけれども解いたのを見ていると少し若返ったような感じだった。

 小さな頃から、自分の母親は、塾等で見かけるどの家の母親よりも若く美しかった。悟飯はひそかに自慢だった。日ごろどんなに厳しいことを言われても、母親がやはり自慢だった。やや大きくなって戦いに出るようになっても、それは変わらなかった。
 今、望遠鏡にかけている、白く細く優しい指が自分をなでてくれると、父親と同じくらいに安心できた。笑顔を向けてくれると、無条件に嬉しくなった。父親も、いつも、母親がなにかする横顔を幸せそうに盗み見ていた。悟飯が気づいて父親を見ると、照れたように笑っていたものだ。
 今になってみて思う。父親は母親がいないとダメだった。母親がいたからこそ、父親は大人として、親としていられたのだ。父親は、ほんとうに、この人を愛していたし、だから、自分もどうしても疎んじる事はできないのだ。悲しませる事はできないのだ。「思春期」になった今になっても、世に言う母親を傷つける年代になっても。

 「あのなあ、悟飯ちゃん」
 つぶやくように、声がかかった。母親が望遠鏡をのぞいたまま、静かに話しかけてきた。
 「悟飯ちゃんは、悟飯ちゃんのやりたいようにすればいいんだよ。好きなように」
 「もう、勉強しなくっていいって事ですか」それでもその言葉にかすかな苛立ちを感じ、悟飯は自嘲的な口調になっているのを自覚しながら聞いた。「いまさら」
 「そういう意味じゃねえんだ。母さんがいつも言ってただろ。子供は子供らしくしてりゃええんだよ。あのな、こういうことを言うのは逆におめえにとっていやかもしれないけれど、」目を離して母親がこちらを見た。「おめえにつらい思いをさせようと思って、悟天を産んだわけじゃねえんだ。おめえがそんな風に思いつめて父親役をやろうとすればするほど、おらは悟天を産まなきゃよかったか、と後悔する。別にいいんだ、あの子は悟空さに似てるから、ほっといてもきっと強くなれる。だから、ただ、兄弟らしく楽しくやってりゃええ。それだけでも、子供の頃の悟空さよりはずっと幸せな境遇なんだから」

 悟飯は、のどの奥にごつごつするものを感じた。

 「でも、おかあさんばかりに」
 「おめえはいい子だなあ」母親が優しく笑った。「いまさらだけど、悟空さは、きっと、死ぬのどっかでわかってたと思う。でもその前におめえを神殿に預けてまで好き勝手して悟天を作ったんだし、結局は母さんもなんとなくわかっててそれでいいと思ってたんだから、それは親の自業自得ってもんだ。照れくせえけど、おめえだってもう13なんだからそのへんのことわかるだろ?それに、結局のところ、悟天を産むのを決めたのはおらなんだから、その責任は取らなきゃな?」
 いたずらっぽく目をぱちぱちとさせる母親から目をそらして、悟飯はちょっと唇を尖らせた。それは照れたときの、母親と同じくせだった。たしかに13にもなったからわからないではないが、母親はこんなにあけっぴろげにその辺のことを言う人だっただろうか。父親はともかくとして。
 「でもおめえがたまに『おかあさん、大丈夫?』とか言ってくれたり、ちょっと手伝ってくれたら、それだけでもうおらにとっては悟空さがいるのと同じくらい救われるんだ。結局は、悟飯、おめえが小さい頃悟空さがしてたのもその程度のことなんだからな。まあ、悟空さが働いてくれたらもうちょっとおらも日頃いらいらせず依怙地にならずにすんだんだろうけど、その辺の事はわかっちゃくれなかったもんなあ」
 苦笑する母親。悟飯も、苦笑し返した。やはり、父親がこの母親にかなわなかった理由がわかるような気がした。



 あ、流れ星、と母親が天を仰いだ。いつの間にか、流星がいくつも流れ出していた。ほろほろと天から下る水のように。
 「たまには、家出でもしてきたらどうだ。神殿なら、きっともっとよく見えるだよ」
 「家出って」
 「おめえももう大人だもん、勝手にどこに行こうがかまわねえだよ。悟空さが強くしてくれたからそうそう危ない目にあうこたねえもの。まあ病気と、人に、特に女に騙されないようにだけ気をつけてりゃええ」
 「大人といったり、子供といったり、どっちなんですか」悟飯は流星を見上げながら苦笑した。
 「13なんてどっちでもねえだよ。自分で判断がつくようになったほどの大人だけど、しょわないでいい余計な責任引っかぶる必要はないほどの子供なんだ。ただし自分でわかっててあえてはた迷惑考えずバカなことするんだったら子供に逆戻りだけどな」
 「…そうですかね」
 「だから、おらは武道家連中が嫌いだったんだ、子供に余計な責任かぶせるから」母親が隣で同じように天を仰ぎながら、鼻にしわを寄せた。
 「…でも、ぼくには世界が救えました、お父さんを失うことなしに」
 「…それは、やっぱり周りの大人の責任なんだべ。悟空さ含めな。おめえがいざと言うときちゃんとした判断もできないほどの子供であることを無視し続けてきたツケなんだ。失敗したときに、おめえが小さいから自分で処理できずに長く苦しむだろうことも無視してきたツケなんだべ。おめえが口では戦いたい、戦わなきゃって言っても、みんな、おめえが戦うの好きじゃないの知ってたくせにな。おめえは悟空さとは違うもの。強くなりたいなんて本気で思ったことないんだろ?
 だから、な、泣かないでもいいんだよ、悟飯ちゃん。おめえに責任がないとはいわねえ。でもそんなの、楽しく生きて、いつか立派な大人になってから返せばええ」
 むかしと同じように、白い手が悟飯の髪の毛を優しくなでた。さらに、涙が、仰向いてる悟飯の瞳にたまった。

 「ごめんね、おかあさん」
 「うん」母親の声の奥にも、涙がにじんでいるのがわかった。父親が死んでから、悟飯は母親にはじめてはっきりとわびたのだった。





 ひと時の後、母親は筋斗雲を呼んで、悟飯を無理やり「家出」させた。たまには、もうひとりの父親の顔でも見てこいと。
 飛び立つ前に、母親は言った。
 「あのな、悟空さも、ホントは神様になるかもしれなかったんだ。だから、あそこはおめえにとってもうひとつの家なんだぞ」
 なんか、神様とか言われちまって、おらもどっかで、いつかおめえがその役になるのかもとおもって、勉強勉強言ってたのかもな、そう母親は笑った。

 お父さんが、神様って。想像して、雲の上で悟飯は声をあげて笑った。
 久しぶりの筋斗雲に仰向けに身を横たえた。ひどく懐かしく、優しい心地がした。満天の星が線を引いて視界を飛び去り、悟飯の濡れた目を洗っていった。







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