このページはイラストレーターはるまきの、個人的なドラゴンボール版権小説置き場です。鳥山先生、集英社さんとは一切関係ございません。
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優しきくびき




 1


 夕焼けが紫と紅のふた色に空を染め上げ、ビーチロードを縁取る椰子がその葉陰を黒々としたシルエットにして掲げる。
 忍び寄る闇、輝きだす南洋の一等星たち、柔らかな海風。
 新婚旅行のメッカと呼ぶに相応しいこれ以上無いロマンティックさに、そぞろ歩く若い男女らはうっとりと肩を寄せ二人だけの世界に入っていた…のに。

 「もうっ、もう悟空さなんて知らねえ!おら帰る!先に帰る!」わあーんと声を上げ、砂浜を泣きながら走り去る黒髪の美少女。

 時ならぬ大声に雰囲気をつんざかれぶち壊しにされ、カップルたちが恨みがましく振り返った先には、きょとんとした目を見る見る困惑に曇らせる、いかにも暢気そうな逞しげな男の姿があった。
 食べ物を山ほど抱えた男の手から、ポテトフライがぼろぼろ落ち、無残に砂にまみれ果てた。
 「なんだよ、何怒ってんだよ、チチの奴…」
 そうつぶやきながら、追っかけるでも何でもなしに手に残ったポテトを一気に口に入れる、女心をなんともわかってなさそうな、よく言えば純朴な、悪く言えば頭ぼさぼさの田舎もの丸出しの男。しかしカップルが多いということはそれだけ今のような些細な喧嘩をやらかすものも多い。何より仲のいいカップルはこんな奴に関わりあうよりもっと他にやるべきことがあるのだ。男に集まっていた注目はあっという間に解けていった。




 その男、孫悟空はちょっと唇を尖らせ、彼にしては不機嫌な顔で人の多いところから離れた岩場に腰掛けた。
 いつもは感じないようなじくじくしたいやな感情が彼の眉を曇らせる。

 (なんだってんだ)

 彼は彼なりにこの「新婚旅行」を楽しんでいたのである。昨日行われた式の後この地に嫁にもらったばかりの娘とともに連れてこられ、今までなんとなく抵抗のあった「ヨメ」というものがやっと彼なりにいいものだ、と思えてきた矢先のことだ。(もちろんゆうべは酔っ払って寝こけてしまったのでまだ肌を重ねたりはしてないのだが)
 嫁にもらったとはいえ、一度、半日ほどで見知ったきりでその後6年以上もあってなかった娘である。彼もいきなりそんな娘に「これからずっと一生一緒」と言われてそれなりに戸惑っていたのだ。でも生来の軽さとは別に、「まあこの娘なら一生いてもいいか」という情が湧きかけていたところの仕打ちだった。


 『なんで新婚旅行に来てるっつうのに修行とか言うんだ!』
 『悟空さは修行と食い物のことしか考えてねえんだ!おらのことなんか見てねえんだ!』
 『もう知らねえ!』
 彼は手の中の大量の食べ物をあらかた片付け、息をついた。ついてからそれがため息だったと気づいて自分で驚いた。ため息をついたのは彼女の涙を思い出してだった。
 彼は立ち上がろうとした。でもやはり岩に座ってしまった。コテージに帰ったところで今自分が彼女にあってどうすべきか分からない。今まで彼は泣いてる人に会ってもそれなりに対処してきた(その原因になるワルイヤツを退治したり、泣かせている奴に文句を代わって言ってやったり)が、今回は自分が彼女を泣かせたのである。自分が他人を泣かせるなんて、少なくとも彼の記憶にある限りははじめてのことだった。特に彼女を泣かせたことが自分にとって予想以上のダメージということに気づきはじめていた。

 ヨメとは、普通の家族とは違うのだ。ということにも。





 2


 彼は肉親を知らず、12の歳まで祖父以外の人間を知らなかったから、普通の家族のあり方と言うものがよく分かっていない。
 しかし彼の理解したところではヨメとは家族の一種だった。彼は家族と言うものに恵まれなかったが、それでも家族の情と言うものがどういうものかはおおむね理解していたつもりだった。早くに死んだ養い親である祖父。それに修行で半年ほど生活をともにした師匠と親友と居候の女、三年ほどともに暮らした神とその従者にもそれに近い感情を抱いていた。

 彼らは自分が修行をするというと喜んでくれた。たくさん食べると喜んでくれた。手合わせをすることも(武道をする人間は)喜んでくれた。だから自分は…彼女も武道家と言う人間だったから、誘ったのである。
「なあ、ここもいいけどさ、あしたっからはオラ修行してえなあ、もっと人のいないところで。」


 ショッピングモールを出て、そう言ったところで彼女の手から二段重ねの上段のオレンジジェラートがぼとり、と落ちた。
 昨日着てたウェディングドレスを思い出すような真っ白な、でももっとシンプルなワンピースが南国の夕べの風にふわっと踊った。彼女の後ろで街灯が点滅しながらついた。下段のラムレーズンとコーンも手から滑り落ちた。


 ジェラートがもったいないなあ、と思いつつ悟空は続けて言った。「おめえも一緒に修行しようぜ。おめえも女にしとくのもったいねえくらい強いんだから、がんばればもっと強くなれるって」
 そしたら、今親友であるクリリンと同じように、心が通うようになるかもしれない、と悟空はなんとなく思っていたのである。少なくとももっとこの娘…チチと仲良くなりたい、と純粋に思っていた。
 しかし自分を凝視して見開いていたその娘の眼にみるみる涙がたまってきた。そしてこないだ再会したばかりのときのような罵声が飛び出したのである。

 「バカ!」

 「な、なんだよ、落ち着けよ」チチの手が自分を打ってきて、両手に持っている食べ物を落とそうとしてあわてて彼はよけたが、それがまた彼女をいらつかせて手をばたつかせてしゃくりあげながらわめく。
 「なんで新婚旅行に来てるっつうのに修行とか言うんだ!」
 「なんでだよ、おめえオラと修行するのがいやなのか」
 「だからなんで今言うんだ!」
 いよいよ手の荷物を叩き落とされそうになって悟空は慌てて片手に荷物を抱えなおしチチの両手をつかみ壁際に追い詰めた。ショッピングモールに出入りする人々がじろじろ見ている。
 「バカ、チチ、落ち着けって」
 「悟空さにバカって言われる筋合いねえ!悟空さは修行と食い物のことしか考えてねえんだ!おらのことなんか見てねえんだ!一緒にここに来て新居の家具とか2人で選ぼうとか思ったのに、悟空さはまるで興味なしでおらにまかせっきりで…食い物ばっかり見て!昨日の式の時だって食い物ばっかり見てたでねえか!」
 「でもオラ昨日はほとんど食べられなかったから、腹へって腹へって…それにオラほんとに家具なんてどうだっていいんだ」
 「それはこれから一緒に暮らすこと自体どうでもいいと思ってるんだ!」
 なんだそれ、と段々彼は腹が立ってきた。自分は良かれと思って誘ったことなのに、なんでこの娘はここまで怒るのか。自分は自分なりにこれからのことを楽しみにしてたとそう伝える気も失せてしまった。

 彼はまだ何かいい募ってる彼女を改めて間近から見た。白い頬を赤くして、涙が幾筋も流れていた。長いまつげが涙できらきらしていた。
 今朝寝顔を見たときはとても静かでいい感じだったのに。起きてから笑顔を向けてくれたときとてもいい感じで、嬉しくなったのに。だからこいつなら一生いてもいいかとちょっと思ったのに。
 こいつはオラのこと好きだっていってるのに、何でオラが何かすると怒るんだろう。式の前はオラがいればシアワセって言ってたくせに。
 こいつの「好き」ってなんなんだ。家族に対しての好きとは全然違うものなのか。


 右手で捕まえてる彼女の両手首が興奮で熱くなっているのに気づいた。体が密着しかけてとても熱い。さっき風呂に入ってた時に使ったシャンプーの甘い花の香りがした。彼女の少し上がったのど元も涙に濡れていて、髪の毛が幾筋か張り付いている。そこから胸元に続く部分の白さを知らず目で追い、悟空は急にうろたえた。
 (な、なんだ、オラ怒られてるのに何考えてんだ)
 「聞いてんのか!」
 ひときわ大きな声に慌てて手を離してしまって口をもごもごさせた。明らかに何も聞いてなかったのがバレバレだった。
 「もう知らねえ!」



 右手を何度か開いたり閉じたりした。手首が細かった、と思い返していた。何回か手は握ったことがあるのに、あんなに細いと思ってなかったのだった。
 ぼんやりと風景を見ながら、そんな顛末を思い出していた。まだ若干彼女に対して怒ってはいたが、段々今どうしているだろうと言う気持ちの方が上回ってきた。東の海から黄色い、やや満月に足りない月が出てきていた。

 女って分からない、と改めて悟空はため息をついた。ましてこんな反応をしてくる女は初めてだった。悟空にとって今まで身近な女はおおむね年上で、なんだかんだ言って自分にとって姉のような存在だった。うるさく言われることもあるが、まあある程度理由は納得できた。曰く物を知らないだの、曰くもっと清潔にしろだの、曰く女性はもっと丁寧に扱えだのそんなところである。しかしあの娘、自分のヨメであるチチは自分に対してさらに他の女とはもっと違う扱いをしろと望んでいるようなのである。
 正直逃げ出したいような気持ちすら湧いてきた。自分がこのままだと変になりそうな感じなのだ。
 だが、ずっと一緒に暮らすと昨日重ねて約束して、彼女の父にも彼女のことを頼まれたからには、たった一日で翻すわけにもいかなかった。日ごろ軽い彼だが、まあいっかで済ませるほどどうでもいい問題じゃないということは承知していたし、そういう事はそれなりに考えて解決しようと思えるほどには、神に心を3年鍛えられた結果大人になっていたので。

 でも思ってもうまく行くかは別で、やはり考えるのは苦手なのだ。戦いのことならともかく、こんな事は誰も教えてくれなかったことだ。
 友人何人かの顔が浮かんだが、なにせ彼らは遠いところにいるから往復してたら遅くなってしまうし(電話などと言う事はついぞ思い浮かばない)今ここを離れたら戻ってくるのが億劫になる気がした。それになんとなくそんな気軽に聞けるようなことでもない気がする。悟空は途方にくれたような気持ちでしばらく寝っころがりながら風景を見ていた。




 どれくらいそうしていただろう。甘い潮風と波の音と岩場の暖かさで少しうとうとしていたのかもしれない。
 遠くの丘を幾組もの男女が腕を組んで歩いている。浜辺で抱き合ったり寄り添ったりしている。時折顔を摺り寄せ唇を寄せたりしている。そんな様子を見るともなしに見ていているうちに、腕を組んでいる姿にふと思い出した。『夫婦ってこういうもんだべさ』と言ってた彼女の言葉。
 彼女は今日、他のカップルたちがああしてるのを恥ずかしそうに、でもうらやましげに見ていた。自分に積極的に腕を絡めたりしてきていた。自分が歩きにくいからとそれに文句を言うたび、どんどん不機嫌になって買い物の最後の方では明らかに怒っていた。

 「なんだ、ああいう風にしたかったのかよ…」
 やっとある程度腑に落ちる答えを得て、ようやく腰を上げて自分たちの宿を目指して歩き出した。


 (でも、ああいう風にしなきゃいけねえのか?それであいつが許してくれるんか?)
 悟空の胸のうちにおそれが走る。
 人のそうしているのを見るのはなんでもない。でも自分が彼女にそうしようと持ちかけるなんて。自分は本当はあちらから勝手にしてくる分にはそんなにいやではないけど、もし自分からそうして嫌がられたらどうしたらいいのだろう、さっき修行に誘って断られたように。
 



 3
 

 帰った頃には月は中天にかかっていた。
 部屋の番号を忘れていて、その辺の人を捕まえて聞きまくってやっとフロントを教えてもらった。
 「奥様は先にお帰りですよ」一応確認のために部屋に内線を回したコンシェルジュが言い、案内してくれた。「鍵は開けてあるそうですから」帰ってきた時に彼女の涙を見ていて大体何があったのか察しているコンシェルジュは、少し好奇心をにじませながらドアの前から去っていった。

 「チチ、帰ったぞ」
 入ると、リビングは明かりがともっていなかった。寝室にも明かりも人の気配もない。逃げたのだろうか、とふと思って悟空は顔をしかめた。思ってしまってひどく悲しくなったのである。
 「チチ、ただいま」
 少し大きな声で言った。風呂かもしれない、と寝室の方に向かうと、やっと彼女の気を捕まえることが出来た。外にいる。テラスの外の海に。
 「おかえり」奇妙に明るいような声がそこからした。

 彼女は夜の海で泳いでいて、悟空がテラス窓から顔を覗かせると、顔を半分海面に沈めた。
 「ただいま」それだけ言った。なんとなく他に言うべき言葉を失ってしまったのだ。どうしよう。何を言えばいい。黙っているうちに彼女は泳ぎだした。
 悟空はなんとなく腹が立った。
 「なあ、チチ、上がってこいよ」
 「やだ、おら、昼泳げなかったから今泳ぐんだ」
 「明日だって泳げるじゃねえか、さっきせっかく風呂入ってたのに」
 「夜の方が日焼けしなくていいんだ」
 彼女は顔をこっちに向けない。ますますいらいらしてきた。でもここで自分が怒ったら負けのような気がしてきた。格闘じゃなくても負けるのはいやだ。
 「じゃあオラも泳ぐ」
 「えっ」彼女が振り向く間に、彼はパンツ一丁になって海に飛び込んだ。水の向こうで彼女がうろたえている気配がする。白い脚がばたついて遠ざかろうと泳ぎだした。かっとなって思わずスピードを上げてあっという間に彼女の手首を捕まえた。
 

 水面に顔を出すと、彼女がバランスを崩しながら必死に立ち泳ぎをしていた。「ひ、ひどいだ、急に手首を引っ張るなんて」そう文句をつける目が赤くはれているのを悟空は見た。海の中だからわからないけど、ひょっとして今も泣いているのかも知れない。
 「わ、悪い…あの!さっきも、悪かった」悟空はまた泣き出さないように心の中で祈りながら、恐る恐る言った。チチは眉をひそめて口をへの字にし、下を向いて赤くなってしまった。でもどうやらさっきほどは怒ってないらしい。悟空は心底ほっとした。

 ほっとしたついでに月の黄色い光が照らす彼女の髪がきれいだな、と思った。束ねてないのでゆらゆら海面に広がってつやつやしている。
 なんとなくそのすねるような子供っぽい顔に、悟空は幼い日の彼女の顔を思い出した。確かあの頃もこうやって髪を長く垂らしていた。なぜ自分はこいつの顔を覚えていられたのだろう、と少し不思議に思った。6年前に、少しだけ会っただけの相手である。世界を巡ってきて、数多くの人に会ってきた。名前も教えてもらった相手も多い。でも忘れてしまった相手も多い。
 ドラゴンボールを探す旅の途中で、印象深かったからだろうか?彼女が筋斗雲に乗れるから覚えていたのだろうか?自分でもよくあんな約束を心の片隅でも覚えていたものと思う。言われるまでまったく忘れてたのは悪いと思うけど、でもやはり覚えていたことが奇跡のような気持ちすらした。
 こいつは、そんなのを、一生懸命信じていてくれた。なぜ、自分のことなんかを。


 「な、チチ」なにか聞いてみたい気がして呼びかけてみたが、尖らせた唇と鼻を海面に沈めてぶくぶく泡を立てて少しそっぽを向いている。逃げないところを見ると少しは機嫌が直ったのかも知れないが、やっぱりさっきの男女みたいにしてやらないとダメなのかもしれない、と思った。
 そこで思い切って言ってみた。「ゴメンな、チチ。あのさ、オラおめえに引っ付いてもかまわねえか」
 彼女はびっくりして立ち泳ぎをするのをやめてしまい、ゆっくりと沈みだした。悟空もびっくりして慌てて正面から抱きかかえるように彼女を支えた。彼女が肩にしがみついて、少し海水を飲んだらしくしきりに咳をした。ワンピースの、背中の大きく開いた水着の、その素肌の背中をなでさすってやったが、落ち着いてもおとなしくしがみついてきている。ちょっとびっくりさせたが結局たいした抵抗もなく引っ付くことが出来たのでまた心底ほっとした。引っ付いた後の展開は考えてなかったが、とりあえず彼女が気がすむまでこうしていることにしよう、と悟空は思った。

 ひっついたってかまわないはずだ。そう自分に言い聞かせる。試合の後、武道会の後、ひっついてきた時にはなぜだかつい恥ずかしいような気がしてやめるよう言ってしまった。今日だってそうだ。でも、2人がこれから仲良く暮らすためにやらないといけないのなら。

 そう、ひっついてたってかまわないはずだ。自分たちは家族になったのだから。昔祖父に抱きついてたように、家族なんだからそうしててもかまわないはずだ。そう言い聞かせるうちに、悟空はだんだん祖父と一緒に居たあの頃のことを思い出した。そして、彼女の感触に、むかし野山でひとりで暮らしていた頃に、親を亡くして怪我していたのをしばらく面倒見てやっていた小鹿を思い出した。つややかで細くて柔らかくてかばってあげたい。何よりあの小鹿と同じに温かかった。
 彼にしてみたら普段は鹿はご馳走だった。でも当時の彼は祖父を亡くしたばかりで、自分にすがってくる温かいものがとてもいとおしかった。よくその毛皮に顔をうずめていたっけ、でもその小鹿はしばらくすると死んでしまった…。



 悟空はそこまで思い出すと、チチを折れない程度にぎゅっと抱きしめた。肩口でチチの顎が戸惑い、かすかに抵抗した。
 (オラはずっともう家族なんていなかったのに)
 彼の性格は底抜けに天真爛漫だったが、祖父を亡くして一人で生きてきたこと、肉親に捨てられたらしいことは彼の奥底にひそかに孤独感を植え付けていた。彼なりにこの先一人で生きる覚悟はそなえていた。家族はいなくとも親しい友や師にたまに会いに行けばとりあえずの人恋しさは満たされたから。それに今まで一緒に暮らしたことのあるひとびとにすら、それでも改めてずっと一緒にいようと自分から入り込むことを望まないほどに、彼は自由気ままな自分の生き方を愛していたのである。
 それは神の修行のもとでまっ白な何もない部屋に入って、噴出した孤独感に気が狂いそうになったときに得た彼の生き方の結論だった。自分にとってはまず育ててくれたものがいて、そして自分があって、友がいてくれるだけでありがたいのだ。何をいまさら、自分を変えて人の環境を変えて、本当には満たされないかもしれない孤独を自分から埋めにいく必要があろう?あるいは自分は捨てられた人間だから、祖父のようにすすんで自分を拾ってくれない限りそれを望むべきではないと心の奥で思っていたのかもしれない。しかし本人にとっても不意の結婚は彼のおぼろげな人生設計をすっかり覆したのだった。
 彼にとって、彼女は新たな拾い主だった。自分でも覚えていなかったこととはいえ、その時応じたからこそ、彼女がそれを信じてくれていたからこそ、今自分たちはここに、本当にできたてだけど家族としてある。
 縁の微妙さのとりもつ奇跡の多少をぼんやりと感じ、彼は大きな目をしばたいた。彼女に、とてつもなくでっかい借りを作ったような気になった。そしていつまでこうしていられるか、という不安も感じずにはいられなかった。そう思わずにいられないほど、祖父を失ってひとりになった痛みは彼の心に根深かったから。

 (ホントはずっと、ずっと最後まで一緒なんて無理なんだ、どっちかは先に死ぬんだから。でも)

 「チチ、オラ達ずっと一緒に暮らすんだよな」
 悟空は小鹿にしていたように、チチの髪に顔をうずめてたずねた。なんだか再会してから何回も同じことを確認している気がする。でも、それでも今聞かずにおれなかった。
 「あたりまえだ」小鹿でないチチは小さな声だけどはっきり言葉で返してくれた。「夫婦なんだから」
 「そっか」
 なぜか泣きたいような気持ちになった。ホントはずっとずっと一緒なんて無理だ、それは分かってる。
 でもフウフっていう関係が二人の間をそう言わしめるように結び付けているのなら、フウフでないと自分たちが家族でいられないのなら、ずっと彼女から逃げずにフウフでいようと思った。祖父を殺した化け物のように彼女を死に誘うものがあれば、今度は自分が守りぬこうと思った。ずっと一緒って確認したときに感じる嬉しい気持ちは、かすかなものにせよ嘘ではないから。
 彼女の親が魂をかけてそう望むように、自分たちは2人でシアワセになるべきなのだから。



 しばらくそのまま2人とも黙っていたが、
 「…でも一緒に修行はしたくねえんだな」
 夕方のことを思い出してしまい、さらに聞かずにはいられなかった。彼にとって彼女に自らの楽しみを拒否されたことは思ったより彼を傷つけていた。

 「…」沈黙の後彼女は言った。「おらは悟空さの前では女でいたいんだ、武道は嫌いじゃねえけど、おらにとって武道は悟空さにまた会えるための手段だったから、本当はもう要らないんだ…」
 悟空は胸の痛みを感じた。結局は2人の間にどうしても埋まることのない溝がある。悟空は自らの武道家としての生き方は疑問を持ったことはないが、他の人から見たら変らしいということは18になってやっと気づいていた。ブルマやランチほどには「武道が嫌いじゃない」と言ってくれるだけ隔たってないと思えたが、武道が手段と言う彼女の心は多分一生自分には分からないのだ。同時に自分そのものも多分一生彼女に本当には分かってもらえないのだろう。
 祖父はもっと解ってくれた気がする。わからないのはこいつが女だからなんだろうか。そうぼんやり考えていたところに逆に問われた。
 「悟空さは、武道家をしてない女は嫌いだか」
 「チチなら構わないから一緒にいてくれ」
 悲しくなっていた癖に自分でも意外なほど即答だった。答えてしまってから自分で悟った。それが全ての答えだった。
 きっとこれからも度々自分はこの嫁に悩まされるだろう、それでも多分きっとこう思ってしまうんだろう、と思った。それは彼女が自分を拾ってくれたからじゃなくて、彼女だからそうしたいのだ。その理由はまだよく分からないけど、答えが出てるんならどうでもいいことだった。


 答えた後でこの答えでよかったのか不安になって、悟空は顔を離してチチを見た。
 泣きそうな顔で嬉しそうに笑っている。満月に近い月の光が海面に反射してやわらかな照り返しできらきらしていた。
 なんとなく、多分この顔をずっと忘れないだろうな、と思った。つられて似た風に笑う自分が不思議だった。




 そろそろあがろうぜ、と言い、体を離して、手をつないだ。最初はいやだったのに、手を自分からつないでる今の自分自身がおかしかった。
 上がった後でテラスで不意に頬に唇を寄せられた。結婚式のときに同じことをされていたのに、なんだかはじめてのような気がしてしかもひどくどきどきした。

 「新婚旅行ってのは、こういうことをたくさんするための時間なんだ、だからせめてこの旅行の間だけでも、修行なんていわねえで、できるだけおらとこうしてて」
 寄り添ってくる胸元で熱っぽくささやく声に、悟空は魔法にかけられたように全身がぞくっとした。
 
 (オラ、どうしよう、ひどく今日一日で変わっちまった)
 彼に珍しく抱いた畏れのような気持ち。


 「悟空さ、好き」


 心臓の上から響く声に、胸に鎖を渡された気がした。優しく彼を縛るくびきが掛けられた日だった。





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