このページはイラストレーターはるまきの、個人的なドラゴンボール版権小説置き場です。鳥山先生、集英社さんとは一切関係ございません。
ブログの本体はこちらになります。あとがき・もくじもブログのこのページになります。よろしければ、WEB拍手小説投票で感想をお寄せください。



1


 悟空は、星を見るのが割りと好きだった。そしてよく星を見上げていた。
 それは彼なりのロマンティシズムとかそういうものもあったろうが、多くの場合は必要に駆られてのことだった。彼はコンパスなどと言う上等なものは持ち合わせていなかったから、野外ではたいてい太陽と星の位置と季節で方角をはかる。北極星を示す星の並び、どの星がどの季節にどの時間真南に来るか、季節ごとの太陽の昇る角度、太陽の角度から方角を割り出すすべその他もろもろは、特に意識しなくてもすらすらと出てくる彼の数少ない知的財産である。ほとんどが彼の養祖父が教えてくれた知識だ。星座の名前なんてアカデミックなものはほとんど知らなかったけれど。
 なにもない山の中でさまよって迷子になることがないように、そして生活のリズムの重要な根幹として。彼の家は時計すらろくにない、文明のかおりの一片もないものだったから。カレンダーすらもろくになかったから、例えば3つ並んだ星があの山のてっぺんから昇るようになれば、冬支度を始めたほうがいい、とかそんな按配である。
 後に彼は東西南北色々な土地に行ったから、星の並び等はかなり変わることも多かったけど、そこでまたそれなりの星の知識を蓄えていった。方角を知るすべは、世界を巡るようになって、悟空が祖父に一番感謝していることのひとつだった。


 筋斗雲にのり、見慣れた北天の星の並びを探す。よほど南のほうにいかなければ大抵はそれでわかる。見つければ、星のならびにあわせて指を掲げて正確な北極の位置を割り出す。「じゃああっちが東だな。筋斗雲、あっちにたのむな」忠実な雲は正確に東を指して飛びはじめる。そして彼は満天の星の中を飛び、必要なら雲の上で星の光に抱かれながら眠るのだった。星はどの晩でもよく見えた。この世界には月と言うものがなかったからである。
 悟空、12歳。レッドリボンとの戦いのさなかである。






 その晩は、珍しく星の光はこの天界に少なかった。神殿は夜と言うのに降り注ぐ光に昼さながらに白亜に燃え、ちらちらと石材の雲母が光の歌を歌っている。神の従者であるミスター・ポポは、この風景に感じる懐かしさに、無表情な顔の中でそっと感嘆を漏らした。どれほど久しぶりの風景だろう。
 神の居室から階段を降り、今この神殿に唯一いる人間の部屋の前を通る。ポポは扉の前で、なかに誰もいないのに気づいた。いつもはこの時間は風呂に入ったあとの多少の自由時間である。気をぐるりと探る。珍しく庭園にいるようだった。

 ポポは、神殿の前庭である庭園に足を向けた。庭園のど真ん中で、一人の青年が下着姿のまま、四肢をいっぱいに伸ばして、大の字になって寝転んでいるのだった。

 「なにしてる」ポポは声をかけた。「はやくねろ。それにそのような格好では風邪ひく」
 「平気さ」先ほどからポポの気配に気づいていた青年は、腹筋を使って起き上がると屈託のない笑顔を向けた。悟空、19歳のわずかに手前。といっても彼は自分の正確な誕生日を知らなかったから、最近は便宜上祖父に拾われた日を誕生日として使っていた。だから実際はおそらくもう半年ほど上のはずである。誕生日は初夏だったけれど、生まれたのはたぶん冬くらいなのだった。悟空が子供の頃正確に自分の歳を把握してなかったのは、まあそういう事情も多少あってのことであった。

 「今日はそんな寒くないかんな、こんなカッコでも平気さ」悟空はランニングシャツとトランクス一枚だった。それでもまあ普通の人間なら寒さを訴えるであろう。不思議な力に暖められているとはいえ、この神殿はひとの立ち入ることがないほどの超高空にあるのだ。
 「からだに気を配る、武道家として当たり前のこと」わかってるって、と悟空はいった。でも、と空を指差す。「すげえ久しぶりだろ。月なんて久しぶりのことだからな。改めて見ると綺麗なもんだなあ」
 指の先には、上弦からやや丸みを帯びた月が空の天辺で輝いていた。

 先日、神は悟空の尻に生えていた尻尾を取った。悟空自身が知らない、悟空の秘密を抱える尻尾。それを断ち切ってもう二度と生えてこないようにした。そうしないと月は復活させられなかった。悟空自身はその関係性についてわかっていないようだったが。
 2,3日、多少バランスが変わったことで動きにくそうにしていた。そのおかげで修行の間に、ここ最近ではないことだったが怪我もしていた。肩口にまだその包帯が残っている。風呂から上がって自分でまきなおしたのだろう、ちょっと包帯がよれていた。
 その先に、筋肉はついてがっしりしているものの、わかものらしい素直にすらりと伸びた腕が続いている。脚も、胴体も見違えるほどに伸びた。その四肢が、月の光に照らされて、若々しい健康なきめを美しく輝かせているのだった。
 「さて、そろそろ寝ようかな」
 悟空が笑いかけたが、ポポは話を始めた。
 「もう、修行も終わりだな」
 「ん、そうだな」
 「武道会まで、あとちょうど一月だ」ポポは言った。「きっと、ピッコロもやってくる」
 「そうだなあ。オラ早く戦いてえよ、どれだけ自分が強くなったかはやく試してみてえ、そんでもって絶対に勝って優勝するんだ」
 悟空の目の中に、強い光がきらめいた。そのうち来るその日を、心の底から楽しみにしている。しかしそれはこの神殿から彼が去ることを意味する。3年のほとんどをつききりで彼の面倒を見てきたポポの胸に、一抹の寂しさが浮かんだ。
 しばらくその横顔をながめたあと、ポポは言った。
 
 「ピッコロを、殺さないでほしい」
 「え」
 「ピッコロと、神様は、もともと一人の人間。神様が座につくときに追い出した悪い心、ピッコロになった。だから、ピッコロ殺すと神様も死んでしまう。たのむ」

 悟空はポポを見た。相変わらずの無表情だけど、こんな顔をしたポポを見るのは初めてのことだった。月をも拒む漆黒の肌、それと同じ色の無表情な瞳に、一粒の光が映じてかすかにゆれるのが見えた。
 悟空は言った。たちあがって、ポポの肩を両手でぽんぽんと叩いて。
 「だーいじょうぶだって。殺しちまったら、武道会で優勝できないもんな。心配しないで、オラにまかせとけって、ミスターポポ」
 ポポは、本当に彼は大きくなった、と思った。いつの間にか自分を追い越した背丈。少し上のほうから、安心させるようににかっと笑っている。この3年、指南役として指導してきたものとしての誇らしさが、胸に浮かんだ。悟空は、じゃあな、おやすみ、と部屋に引っ込んでいった。その背中が、とても大きかった。





3

 その半月後、修行は終わりを告げて、悟空は下界に降りた。神は餞別にと、彼に新しい服を与えてくれた。亀仙流の胴着ではなかった。もっともこの3年、かつてピッコロと戦ったときの亀仙流の胴着はもともとここに来た段階でぼろぼろだったのですぐ脱いでしまっていて、そのあとは動きやすい白のシャツと紺のカンフーズボンであったから。

 「暑いなあ」
 ある町の片隅で、公園のベンチに腰掛けながら、彼は頭のターバンを巻きなおしていた。
 こんなものはついぞ頭に巻いたことなんてない。下界は春を迎えて気温も上がり、ひどく蒸れる。これも神がプレゼントしてくれたものだった。こんなの巻きたくない、と文句を言ったのだが、神は理由を述べた。お前のその髪形はひどく目立つ。ピッコロに見つかりにくいように、隠しておいたほうがいい、とかなんとか。でもその後でいたずらっぽく笑った。 「仲間たちに会ったときに、驚かせてやるといい」
 また、神は、下界にからだを慣らすために、と筋斗雲を会場まで禁じ、なるべく歩いていくようにも言った。この世界を、ひとの目で、見ながら行くようにと。一週間かけて、野を走りながら、町を歩きながら、西の果ての聖地カリンから西の都の南にある町まで出てそこから海岸沿いに下ってきた。人の足ではそれでも異常な早さだったけれど。
 「孫悟空さん、できましたよ」すぐわきの服屋から、年配の女性の店員が呼ばわった。
 「おう」悟空は、如意棒を差した長尺の荷物と、これも神が与えてくれたあわせの服を肩に担いで店に入った。しばらくして出てくると、その手の中には山吹色の胴着の入った袋が抱えられていた。昨日、別の街で少々工事を手伝って得た金であつらえたものだった。南に入って雨季の色が濃くなり、雨が多いので彼は竹の骨に紙を貼った傘も買っていた。
 かつて世界を巡ったときは、なるべく人のいないところを選んで進んだ。でも、こうして地図を見ながら、道を尋ねながら人の町を渡り歩くのも、自分が住むのでなければなかなか面白いことだ。
 (さ、行くか)彼は振り仰いで南を確認し、もう少し先の、大きな港のある町に向けて歩き出した。
 



 

 むっとするような、生暖かい蒸し暑い雨を突いて、にぎやかなラッパと、マリンバと、太鼓の音が寺の周辺をめぐっている。甘い香の香りが、南国の花の香りが、湿気を塗って空間を満たしていた。山門前の道には出店が立ち並び、気の早いものが土産や軽食を買い求めている。
 人手はまだやや少ないものの、この天気にしては盛況といって間違いない。多くの人間が、複雑な彫刻を施したこの寺の正面玄関から、わくわくとした顔を並べて、いい席を取るために急ぎ足で入っていく。
 一人の風采の上がらない男が、傘を差して、その門のわきの出場者受付に立ち寄った。係員は、意外そうな目で男を見た後、手元の用紙に名前その他を書き込んだ。
 男の後ろから光が差した。雨脚が弱まってきて、急速に雲がひいてきた。遠くのほうから、誰かが再会を喜ぶ声がする。
 男は、受付の後、傘をたたみながらそちらのほうを見た。3年間見慣れたぼさぼさ頭が、親友との再会に嬉しそうに揺れている。男は微笑んだ。

 ふと目を転じると、とても強い心の声が聞こえた。心の中で、そのぼさぼさ頭の青年の名前を、何度も何度も強く呼びかけながら、はるか遠くの寺の壁際を歩いてくる一人の少女。白い頬を興奮と緊張に赤くして、目をきらきらさせながら。呼びかけている相手は、仲間たちと笑いあいながら、先に門の中へ消えていく。
 青い空の下で、男は深呼吸をした。白い開襟シャツのボタンをもう一段あけ、黒ぶちの眼鏡をくいっと掲げて、その手の下でにんまりと笑った。

 やれやれ、ここには半分死にに来たようなものなのに。この老いぼれも、血が騒ぐわい。


 さあ、若者たちよ、戦うがいい。星の光にも負けず、きらめくがいい。そして、輝かしい新たな人生に踏み出すがいい。






あとがき・もくじ(ブログ)
小説投票
拍手する + 拍手する