このページはイラストレーターはるまきの、個人的なドラゴンボール版権小説置き場です。鳥山先生、集英社さんとは一切関係ございません。
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金色の雲



 1


 彼女は未明にうとうとと浅い眠りを漂っていた。とても眠いのに神経が高ぶってなかなか寝付けなかった。
 要因はいくつもある。
 彼女はお嬢様育ちで、枕が替わるとなかなか眠れなかった。ここは長く親しんだ家城の寝台ではなく、旅先のダブルベッドだった。どっちにしても高級な布団だったが、枕が柔らかすぎるのかもしれない。
 半分海の上に建っているこのコテージでは、内陸にある家城と違って常に潮の香りがした。寝る前にシャワーは浴びたものの、体のあちこちがしょっぱくなっているような気がした。なれない日差しの強さに、ケアはしたものの白い肌も少し赤くなっている。
 最大の要因は隣で太平楽にいびきをかいている彼女の夫だった。まぶたが開かないので気配とその音だけを感じたが、きっと子供みたいな無防備な顔で寝ているのだろう。
 (いびき、かくんだなあ)
 彼女の父に比べて大してうるさいものではなかったが、やはり多少気になるものだ。まして先日までほとんど他人と呼んでいい人が隣で、同じ寝台にいるというのは落ち着かない。夫婦とはいえ、まだ彼女も彼も一線を越えてはいなかったから。
 新婚旅行に来たのが式を挙げた当日の夜であるおとついの晩。酔いつぶれて二人ともぐっすり寝てしまった。
 昨日は喧嘩をしてしまった。だってあんまり無神経にもう帰りたいみたいなことを言われたから。仲直りらしきものをした後、自分が期待をしながらシャワーを浴び寝台に戻ると、彼はテラスの椅子で寝てしまっていた。
 (重たかったんだから)
 おおかた自分の後にシャワーを使おうと思って座って待ってるうちに寝てしまったんだろうけれど、ベッドに寝かせるのは大変だった。彼の体で乾いた塩が滑らかなシーツにざらざらとした粒になっている。
 彼女は担ぎ上げた彼の体の重さと熱さをうとうとと思い出しながら眠りに入った。
 はじめてあったときから待ち続けて6年。自分が待っていた年月想像していたより、再会した彼はたくましく大きく、想像以上に子供で、想像以上に世間知らずで、想像以上に無神経で彼女の気持ちを理解してくれなかった。でも圧倒的なリアリティで彼女の心を待っているときのせつなさ以上に締めあげるのだった。






 2


 懐かしい緑に囲まれた高原の城。彼女の部屋の大きな窓。そのすぐそばの大きな桜の木。城が焼けた後、再建の際に山から移植してきたものだ。
 「おめえのかあちゃんも桜が大好きだったな。チチは本当にかあちゃん似だ」父親はそういって笑ったものだ。
 大きな桜はこれ一本だが、城の周りにはたくさんの桜を植樹した。将来は春になれば城全体がこんもりと桜のベールに包まれるだろう。でもその頃自分はこの城にいない、きっとあの人と別の土地で幸せに暮らしている。

 チチは、悟空に最初に会ってから3回目の桜の季節を迎えていた。清涼なこの土地では下の土地より桜が遅い。5月のはじめのことだ。

 「ただいまー」家城をゆるやかにかこむ雪柳の生垣にある門を抜けると、とりどりの花の咲くこの城ご自慢の庭だ。何割かは近くの花屋に卸したりもしている。「おかえりなさいませ」忙しく花の世話をする庭師たちが、彼女を振り返って親しげにあいさつをした。
 「ただいま。おっとうは?」
 「中庭の方でりんごの花の面倒をみてらっしゃいますよ」

 チチが2つに束ねた髪を揺らし、赤いチャイナのワンピースの短いすそを翻しながら中庭に回ると、父はポーチのテーブル席にとてつもなく大きな背中を丸めてすわり、ちょうど一服の席についているところだった。
 「ただいま、おっとう」チチは後ろからその背中に抱き付いて笑った。振り返って父が笑った。「お帰りチチ、料理教室のほうはどうだったべか」
 15の娘と、40を越えた父。近在でも評判の仲良しである。この家のたった二人の家族だった。
 まだ彼女が小さい頃、この父親は妻を亡くしたことでひどく気持ちがすさみ、城に近づくものを片っ端から襲う有名な悪人として知られていた。先祖から伝えられたたくさんの宝と名誉を傷つけた。すさんだ過程で何があったのかは詳しくチチも知らない。
 チチは子供ながらに父親が恐れられていた事は知っていたが、自分には常にとても優しいたった一人の肉親だった。父親の振る舞いを悲しく思ってはいたものの、嫌うことなど出来なかった。本当の彼は花木を愛する純朴な男だから。
 そのおかげか改心してから、近在の人はこうして働きに来てくれるようになった。最近になってのことだけど。父親が贖罪のために苦しい日々をすごしたこともチチは知っている。
 城はチチの生まれた頃に比べればだいぶん小ぢんまりとしたものになったが、高い塀をめぐらせた威圧的なものから、低い美しい生垣をめぐらせた美しく開かれたものになった。チチはこの城がとても好きだ。



 使用人がチチの分もお茶を用意してくれる。
 「うん、今日はこーんな大きなアヒルで詰め物を作っただよ。来週からは包丁で色々な飾り切りを習って、パーティ用に出してもおかしくないくらいの料理を作れるようにするんだ。秋の発表会で展示するだよ、そのときはおっとうも見に来てけれな」
 「そうかい、そりゃ楽しみだなあ」
 何年か前に下の村にも学校が出来たが、チチは普通の学校にいったことがなかった。12の歳まで父親が荒れていて学校どころではなかったし、最近になって使用人が来てくれるようになるまで家事は一手に彼女がになっていた。父親はチチに少し離れていても学校に行くように勧めていたのだが、結局彼女は通信教育とたまに来てくれる家庭教師に勉強を教わってすごした。
 1年前からチチは近くの町にある料理学校に通うようになった。将来料理人になるような若者の行くような本格的なものだ。14で行くのは少し早すぎたかもしれないが、その料理の腕前には講師たちも舌を巻いているという。来年卒業したら有名ホテルにも就職できますよ、と面談の際に担任が期待を寄せていた。
 しかし彼女は決して料理人になるために料理の腕を磨いているのではない。

 「そんでな、3年生になったら秋の発表会では近所の洋裁学校の生徒さんと共同で、結婚式の席をしつらえるんだよ。去年おらも見たけど、先輩たちが整えた会場をウェディングドレスを着た花嫁さんと燕尾服の花婿さんが歩くさまはそりゃ見事だっただ。おらも早く悟空さとああいう結婚式をしたいだよ。そんでこの本職じこみの料理をたっぷり食べさせてやるんだ」
 頬を染めて将来の夢を途切れることなく語る娘に父親は内心ため息をついた。12の時に、この娘は彼の弟弟子に当たる少年に「嫁にもらいに来る」と言われたのだそうだ。
 確かに心根のまっすぐで強い、とてもいい少年だった。自分もこの男になら娘をやっても惜しくないと思えた。しかしこんな小さい頃から約束で娘を縛り、その後一度だって会いに来ない。いくら修行の身だからといって薄情すぎはしないだろうか。
 なんと言っても初恋は実らないものだ。一途な思いはとても美しいが、娘の美しい時期を実らない約束のために無駄にしていいのだろうか。
 噂では彼女はとてももてるのに一顧だにしないと言う。庭師の息子が娘に手紙を渡して断られているのも見たことがあった。彼女を慕ってくれる男たちの中にはあの少年よりもっと娘を愛してくれるものもいるかもしれないのに。
「あのな、チチ」
「なんだべ?」娘がお茶のおかわりを注いでくれながら曇りのない笑顔を向けてきた。最愛の妻によく似て美しい娘だ。掌中の珠だ。色白ですべらかな頬、細くてしなやかで少女っぽい体つき。つややかな黒髪を耳の下で2つに束ねて流しているのが子供らしくてほほえましい。これから娘盛りになればいよいよ匂いたつようになるだろう。
 言うのがためらわれたが、それでも彼女の将来を思って言わずにいられなかった。
「もう3年になるだ。悟空さは会いにすら来てくれねえ。結婚など」
 そこまで言ったところでガーデンテーブルがひっくり返った。真っ白なクロスが地に落ち、ポットがその上に落ちて割れて無残な茶色いしみを作った。チチが勢いよく立ち上がったのだった。
 恐る恐る娘の顔を見ると、今まで見たこともないような真っ青な顔で唇をかんでいた。妻が死んだときだってこんな顔はしていなかった。綺麗な眉が段々怒りにつりあがっていくのがわかった。
 「お、おっとうのバカ!なしで、なしでそんなこと!…」
 彼女の体を引き裂くような声がした。思わず目をつぶってすくんだ後、目を開けるともう彼女はいなかった。
 「牛魔王様…」
 ため息をついて、父親は心配げな使用人たちを振り返って力なく笑った。
 「いいさ、どうせいづがは言わねばなんねこどだったんだ。わりがったな、騒がせて。さあかたづけるべ」

 その晩も、翌日も娘は部屋から出てこなかった。 
 




 3


 週末でよかった、とチチはぼんやりとソファにもたれて外の明け方の風景を見ながら思った。(学校をサボらなくてすんだだ)
 時折、父親と使用人たちの心配げな呼びかけが大きなドアの向こう側から聞こえる。せめて食事を取るようにとも。でも彼女は食べる気力もなかった。一日以上泣き明かして、ようやっと寝台からソファに移って外を見る余裕が出来たが、部屋は真っ暗だった。あかりをつける気すら起こらなかったのである。
 本当は心のどこかで自覚していたことだった。実らないかもしれないと思い始めていたのかもしれない。だからあんな。でも認めたくない。
 東の空がまぶしい、もうすぐ日が昇る。
 この部屋に特別に大きな窓を頼んでつけてもらったのは自分だった。空がなるべく大きく見える部屋にいたかった。空を見るのは好きだった。あの少年を思い出すから。
 あの少年を好きになったのは空の上だった。金色の雲の上。東の雲が金色に輝きだす。

 「会いたい。もう一度、おめえとあの雲に乗りたい」
 彼女はベランダに出て、手すりに捕まってしゃがみこみながら涙を流した。空を見つめながら。
 あの少年の顔は、忘れまいと忘れまいとがんばっても、段々まぶたの裏でにじむようにかすれてきていた。あるのはただ青空みたいに底抜けに明るい印象と、あの風を切る爽快感のイメージだった。
 将来のことを思い描いても、彼の姿はぼんやりと霧の向こうのようだ。毎日鏡で顔を見ている自分だって、大きくなったらどうなるかなんて見当もつかない。まして3年前の姿しか知らない彼の将来なんて。それでも彼女には必死でそのぼんやりした彼と彼女の姿を寄り添わせて思い描くしかなかった。
 「会いたい、せめて会いに来てけろ」
 飛行機雲を見つけるたび、きてくれたと思って胸を高鳴らせているのに。朝起きるたびに、この窓からあの雲を探しているのに。 
 せめて今の姿だけでも知りたい。このあまりにはかない想像をもっと確かなものにしてほしかった。自分でも分かっている、父親が心配することも分かる。他の言い寄ってくる男たちを好きになれたら楽に決まってる。でも自分は、あの少年に会ってしまった自分には、あの雲に乗ってしまった自分には、もう他の人は考えられない。

 (おっかあ)彼女はすぐそばの桜の花を心の中で呼んでみた。彼女は昔読んだ小説のように、その桜に心の中で名前をつけていたのだった。もう顔も写真でしか知らない、彼女の母親の名前を。(おっかあもおっとうと一緒になるとき、おっかあのおっとうにずいぶん反対されたってな。おっかあもこういう風に泣いた日があったんだべか?)
 散りはじめの桜が、さやかな明け方の風に一枚二枚落ちていくのが見えた。桜に呼びかけたって、答えが返ってくるわけではない。まして母親の声が聞こえるわけでもない。
 関わって答えを与えてくれるのは、いつも生者だけなのだ。彼女は子供の頃、今少年を求めるようによく母親に会いたいと泣いた。死んでいる母親は無理としても、あの少年は生きている。会いたい。大それた願いじゃないはずだ。
 「チチ、起きてっか、チチ!」
 ドアを大きく叩く音がした。チチは手すりに捕まりながらけだるげに振り向いた。
 「悟空さが新聞に載ってるだ!」
 チチは弾かれるように立ち上がった。




 4


 「昨日、南の都で天下一武道会があったんだ。むかし武天老師様も優勝なすった由緒ある武道の大会だ」
 大広間のテーブルで新聞を広げながら父親が言った。ホラここ、と太い指がスポーツ欄の小さい記事を指した。地域の違う一競技の大会だから、小さな小さな記事だったが、4枚の顔写真が載っていた。
 「悟空さ…!」チチは顔を近づけてその写真を見た。白黒の小さい写真だが、確かにあの少年だった。
 「準優勝とは立派なもんだ。書いてあるだろ、なんでも悟空さは亀仙流から前回も出場して、やっぱり準優勝だったらすい。前回の頃はうちも再建の時期でばたばたしてろくに新聞も読んでなかったから見逃しちまったんだ。もったいねえことをした…武天老師様にもあれ以来なんか悪い気がして電話一本入れられなかったからなあ…」
 写真に涙が落ちた。
 「チチ、すまねがったな」娘の肩に大きな大きな手が添えられた。「あとで大会本部に問い合わせてもっと詳しいことを聞こうな。武天老師様にも思い切って電話してみるだ。悟空さもいるかもしんね。おらのつまんない怖がりのせいで、今までいらねえやきもきをさせたな」
 ううん、とチチが首を振った。「おっとうは悪くねえ。おらも臆病だったんだ」親子は顔を見合わせて笑った。
 「ありがとう、おっとう、おらのこと心配してくれて」
 朝日がいっぱいに窓から差し込んで、部屋の壁の漆喰が金色に輝いていた。


 しかし少年の所在はその後もよくつかめなかった。武天老師に電話してもまったくつながらず、大会本部に聞いても亀仙流の選手が何者かに殺され、孫悟空は犯人を追っていったままだということしかわからなかった。武天老師も後に死んだらしかった。
 チチは学校も休み、彼を案じながら、新聞の切抜きを何回も見つめ、南の都のラジオ局から貰い受けた大会の放送テープを聴きながらすごした。ピッコロ大魔王が現れ、その恐怖にもおびえながら(学校も大魔王に壊された町にあったため無くなってしまった)。何より少年が殺されてないかと言うのが彼女の恐怖だった。
 やっと父親とカメハウスの連絡がついて分かったのは、武天老師たちを少年がドラゴンボールで生き返らせてくれたこと。そして三年後の武道会にそなえて彼が天界とか言うところで修行していること。ウミガメが電話に出たので詳しい事は分からなかったが。
 
 「おっとう、おらにちゃんと武術を教えてけれ」
 父親は静かにうなずいた。執務机の向かいに立つ娘の顔には決意があった。
 「おめえにはちっせえ頃護身のために拳法を教えたが、たった3年で娘っ子があの大会に出場できるようになるってのは並のことじゃねえ。それでもやるんだな」
 「やるだ、おら。絶対悟空さに会いに行く。三年は悟空さも頑張ってるんだ。そこに絶対悟空さが来てると思えばなんだって頑張れるだ」
 強情なところは母親そっくりだ。父親は優しく微笑んだ。
 髪を2つに団子に結い、赤いカンフー着を来て凛とたたずむ娘は、芍薬のつぼみのようだった。





 5

 
 彼女は少し面食らって唇を尖らせた。コテージの洗面台で、長い髪をとかして結って身支度をしている最中に、鏡の向こう側の寝室から、じっとこっちを見ている目線があった。
 「どうしただ」身支度をしているのをじっと見られるのは気恥ずかしいものだ。「ここ、使いたいだか?」結い上げる作業の佳境だったので、鏡から目を離さず問うたが、相手はフレームの向こうに引っ込んでしまう。
「いや、別にいい。髪の毛、なげえなあって」
「悟空さは、長い方が好き?」 日焼け止めを塗った後薄くグロスを引きながら鏡越しに彼女は聞いた。昨日は薄く化粧してたのに「唇が赤いぞ、病気か」とか言われてしまった。もともと自分でもやりつけない化粧に自信がなかったので、もう今日はこれでいい。あとは腕と脚と首に日焼け止めだ。たったこれだけでも、女の朝は忙しいのだ。
「まだかあ、チチ、腹減ったよオラ」答えは言ってくれない。あわてて支度を終えると夫はすでに玄関付近で待ち構えていた。

「はいはい、お待たせ。下のレストラン行こう」子供のように腹を鳴らして情けない顔をしている夫に思わず笑って外にでた。オートロックでしまるのだが、鍵の具合を確かめてガチャガチャ鳴らす。その後姿をまたじっと見つめる視線があった。
「なんだべ」また唇を尖らせる。照れたときの彼女のクセだった。
「いや、うん。」珍しく言いにくそうにしながら、彼はこっちにひじを差し出した。「つかまっていいぞ」
一瞬目を丸くしてから、彼女は花のほころぶように笑った。

 彼女の夫も、それを花のほころぶようだと思っていた。

 今日は、金色の雲に乗って、海をドライブする予定だ。天気は上々、初めて会ったときのような青空だ。
 チチの財布の奥には、ラミネートに入れたあのときの悟空の写真と桜の押し花が、今も大事にしまわれている。

 



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