このページはイラストレーターはるまきの、個人的なドラゴンボール版権小説置き場です。鳥山先生、集英社さんとは一切関係ございません。
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蒼月カナン様主催の2009DB無印祭協賛小説です。


芝蘭之化






 ただ強くなるなら良い。それは楽なことだ。何も考えずただひたすらに肉体を使い、酷使し、技を鍛錬すればよい。
 人を憎むも簡単なことだ。おのれの辿ってきた、その面白くもない人生に思いを至らせればよい。おのれの強さを盾に周りを見下していれば良い。

 だけど、それを今更止めろと言われれば…欲すれば、今まで築き上げてきた20年弱の「おのれ」と言うものはどうなってしまうのだろう?

 

 

 「さあさあ、起きてくださーい。朝ごはんの準備をしますよー」
 その軽やかな女の声にまず額のひとつの眼がうっすらと瞼を上げた。ついで開けた残りのまなこは、酷く床に近いところからゆらゆらとたゆたって、まず隣に寝ていた弟弟子のいつもの白い顔を捉えて安心した。世界は金色に、少し柔らかくかすんで見えた。いつもと違う、甘いような潮の香りがした。
 雑魚寝をしていたリビングの絨毯の上に身を起こすと、見慣れない人影が見えてびくりとした。弟弟子の餃子の向こうに、黒髪の大柄な体躯。その向こうに小柄な禿頭。少しの間の後経緯を思い出して力を抜く。そうだ、昨日あの神の龍とやらを呼び出した後もう一泊とせがまれ結局居残ったのだったっけ。
 「おはようございます。すぐ朝ごはんにしますから」
 振り返ると濃い髪の色の、白いシンプルなエプロンをつけた清楚な女が台拭きを手ににっこりと微笑んでいた。まだ上手く動かない顔で微笑を作ると頬の傷が少し痛んだ。
 「手伝いましょうか」
 「いいんですのよ、お客様ですから。お顔、どうぞお先に洗ってきてくださいな。表、凄くいい天気ですわよ」
 昨日の金髪の、自分を必死に引き止めた女ではない。昨日そういうひとなのだ、と聞きはしたがまだ納得は行かず、胸の奥の何処かが安堵したような物足りないような変な気分だった。弟弟子を起こして洗面を済ませ、網戸の戸を開け表に出ると、周りすべてが一面の、少し海霧を纏わせた金色の海だった。
 「お、起きたかの」
 「おはようございます」波打ち際で亀に腰掛け煙管をのんびりとふかしているその人に挨拶をした。帽子を脱いでいた弟弟子も何処か戸惑いつつ一本だけ毛の残った頭を下げる。なにせつい先日まで師匠の憎きライバルだった老人である。いまだ幼い弟弟子にはまだわだかまりが残っていても仕方のないことなのかもしれない。
 老人は白い鬚でやさしげに微笑んで、よっこらしょと腰を上げて亀とともにのんびりと中に入っていった。入れ違うように松葉杖をついた男と剃髪の少年が出てきた。

 「朝飯を食べたら行くんだろう」
 「ああ」男に肯いた。「とりあえず、対岸まで運んで欲しい。俺たちはそこから修行の旅に出ようと思う」
 「そのことなんですけど」剃髪の少年がひとさし指を立てた。「提案があるんです。みんなで、行ってみませんか?」隣の弟弟子が首を傾げると、少年は向き直って得意気に笑って続けた。「昨日武天老師様に聞いただろう?カリン塔にさ!」
 「悟空もカリン塔に登ってあれだけ力をつけたって言うだろう?俺たちも登ってみない手はないさ」
 男がさぞや女好きのする顔だろうというような爽やかな微笑を朝の光に照らしあげる。白い歯がきらりと光った。「どうだ?一緒に」

 彼はそのあまりに眩しい様なさまと言葉に顔をしかめた。しかしそんなことストレートに言うのもどうかと断りあぐねていると男がにやりと笑う。
 「嫌ならいいんだぜ?でもこの足を折ってくれた侘びくらいはしてもらわないと。付き合えよ」
 「ヤムチャさん、それは」
 「冗談だよ。まあ嫌ならいいってのはホントさ。でも気が向けば…そうだな、この足が治るくらいの6月の頭に西の都まで来てくれ。クリリンも来い。そこから西の果てのカリンを目指そう。もちろん、乗り物とか使わず、悟空みたいに走ってだ!」
 それには答えなかった。もの問いた気な弟弟子の視線を感じたが、後ろを振り返ってさっきからさらさらと音を立てていた椰子の木を見上げた。大きな幹に生えた繊維と、上の方の細い葉がなめらかに南国の未明の空に滑り波の光を宿して揺らめいている。風にさらりと形を変える。一瞬うっとりとそれに見とれていると、二階のほうから大声がした。
 「朝っぱらから何考えてんのこのジジイとブタは!着替えるんだからさっさと出て行ってよ!」
 男が肩をすくめて松葉杖を危うげに砂に差しながら戻っていき、彼らもそれに続いて禿頭を並べて味噌汁の香り漂う中へと入って行った。

 

 

 

 久しぶりの西の都は大雨だった。鉄道でやたらと先進的な造形の中央駅に降り立つと、そろそろ傷み始めた自分たちの服とあまりにそぐわずそわそわした気分になった。途中で店に寄って食料などを補充し昼を食べた後二人で指定された場所へ向かう。時折下の道を水溜りを派手に揺らしあふれさせてエアカーがゆく。
 街路樹のマロニエの白い細かな花弁が道に落ちてまだらの模様を作っている。彼の少し前を、編み笠をかぶって行く弟弟子が雨靴にその花弁をわざとつけて遊びながら歩いていた。
 「その辺にしておけ、餃子。服が濡れるぞ」
 「平気」高級住宅地へ抜ける上り坂の信号で立ち止まり、弟弟子が先ほど街の中心部で購った細い揚げ菓子を齧り答えた。「歩くと楽しい。天も浮くなと言っただろう」
 そうだな、と息をつきながら肯いた。歩くより先に超能力を使いこなしていた弟弟子はついつい通常の移動にも浮かんでしまうのだが、この旅に出てからは足腰を鍛えるためにとずっとその足で歩き走ることを厳命してきたのだった。背の高い自分と背のひときわ低い弟弟子ではどうしたって足の長さに差があるからそれを始めた頃はペースを掴むのが大変だったし酷いまめも出来ては潰れした。あの島を離れて半月以上、文字どおり野を越え山を越え、最後は乗り合いや鉄道まで使ってなんとか期日までにこの西の都までやってこれた。
交差点の信号前の水溜りが花弁をいっぱいに浮かべて不自然な渦を巻いている。また遊んでいるのだろう。激しい雨に、通りは人影もない。赤い光が昼なお暗いあたりに妙に眩しく自然に沈み込んでいる。
 「本当にあいつらと行くか?」
 並んだ横で見上げてきたその編み笠から雨粒がぼとぼとと滴った。青になった信号を歩き出すと、弟弟子はぴょんと水溜りの中に飛び込み盛大な水しぶきを上げてからまたぱたぱたと大またに歩く自分を追いかけ歩き始めた。

 指定された、なにかの商業施設と思しきビルの前に着くと、待ち構えていた亀仙流の二人が巨大な玄関の前で佇んでいた。見送りは誰一人いなかった。そのような旅立ち。
 雨の多い旅程だった。この地方はこの季節はこんなものだ、もっとも俺もあんまり実際暮らしてたわけじゃないけど、と男が笑う。4人はまだ完全には癒えていない男の足を慮りながら、最初の日は半日がかりで歩いて西の都を西に抜ける寸前まで進んだ。この先、大河に架かる橋を渡ればもう行政区としては都ではない。そこらへんで適当に宿を取り、適当に食べてそれぞれ泥のように眠る。雨の中を行くのは実は結構疲れることなのである。
 2日目も雨だった。ひたすら合羽に身を包みながら歩く。一列に、いまだ無くなってはいない大型のトレーラーが列を連ねて行き交う道の脇を行く。その音と雨音とで、誰かが何かを言ってもほとんど聴こえないくらいだ。この道は西エリアの大動脈である。都を育てた大河のやたらと長い大橋の手前で、道は半分は北へと折れ不毛のノースウェストへと続いていく。一向はそのまま西へと向かった。この道は目指す西の大森林帯の前で南に折れ、西南の亜大陸、サウスエリアへの重要な経路へと変化することになるだろう。
 橋の途中で彼は振り返った。亀仙流の二人はかなり遅れている。男のギプスは取れていたが、中で落ちてしまった筋肉がまだ強張り上手く動かないようで歩く動きもまだ何処か不自然だった。昨夜は宿でも着くなりぐったりとして口数も少なくすぐ部屋に引っ込んで行ってしまった。
 いま一人の少年の方は、男の分の荷物も小さな背に重ねるように担ぎ、まるで貧しい村の徒歩(かち)担ぎのような有様だ。雨避けのために水色のビニールをすっぽりと大きな荷に被せているのがひときわ惨めを誘った。しばしば後の男を立ち止まって待ち、その度に首を横に振られてその度にゆっくりとまた歩き出すのだ。
 大河は長い長い流域から集めてきた泥水を集め、轟々と茶色に欄干の下で渦を巻いていた。さまざまに流れていく正体も知れぬものをぼんやりと眼で追っていると頭の中に声が響いた。
 (天、あいつらだらしない)
 それには答えなかった。
 (先に行こう。『ここはよくない』)
 眼を瞬くと、両岸のスピーカーからけたたましいサイレンの音が暗い空を劈(つんざ)き始めた。『ただ今川の警戒水位を超えました。徒歩の方はなるべく早急に渡りきってください。まもなく橋を封鎖いたします』
 はっと振り返った。ついで橋の前を見た。弟弟子は宙に浮かび、まっすぐに雨をついて向こう岸を目指し始めている。もう一度振り返る。丁度橋の真中の辺り、少年が必死に男の手を引こうとしているが男は思うように急げない。
 「餃子!」
 呼んで、一瞬躊躇した。額の眼に雨水とも汗ともつかぬものが入って痛みを覚えてその感覚に急に突き動かされた。荷を担ぎなおして駆け戻った。目を見開いた男の肩を担ぎ上げる。男の合羽の表面の水が自分の蓑の下の黒い上着にべとりとにじんだ。それと同時に覚えた胸の中の何かしらを誤魔化すように怒鳴った。
 「急げ!」
 駆け出すとまわりにざわり、と妙な感触がした。上流を見ると水害でも起きたのだろうか、陋屋をいくつか巻き込んだ土砂の塊が猛烈なスピードで流されてくる。石造りの古い様式の橋は一見耐えうるほど丈夫には見えた。だが万一のことがあれば。
 必死に足を動かした。が、担いでいる男の引きずっている足が地を不定期に蹴ってなかなか思うようにスピードが出ない。その間にも土石流は河岸を怒涛で洗いながらどんどんと近づいてくる。周りの大型車が慌てて急ブレーキを踏んで危うく多重衝突を起こしかける。

 衝撃を予測して身を伏せようとした時、不意に体が浮かんで前へ飛んだ。背後でどぉん、と音がして空気が揺れる。宙で振り向くと橋に泥の波濤が大きなしぶきを作って、人々が車の陰で身を伏せているのが見えた。対岸の道路脇に突っ込む寸前抱きかかえていた男を庇いながら受身を取った。

 身体を起こしながら橋を見やる。ぐらぐらと橋自体がしばらく揺らめいているように見えた。が、だんだんとその波形は収まって行った。橋の上も泥水にまみれはしたものの、少し水をかぶっただけのようで特段の騒ぎにはなっていないようだから誰かが流されたりとかはないのだろう。
 「び、びっくりしたー」荷物に押しつぶされるようにひれ伏した少年がどっと疲れた悲鳴のような声をあげた。「あぶねええ。いきなりビュン、って飛ぶんだもの」
 「今のは、お前か?」男が足を庇うように身体を起こしながら平然と白い顔を雨に晒している弟弟子に聞いた。
 「うん」
 「超能力、ってやつか」少年が肩の力を抜いた。
 「うん」
 「サンキュ。…助かったよ」少年は泥に濡れた剃髪をなで上げて無邪気に笑って見せた。「危ないとこだった。すげえな」
 向けられた素直すぎる…まるでこの間の戦いのことを引きずっていないかのような素直な賛辞に、弟弟子はちょっと唇を尖らせてそっぽを向いた風な表情をした。それはそうだ。この弟弟子にとって、その能力は生まれた時から自分の枷であり親を失うことになった孤独の原因であり他人を畏怖させる手段であり末は殺戮のわざとして磨いてきたものだったのだから。
 「お前も」男が歯を見せて笑った。「担いでくれてさ。もうそんな痛くないんだけど、急げないから危ないところだった。有難うな」

 一瞬どう答えたらいいものか迷った。いまだ激しく打ちつける雨が編み笠の取れてしまって晒された禿頭を叩いていく。視線を感じ見やると弟弟子の丸いまなこにぶつかった。無表情の中にある自分と同じ戸惑い。自分と響きあう心のうち。異質な波紋に揺れ動かされる心の水面。あの老人と戦った時と、あのピッコロを倒した少年と戦った時と同じように…!
 唇をゆがめるように微笑みのような表情が我知らず顔に浮かぶ。弟弟子がそれに似たような顔で、鏡のように微笑み返して、初めて自分がそういう顔をしているのだとわかる。思わず荷を拾う振りをして顔を伏せると、いきなり豪快な2つの笑いが降ってきた。
 「あーあ、ドロドロのビショビショ。お風呂入りたいですねえ」
 「まあこれで貸し借り無しってことにしとこうぜ。…ってか、もともとピッコロに立ち向かってくれた時点で、貸し借りなんかとうに無いのさ。な?」
 そうですとも、と言う明るい声。さあ、橋も大丈夫みたいだし行こうぜ、という力強い声。顔を上げているうちに彼らは身軽に起き上がり、さきさきと歩き始めて行ってしまう。
 まだ佇んだままの弟弟子を見る。弟弟子も自分を見る。慌てて立ち上がると靴の中で水がジャプリ、と音を立てた。脱いで流しだし、穿きなおす。もう片方も。
 前を行く2つの背中に、あの島の明るい陽光が重なった気がした。道はいまだ暗く、大型車の赤いテールランプが幾重にも連なって不吉なように行く手を照らしているのに。


 『鶴仙人のように人に嫌われながら過ごすのが好きか?』
 『明るい道を進んで大物になれよ』

 あれが、「明るい道」というものか。あれが、その道なのか。
 自分たちはそこに行けるのだろうか。本当に、ついこの間まで心の芯から真逆の昏(くら)い道を憬れていたというのに。

 『おぬしも愚か者ではない、お前さんは悪人になり切れやせんようだし』

 立ち止まり振り返る人影を大股で追い始める。弟弟子が雨を蹴立てながら自分の後を追い始めた。手を伸ばして指を掴まれた。その手を握り返す。

 ああ、置いていかれるものか。

 

 

 

 幸い西に進むにつれ雨は少なくなっていった。日を重ねるごとに男の足どりもしっかりとしはじめ、余裕が出てきたのか宿でもよく喋るようになってきた。
 「だからもうそんな気遣ってくれなくたって大丈夫だ」1週間目、宿の食堂で鍋をつつきながら男が言った。みなカプセルハウスを買うほどの金も持っていないので旅ではいつも適当に安宿を取っている。学生が貧乏旅行で使うようなところだ。自然周りも、何か大学か高校のクラブの合宿なのか賑やかな笑い声が響いている。
 いつも飛込みではあるがシーズンオフなので、今まで泊まるに困る事はなかった。料金は全部出す心積もりでいたのだが、年長者がそれぞれ折半してきた。だがこの先の少し大きな川を越えれば宿も乏しくなる。もう西の大平原地帯ではなく広大な森林地帯になる。道も今まで通ってきた整備された大陸横断道ではなく、丘を越え標高を徐々に増してやがて森の中の道になるだろう。今も卓の横にはルート検討のための世界地図が広げられている。
 「もういいんですか、それはよかったです」鍋に具を足しながら少年が笑う。
 「完治、よかった」
 「本当に大丈夫なのか」怪我させたのがおのれである手前気遣いの言葉を挟むと男は笑った。
 「大丈夫だよ、意外とお前は心配性だな、天津飯」
 いつしか普通に呼ばれるようになった名前がまだ何処か面映く、鼻に皺を寄せて見せる。

 男が後ろを振り返って遠い眼をした。「どこの大学かな…周りから見たら俺たちもああいう風な学生に見えてるんだろうか」
 「ヤムチャさんは大学に行こうとは思わなかったんですか」
 「一応高校は通わせてもらって、こないだお情けで卒業はさせてもらったけど、進学なんて俺の柄じゃないしな。武道会の前からほとんど休学してたし…ブルマはかなりしつこく大学に行こうって誘ってたけど。…お前ら学校は?」
 「行ったことない、そんなの」弟弟子が肉をちゃっかりつまみながら首を横に振る。
「だな」
 「僕もないんですよ。寺に…多林寺にいましたからね」
 「俺も行けるような環境じゃなかったな…物心ついた頃はもう」男が自嘲気味な微笑を浮かべる。「まあ武道家なんてどの道そんなやくざな生い立ちな奴しか今日日目指さないのかもな。でも盗賊なんかやってるよりよっぽど自分に誇りが持てていいさ。だからどうせならとことん強くなってやる、自分の可能性の極限までな」
 「彼女を置いてきても、ですか?」
 少年の声に男がぴくりと眉を震わせた。そのままよそった白飯をかき込む。少年が自分たちを見て肩をちょっとすくめて見せた。

 「仕方ないさ」風呂上りに頭をタオルでかき回しながら、男が廊下で呟いた。肩を並べて歩く自分も風呂上りで幾分砕けた功夫パンツにタンクトップと言う出で立ちだ。悩んでいる割にはすれ違う女子学生たちに愛想良く手を振り返しながら男は続ける。「結局黙って皆に内緒で出てきちまったけど、いつかちゃんと分かってくれるよ。あいつは」
 「そうならいいけどな」
 「まだちゃんとケリつけて別れてないしな。いずれまた武道会で会える。そこで仲が切れそうだったら、また土下座でも何でもして縒りを戻すさ」
 「楽観的過ぎないか」
 「いいのさ。まあ女と付き合ったこともない奴にはわかんねえよ」
 「まだ二十歳前のガキの癖に、偉そうなこと言うな」
 「お前こそなー。ランチさんなんかどうだ?何だかんだ言っていい人だぞ、怖い方も」
 顔を赤くして鼻を鳴らしてみせるとさも愉快そうに笑われ、たまには連絡とってやればなどと言われた。力ではかなわないもののこの分野ではこの中ではダントツの『実力者』なのだから嬉しくて仕方ないらしいのが小憎らしい。
 この一週間でかなり互いのこと…環境や過去、その他もろもろについて情報が交わされてきたと思う。自分とこの男が同い年であること、どこで生まれどう育ってきたか、どうして互いの師の弟子になったか。そこで分かってきたのは、この2人とて、そしてあの、今は空の上にいるだろう少年とて、けして自分が心の中で押し隠しつつ憬(あこが)れてきた幸福な家庭に暮らしてきたのではないということだ。みなそれぞれに孤独で、不幸だった。
 自分たちは師匠に、またその弟に、おのれの異形ゆえに親に捨てられたことを恨め、おのれの境遇を、そして世を呪えと散々に幼少の頃から叩き込まれてきた。そして自分たちもそれを当然と思っていたのだった。しかしあの尻尾を持つ少年もまた、この男の付き合っている娘に言わせればおそらくはそれゆえに山に捨てられたのである。なのにあいつは、眩しいほどに、一種高貴なほどにその魂から光を発散していた。あいつは世を恨んだり、儚んだりと言う事は全くなかったのだろうか?

 あいつの眼には世界はどう映っているのだろう?

 翌日その問いを発してみたら「あいつはそんなもんなにも考えていませんよ、それだから悟空なんですよ」とにべもない答えが返ってきた。まあ、そんなものかもしれないな、と思う。難しく考えないからこその、あの純粋さなのかとも思う。しかし自分がそんな境地に至れるようになるのはいつのことだろうか。

 

 

 もう数日、西へ。日中は走れるようになったので旅のスピードも格段に上がった。いつしか地平線の行く手に一筋の線のようなものが視界を割る一筋の定規の線のように幽かに見え始めた。進むにつれそれはだんだんと色濃く確かな筆致で空を貫いてゆく。
あれか。あれだ。それぞれの荷を揺らして走りながら確かめ合う。亀仙流のものたちがやたら大きな荷物を負っているのが不思議だったのだが、それは彼らの今までの修行方法の模倣なのだという。鶴仙流が華麗で無駄のない鋭い必殺のわざをひたすら教え込むのに対し、彼らの流派は心と身体を徹底的に鍛えぬくのだ、と分かってきた。なるほど、あの師同士が相容れなかったわけだ。
 やがて道は森の手前でついえた。森に入れば目標であるあの塔を見定めるのも難しくなる。踏み込む前にコンパスでよく方角を確かめた。そこから丸一日野宿をはさんで進むと、急に少しだけ開けた土地に出た。
 「わあ…」
 年少者二人が思わず感嘆の息を未明の森の霧の中に発した。薄水色の空にすっくと聳え立つ異様の塔。首を思い切りのけぞらせてもまだ見えぬ天辺。先は淡やかに金色にたゆたう夜明けの雲の中に隠れ、どこまで続くのか果ても知れぬ。
 「これがカリン塔か」
 「すごいな」
 男が両手を目の前にかざした時、森の中から若々しい声がした。

 「クリリンさん!ヤムチャさん!」
 亀仙流が振り返ると、その目線の先には簡素な衣服の、頭に羽根を刺した少年が樹の陰から飛び出してくるところだった。その後に巨躯の、良く日焼けした、いかにも頑強そうな頬に刺青をした男。
 「おお、ウパか!」
 「ウパ!やあ、久しぶりだなあ!元気にしてたか?」
 「でかくなったなあ!3年ぶりだもんな、もうクリリンとさほど変わらないじゃないか」
 ヤムチャさん、と少年が唇を尖らせた。明るい笑い声が響く。
 「良く来た。初めて会えて嬉しい。ウパの恩人、また私を生き返らせてくれる助けをしてくれた恩人たちだ、歓迎しよう」守人の一族だという壮年が笑った。彼らの一族はこの森の中にまだ数多くいるのだというが、この塔を守るのは特に選ばれた血筋のこの家のものだけなのだと、茶を振舞ってくれながら教えてくれた。
 「僕たちこの塔に登りに来たんです」
 「皆さんですか。其処の方たちも?」羽根の少年が焚き火の反対側のこちらを見やる。
 「武道家仲間なんだ」男が肯き、壮年が肯き返した。
 「ならいいだろう。頑張って登れ。そして孫悟空によろしく伝えて欲しい。上にまだいればの話だが」
 「悟空が?上に?」
 親子は教えてくれた。ピッコロを倒す前に、また倒した後に太っちょの少年とともにこの地に来たこと。そのまま二人とも帰ってきていないこと。
 「そうかぁ、俺まだろくに生き返らせてくれた礼も言ってないんだ、よぉし、頑張るぞ」
 「筋斗雲でどっか行っちまってるかもしれないけどな。まあいっちょ頑張ってみるか」
荷を預かってもらい、身軽ないつもの山吹色の胴着になって亀仙流の二人が塔の古びた彫刻に取り付く。続いて自分たち二人も。
 「複数で行くのなら体格の小さな順で登ったほうがいい。私も若い頃仲間と登った時はそうした。万一上のものが落ちてきても下のものが支えられるかもしれないから。…私たちは結局全員脱落してしまったが」
 その年月を重ねた肌の面に色褪せぬ悔恨を浮かべて守人は言った。そこで一向はその言葉に従った。しんがりは、揉めたが結局自分が勤めようと押し切った。
「さあ行け、若者たち。お前たちに神の加護があらんことを」

 

 

 登りだして2時間も経たないうちに腕が悲鳴を上げ始めた。塔の一段一段は遠目で見ていたよりも想像以上に幅広く、また長い長い年月の間に塔の最初のほうは特に磨かれて滑りやすくなっていた。守人たちの伝説によれば天地開闢の頃よりこの塔は天を支えるためにここにあったという。その間に数多のつわものがこの塔に挑んでは敗れ去っていった。この塔を磨いたのはそれらのものたちの、必死にこのように石を掴んだ手のひらの跡なのである。しかしそれも、登るにつれだんだんと少なくなってごつごつとした彫刻の彫り跡が生々しく残るばかりになってきた。
 片手を伸ばす。石を掴む。身体を伸ばし持ち上げ、もう片方の手と足も。最後に残った片足を。動作は単純にその繰り返しである。時折青い空から強風が吹いて一行を塔から引きちぎらんとし、その度にみな必死で塔にわが身をへばりつかせた。視線を横に移せば、西に世界の中央の大海が広がっている。この世界のほぼ全てを擁する中央大陸の、西であり東である海。良く晴れた日、静かな水面はどこまでもどこまでも広がっていた。北の果てから南の果てまで、あまねく天地を浮かべながら。
 登るごとに強く感じられる日差しに喉の渇きを覚える。だけど休憩する場所も見当たらない。朝からもう数時間は登ってきたがやはり頂上は全く見えない。もう雲の層も抜け、かなり上空まで来て空気は透明に澄み切っているのに、ただ塔の先は青の合間に細く細くかすんで行くばかりなのだ。
 「あっ」
 上の方で悲鳴がした。弟弟子がまた足を滑らせたのだ。2番手の少年が受け止める前に、ふわりと体が宙にとどまったのを確認してほっと息をつく。
 「しっかりしろよ、餃子」落下は避けられたものの窺える様子ではもうかなり弟弟子は疲労困憊のようだった。ちょっとの間の後、また隊列は進みだした。膂力に乏しい弟弟子に合わせてだから自分にとっては酷く遅くもどかしいペースではあったが。
 「お前等は楽だよな、いざとなれば浮けばいいんだから。なんなら俺たちに付き合わず飛んで行ったらどうだ」
 すぐ上から声がした。
 「…馬鹿にするな」

 それはそうだ。能力を使って登れば楽だろう。腕にかかる負担も、足にかかる負担も、舞空術を僅かでも使いながら行けば格段に軽減されるだろう。
 でもプライドにかけてそれは出来ない。自分たちは、そのような技に頼らずとも、…あの師から教わった技を使わずとも、こいつらと同様に塔を登りきれると見せ付けなければならない。こいつ等に、そして自分たちに。多分、そうしてはじめて、自分達はあの暗い道から…あの流派から、きちんと袂を分かつことが出来るのだ、と思う。身体を持ち上げるごとに、そう思おうとする。
 周りは次第に透明な金色を帯び、茜を宿し、天空全体が紺から紅の七色に染め上げられ、やがて満天の星を宿した輝くばかりの闇へと変わった。
 その美しさはほとんど心に感じる事はできなかった。もうこの頃になると皆手も爪もボロボロになり、度々足を滑らせた。その度に誰かが受け止め、誰かが必死に持ち上げた。誰かがポケットに入れていたキャラメルやら保存食を回して分け合い、水筒を回して分け合った。もはや何も余計なことを考える余裕もなかった。ただ、助け合い、登り、先を目指すだけ。先にこの塔を登りきった先人達のことを思い、自らを励ましながら。あの英雄と化した少年のことを。そしてはるか昔にこの塔を登った、今は武術の神とうたわれるあの飄々とした老人の若い頃に思いをはせて。
 「舞空術、って」喋っていないと疲れと眠気で意識が飛ぶのか、少年は良く話しかけてくる。「具体的には、どういう、理屈なんですか」
 「体内の、気の流れを、制御するんだ」
 「天さんのと、ボクのは、ちょっと違う。ボクは、超能力だと、思う」
 「気…わかるか、クリリン」
 「なんとなく…、…寺で、座禅を組みながらっ、そんなこと教えられてた、ような、気がします」
 暗闇の中…いや、東の空が緩やかに葡萄色に染め分けられていく中、顔を時々見交わす。いつの間にか4人はほとんど塔の四方を取り巻くように登っていた。誰ともなく、見交わす顔には必死の笑みを浮かべていた。痛がっていても、仕方ない。辛がっていても、仕方ない。例え痩せ我慢であっても笑うのだ。強がりの空意地笑いでもなく、見下す冷笑でもなく。ただ己と、他のために。
 「見る」
 弟弟子が真上を指差した。指の先、塔の先に、丸い終わりが見えた。東の果て、丸い地平線の先から、透徹とした光が塔の側面の彫刻を一斉に眩しく照らし上げた。

 

 「何だお前等」入り口を潜るなり迎えてくれたのは太っちょの変な男だった。あわせを褌姿にひっかけて寝起きの頭をぼりぼりと掻いている手前に、一同はくずおれた。上のほうから声が降ってくる。
 「よう来たの。わしがカリンじゃ。まあ水でも飲んでひとやすみせい」
 ちぇ、めんどくさいな、などとぶつぶつ言いながら男は簡素な器に水をよそってそれぞれの前に置いてくれた。そしてそれぞれの前に一粒の豆。息が整った後に水を貪るように喉に流し込み、促されるままに豆を齧る。途端ここまでで散々痛めつけられた身体にしゃきんと一本正しい筋が通って渇きも飢えも疲れも何もかもが回復するのが分かった。
 びっくりとした顔を見合わせる一同に、仙猫は鬚をしごいて笑った。「孫悟空に会いに来たのじゃろう。居場所を教えてやろう。ついて来い」

 柱を辿り、丸い屋根の天辺に導かれると、其処には台座の上に一本の赤い棒が刺さっていた。
 「如意棒だ、あいつの」男が呟いてそっと手を触れた。
 「…すごい、長い」少年が呆然と上を見上げる。夜明けの大気の中、黒いほどの藍の空に吸い込まれていく一筋の赤。「この先に、悟空が?」
 「ああ、そうじゃ。この如意棒こそ下界と天界とをつなぐ神器。やつは今はこの先、神の神殿にて修行をしておるのじゃよ」
 「これを、またずっとずっと登って行ったら、其処に行けるんですか」男が問う。
 「わしが資格者と認めたものなら、な」
 その言葉は、言外にまだ自分達がその資格を得ていない、と言うことを示していた。
 少し顔を見合わせた後、亀の字を背中に負った二人が大きな声で呼びかけ始めた。
 「おおーい、悟空ーっ、元気かあーっ!」
 「ありがとうなー、悟空ー、生き返らせてくれて、ありがとなー!3年後、絶対会おうなーっ!」

 その様子を見ていた弟弟子がバランスを崩したのか、ふらりと揺らめいて宙に浮いた。それを咄嗟に支えようとして自分も宙に浮いた。酷く久しぶりの気持ちがした。宙を踏むと、なんだかとても、大きなものを、大きな透明で美しいものを踏みしめている気になった。ああ、なんだろう、この感覚は。
 分けが分からぬまま上空に飛び出した。下のほうで一同が驚きとめようとしている。少しの間だけ、赤い棒を見上げながら飛んだ。
 「天さん、待って!」
 声に振り向くと、弟弟子の下に何かが見えた。額の眼を、両の目を瞬かせる。

 

 そこに在ったのは地球だった。今まさに光に染め上げられようとしている、地球そのものだった。地球をぐるりと満たす大海。砂漠を、草原を、山を、森を、河を、湖を抱く大陸。その上にかけられた緩やかな雲の、風の薄絹。その全てをくるみ抱く、黒く青い宇宙。
 自分が生まれたのはあの辺りだろうか。修行に明け暮れたあの暗い谷はあの山の陰の辺りだろうか。歩いてきたのはあの道だろうか。その何もかもがこの光に満たされてゆく。ゆっくりと明るく染め上げられていくのだ…!

 

 「天さん」
 傍に寄ってきた弟弟子が首を傾げる。その顔が一瞬だけ滲んだ。と、其処に声がした。
 (ゆくか、天界に)
 下を見下ろして、白い毛皮を輝かせている仙猫を見下ろす。心の声は間違いなくそのひとの発したものだと分かった。その奥に、何か軽やかな 鈴のような音が聞こえた気がした。ちょっとの間ののち、首を横に振る。

 いいえ、俺は、まだ其処に行けるような人間ではありません。
 まだ、行きたい道を、あの方に教えられた明るい道と言うものを見つけたばかりなのです。

 でも、いつか自分がそれに相応しい人間になったと思える日が来たなら、またここに来ましょう。必ず…!

 「ゆこう、餃子」
 弟弟子がにっこりと肯いた。ふわりとまた、宙に、風に乗るように身を任せる。
 「ずっと、一緒」
 「ああ、昔約束したものな」
 屋根の付近まで下りると、山吹色の眩しい衣の二人が何処か心配そうな顔を並べていた。上から笑いかける。

 「じゃあな、ヤムチャ、クリリン」
 眼を瞬いた後、彼らはその腕を振り上げ、大きく何度も懸命に打ち振る。
 「ああ、元気でな、天津飯!餃子!」
 「武道会で!また会いましょう!」
 知らずこちらも大きく手を振っていた。そのままゆっくりと、だんだんと重力に身を任せて流星のように落ちてゆく。その途中で弟弟子が言った。
 「天さん、はじめてあいつらを名前で呼んだ」
 そうだったか?と微笑み返しながら、目を閉じた。うっとりと、自分を洗い流していく怒涛のような風に身を任せながら。

 

 

 

 下界を覗き見ながら、仙猫はにんまりとそのピンクの鼻を撫でた。
 ここ半月ばかり見守ってきた、この旅の終わりに細い眼をいっそうと細めながら。ああ、こういうのは古い古い言葉でなんと言うのだったかな。

 そうだ、芝蘭之化。
 それは善き友との交わりによって影響されることを意味し言祝ぐ、今は失われた古く麗しい言い回しなのだ。






<あとがき・解説>
 2009年の無印祭に出させていただいた小説です。
 「しらんのか」、と読みます。「芝」は霊芝を、「蘭」はフジバカマを指し、ともに香りの高い草として善人君子を意味し、「芝蘭之化」は転じて友から受ける高い徳の感化をあらわす漢文の言い回しです。タイトルを考えていたときに、まったくの偶然に手元の漢字辞典を適当にパラパラとめくってて見つけたのですが、いい言葉だと思います。


 参加しようと思ったときから書こうと思っていた題材です。今まで自分のHPの小説の中では鶴仙流コンビはなかなか扱いが難しく全く出演していなかったのですが、天さんのこの、鶴仙流を離れた後の変化についてはいつか書いてみたかったのでとても満足しています。小説自体の出来としてはちょっと冗長かもしれません。
 補足しますと、23回武道会の本選直前にヤムチャが「みんなカリン塔に登った。武天老師様に教えていただいたんだ」と言い、クリリンが「その後皆ばらばらになってそれぞれ修行をしたわけさ」と説明しています。亀ちゃんはどうも皆で登ったことを知らないみたいでしたので序盤どうその辺解決するかが難しかったのですが、其処から膨らませたネタです。なるべくオリジナルの設定等は入れてないつもりですけれどいかがだったでしょうか。


 本当に、ドラゴンボールってこういう風に色々深く解釈していったら面白いし、それぞれのキャラクターが際立っていて、またそれぞれが成長していくさまが面白いと思います。愛してます!
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