このページはイラストレーターはるまきの、個人的なドラゴンボール版権小説置き場です。鳥山先生、集英社さんとは一切関係ございません。
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 ほれ、頼む、と夫からカメラを手渡され、チチはファインダーをのぞいた。

 「お母さん、もうちょっと待って。お父さんが上着脱ぐって」
 「わりいな、チチ。ちょっと待ってろよ。この服暑いな、天気いいから」
 ん、とうなずきながら、彼女は湖のほとりの萌える芝草の上で、まだファインダーをのぞいたままでいた。


 いつか、聞いたことがある。最前線に出る報道カメラマンは、ファインダーをのぞくと、現実感を失ってしまうのだと。自分が、不死身のもののような気がして、被写体に飛び込んでいってしまうのだと。チチはぼんやりとそんなことを思い、長いまつげを、ぼんやりとファインダーのガラスの上で瞬かせた。


 これも、本当に現実なのだろうか。本当に、存在することなんだろうか。だって、まるで、別人ではないか。うちのひとたちは。

 肩を並べて笑う2人をとらえて、シャッターが下ろされた。でも、目をつぶってしまったから、ともう一枚をせかす声がするまで、チチはそんな思いにとらわれて何をすることもできなかった。撮り終わった後ゆるゆるとカメラを下ろして、作り笑いを浮かべて夫にカメラを手渡し返す。


 「超サイヤ人で写真撮るのなんて初めてだもんな、記念だ、記念。次は母さんと悟飯で撮ってやるから並べ」そう明るく笑うその目は、この春の日の緑のような色。髪は、天に昇るような明るい金色。傍らの息子も同じ。
 おとつい、この姿で帰ってきたのに、まだ慣れない。なじめない。本当に、これは、10年をともに暮らしてきた自分の家族なのだろうか。あの深い色の黒髪と黒い瞳はどこへ行ったのだ。
 ひょっとして、自分だけが、なにか巧妙な罠に嵌められているのではないか…?この姿も、この夫が心臓を患っていたことも、世界が7日後滅亡の危機に瀕していることも、みんな、自分を騙すための誰かの意地の悪い嘘ではないのだろうか…?
 そう思いながらも、チチは、別人のようにたった一日で大きくなった息子の肩に手を回して、レンズに向かって完璧な笑顔を作って見せた。





 未来から来た少年が、告げたこと。それは、さすがに悟空のヨメとして人智を超えた世界に接していると自負しているチチにも、受け入れがたいものだった。夫が心臓を患い、薬を飲まないと死んでしまうこと。3年後に人造人間とやらが現れて、自分の知っている、夫の仲間である武道家たちを皆殺しにしてしまうこと。息子がそのとき死なないでいられるらしいのは良かったと思えるが、どっちみち殺されてしまうらしいこと。
 正直言って、ばかばかしいとチチは思った。勝手に未来から来ておいて、ろくでもない予言をして、ひとを担いでいるのではないか。薄情なようだが、チチは信じなかった。というより、そんな恐ろしいことを信じたくないのだった。それより、信じたくないのはもうひとつあった。
 「だから、3年後に向けて、修行させてくれよ。悟飯も一緒に」
 なにをぬかすか。チチは鼻に大きなしわを寄せた。
 勝手に死んで勝手に生き返って勝手に治って勝手に宇宙に行って、勝手に戦って勝手に帰ってこなかったくせに、何をまたいまさら勝手なことを言うのか。この目の前にいる自分の夫と言う人は。何をいまさら自分を信じて、息子を預けろというのか。こっちが地上で必死に生活してるうちに、勝手になにか途方もない存在になっているらしいくせに。
 自分を置いてきぼりにするのも、たいがいにしたほうがいい。どうせ家族を省みないなら、息子だってほっておけばいいものを。なんでこの子をそんな危険な世界にばかり連れて行こうとするのか。ますますこちらはひとりではないか。
 地球なんてどうでもいい。いいから、自分がやっととりもどした、この息子と自分との、2人のささやかな平和だけには手をつけてくれるな。もう、あんな何もない心の闇をさまようのはたくさんだ!

 「わ、わりい、チチ、オラ加減がうまく出来なくて…」
 腕にぐるぐる巻きに大げさな包帯を巻かれながら、チチは涙をかみ殺した。ぎゅうっと唇をかみながら。

 信じられない。
 なぜ、そんな勝手なことばかりする人を、自分は待っていたのだろう。待ち続けていられたのだろう。
 自分が信じられない。
 やっと会うことができて、この家に帰ってきてくれて、なんでこんなに、嬉しいと思うのだろう。包帯を巻く指先が触れただけで、なぜこんなに、心が震えるほどに、からだが熱くなるほどに、嬉しいと思ってしまうのだろう、もっと触れたいとこの男を求めてしまいそうになるのだろう…!
 「泣くのはいつだって女なんだ」
 しかし泣くまい、と必死に眉根にしわを寄せ、チチは女である自分を呪うように吐き捨てた。



 予言された人造人間との戦いは去った。敵はセルと言うものになった。夫と子供を修行に送り出し、また帰ってきたとき、今度は勝手に姿まで変えられていた。
 心の中で軽くため息をつきながら、チチは荷物をカプセルにしまい、夫が運転する帰途の車に乗り込んだ。






 運転をする傍らの男の横顔を見ながら、それにしても、と改めてチチは思う。
 (まるで、別人のようだな、結婚した頃に比べると)
 最初はいやがっていた写真を、自らカメラを構えて撮るようになったのはいつの頃だったろう。息子が生まれてからだろうか。妻である自分にも意外なほど、この人は子供を可愛がった。生む前はなかなかおなかの中の子供に関心を示さなかったのに、生まれると自分を手伝い、積極的に息子の面倒を見てきた。
 特に、宇宙から帰ってきてから、この人は写真を撮ろう、と家族に呼びかけることが多くなったかもしれない、とチチはぼんやりと思い当たる。あるいは会えなかった時間をこの人なりにさびしく思っていたのだろうか。
 免許を取ったのも、宇宙から帰ってからだ。たまに家族サービスのつもりだか知らないが、こうして自らハンドルを取って家族で出かけるようにもなった。

 「いいとこだったな。またみんなで行こうぜ」
 「ええ、」と後部座席の息子が答えて、なにか言いたそうにしている。多分、7日後の戦いについて、なにか思うところがあるのだろう。
 「そだな」とうなずきながら、やはりチチは思う。空を自由に飛んでいたこの人を、地上に縛り付けてるのは自分だ。免許を取ったのも、自分が筋斗雲に乗れなくなった、というのもおそらく理由のひとつなのだろう。
 今、目の前にいるのは、働くことも約束してくれて、まともな移動手段も覚えた、すっかり家庭的な顔を見せる男。望んでいたことではないか。素直に嬉しがればいい。でも、これはだれなのだろう。




 男の横顔の、結婚したときに比べて歳を重ねて鋭くなった顔のラインを目で追いかけながら、チチは、知っているものの面影を探り出そうとする。
 ふと指先が男の指先に触れ、ぴりぴりと流れる力の波のようなものを感じる。
 チチは気をほとんど操ることが出来ない。何回か教えてくれようとしたこともあったが、結局、結婚してからは主婦の生活に身を投じ、そこからこの男をわずかずつ変革させてきた。武道家としてはもう通用しない。でも、触れるところから、身にまとうものの違いはわかった。いつもの男と、自分の夫と、身にまとうものがまったく違う。

 やはり、別人のように思う。でも、ゆうべ、この気に包まれて、この別人のような男に抱かれて、いつにない悦びを感じてしまった。
 ゆうべの、不倫めいた、背徳めいた快楽を思い出して、後ろに座っている子供の存在を思い出して自制をかけながらも、チチはひそかに足の内側に力を入れて、切なげに男を見た。
 男は、緑色の目に、見透かすような色を浮かべて、横目で視線を合わせて唇の端でそっと笑いかけてきた。後ろの子供にわからないようにかすかに。

 狂ったように求め合う1週間の前触れだった。







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