このページはイラストレーターはるまきの、個人的なドラゴンボール版権小説置き場です。鳥山先生、集英社さんとは一切関係ございません。
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我が家の魔法使い



 1


 この家のあるじは修行が好きだった。自分が強くなるために、どんな無茶な修行も飛び込んだ。下手をしたら無断で数日家を空けてしまい、帰ってきて締め出しを食らうことすらあった。ありていに言えば修行バカである。

 「一体どういうつもりなんだべ」よくこの家の妻は夫を怒鳴った。「働きもしねえで毎日ふらふらして。おらがどれだけやりくりに苦労してるか分かってるだか。ほんとに三度三度並外れて食うんだから。作るんだって大変だ。食費はもっと大変だ!農家の真似事までせねばならねえじゃねえか」
 彼の家の裏には、彼女のこさえた小さな菜園があった。結婚してほんの早々にそんな所帯じみたものを作らなければならない苦労。
 「でもよう」夫は唇を尖らせた。「おめえのメシ、うめえんだもの。いくらでも入るんだ。おめえだってオラがうめえうめえって食ってたら喜んでくれるじゃん」
 う、と顔を赤くして妻は一瞬うろたえたが、すぐに気を取り直した。うっかりごまかされそうになったが、論点がずれているではないか。
 「な、なんでもだ!このままだったらおらが働きに出ねばなんねえ。そしたらご飯をちゃんとまともに作る余裕もねえだ。こんな田舎じゃ勤め口もねえから、どっかもっと町のほうに引っ越さねば」
 ええー。夫の口から情けない声が漏れた。彼は町があまり好きではなかった。たまに立ち寄るのはいいけど、普通の人間はよくあんな人がいっぱいなところで窮屈にやっているなと思っている。自分がそんなところに押し込められて毎日せかせか何かをするなんて真っ平ごめんだ。
 それに妻がちゃんと食事を作ってくれないなんて。それは困る。大変に困る。
 自分は食おうと思えばなんだって食えるけど、ここ数ヶ月で舌が肥えたなあと思う。たまに彼らは外食をしたが、どの店のだって彼にとっては家の食事より劣って感じた。せっかく学校にまで通ってそこまで磨いた料理の腕を、自分のために振るってくれなくなるなんて。それは困る。その旨を夫は妻に訴えた。それに、これは言いはしなかったけど、働きになんて出たら、うっかり他の男となんかあったら困るではないか、と夫はひそかに思った。最近妻の気に入りのドラマのように。
 彼女は綺麗だ、と思う。美醜に頓着のない彼ですら思うのだから、例えばクリリンやヤムチャみたいな普通の男が見たら相当にかわいく見えるらしかった。夫は、たまに連れ立って町などを歩くときに、彼女を振り返る男どもの視線に気づいていた。ちょっと誇らしい。でもこの女は自分だけのものなんだ、残念でした。と言いたくなるような気持ち。
 ホントは妻が自分にぞっこんなのは知っている。でも無理やりにでも何かあったら。そして自分から離れてしまったら。

 「そんなにいやなら、せめてなんか家計のために協力して見せれ」
 そこで彼は、修行のついでになるべく食材を持ち帰るようになった。このへんは何の関係か知らないが、やたら大きな魚だのなんだのが捕れる。子供の頃の自分だってまあこの山で採れるそのようなもので食をまかなってたわけだから。腹八分目って言うからな、と多少ではあるけれど食べる量を減らすようにもなった。
 なんにせよ、自分は彼女を家に縛り付けてるわけである。わがままだなあ、と思う。だから、せめてそんな彼女のために夜は精一杯ご奉仕させていただくわけだ。自分の楽しみじゃないかと言われればそれまでだけど。




 2


 悟空は、よく、妻のことを魔法使いみたいだな、と思った。
 さまざまの食材がキッチンに並べられ、手際よく段取りされる。彼の取ってきた魚をさばいたり、野菜の皮をむいたり、塩を振ったり、油を塗ったり、細かく包丁を入れたり、下茹でをしたり。皿を取ったりちょっと洗い物をしたりとちょこまかと動く手。横顔を見ると真剣極まりない。
 やがて、この家の食をまかなう業務用の6口コンロに火が入れられ、脂のはぜるいい音がしだして、うっとりするようないい香りが家中を包む。さらにさまざまのスパイスや薬味。料理酒。砂糖。みりん。醤油。それらが絶妙のバランスで投入されていく。
 悟空は、修行から帰ってきて、リビングで後ろからその様子を見ているのが好きだ。大体は火を入れ始めた段階で修行から帰ってくるので、帰ると家の明かりとそのようないいにおいと、いとしの妻が彼を出迎えてくれて彼を幸福で包むのだが、雨などで外に出ない日はのんびりとその様子を見るのが常だった。テレビなどよりよっぽど面白い。
 何か手伝おうかな、と寄っていけば、あえなく拒否された。さらに手間が増えることになるからだ。だから大抵はソファに落ち着きながらお預けを食った犬よろしくじっと彼女を眺めている。たまに、動く背中と腰のラインに不埒な想像をめぐらせながら。
 かんかん、とお玉が鍋の底を叩いて、出来上がった料理を大皿にきれいに移す。それが食事の開始を告げる銅鑼の音のようだ。盛り付けのための少しの時間のあと、彼女がにっこりと振り向いて彼に呼びかける。
 「御飯だよ、悟空さ」
 うひょう、と歓声を上げながら食卓に着き、早速その料理をかきこむ。頬が落ちるほどにおいしい。妻は自分の分を食べながら、ニコニコと料理の説明をしたり、たわいない話をしたりする。
 やはり、自分はしあわせものだ、と悟空は思う。結婚してよかった、と思う。あの日「嫁にくれるんならもらいに来るぞ」と何も知らずにだが答えた自分を賞賛したい気持ちだ。こんな気持ちは、照れくさくてそうそう口では言えなかったけれど。
 家には、幸せを与えてくれるちいさな魔女がいるのだ。


 その魔女様は、ここ一週間ほど具合が悪くて臥せっていた。もうしばらくはそのままのようだった。


 
 少し前から、悟空の感覚に、微細な違和感があった。ある晩、枕を並べてうとうとと寄り添っていると、それは不意に悟空の知覚の網にかかった。彼は目をうっすら開いて、寝室の中を目玉だけをめぐらせて見渡した。
 なにか、いるような気がする。ごくそばに。
 その時はまた眠ってしまったのだけど、その違和感はその後も消えなかった。やはり、なにかいる。

 なので、一週間前に、妻がその知らせを紅潮した頬でもたらしたときには、「ああ、分かった」と場違いな納得の声をあげてしまった。なるほど、それでか。
 「なんだべそれ」彼女はあきれた顔で肩を落とした。「第一声がそれか。もっと喜んでくれると思っただ。おらたちの子供なのに」
 「んなことないさ、嬉しいぞ、チチ」悟空は笑顔でその肩をぽんぽんと叩いて見せた。
 「結婚のときの、『じゃ、ケッコンすっか』よりもっと間が抜けてるだ」
 喜んでないわけじゃない。でも、正直言って実感がないのも事実だ。その行為が子供を作るためのものとは知っていたが、自分にはそんな目的などどうでもよく、ただ自分が気持ちいいし、彼女が喜ぶからしてただけなのである。家族が増えるのが嬉しくないわけじゃない。でも、この間まで家族もなく、やっと2人の生活に慣れてきたところなのに、はっきり言えばそれを邪魔されたような気分になった。


 案の定、生活は激変した。知らせより前から、体調が悪そうにしてる様子だったが、知らせをもたらした翌日になると寝付いてしまった。
 おかげで、この家の食卓はまさに火が消えた状態になった。
 冷蔵庫の中にとってあったものを悟空がレンジで暖めなおしてテーブルで食べていても、たまたまリビングにいた妻は口元を押さえて青い顔をさらに青くした。彼女が口に出来るものは極端に減った。しかし彼女が買いに行く事は出来ないので、悟空ひとりで町に行って、お使いまでさせられる羽目になった。いっそ彼女の実家なら人手もあるし面倒を見てくれるかもしれないと思ったのだが、彼女の実家はけっこう遠かった。筋斗雲で送っていくのもふきっさらしで寝ることも出来ずにかわいそうだし、車なんて乗るのを想像しただけでいやだという。この時点では悟空は免許を持っていないので運転だって出来ない。それに長時間乗り物に乗っているのはおなかの子供にも悪い。
 いくら修行が好きでも、こんな状態の妻を放って修行に出かけるほど悟空も無慈悲ではない。せいぜいが瞑想をしたり舞空術の練習をしたり、腕立てだの腹筋だのを静かにやるのが関の山だ。大声を出したりしては、寝室の広い寝台で寝るともない眠りに落ちている彼女を起こしてしまう。
 瞑想を解いて、悟空は窓の外の夏の青空と入道雲を見てため息をついた。こんなにいい天気なのに、外にでて思いっきり体を動かせないなんて。気持ちがくさくさしていた。もちろん夜の方もお預けだったからである。話を聴けば、あと1ヶ月以上もこんな状態が続くのらしい。なんて苦行だろう!
 悟空はまたため息をついて、水を水差しに汲んで、冷蔵庫から冷えたゼリーを出して、寝室の彼女の枕元に置きに行った。寝室のレースのカーテンがぬるい弱い風にゆらゆら揺れている。妻はタオルケットをかぶり、青い顔で眠っていた。
 悟空は、彼女の中にいる子供に説教したい気分になった。おい、あんまりオラのチチを苦しめてくれるなよ。
 そして、寝室のドアをそっと閉めて、窓の外にある彼女の菜園(半分近くがだめになっていたが)をちょっと面倒を見てやって、熟れたコーンとトマトで腹をわずかばかり満たした。




 3

 暑い苦行の夏がなんとか過ぎ、秋に入ると安定期を迎えた。体調もすっかり良くなり、妻は健康に気を使うようになった。なるべく食べ過ぎないように、よく考えられたメニューを食べ、なるべく体を動かすようになった。たまには、夜にも相手をしてくれるようになった。彼女は料理を張り切った。実りの季節になっていっそう食事もおいしい。
 満たされた悟空は喜んで修行に精を出したが、少し早めに切り上げて帰ってくるようにはしていた。

 秋が深まるにつれて彼女の腹も目立つようになった。この山では秋は短く、すぐ寒くなる。紅葉も11月に入りすっかり終わった。もうすぐ雪も降るだろう。
 
 その日、悟空が帰ってくると、夕食の用意前ののんびりした時間、妻はリビングのじゅうたんに座って、折りたたみ式の裁縫マットの上の真新しいやわらかそうな青い布地に、型紙をつけてはさみを入れていた。鼻歌を歌いながら。
 悟空は手洗いとうがいをしてきてからその作業の向かい側に座り、声をかけた。「ずいぶん熱心にやってるな。今日はどうだった」今日は、月に一度の検診の日だったからだ。
 一枚の白黒写真が差し出された。悟空は受け取ってそれを見た。「なんだこりゃ」
 「今日は、おなかの中の赤ちゃんを撮ってもらっただ」彼女は言った。「もう6ヶ月だもの。これからもっとでかくなったら逆に写真に収めにくくなるから、今のうちにな。いつもはおらが医者で画面で見てただけだけど、プリントアウトしてもらっただ。悟空さにも見せてあげようと思って」
 「へえ、すげえな、腹の中を写せるんか」
 悟空は写真を改めて見た。悟空はほとんど検診についていかなかったので(たまについて行っても、彼は病院が嫌いだったので診察中はお使いすると言って逃げていたのである)そのものをはじめて見た。
 雛鳥のようにうずくまった白い塊があった。これがこいつの腹の中になあ、と彼女の腹と見比べて見た。
 「すげえ発育がいいそうだよ。逆にちょっと体重を押さえないとお産が大変だって言われただ。ほら、これが頭で、手の指で、足の指。」彼女は悟空の持っている写真を除きこみながら、指差して教えた。
 「これはなんだ?丸がしてあるけど」
 悟空が聞くと、ああ、それは、と言いかけてもじもじと口ごもった。恥ずかしそうになにかを言おうとしたが、しばらくして取り直して彼女は言った。
 「男の子なんだって。今日教えてもらっただ」
 「へ?」
 「生まれてくる子。男の子のしるしだよ。でな、この筋が、へその緒。これでおらとおなかの子がつながってるんだべ。そんでもって、これ、この筋、なにか分かるだか?」
 彼女がいたずらっぽく微笑んで、悟空を見上げた。わからない、という彼に、彼女は教えた。
 「尻尾だよ」
 悟空はちょっと目を見開いた。それきり、なにか考えてるように黙ってしまったので、妻は作業を再開した。彼はしばらくすると、背後のソファに腰掛け、またじっと写真を見つめた。


 リビングの晩秋の陽だまりの中で、妻が優しい声で童謡を歌いながら、白い手で布に待ち針を入れていく。彼女はもともと歌が好きでよく歌っていたし、最近は胎教だ、といってよく童謡などを歌うようになっていた。
 「男の子だもんな。水色の生地で服を作ってあげるんだ。悟空さも名前、考えといてな」

 その横顔を見て、写真を見て、悟空は、そっと幸せなため息を漏らした。この魔法使いが与えてくれた、この上ない幸せに。
 悟空は、はじめて、子供が出来て嬉しいと本当に思ったのだった。






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