このページはイラストレーターはるまきの、個人的なドラゴンボール版権小説置き場です。鳥山先生、集英社さんとは一切関係ございません。
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覚悟のすすめ




1


 よく晴れた五月の昼下がり。悟空は、空の上で金色の雲に乗り、うとうととまどろんでいた。
 水色のやさしげな空の中を、雲雀が鳴き交わし、時折タンポポの綿毛が流れる。じつにのどかな天気だ。
 そんな中、紺色の靴をだらりと雲の外に伸ばしながら眠る悟空の眉根に大きなしわが寄った。「ちくしょう、ピッコロのやつ…」などと口元から寝言が漏れ、時々四肢を緊張させる。何回かそれを繰り返すと、寝顔が嬉しそうに緩んだ。と、ぼんやりと目を開けた。
 「なんだ、夢か…」
 つぶやいて雲の上で大きく伸びをした。悟空は、今までたった2日前に行われたあの武道会の夢を見ていたのだった。そして大きなあくびをして、戦っていたときの興奮と身の毛のよだつようなワクワクする気持ちを思い返した。かつてあった尻尾のように、脚を嬉しそうにゆらゆらさせて。
 こうして筋斗雲の上で寝るのもかなり久方ぶりだ。言われたように、自分はやはり背が伸びたのかもしれない、と悟空は思う。すっぽりと雲の中に納まらなくなっている。寂しくはあるが、背が伸びたことで強さが増えたのならそれはいいことだ。昔の武道会で、リーチが足りずにキックが浅くなって負けてしまったことがあるが、それよりはよほどいい。
 春風に吹かれながらそうぼんやり考えていると、下界から彼を呼ばわる複数の声がした。彼はちょっとまた眉根に皺を寄せた。でも食事の誘惑には勝てず、雲をゆっくりとおろしていった。
 下界には、一度訪れた事はあるものの、今はもう全く知らない姿の城がある。かつては盛んに炎を噴出していた荒れ果てた城は、緑と花に華やいだ明るい見慣れない城になっている。それは、武道会まで彼を追いかけてきた、「ヨメ」の家であった。



 「まったく困ります」女中頭の老女が、くどくどと文句をつけながらも悟空の持っているどんぶりに飯を継ぎ足してくれる。「いよいよ明日はお式と言うのに、まだ若旦那様の衣装の直しも終わってないんですよ。ふらりと出て行かれてばかりでは段取りと言うものが進みませんよ」
 城の主のサイズに合わせて作られたこの城の調度は、何もかもかなり大きめにあつらえられている。悟空はひとりで広い台所のその大きな椅子に座ってこの老女の小言を聞いているうちに自分がまた小さな子供になってしまった気がしてげんなりした。げんなりはしたがこの城の料理は基本的にうまいのでその不満を食欲に変換してとりあえず食べまくることにした。
 「そうですわ」この家の一人娘よりは10ほどとしかさの料理女が、あまりの食欲のために急いで追加された料理をワゴンで運んできながら相槌を打った。「お嬢様がずっと若旦那様を待ってらしたのにずっとなしのつぶてで、私どももどれほど気をもんだことか。なのにさあ結婚式と言う段になってそんな態度ではいよいよお嬢様がおかわいそうというものですよ」
 なんだ、その若旦那って。悟空はいぶかしんだが、どうやら自分の事を言われているようだ。どうして自分がそんな変なものになってしかも叱られなければならないのか。この城の者たちは、2日前に悟空がこの家の娘を連れ帰ってきて以来、一事が万事こういう調子で悟空をしかった挙句に、風呂に入れだのまともな格好をしろだの散髪をしろだの服屋を呼んで窮屈な服を着せてあつらえさせようとさせたりだのしている。それはどうも正式に結婚をするために必要なことらしいのだが、悟空がそんなのめんどくさいと逃げまわると「余計な手間をかけさせるな」と怒るのだ。
 城のものにしてみればいきなり3日後に披露宴をこの城でやるというのだからそれこそパニックなのだった。あまり人がいないところに持ってきて広間の掃除、飾りつけ、宴席での酒などの手配、食材の確保、メニューの選定、新婦のほうの面倒見と新居への引越しの準備。招待客といっても下の村の主だったところは大体呼ぶし、家の主の仕事上の付き合いのあるかたがたも招待しなければならない。そんな大変な有様でも「無理です」といってつっけんどんに断らないのはひとえにこの家の主と娘に使用人たちが好意を寄せているからであった。なのにこの手間のかかる、不躾で朴訥で無教養そのものな男が一応由緒あるこの家の若旦那様になるだなんて、使用人たちにしてみれば認めたくないような気持ちだったのである。

 「とにかく、そんなに食べるのはよろしいですけど、食べたあとちゃんとおなかは引っ込めておいてくださいませよ。でないと服のサイズが変わってしまいますから」
 「牛魔王のおっちゃんじゃあるまいし、腹なんて出ねえよ。ところでおっちゃんは」
 「お義父様でしょう」だんだん老婆はこの青年が自らの家の小さな孫のような感じに思えてきていた。それくらい常識と言うか言葉を知らないのだ。なんとかしてやらないといつかこの青年が恥をかくのではないかとまさに老婆心ながら案じられてきていた。「旦那様は明日の段取りの確認でおでかけされてます」
 「じゃあチチは。ここに来てから全然見てないんだけど」ごちそうさま、と箸を置きながら、悟空は明日自らの妻になる予定の娘の名を出した。
 「申し上げてますでしょう。結婚の日取りが正式に決まってから結婚式まではなるべくお嫁さんが旦那様になる人の顔を見てはいけないんです。このへんのしきたりですからね」料理女が教えてやる。彼女たちはすでに難しい言葉ではこの青年が理解できないのを承知していたので、なるべく平易な言葉で言い聞かせるようにし始めていた。
 「ふうん、つまんねえの。せっかく一緒に暮らすっていうから連れてきたのに顔も見られないなんてな」
 「明日からはずっと一緒ですから我慢してくださいな」
 「べ、別にオラ一緒にいたいって言ってるわけじゃねえからな。部屋にいて服屋を待ってりゃいいんだろ、早くしてくれよな」
 そう言って一時与えられた客用寝室に引っ込んでいく青年の背中を見て、お、と使用人たちは顔を見合わせた。あの照れたような様子、どうやらお嬢様を疎んじているわけでもなさそうだ。
 2日前この青年がお嬢様を連れて帰ってきたときには、本当に結婚するのかはたで見ていても疑問なほど、青年がお嬢様を見る目は恋愛感情のひとかけらも含まないものだった。本当にこの青年が6年前にお嬢様に「嫁にもらいに来るぞ」と言ったのだろうか?うちの美人で、心根の優しい、しっかりものの自慢のお嬢様に?使用人たちはなかば父親の気持ちになって気をもんだものだった。さらに準備から逃げ回るさまを見せられて、この青年は本気で結婚を嫌がってるのではないかといぶかしんでもいた。いっそそれなら財産目当ての男のほうがよほどお嬢様を大切にしてくれるのではないか?
 でも、それでも、このつかみ所のない男がそれでもこの城に居続けるのは。

 「まあ、そう期待してもねえ。明日いきなりお式から逃げ出しちゃったりしないといいんだけど、あの子」
 使用人たちは苦笑しながら大量の皿を片付け始めた。彼らはなんだかんだ言って新しい若旦那を嫌いではないのだった。




 2

 そんなわけで悟空は疲れていた。午後からも服屋が呼ばれ、窮屈な白い布に包まれてあちこちのサイズを直された。ちょっと動いただけであちこち引き攣れて下手したら破れそうな感じで非常に心もとない。思い切り手足を動かしたい。なのに聞けば明日はこれを一日中着ておかないといけないというではないか。それを考えると悟空は心底明日が来るのが憂鬱になった。さらに明日の段取りなどをどこからか連れてこられた司会とやらに散々言い含められる。それをはいはいと聞き流しながら悟空は心底思った。何で自分はこんなところにいるんだろう?

 早く修行がしたいのに。こんな家の中に押し込められていないで、外の空気をいっぱいに呼吸して、思いっきり修行がしたいのに。
 でないと、一番強くなんていられないのに。こんなことをしていたら、すぐピッコロに抜かされてしまう。せっかく勝てたのに。

 外はこんなに明るいのに。自分は一体、なにがしたくて、ここにとどまっているんだろう?





 そうこうしてるうちに夜になり、この家の主の牛魔王が帰ってきたので、2人で夕食の席になった。食事時だけがここ2日の悟空の楽しみである。牛魔王も招待客の管理などで忙しくしているので、顔をあわせるのは夕食時くらいのものだ。
 「おかえり、おっちゃん」悟空は台所に入ると、先に席についていた途方もなく図体のでかい男に手を上げて挨拶をした。「遅かったなあ。オラ、おっちゃんが帰ってくるまでって待たされてたからもう腹へって腹へって。早速食べようぜ」
 「おう、ただいま、悟空さ」かつてこのあたりで非道の大魔王と悪名を轟かせた男は、当時ゴーグルの下に隠していた意外なほど優しげな目を笑わせて、明日息子になる青年を迎えた。
 「今日は、おめえに土産があるんだ」一通り箸を運んだ後、牛魔王は傍らの袋から山吹の胴着を幾揃いか取り出して悟空に渡してきた。
 「あっ、亀仙流の胴着だ。どうしたんだ、これ、くれるのか?」
 「んだ、大体サイズはあってると思うがな。町で注文してあつらえてきたんだ。おめえがそれを着てるのを見てると、ついおらも昔これを来て修行をしてた頃を思い出してなあ」
 「そういや、おっちゃんも亀仙人のじっちゃんの弟子だったんだよな」
 「そうだそうだ。悟空さ、おめえはあの修行はやっただか?牛乳配達。あれはこたえただなあ、最初のころなんておらも脚がガクガクになっただよ」
 「やった!」悟空は嬉しくなって話に食いついた。「砂漠はきつかったなあ。あとあの高い階段を上るの。いつの間にか慣れちまったけどな」
 いわば、牛魔王は悟空にとって兄弟子にも当たる。しばらくは修行の内容や、亀仙人の話で座は大いに盛り上がった。悟空は人としゃべるのは苦手だ、と自分で思っていたが、同じく武道をするものに対してはそれなりに親近感を抱いていた。思えば、チチもそれで他の女よりは親近感があるのかもな、と悟空はチラッと思った。

 「でも、なんかわりいな、金かかるんだろ」
 大きくなってから一回自分で工事の手伝いをして胴着を買ったこともあって、牛魔王に金を払わせたことにちょっと負い目を感じたのだった。だが、牛魔王は悟空の肩に大きな手を乗せて笑った。
 「なあに、おめえはおらの息子になるんだ。父ちゃんが息子にものを買ってあげるのに遠慮なんか感じるこたあねえ」
 悟空はとなりでニコニコと笑っている大きな男を見ながら、不思議な気持ちになった。父ちゃんか、と。
 「チチと結婚したら、牛魔王のおっちゃんが、オラの父ちゃんになるのか。へんなの。でもいいな」
 「そうだ。これで亡き悟飯さんもおらの家族だ。おらは一人っ子だから、いつも悟飯さんみたいな優しい人が兄ちゃんだったらなあ、と思っていただよ。嬉しいことだ。まんず嬉しいことだ」もう亡くなってしまったのは本当に残念だ、と牛魔王は涙もこぼして、またひとしきり当時の養祖父の話をしてくれた。

 悟空は、ちょっと目を細めてしばたたいた。
 結婚をすれば、この人が、自分の親になる。そして、亡き養祖父が、この人の家族になる。
 それなら、憂鬱がっていたけれど、結婚も悪くない。


 「な、おっちゃん、おっちゃんもオラの家族になるんだったら、一緒に住むんだよな」
 悟空は、牛魔王を見上げて問うた。それなら、どんなに楽しく、嬉しいことだろう。でも返ってきた答えは予想に反するものだった。
 「いや、おめえはチチと一緒に暮らすんだ。夫婦水入らずのところに邪魔はしたくねえだ」
 「なんで。オラおっちゃんとも暮らしてえよ」
 「おめえの気持ちは嬉しいけれど、先にチチのことを考えてやってくれ。あいつがおめえのことをどれだけ待ってたか。どれだけ2人で暮らす日を待ちわびていたか。あの6年前会った日から。ずっと、悟空さ、おめえのことを待ってたんだ。だから、おらなんかに、あいつの子供時代を荒れまくって滅茶苦茶にしたおらなんかに関わることなく、チチにはおめえとの生活を心ゆくまで楽しんで欲しいんだ」
 そんな。
 そう言おうとしたところに、正面から、牛魔王が向き直って悟空に頭を下げた。
 「おめえはまだチチの事を、チチがおめえを思うほどには思ってくれてねえ。それはわかる。父親としておらはそんな冷てえおめえをうらみに思ってるほどだ。でも、チチはおめえでなきゃだめなんだ。どうか一生慈しんで、大切にしてやってくれ。どうか仲良く、2人で幸せになってくれ。おらのことを悟空さが好いてくれるなら、おらの宝であるチチを、どうか」
 そこまで吐き出すと、こらえきれなくなったように、牛魔王はさらに頭を下げた。
 悟空は何も言えずに、涙をたたえた目ですがりつくように見上げてきた牛魔王に、こくんとうなずいて見せた。その後の食事は、ぼうっとしてあまりのどを通らなかった。








 日付の変わった夜の廊下を、悟空はひた歩いた。
 青い月の光が、ところどころ東洋風の窓から漏れこんでいる広い廊下を。一階にある自分の客用寝室からふらりとさまよい出して。

 胸のどこかが、ざわざわして眠れなかった。
 もうすぐ、「明日」がやってくると思うと、眠れなかった。
 ピッコロとの戦いの前の晩だって、こんなに眠れないなんて事はなかったのに。

 
 住み込みの使用人はみな、明日の早い準備に備えて寝静まっているようだった。牛魔王とチチの部屋は2階にあって、悟空はなるべく花嫁に会わないために2階に上がらないようきつく言い渡されていた。でも、大きなのぼり階段の前で、しばらく立ち止まって上階を見上げた。
 そうだ。きっと、あまり食べられずに、腹が減ってきだしたから眠れないのだ。
 そう思うことにして、悟空は台所に向かった。



 扉を開けて台所に入ると、テーブルの上には山ほどの食材と食器があった。明日のために準備されたものだ。床にもたくさんの冷蔵箱が置かれ、中をそっと覗くとおいしそうな肉が鎮座していた。
 よし。ちょっと位なら。
 舌なめずりをしてようしと呟き手を伸ばしかけたところで、不意に声がかけられた。

 「だめだべ、悟空さ。それは明日の分だ。食べちゃダメだ」

 振り返ると、誰もいない。いや、いる。厨房に続くアーチの脇、自分からは見えないところに。
 「チチ?」
 「悟空さのくいしんぼ」姿を見せないまま、明日の彼の花嫁はくすりと笑った。「夜中にうろつく音がするから何事かと思えば、つまみ食いだなんて。なあ、悟空さが手をつけだしたらこの食材なんて明日の朝までにはすっからかんだ。そしたら明日のお客さまたちは腹ペコのままだ。申し訳ねえべ?だから絶対食べちゃなんねえ。我慢してもう寝るだよ」
 しぶしぶ蓋を閉めながら、悟空は唇を尖らせた。「だって腹が減ったのか、眠れねえんだもん、オラ。おめえこそ何してんだよ」
 「おらも、」ちょっと言いよどんでから、チチはアーチの影で言った。「なんか、眠れなくて。つまみ食い」
 なんだ。悟空が笑うと、チチは言った。「ちょっと、台所の外出ててけろ。使っていい材料でなんかすぐこさえてやるから」
 そのままそこに居たいような気分だったが、悟空は素直に外に出てしばらく待った。いいにおいがしてきて、いいだよ、と中から声をかけられると、台所のテーブルの上にごはんと野菜炒めとスープが乗っていた。

 「これ、おめえが作ったのか?」
 「んだ。間に合わせだけど」相変わらずアーチの影から声が聞こえてくる。
 「ありがてえ。じゃあ、いただきまぁす」

 箸をつけて、悟空は驚いて言った。「うめえ。これうめえぞ」
 「当たり前だべ、おらが作ったんだもの」
 「へえ、こりゃいいや。チチ、すげえな」
 本当にそれはおいしかった。この城の料理人が作ったよりずっと。
 「おめえは食べねえのか」
 「おらはいいんだ、作ってる間にちょっとつまんだから」
 「そっか。こっちに来て、一緒に食えばいいのに」
 「明日まで、悟空さの顔見ちゃいけねえもの」声は少しさびしげになったが、次いでころっと明るく語りだした。「明日になったら、好きなだけ、顔が見られるだ。悟空さも明日おらを見てびっくりするでねえぞ。おらとても綺麗な花嫁さんだからな」
 「そっか」
 そんなのより、今、顔を見てみたい、となぜか悟空は思った。そう言うと、チチは、少し黙った後言った。

 
 「しきたりだもの、仕方ねえだ。おらも悟空さの顔見たいけど、そしたら幸せになれるって言い伝えだもの。守らねば」
 「しあわせ」
 「んだ、幸せになれるだ」

 さっき、牛魔王も言っていた。幸せになってくれと。
 悟空は箸を置いて、アーチの向こうにそっと聞いた。

 「オラたち、幸せに暮らせるんかな」
 「すくなくとも、おらは幸せだ、悟空さと結婚できて。そして、そばにいてくれたら、ずっときっと幸せだ」
 「そっか」
 自分の声がのどに絡まるようだ、と悟空は思った。幸せ。誰かといて幸せなんて、どのくらい、どのくらい感じてないだろう。
 「おらも、これから、いっぱいいっぱい美味しい料理作って、悟空さのこと幸せにしてあげる」
 「そっか」
 優しい、限りなく優しいチチの声に、心のどこかが溶けていくような気持ちがした。
 なにか、もっと別のことを、うまくもっと言いたいのに。そうとしか言葉をつむげない自分が、もどかしかった。だから、そっとアーチに近づいて、チチから顔が見えないようにアーチに背を向けながら後ろ手に手だけを伸ばした。
 「明日から、よろしくな、チチ」
 ちょっとの間の後、その手に細い指が添えられて、そっと握り返された。
 「よろしくな、悟空さ」


 もう寝るだ、と促されて、悟空は台所を後にした。チチは後片付けをしてから寝るのだといった。
 優しい声を聞いてるうちに、昂ぶっていた神経が、すっかり落ち着いていた。
 (明日、どんなにケッコンシキがめんどくさくても)
 きっと、ちゃんと我慢してやろう。そう思いながら、布団にゆったりと包まれた。







 だが、そのケッコンシキを悟空はあんまり覚えていない。なにしろ朝から支度のために忙しくてほとんど食べられなかったので、ほぼ半日をまともに食べてないような状態のところに持ってきて、男だけの前祝だとかで酒を飲まされ、空腹と酔いで目が回りだしたところで式が始まったのだった。
 しかも目の前にしたご馳走にはほとんど手をつけられず、悟空は始終そちらを恨みがましくぼうっと見つめている羽目になった。そこに散々いろいろな人が祝いを言いにやってくる。仲間は呼んでいなかったので、ほとんど見も知らぬ人たちばかりだ。やってくるたびに祝いの杯をすすめられて、注がれれば飲み干さないといけないのでバカ正直に呑んでいた悟空はへろへろになってきた。この場はなんと言ってもこの城の若旦那品評会なのだ。
 かろうじてぼうっと覚えているのは、腕を組んで隣で微笑んでいたヨメがやけにふわふわしてニコニコしていたこと。新しく父親になった人がまた流す感激の涙。その場をどうにかこうにかしゃんと持ちこたえられたのは、ゆうべの決意があったからに他ならない。
 やっと、新婚旅行に行くリムジンのシートに身を横たえ、眠る前に、悟空はつぶやいた。
 「ケッコンシキなんて、もうこりごりだ。二度とやりたくねえ」
 「それでいいんだべ」隣で、昨日のように優しく笑う声がして、悟空は安心して眠りに着いた。




 目を覚ますと、どこかの部屋の中だった。大きな寝台の上だった。
 朝の気配がする。昇り始めた太陽の桃色の光が、カーテンの隙間から入ってきていた。
 いつの間にここへ。ここはどこだろう。
 ぼんやり目をめぐらせると、寝台の向こうの端のほうで、「ヨメ」が真っ白なシーツに、真っ白い寝巻きに、長い綺麗な髪を広げて眠っているのが見えた。かすかに痛む頭の隅のほうで、いきさつを思い出した。

 ま、いいか。と悟空は思った。
 一緒に暮らすのだから、一緒にも寝るだろう。かつて、祖父とそうしていたように。幸せだったあの頃のように。
 
 だから、今はまだこのままで。ぴかぴかに、まっさらに眩しく新しい、このササヤカなシアワセってやつを。




 悟空はしばらく夢うつつに彼女の寝顔を眺めてそっと笑った後、再び瞳を閉じた。







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