このページはイラストレーターはるまきの、個人的なドラゴンボール版権小説置き場です。鳥山先生、集英社さんとは一切関係ございません。
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 悟空が、自分が家にいなかった年月を思い知ったのは、そのピアノの音を聞いたときだった。

 
 宇宙から帰ってきて10日ほども過ぎた。明日はいよいよ大晦日だ。雪も降ってきたので早めに切り上げて息子と帰ってきた。
 さすがに大晦日から正月3日までは修行は休もう、と打ち合わせてあったので、今日が年内の最後の修行だった。悟飯は家に来るように誘ったが、ピッコロはもう少し温暖な地でひとりで年を越すつもりらしく南のほうへ飛んでいった。
 早く風呂に入ろう、などと話しながら親子は家路を急いだ。確か昨日風呂には、ゆずの皮をネットに入れたものが浮かんでいた。あれはなかなかいい匂いがして乙なものだ。冬になるとたまに村の人からもらったゆずでチチがしてくれるのだった。今日も香りが残ってるだろうか。

 コートを羽織っているとはいえ、ほとんどノースリーブの胴着の上にそれ一枚ではさすがに寒い。氷点下に近い大気のなかぼたぼたと舞い落ちるボタン雪の中を急いで飛んで、家の上空についた。家からは、シチューの香りがしている。ああ、家に帰れた、よかった、と悟空は思う。妻はまだ機嫌を直さないものの、料理は前のとおりおいしかった。むしろ前よりもおいしくなったかもしれない。それは家にいなかったせいで、多少補正がかった評価かもしれないけれど。
 と、悟空は耳をそばだてた。
 「あれ、何の音だ」
 並んで家の前に降り立った息子に尋ねる。
 「ピアノだよ?」息子が不思議そうに答える。
 「それくらいわかるさ。でもおめえはここにいるじゃねえか。あれは悟飯、おめえのピアノだろ」
 「ああ」悟飯は笑ってドアのノブに手をかけた。「あれ、お母さんが弾いてるんだよ」悟飯は修行のときは一応師匠ということで敬語を使ってくるが、家に帰ると普通の6歳の子供のようにしゃべるのだった。ただいま、と悟飯がドアを開けると、素朴で優しげな旋律がやんだ。

 ドアの中をのぞくと、お帰り、と妻が子供に笑いかけていた。寒かっただろ、先に風呂に入ってくるだ、と優しげに声をかけている。悟飯が手を洗いに洗面所へかけてゆく。
 「ただいま」悟空もドアをくぐった。
 「おかえり」チチが、保温鍋の中で湯気を立てているシチューをかき回しながら、軽く微笑んだ。でも、やはりあまり眼をあわそうとしない。

 2人の関係は一進一退、と言う感じだった。表面上は悟飯の手前もあり、普通に一緒の寝室で寝て普通に起き、普通に家族の団欒、というやつをやっている。でも、透明な壁があった。悟空を近づけることを、余計な話をさせないための壁があり、それは悟飯がいないところになると厳然と立ち現れる。触れることは、その壁を乗り越えてからだ。いっそ無理にでも触れたほうがいいのかもしれない。でも、ありていに言えば恐ろしかったのである。帰ったばかりの頃少し触れて拒絶されたことが尾を引いて、その恐れは日を追うごとに強まっていった。
 新婚の頃だって、こんなに触れる事は恐ろしくなかった。でも、あの頃は、彼女が心を開いてくれていたから一旦自分が心を決めてしまえばたやすかった。今は、そうではないのだ。



 「手、洗ってきたらどうだ。悟飯ちゃんに今風呂にお湯はらせてるから、もう入れるだ」
 そう促されて悟空は洗面所に向かった。隣の風呂場では悟飯がカランに手をやって、浴槽にたまるお湯の温度を按配していた。

 「母さんが弾いてるんか、ピアノ。悟飯はもうピアノ習ってねえのか?」手を拭きながら悟空は尋ねた。
 「うん。サイヤ人との戦いでずっとお休みしてたし、やめちゃったの。こないだまで塾は行ってたけど、今は何もしてないよ」
 「そうかあ」すのこの上で干しているゆずの皮の香りが、湿気をまとってまた浴室にふんわりと滲みだした。あんなに一生懸命いろいろさせてたのに。自分がやめさせたくせに、いざそういう事実を教えられると、悟空の胸にもったいない、悪いことをした、という気持ちがわいた。確かに、自分は勝手ばかりだ、と悟空は思う。
 「お母さんが、その代わりに、弾いてあげてるんだって。おじいちゃんに買ってもらったピアノだから、誰かが弾いてあげないともったいないって」
 「あそこの教室行ってるんか」悟空はゆずをネットの中に入れて、浴槽に放り込んだ。
 「ううん、自分で勝手に弾いてるんだって。でも上手だよね。おじいちゃんがね、お母さんが、ボクたちのいない間いっぱい弾いてたからうまくなったっていってた」

 悟空は、黙り込んだ。素足でタイルに立っている足の裏から、冬の冷たさがじわじわとからだの奥深くに侵入してくる気がした。

 「お父さん、入ろう」悟飯が悟空の胴着のすそを引いて笑った。親子は服を脱いで浴槽につかった。じっと考え事をしている父親に、息子はひざの上で背を向けながらあのね、と話しかけた。でも、ちょっと考えた後、なんでもない、と首を振った。





 大掃除とご馳走作りに31日は朝からばたばたと費やされて、午後を大分回ってから一緒に年を越すために義父がやってきた。2日になったら一家揃って今度はあちらの城に行く予定だ。言いつけられた仕事をなんやかやと終えた悟空が、落ち葉を集め終わった玄関先ではるばるエアカーに乗ってきた義父を出迎えた。

 「おう、おっちゃん」いまだにおっちゃん、である。ずっとそうなのでいまさらオトウサン、などと呼ぶのも面映い。でもそれを笑って受け流してくれるこの義父の懐の深さが悟空は好きだった。帰ってきたあとに、一応チチに電話はかけさせられて短く言葉は交わしていたものの、一年半ぶりに顔をあわせたのでひどく久しぶりだった。
 「おう、久しぶりだな、悟空さ。無事で帰って来れてよかっただな」黒い大きなウールのコートを着て、頭にいつもの牛の角の飾りをかぶって微笑む義父は本当に黒い大きなやさしげな牛のように見えた。「いろいろ大変だったそうじゃねえか」
 「まあな」
 「おじいちゃん、いらっしゃい」悟飯が片付け途中の本を抱えながら、玄関口に走り出てきた。
 「おうおう、悟飯、じいじが来たぞ」この孫にめっぽう弱い義父がでれでれと笑った。「いろいろ土産を持ってきたからなあ」
 そこに、「ああっ」とチチの悲鳴がした。どうした、とドアからキッチンを覗き込むと、エプロンで手を拭きながら言われた。「しまった。おとそ用のお酒を買うのを忘れただ。悟空さ、ちょっといつものスーパーで買ってきてけろ」
 「いいぞ。庭は終わったからな」
 「ちょっと待っててけろ。今買ってきてほしい銘柄書くから、店の人にそれを見せるだよ」
 「チチよ、おらも一緒に車で行ってくるだよ」義父が声をかけた。「たまには違う酒もいいべさ。おらの仕事で付き合いのある酒屋がここの近くで、今日もまだやってたと思う。挨拶代わりちょっといい酒を買ってくるだ。金はおらが出してやるべ」
 「そうだか、じゃあおっとう、お願いするだ。ありがと」
 「悟空さもちょっと着替えてこい。一応仕事関係のひとのところ行くんだから、胴着じゃなんだからな」
 そこで悟空はチチの選定のもと、少しはまともな格好をした。白いゆったりとしたシャツに毛糸のこげ茶のベスト、カジュアルな柔らかいグレーカーキのパンツに濃いグレーの薄く縞の入ったジャケット。上に黒いウールのコート。新婚の頃ばらばらにあつらえたがこうしてまとめてちゃんとした格好としてきるのは初めてだった。




 「なかなか似合うでねえか。カッコええだぞ」
 冬の夕方の、雪が降りそうに暗い田舎道を、義父と悟空を載せたエアカーは進んだ。風除けのために幌をかぶせているので寒さはマシだったが車の中は暗く、もともとがオープンカーなのでエアコンが無いので、二人の息は白かった。
 「ついてきてくれるのはありがてえけど、オラこんなカッコするの苦手だな。おっちゃんだけで行っても良かったのに」
 「まあまあ」義父は運転席で前を見たまま微笑んだ。ヘッドライトが点灯した。
 その言葉を聴いたとき、なんとなく悟空は察した。なので、しばらく黙ったあとで、言った。



 「おっちゃん」
 「んー?」
 「ずっと、留守にしてて、悪かった。ごめんな」
 みぞれ交じりの雪が天から落ちてきて、フロントガラスに白い痕を残し始めた。

 「まあ、おらは別にいいんだ。チチがな」義父が前を見たまま笑った。
 「そうだよな」悟空も前を見たまま、助手席のシートに深く身を沈めた。
 「チチにはちゃんと詫びいれたのか」
 「入れようとしてるんだけど」
 「入れさせてくれねえってか」
 「…」
 「あれも頑固だからな。あいつのおっかあそっくりだべ」


 冬枯れた並木道を抜け、柿の木がわずかに実を残す棚田の道を抜け、しばらく行くとエアカーは小さな町に差し掛かった。町の中心部で赤信号に捕まった。ワイパーがしきりに動いて、みぞれに湿ったフロントガラスに水の筋をさかんに残している。
 

 「チチのかあちゃんって、チチに似てたか」悟空は尋ねる。もうはるか前に死んだという、妻の母親の事を聞くのは初めてだった。
 「そっくりだなあ。顔も性格も。おとなしそうななりして、自分が正しいと思ってることには絶対ひかなかったなあ。喧嘩したら何日でも口きいてくれなかったな。そういう時はもうじっとあっちの機嫌がなおるまでおとなしくしとかなきゃなんねかった。でもこっちがびくびくしてたら、あっちは小心なもんだからもっと声をかけづらいからな、男らしく、いつでもどんとこい、したら正々堂々謝ってやるって顔でいなきゃいけねえんだ」
 「…」
 ちょっとの沈黙の後、義父が話題を探すように続けた。「チチのピアノ、もう聴いたか」
 「うん。うまかった」
 「あいつもな、…チチの母親だけどな、趣味にしてたんだべさ。チチが2つか3つの頃にあいつは死んじまったけど、チチもどっかであいつがよくピアノ弾いてたの覚えてたんだろう。城が燃えて、あいつの弾いてたピアノはなくなっちまったけど。だから、弾いてれば、せめても、な。一時期はひどかったから。お医者様もすすめてくだすったんだ。音楽療法、ってやつか。歌ったり、楽器弾いたりな」

 また車の中は沈黙に包まれた。

 信号で右折して町を抜け、また道は山道になった。道端にうわっているすすきがざわざわと波打って雪が激しくなってきた。不意に、もうつくぞ、と義父が言った。


 「オラ、もっと早く帰ってくればよかった」
 悟空のつぶやく声が、幌に落ちる雪のようにかすかに車内に流れた。義父が、前を見続けたままで、そっとささやくように答えた。
 「それは、いまさら言っても仕方ねえことだべ。おらも、確かにチチの親として、おめえに何も思ってないっちゃ嘘になる。でも、おらも男で、武道家の端くれやってたから、悟空さ、おめえの気持ちもわかるんだ。おめえは必死で修行して立派なことをした。それだけでおらにとっては、おめえは自慢の息子だ。そんで、帰ってきたかったから、時間はかかったけどこうやって帰ってきてくれたんだろ。帰ってきたくなかったら、とっくにどっかの宇宙で楽しく戦う旅にでも出てるさ。おめえはそういう男だからな。なに、一回死んで帰ってこれただけマシと言うものだ。あいつは、帰って来れなかった。それで、おらは、長いこと酷いことになってしまったままだったから」
 「…」
 「チチも判ってるさ。でも、強情だからな。悟飯のこともあるし」
 「…わかってくれるかな」
 「おめえらしくねえな。そのうち、何とかなるべ。まあ、悟飯もゆんべ電話で心配してたし、できたら早めにな。そら、ついた」
 山間の一軒の古風な家の前で、車は止まった。庭に駐車し、2人は車から降りた。
 「おらひとりで買ってくるだ。おめえはちょっとその辺で待っとけ。な、悟空さ。おめえは宇宙一の男だろ。しっかりしろ」
 肩を叩いて、義父がからからと玄関を開けて中に入っていく。

 うつむいてたたずむ足元の砂に、柔らかな雪が大小の灰色の痕を残した。悟空は黒いコートのポケットに手を突っ込んでじっとそうしたままでいた。コートの肩に白い雪がぼとりぼとりと、落ちては消え、落ちては消えを繰り返した。
 しばらくして、悟空はひとつ鼻をすすって、足元のしみをつま先で踏み消し、義父の入っていった玄関に向かって大股で歩いていった。






 年が明けた。義父の買ってくれた酒はさすがにおいしく、正月のご馳走も箸がより進んだ。
 未明には雪もやんだので、義父の運転で4人でご来光を見に行った。

 2人で岬に立って海から昇る太陽を待つ妻と子を、義父と一緒に後ろから眺めながら、悟空は聞いた。
 「車って、乗るの難しいかな」
 「あん?…ああ、そうか、いや、そうでもねえさ。まあ、仲直りしたら、ドライブにでも連れてってやれ。きっと喜ぶだよ」
 「そうする」
 どちらも黒い、そろいのようなコートを着た男たちは、海風に髪をなびかせながら目を見交わして笑った。妻は、自分が死ぬ少し前にはすでに雲には乗れなくなっていた。でも。それでも、それだからこそ、新しく始められることがきっとたくさんある。
 金色の光が冷たい海の風を突き抜けて、一家を照らし始めようとしていた。






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