このページはイラストレーターはるまきの、個人的なドラゴンボール版権小説置き場です。鳥山先生、集英社さんとは一切関係ございません。
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 「おかあさん、ネクタイ締めてくれませんか」
 悟飯は、自分と弟の部屋から顔をのぞかせて居間で忙しく支度をしている母親に呼びかけた。
 「ああ、ちょっと待って…はい、今行くだよ」母親が黒いハンドバッグの中身を確認し、ぱちりと銀の留め金をとめて歩み寄ってきた。悟飯の首にかかった黒いネクタイを細い指でとって、くるくると操り、きちんとした結び目を作って、きゅっとかすかな音を立てて締め終えた。
 「おめえももう16になったんだからそろそろ覚えといたほうがええだよ、今日は急いでるからええけど、また練習しとけな」母親が、悟飯を見上げてポン、と胸を叩く。
 「にいちゃん、かっこいい」足元で弟の悟天があこがれの視線で見つめてきた。白いシャツに灰色のズボン、黒いカーディガン。
 「しかし、サイズが合ってよかっただよ。悟空さ用につくった喪服だけど、ずいぶんしまってたけど虫も食ってなくてよかった。ちょっと樟脳くさいけど一日我慢してな」
 「はい」
 「じゃあ行くだよ」
 一家3人は、村の寄り合い所に向かった。初秋の道には萩とすすきがそろそろと夏から秋の移り変わりの隙間をついて腕を伸ばしてきている。昨日の雨で村の舗装していない道はぬかるみ、母親の黒いパンプスに、悟飯の履きなれない、もともとは父親用の黒いエナメルの靴にみっともない泥じみをつけた。弟のズボンのすそは早速汚れた。
 今日は、村の年寄りがひとり亡くなったので、一家は葬式に参列するのだった。



 
 葬式は何の滞りもなく終わった。小さな焼き場の煙が、青い空に上って薄くたなびいている絹雲と交じり合うようだ。どこかでトビが鳴いた。
 母親が、遺族である老婆と言葉を交わしている。大往生のせいか、遺された老婆の顔は晴れやかだった。母親も、すきっとしたような明るい顔でお悔やみを述べていた。
 悟飯は、弟の手をつないで焼き場前の小さな砂地に立ち、時折声をかけてくる村の年寄りに挨拶をしながら終わるのをじっと待っていた。
 「悟飯ちゃん、ちょっと後片付けをてつだってくれんかのう」
 声がかけられて、悟飯は弟を母親に託して葬式の祭壇のばらしなどを手伝いに行った。16の悟飯はほとんど唯一の村の若い男だったので、最近はたまに寄り合いにも母親とともに顔を出すようになっていた。この7年、母の実家や都に引っ越すという話もないではなかったが、結局一家がこの村にとどまったのは村になじんでいたというのが大きな要因のひとつだった。
 「悟飯ちゃんはええ若者になったのう」お隣さんの老婆が、祭壇の花を取り分けながら笑いかけてきた。その連れ合いの老人がうんうんとうなずいた。「ずいぶんたくましくなって。背も伸びて。お父さんを思い出すわい」
 「そうですか」悟飯は照れたように笑った。「僕なんかまだまだ子供ですよ」
 「16といったらむかしはもう大人じゃよ。出来れば悟飯ちゃんも村にとどまって、可愛いお嫁さんを貰って、この村を栄えさせてくれたらねえ」別の老婆がため息をついた。「でも悟飯ちゃんは学者になるんだから、いずれは大学になど通うようになって、村から出てくんだろうねえ。さびしいけど」
 そうなんだろうな、と思いつつ、今までそのように現実的な未来を思い描いていなかった自分に気づいて悟飯は自分で驚いた。
 今まで、村を出るなんて考えたこともなかった。母を手伝い、弟の面倒を見つつ、自主的に勉強をしてきていて、なんとなくその延長線上に学者と言う生活があるような気がしていたのだ。
 しかし、考えれば、確かにこのままでは無理なのだ。研究をするには設備の整ったところでなければならない。博士号をとるには、大学に行かないといけない。このあたりには学校すらなかったから、進路について真剣に教えてくれる人など今までいなかったのだ。

 自分の、未来。
 何の手本もない、誰も明確に助けてくれない、自分だけの未来。
 急に、悟飯は、自分がまた4歳の子供にかえって荒野に放り出されたような錯覚を覚えた。





 とりあえず手伝いを終え、供え物のいくばくかを貰い、焼き場の前に戻ると弟が母親にしがみついて泣いていた。

 「どうしたの、お母さん」驚いて聞くと、母親が首を振った。
 「ちょっとびっくりしちまったんだよな。大丈夫、大丈夫、悟天」母親が弟の頭を何度もなで、からだを抱き寄せた。「骨を拾って、ちょっとびっくりしちまったんだよ。6つだからもう大丈夫かな、と思ったんだけど」
 弟は顔を赤くしてしゃくりあげていた。葬式の間は、おとなしくさせるのが大変なほどになんだかわくわくしたような顔を見せていた。でも、遺体を焼いて骨を拾って、人が死んで肉体から離れたことを現実のものとして見てショックを受けたのだろう。悟飯も、しゃがみこんで弟の肩を抱いて、ぽんぽんと力づけるように叩いた。
 「大丈夫だよ、悟天」
 「にいちゃあん」弟の涙と鼻水が、黒いスーツを汚した。「にいちゃん、おとうさんも、あんなになったの。焼かれたの。お骨になったの」
 はっ、と一瞬隣の母親が顔をこわばらせた。
 「…おとうさんは、ああならなかったよ」
 「ホント?」弟が濡れた目で見上げてくる。
 「ホントだよ。おとうさんは」悟飯は周りで見守る年寄りをはばかってそっと声を潜めた。「おとうさんは、あの世でちゃんと体を持ってるんだ。焼かれてもない。熱くもなんともなかったよ」
 弟は、ちょっと疑ってるような目で悟飯を見た後、ようやく泣き止んだ。母親が鼻紙を出して、微笑を作りながらその涙でぐちゃぐちゃになった顔をぬぐった。
 立ち上がりながら、悟飯は、天を仰ぎ見ながら顔をしかめた。
 でも、ホントは、もっとひどいことになったんだよ、と、絶対言えない台詞を心の中で言いながら。
 母親が傍らに立って、鼻紙を差し出してきた。悟飯はそれを受け取って、汚された肩口をそっと押さえた。






 数日後。

 


 
 「んじゃ今日は2人で図書館行くんだな」朝飯の片づけをしながら、母親が背中越しに聞いてきた。
 悟飯はシンクの脇から重ねた皿を差し出してうなずいた。「うん、天気もいいしね」
 「そっか。筋斗雲でいくだか?夕方にはそろそろ寒いからな、気をつけてやってけれな」
 「うん、羽織るものなにか持たせるよ」
 「悟天は、どうだ」母親がスポンジに洗剤を追加しながら見上げてきた。
 「今は…もう大丈夫なんじゃないのかな」
 「そうか。やっぱりまだ早かったのかなあ」母親がため息をついた。「悟飯ちゃんがなまじしっかりしてたからなあ。あの顔だし、つい平気な顔してそうで。意外と繊細なんだなあ、あの子は」




 まったくそのとおりだった。悟飯だってたまに、弟が父親のように何でも笑い飛ばすような感覚で扱ってしまうときがある。でも、弟の中身は本当に普通の6歳児だった。自分の同じ頃より数段子供っぽい。
 筋斗雲に2人で乗りながら、悟飯は前に座らせている弟のすべらかな、でも意志の強そうな頬と眉の辺りを見下ろす。
 今、6歳。その頃は、自分はどうしていただろう。ああ、父親のことをじっと待っていた頃だ。でも、その前には、すでに半年間ひとりだけで生き抜いて、戦いに出て、宇宙にも出て、死にかけもしたんだ。人が頭とか腹とかを吹っ飛ばされるのだってずいぶん見てきたんだ。
 それに、あの頃は自分には同じ年頃の友達もなかった。勉強は楽しかったけど、そればかりじゃさびしかった。今はお母さんも全然うるさく言わない。
 お前は恵まれているんだぞ。
 ちょっと嫉妬じみたものが胸に浮かんだのを悟飯はあわてて振り払った。自分がそのように望んで愛情を恵んでいるのに、恵まれてる、も何もあったもんじゃない。
 

 そのような後ろめたさがわいている時に、不意に声がかけられた。
 「にいちゃんは、強いんだよね」
 「へ?あ、ああ…そうなんじゃないのかな」
 「強いから、死んだりしないよね」
 首を思い切り上げて、赤い目で背後の自分を見上げてくる。悟飯は苦笑した。繊細で甘ったれな弟はなんだかんだ言って可愛く、覗き込んでくしゃくしゃと頭をなでた。「ああ、大丈夫さ」


 「…でも、おとうさんは強いのに、死んじゃったんでしょう、戦いで。何で、どういう風に死んじゃったの」

 そのひとことがいきなり胸を衝いた。胸を貫かれた。悟飯は、いつかかけられた超能力のように、自分が固まるのを自覚した。
 青い空をざらっ、と風が撫でて、このあいだ短くそろえた髪の毛を揺らして耳元に、首にまとわりついてくる。

 狭まるのどを押し広げるようにつばを飲んだ。

 子供特有のある種の無邪気さ、ということはわかっている。でも、その問いに、理不尽な怒りのような悲しみのようなものがわいてきた。すぐさま、自分の中で抑えようとする。一瞬のうちに、心の中では数十手もの攻防があった。
 特に、この顔に、この髪に言われると、あの世から責めたてられてるような恐ろしさがあった。なにかを感じていたのか、この弟は自分にも母親にも、今までここまではっきりと問いかけてくることはなかった。何でいないのか、は聞かれた事はあるけれど、ここまでは。




 「おとうさんは」震えそうな声を必死で立て直しながら悟飯は言った。「宇宙一強かったよ。宇宙一。にいちゃんもお父さんに鍛えてもらったから強くなれたんだ。とても素敵な人だった。今でも、にいちゃんもおとうさんに会いたくて仕方ない。でも、仕方なかったんだよ、どうしようもなかったんだ」
 「仕方ないって?」
 声はそれでも震えた。でも、必死で弟の眼を見て笑顔で伝える。「セルって敵がね、自爆で地球を丸ごとふっとばそうとしたんだ。おとうさんが死ななきゃ、この世の中はなくなってたから。にいちゃんも、おかあさんも、トランクスくんも、死んじゃってたから。おとうさんが、遠いところに連れて行って、地球は無事なようにしてくれたんだ。でも、おとうさんは、それでね。ドラゴンボールでも、もう生き返れなかった」
 ドラゴンボールの事は、たまに話をしていた。母親からも、周りの仲間からも思い出話として伝えられていた。父親の昔の冒険とともに。
 「おとうさんが、たすけてくれたの」
 「うん、みんなをね。だから、悟天、お前もここにいるんだよ」どうしても笑顔になりきれない顔を隠すために、弟の頭をまたかき回した。
 「そっか。おとうさん、すごい人なんだね」きゃっきゃと喜びながら、弟が明るく納得の声をあげた。
 「そうだよ、だから、悟天もしっかりしなきゃな」
 「うんっ」

 その顔を見て、悟飯の心の中に、続くべき言葉がわいてきた。わいてきた言葉に、自分の道がはっきりと見えた。いつか、言わないといけない言葉だから、きっとわいてきたのだ、と納得した。

 悟天。その内にいちゃんが家からいなくなっても、ちゃんとやっていけるように、しっかりしなきゃな。


 でも、今すぐは言えなかった。






 夕食の後、母親と悟飯は少し明かりを落とした食卓で向かい合っていた。

 弟は出かけて疲れたのか、すでに眠りについている。卓の上には、図書館で借りてきた大学の案内、進路ガイドシリーズがあった。母親が、見るともなくそのページを細い指でもてあそんだ。
 「うん」しばらくそうやって考えた後母親が目を閉じ長い息を吐き、微笑んでうなずいた。「そうだな、いずれな、近いうちに」
 「僕がいなくても」
 「そんなの気にするこたあねえだ」母親が立ち上がり、締りが悪くて最近しずくが漏れ出しがちの蛇口を強くひねる。さっきからほとほとと空のシンクを叩いていた音がやんだ。「悟天が手元にいるだけでもありがてえことだべ」
 一人で残されるよりは。
 母親の横顔がそうつぶやいているようだった。その顔に、10年もむかしの母親の面影を思い出す。戦いから解放され、飛行機の上で、毛布に包まれて目覚めたときの母親の必死の顔。あの時、母親もひとつの戦いから解放されたのだった。
 「でも、おらは臆病だっただ。いずれは、とわかってた。そのために、ちょっとずつ金も貯めてきた。なのに、ずっとおめえに言い出せなかったんだから」
 「…お金を?」
 「おっとうから、結婚してから月にいくらかずつはもらってた。まあできるだけ少ない額だったけど。情けない話だけどな」母親がまた椅子に座って、頬杖をついた。「その中から少しずつ、な。悟空さも知らねえことだ。半分意地のようになって貯めてたからなあ、大学にいける分くらいはちゃんとある。いつかその時が来たら、ちゃんと包んでやるだ」

 悟飯は母親を見た。母親はずっと家計が苦しい、苦しい、と言ってきた。それは当然だろう、父親が働かない人だったのだから。父親が死んでからも、子供二人を抱えてこんな田舎から働きに出るどころでなく、一家は祖父の財産で食いつないでいたのだった。
 でも、母親はそれをずっと恥ずかしい、と思っていた。お嬢様育ちなのに、人に頼り切るという生き方が出来ない人だ。そのプライドにかけて、学費まで祖父に頼るのはどうしても出来なかったのだろう。むしろ学費を捻出することだけが、母親としてしてやれることと思っていたのかもしれない。戦いに出ている間も、修行してる間も、そうして金を貯めることだけが、望んでいた平和な平凡な未来へ続く行為と信じて。



 母親は、弟を産んでから、小さくなった、と悟飯は思う。
 それは単純に自身の背が伸び、彼女をいつしか見下ろすようになったから、だけではなく、若い頃に張り詰めていたものがすぱすぱと面取りされて、優しい側面が際立つようになってきている。
 36歳。まだ、老いと呼ぶには早い。母親は今でも十分美しかった。でも、肌の張りとともに、そっと失われつつあるものを感じて悟飯は心の中で嘆息を漏らす。この人は、これから、どういう風に生きていくのだろう。自分がこの家を去ったあと。まだ小さな弟と二人で。
 感謝のような、憧れのような、苛立ちのような、哀しみのような気持ちが胸を締め付けた。


 「とりあえず、まずは高校に行ったほうがええな」母親が立ち上がった。「もう秋で新学期が始まっちまってるから、来年の春あたりで」
 「それで、お願いします」悟飯も席を立った。
 「服とか用意せねばな、悟空さのお下がりとかだけじゃもう足りねえし。似合うものも違うからなあ。また今度一緒に買い物に行くべ」
 「たまには、また昔みたいに2人でどうですか」
 ちょっと目を丸くしたあと、母親が嬉しそうに笑った。「そうだな、たまには悟天に留守番させて、デートでもしてみるか、こんな風に腕でも組んで」
 母親が肩を並べ、腕に手を絡めてきた。並んだ母親は、やはり小さく、やはりあの時必死の形相で抱きしめられたときと同じに温かかった。


 「悟飯ちゃん、立派な学者さんになるだぞ」
 「はい、おかあさん」



 親子は顔を見合わせて声をあげて明るく笑った。小さい頃あれだけ毎日言われた台詞。久方ぶりに交わした同じ台詞からは、少しの哀しみを帯びながらも果てしなく拓けている未来がはっきりと顔をのぞかせている。
 小さい頃自分自身で選んで宣言した、そのあとも幾多の戦いを超えて憧れ続けてきた、自分で掴み取るべき自分だけの道を、悟飯はきっぱりと頭を掲げ進み始めた。







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